心配--
月のない夜は大小の星々が天を埋め尽くすようだった。それでいて明るさは足りず、深い闇が騎空艇の周りを覆っていた。真の闇に光は届かない――そう嘯いていた己を思い出す。
ショウが夜風に吹かれながら騎空艇の外に面した通路を歩んでいると、ふと視界に赤い光が揺れた。杖の先にぶらさげられたランタンだ。通路の先、手すりに両手を乗せてエルモートが外を眺めていた。フードは外され、赤い髪が風と遊んでいる。ショウはそっと近づいた。
騎空団が受けた依頼のため訪れた島で、火事があった。消火と片付けを終え、依頼も済ませ、騎空艇は帰路についたところだ。
その火事の騒動から、かつてエルモートがグランと出会った経緯について聞くこととなった。
ショウはエルモートの側まで来て足を止めた。彼は振り返らなかったが、ショウの存在には気付いているだろう。無視されているが、子供は寝ろと追い払われるよりはマシだろうか。
しじまに溶けるように揺らめくランタンを見つめ、ショウは口を開いた。
「あんた、故郷の連中を恨んでいるか?」
赤い髪が夜風に揺れた。その視線の先にはここからは見えないはずの生まれた島でも見えているのだろうか。
「さぁな」
短い返事が返ってくる。
「目の敵にされてたって……」
「団長サン、ンなことまで話したのかよォ」
エルモートは気怠そうに溜息をつくと、肘を立てて頬杖をついた。
「火をつけて回るガキなんかいたら、そりゃ誰だって警戒すンだろうよ」
薄く笑う横顔には諦観が漂って見えた。誰かに非があるのなら、それは自分だと言っているようだ。
ショウは眼下に暗く広がる雲の海を見つめた。視線を少し上げると、夜目では判別のつかない遥か先で、夜空と交わり星空を呑み込んでいるかのようだった。
ショウも自身に非がないとは思わない。きっかけはどうあれ、間違いなく人を傷つけた。そのしっぺ返しとしてドモンが存在したのだ。
(……だが)
反省し更生するならそれでいいと、エルモートは言ってくれたのだ。ジルもミランダもそれに同意してくれた。
そう言ってくれる人がエルモートにはいなかったのだろうか。
彼の闇夜に差す光は――。
あるいは、とショウは拳を握った。暗闇を歩く彼の隣に自分が並んでやることくらいは出来るのではないだろうか。抱きしめて温もりを分け合う仲にはまだなれないが、いつかそう出来るようになれないだろうか。
横顔を見つめていると、エルモートがふと頬を緩めた。ショウは目をしばたいた。
「どうかしたか?」
問うとエルモートはたいしたことではないと片手を振った。
「いやなに、雲を見てたらな、グランサイファーの灯りがときどき横切っていくンだ。それが面白くってよ」
「灯りが?」
「障害物にぶつからないよう周囲を確認してる照明だ。上下左右に振れるようになってて、ずっと同じ方向を照らしてるわけじゃねェのさ」
なるほど、とショウは頷く。そして苦笑を零した。
「俺は深刻な話をしたつもりだったんだが、あんたはそれを見て楽しんでたんだな」
火事のことで感傷に浸っているのかと思ったのだが、要らぬ憂慮だっただろうか。
エルモートはクククと笑った。ランタンの光を反射して金色の瞳が揺れる。彼は身体を返して手すりに背を預けた。ショウを見つめる。
「ガキが余計な心配すンな」
ショウは言葉を詰まらせた。踏み込むなと拒否されている。
エルモートは肩を竦めた。
「だいたい昔の話だ。今さら『どうだった?』と訊かれても俺だって困る」
冷たい風に深紅の髪が舞い、仄かに輝くランタンの灯りがそれを照らす。暗い夜空を背後に、それは不吉な魔性の姿にも見えた。彼の故郷の者達はこの姿を見て恐れたのだろうか。
ショウは息を呑み込む。拳を握り直して、なんとか口を開いた。
「いきなり昔のことを聞いたのは悪かった。だが、今さらなんて言って誤魔化されるほど、俺はガキじゃねェよ」
エルモートはショウを見つめていたが、やがて息を吐いた。面倒くさそうに頭を掻く。
「そうやって突っかかってくるところがガキだっつうかよォ」
ショウが眉根を寄せると、エルモートは制止するように手を挙げた。
「人の心配すンのが余計なお世話だなんて言わねェよ。でも、それは俺じゃなくてダチに向けてやンな」
「それじゃあ、あんたのことは誰が心配してやるんだ」
エルモードは驚いたように目を大きくすると、それからハッと笑った。おもむろに手すりを撫でる。
「さァな。お人好しの団長サンが心配してくれンじゃねェか?」
そう返されて、今度はショウが驚く番だった。必要ないとは言わないことが意外だった。
ショウの視線の先でグランサイファーの灯りが滑るように宙を照らした。その光に瞠目する。
闇夜に差す光、それがエルモートの手を引いてこの艇に導いたのだ。
ショウの立つ位置からエルモートが立つ位置までの距離。この間にどうして誰もいないなどと思ったのだろうか。人のいい少年の笑顔が脳裏を過る。
ショウはくしゃりと顔を歪めて笑った。
「団長なら確かに安心だな」
胸の奥に凍えた夜風が刺さるようだった。それでいて、仄暗い安堵もまた湧いていた。
グランにはルリアがいるから、エルモートの隣に割って入る隙はあるということだ。往生際の悪い考えのように思えたが、なりふり構ってなどいられない。ショウはどうあってもエルモートが欲しいのだし、彼を一人にしておくのも嫌だった。
「でも――あんたは俺の先公で、生徒に心配されるなんざ、不本意かもしれねェけど」
ショウは一歩エルモートのほうへ足を踏み出した。真っ直ぐに相手を見据える。
「俺にとってあんたは恩人だから、俺だってあんたを放っておけねぇよ」
エルモートはショウの瞳を見つめ返していたが、顔を逸らすと再び息をついた。それから、彼は少し照れ臭そうに唇の端を歪めた。
「おまえがどう思うかを強制はできねェな……」
そう零す。想いを否定されなかったことに、ショウはほっと息をついた。
エルモートは手すりから背を離すと、ショウの肩を叩いた。
「ガキはもう寝ろ」
「今度は追い払うつもりかよ」
背中を押されながらショウがそう言うと、エルモートは手を横に振った。
「あァ、とりあえず今回のことでどうこうはねェから、心配いらねェって」
「ほんとかよ」
「ほんとほんと」
投げやりな口調でそう言われてショウは不満げに唇を尖らせた。やはりまだ子供扱いされているのだと感じる。
(……今はそれでも仕方ないか)
小さく息をつく。グランをはじめ騎空団の仲間に囲まれている今、エルモートの心の拠り所がここにあるのは確かだろう。心配がいらないというのも全くの嘘ではあるまい。
ショウは内心で笑みを刷いた。恩人だと言ったのは嘘ではないが、想い人だと言わなかったのは駆け引きだ。生徒の恋慕に用心され、距離を置かれては困るのだから。エルモートはショウの諦めの悪さと慎重深さを向けられる対象になっている自覚はまだないだろう。信頼を得ていくのは少しずつでいい。
「あんたこそちゃんと寝ろよ」
そう告げると、エルモートは片目を閉じて笑った。
「心配性のショウくんに教えてやンよ。俺ァこれから大人の時間だ」
「はっ!?」
「ラードゥガにいい酒が入ったってンで、馴染みの連中とこれさ」
エルモートはグラスを摘まむ仕草をしてみせる。ショウは本音では安堵しながら、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「大人になるってのは堕落するってことなのかい?」
「おまえも大人になったら分かるさ」
ニヤリと笑うエルモートにショウはそわそわと訊いた。
「俺が大人になったら一緒に酒飲んでくれるのか?」
「そりゃあもちろん、いいぜ」
エルモートは顔を綻ばせる。ショウは思わず胸を押さえた。つい先ほどゆっくり攻略しようと考えたばかりなのに、相手の攻撃力が高すぎると感じる。
「絶対だからな」
そう念を押すと、エルモートは可笑しそうに笑った。ショウはその笑みに見入るばかりだった。
ショウの部屋の近くまで来てエルモートは足を止めた。
「じゃぁな。歯ァ磨いて寝ろよ」
細かく言いつけてくる元担任教師にショウは呆れたように笑う。
「あんたも遅くまで飲むなよ」
「はいはい。おやすみ、ショウくん」
「Good night」
ショウが自室へ向かおうと踵を返した瞬間、エルモートが背筋を伸ばしてショウの耳元で囁いた。
「心配してくれてあんがとな」
ショウが目を瞬くと、エルモートは身を翻して歩き出す。
「先公」
声を掛けるが、エルモートは背を向けたまま手を振って返すだけだった。
その後ろ姿を呆然と見送ってから、ショウは壁に寄りかかった。熱い顔を片手で覆う。
「不意打ちは卑怯だぜ」
受け入れてもらえた喜び、彼が頑なでないことへの安堵、そして耳を撫でた甘い声音が、ショウの胸を高鳴らせるのだった。
終わり