風邪盤が広まった理由「思追、景儀、良いものやるよ」
満面の笑みだ。頭をゆらゆらと小さく左右に振って近づいてくる。なんとも怪しい。
藍景儀は警戒しつつも(魏無羨がイタズラ好きなのは姑蘇藍氏では有名だった)手の平を差し出す。何かを握っているであろうその拳にミミズが入っていたとしても、もう藍景儀と藍思追は驚かない。何があっても動じないつもりだった。
魏無羨がソレを手のひらに置いた瞬間、藍景儀は目を見開いた。
知っている形だが、一部分違うところがある。
「これ…!」
「風邪盤を改良した。今お前らが使ってるのよりは正確に動くはずだ」
夜狩について学ばされることは多く、剣だけでなく術をも自由自在に使いこなす彼は尊重すべき相手だと頭ではわかっていても、含光君の袖にもぐりこんだり含光君に金をたかったりと、なんとも情けないところをここ最近よく見ていた藍景儀の魏無羨に対する尊敬度は地につくほどに下がりつつあった。
初対面での印象はやはり強く、演技ではない都度垣間見える魏無羨の甚だしい恥知らずには全てをひっくり返すほどの興ざめをさせられてきていたのである。
そんな時に渡された法具。この法具がどれだけ貴重なものかは、言わずもなが、だ。
そういえばこの人ってこんなすごいやつを作る人だったんだと二人は目を輝かせた。蟻の巣を笑顔でつつく印象が強くてすっかり忘れていた。
藍景儀は久しぶりに魏無羨に対し敬仰の念を抱いた。両手を前に出し、頭を下げ、感謝の意を述べる。
「ちゃんと機能してたらあとで金払ってくれたらいいからさ」
お金とるんだ、しかも僕らで試すんだ……
…と喉元まで出かかった言葉を子どもたちは飲み込んだ。彼らは賢いのだ。
「気になってたんだけど、俺が作った法具、よく藍先生が使用を許可したよな。誰が一番初めに使い始めたんだ?」
「含光君です」
「あいつが?」
藍忘機ならこんな出来損ないの玩具など使用せず妖怪でもなんでも見つけられ
るはずである。なぜ彼が使う必要があったのかと魏無羨は頬をかいて頭をかしげた。
心境を察した藍思追が答えた。
「私が6歳の頃には既にお持ちでいらっしゃいました。静室に飾ってありましたよ」
「お前、含光君の静室に入ったことあるのか」
「景儀、驚くところソコか?コレは飾り物じゃないっていうのに。面白いことするなぁ。お前」
背後まで来ていた藍忘機に振り向き、こしょこしょと彼の顎を二本の指でくすぐった。うしろで思追、景儀らが拱手している。
藍忘機はそんな二人を見て、一度頷いた。
すぐ頭をあげ、くすぐられたまま頷く含光君を見てしまった藍景儀はフッと息を一瞬ふき、頬をリスのように膨らませて我慢した。口角が上がったり下がったりを繰り返している。
藍思追はよく我慢したね、偉いよと心の中で友を褒めた。
藍忘機は言った。なお、まだ顎をくすぐられている。
「飾っていたこともあるが、使用もしていた。叔父上は使用に反対はしなかった」
「藍ジジ…藍先生はお前がやることには滅多に口出さないもんな」
魏無羨を姑蘇に連れ帰ったあと、藍忘機が酒や肉を隠して静室へ持ち帰っていることなど全てお見通しなはずなのだが、その点については一度も咎められたことはない。
この間うっかり雲深不知処の山奥で酒を飲んでいるところを藍啓仁に見られてしまい、酒を没収され、その上関係の無い藍忘機とそろって正座で家訓の写し書きをさせられたが。
「昔、元の雲深不知処を取り戻すために再興をはかっていた。人を集め、優秀な修真者を育てていた。
どうせなら夜狩で弟子たちに使用させた方が良いと言われ、手放した」
「藍湛、それ、没収って言うんだぜ……」
おおかた、亡き者に心を奪われたまま悲しみ暮れている甥を見るに耐え兼ね、藍啓仁なりに想い人を忘れさせてやろうと配慮したのだと魏無羨は推測した。
「尊き含光君の私物だって話なら、姑蘇の弟子たちも気おくれなく使用できるもんな。たとえ忌むべき鬼道に道を踏み外した夷陵老祖の遺産だったとしても。なんか言いたそうだな、含光君」
「姑蘇で君の法具を使用した弟子は皆、法具に感謝していた。とても素晴らしい法具だとほめていた」
「俺の法具を姑蘇のやつらが?まさかだな」
そこで、魏無羨は気づく。雲深不知処はかつて壊滅危機にまでさらされたことがあった。非道で悪辣で傍若無人な温晁らによって。
有望な人を集めたとしても、藍啓仁の理想はあくまでも含光君ほどの人材。彼ほどの逸材にまで育てるには、
魏無羨の法具を使用させ、成長させるのが一番手っ取り早かったのだろう。
「魏嬰」
「ん、なに?」
蒼く澄んだ空を見上げ、ちょっとばかし昔を思い出していた魏無羨は少し遅れて返事をする。
いつのまにか子どもたちはいなくなっていた。察しの良い姑蘇藍氏の弟子はどんな雰囲気の時に静かに去ればいいのか心得ていた。むしろ熟知していた。
「私にも、それを」
藍忘機が指を指示したのは魏無羨が持っていたもう一つの改良された風邪盤だ。
「えっと……ほしいの?」
うん、と頷く藍忘機。肩を小刻みに揺らす魏無羨。
「っく、はは!良いよ。お前になら無料でやるよ」
藍忘機の口元に見えた雪解けのようなかすかな微笑の兆しに、魏無羨は息を飲んだ。
<終>