モラトリアムな日々のために 鏡を使った通信で事前に告げられたどおりの新月の夜。ポップはルーラでバルジの塔に現れた。
「ダイが戻ってくる。大丈夫、あいつは五体満足だ」
開口一番にポップはレオナに告げる。しかしレオナの顔に喜びが満ちる前に淡々と幾つかの条件も提示していく。ダイの帰還は各国に知らせるのはいいが大々的な祭典などは行わないこと。ダイは療養中ということにして公の場に当面は出さないこと。ダイの滞在場所はデルムリン島にすること。
整然とレオナに告げる口調から昨日今日で考えた内容ではないことは伺い知れた。
「姫さん、わりぃな。姫さんが個人的にデルムリン島に来るのは構わねぇけどよ」
わるいと添えてはいるが譲るつもりはまったくない物言いだった。
「ポップ君がそういうならそれは必要なんでしょ。一応、理由を聞いても?」
ポップは頷く。
「あいつ、12の時から5年間ずっと戦ってきたんだよ。少し休ませてやりてぇ。いや、ダイは休みたいとも言ってねぇけど。魔界にいるときも、帰ったら何をしたいかって聞いても何も言わなかったんだ」
優しい物言いで、どうしたらいいと思う?と聞き返すだけだと。
敏いレオナは気づく。パプニカの王宮にくれば、ダイは勇者ダイとして振舞おうとするだろう。そして将来の王配候補としてみられたならば、そうあろうとするだろう。逆に自分を排斥しようとする気配を感じたならば躊躇いなく去ろうとするだろう。
人の想いに応える彼ならば。
今、ポップの出している条件は、島を冒険するのにもドキドキするような少年の心をダイに戻すために必要なのだろう。それならば反対する理由もない。
「ポップ君はどうするつもりなの?」
「のんびりしながらあいつに読み書きやら算術を教えようと思う。一般常識とかさ。あいつがこれから何をするにしても足しになるように。そしてたまに色んな洞窟、たとえば破邪の洞窟とかに潜って冒険してみたりとか。おれの研究の手伝いをしてもらったりとか。あいつがやりたい何かを見つけるまで付き合うよ」
くわえて、カール王国から依頼された魔法書の執筆や一連の戦いの記録の編纂作業で食うには困らないとポップは言う。
つまり、ポップはパプニカに頼らずともよい算段をつけている。となれば。
「あたしも同じようにポップ君にそういう類の仕事を頼めば、パプニカとキミたちの縁が切れるわけでもない。ダイ君も表に出ない。しかもそういう仕事なら国政に大きな影響がないように見える。そしてポップ君が様々な国からそういう依頼を受ければ”大魔道士が一国に肩入れする”状況もできない」
「ご明察」
当代の大魔道士はひとまず適度な距離で広く浅く世に関わる生き方を選んだというわけだ。それもすべて当代の勇者のためであろう。勇者ダイが何かを欲したときに選択肢を多くするための。ダイがもう世に出たくないと言えばそのままデルムリン島でダイと過ごし、レオナと共にありたいといえばあらゆる国との関係性を活かしながらパプニカの宮廷に勇者ダイを受け入れさせるのであろう。
「ちょっと宙ぶらりんな状態で姫さん個人には悪いけど。ずっとダイを待ってただろう?」
レオナはゆるく首をふる。ダイが隣にいてほしい気持ちは確かにある。しかし、レオナの願いを叶えなければならない、パプニカの民の期待に応えなければという気持ちで隣にいてほしいわけではなかった。
「立場上はね、早々に決めたほうがいいんだけど。まだしばらくは大丈夫よ。どちらに転んでも大丈夫なようにしておくわ。厄介なこともあるけど大魔王と戦うことに比べたら平気よ。本当にどうにもならなくなったら大魔道士様があれこれ手をまわしてくれるだろうし」
「政治ってやつはさすがに門外漢だからあてにしないでくれよ。おれは普通の武器屋の息子なんだからさ。先生や師匠に相談ぐらいはするけどよ」
カール王国の王配で騎士団にもいたアバンと、宮廷に仕えた経験のある大魔道士のマトリフに伝手があり、彼らに教えを乞うことができる。確かに”普通の武器屋”の息子かもしれないが、その息子が今現在も普通かは別である。パプニカ一国と縁を繋ぐのではなく、各国と絶妙に距離を繋いでバランスを取ろうとする知略も既にある。
「ほんと、それにしてもあたしが『ダイ君が隣にいないとイヤ』って言ったらどうするつもりだったの」
「それは考えてなかったわ」
この妹弟子が個人の感情よりも、他者やより多くの想いを優先するのはポップはよく知っていた。とくにダイの状況よりも自分の想いを優先しようとしないであろうことは考えるまでもなかった。
「あたしはしばらくこのままでいいけども。キミはどうするの」
「おれ?」
「そうよ、四角関係だか五角関係だかぐっちゃぐちゃだったじゃない。再開するの?幾つかは決着ついてるみたいだけど」
さきほどまでは勇者の相棒に相応しいクールな口調で話をすすめていた大魔道士は、しかし途端に出会った頃の少年のような素っ頓狂な表情で天を仰ぐ。
「ポップ君?」
「……考えてなかったな」
ダイとレオナのことは考えていたようだが自分のことはすっかり意識の外だったらしい。
「うーん……おれさぁ」
「うん?」
「女の子が好きだけどさ」
「うん」
「女の子が大好きなんだけど、もしかして最優先はダイなのかな?」
今更何を言うのだろうとレオナは内心で頭を抱える。この男、ダイが最優先であることが当たり前すぎて自覚が無かったのか。当たり前に何もかもを捨ててダイと共にあることを選ぶことのできる彼に、自分は少し羨ましいとすら思うのに。いや、羨ましいと思うがその道を提示されてたとしても自分はきっとそれは選ばないが。しかしそれにしたって。
「な、なんだよ」
「あたしはキミにザオラルをかけた頃から気づいてたけど」
「え」
「ダイ君の捜索のために前衛と占い師が必要だからって理由で、自分が好きな女の子と自分を好きだという女の子に囲まれて旅をするという面倒なことをしてた時には流石に気づいていたと思ってたけど。気づいて無かったことのほうがあたしは驚きなんだけど」
「確かに!」
そういえば色々と偉業をしでかしている目の前の青年も、ようやく20歳をこえたばかりであった。彼も人生経験の充足部分と不足部分があまりにもアンバランスな青年だ。戦いを終えたのちもダイを探し続けていた彼にもようやく休息の時間がきたのかもしれない。
「とりあえずキミもしばらくゆっくりすればいいと思うわよ」
「そうだなぁ お言葉に甘えさせてもらうよ」
「あたしもたまに遊びに行くから冒険に混ぜてね」
「お、行くか、一緒に破邪の洞窟!」
こうして少年少女たちのモラトリアムがはじまる。