キネマティック 彼女を初めて見たのは、小さな箱の中だった。モノクロな世界で美しく微笑む彼女の姿を一日たりとも忘れたことは無い。二度目は、大きなスクリーン。三度、四度と回数を重ね、そしてようやく本物の彼女と会うことができたのは、真っ白な花が敷きつめられたガラスの棺の中だった――。
享年二十五歳。
憧れの女に会いたいという一心で俳優になってから十数年、彼女の姿を忘れたことは片時もなかったといえる。だからこそ、すぐに分かった。
雨に烟る夜の街角で、喪服のような傘をさすその横顔は、棺の中で拝んだ彼女と寸分違わぬ様相を呈している。
思わず駆け寄り、彼女の手を掴んだ。
ハッとした表情も幾度となく見てきた彼女そのもので、やはり私の目に狂いはなかったと自賛する。白魚のように美しい手に雨の雫が落ち、滑らかにすべっていく。それは彼女の存在を知らしめているかのようで、私の心はいつになく震えた。
こんなにも素晴らしい奇跡があるだろうか。
彼女の名前を呼べば、彼女はそれを否定して、かつて映画の中で演じていたキャラクターの名前を答えた。可哀想に。混乱しているのだろう。下を向いて長い睫毛を震わせる姿を哀れに思い、道に迷ったという彼女を保護することにした。
「わたし……戻らなきゃ……」
か細い声で泣く彼女をソファーに座らせる。こんな事になるのであれば、もう少し立派なマンションに住んでおくべきだったと、テーブルの上に乱雑に置いていた請求書の類を床に落とした。
「戻る必要なんてない! ここは今日から貴方の家だからな」
彼女が俯くたびに、ほつれた絹のように美しい髪の毛が頬にかかる。艶やかな赤いルージュは、雪のような白い肌によく似合っていた。
逸る気持ちを抑えて、彼女に手を伸ばす。自分でも意外に思う部分ではあったが、私の手は微かに震えていた。
――あたたかい。
指先から伝う熱が、血管を通って心臓の深い所へと入り込んでくる。彼女は生きている。ガラスの棺で眠る彼女は、すべて私が創り出した妄想だったに違いない。
「ジャイロさんはどこ、」
ああ、頼む。
私の前で知らない男の名前など呼ぶな。
彼女の小さな唇に齧り付くようなキスをすれば、ほのかに甘い林檎の香りがした。