6 ナープラ発三時三十分、天国行き急行列車 ブルーノたちは、古城から戻った三人と合流するとすぐにナープラの鉄道駅に向かいました。古城で手に入れた鍵には宝石がついていたのですが、宝石の中には王様からの指示が浮かんで書かれていたのです。
王様の指示はこうでした。
ナープラ駅六番のりばにある
『亀』のいる水飲み場で
この『鍵』を使え。
そして列車で娘を
ウェネトゥスまで連れてくること。
君の仕事はウェネトゥスに娘を連れてくることで完了する。
「王都ロマティヌスじゃあないのか?」と、アバティーノは首をかしげました。アバティーノの疑問ももっともです。ウェネトゥスはスティヴァーリ王国の重要な都市ですが、うんと北にあり、ナープラからはとても遠いのです。むしろ、王都ロマティヌスの方がずっと近いのです。
「将来のことを考えて、まずはウェネトゥスの統治者にするとかでしょうか?」と、フラゴラは言いました。
「王様の真意はわからん」ブルーノは言います。「だが、指示されたように動くしかないからな」
そういうわけで、ブルーノたちはナープラの駅に来たのです。ナープラの駅は、スティヴァーリ王国の主要な都市と繋がる、国内有数の立派な駅です。十年前には乗り場の数も倍になり、アーチ状の立派な屋根も作られました。けれど、正直なところ、駅にはあまり来たくありませんでした。汽車というものは出発時間が決まっていますから、反逆者たちに待ち構えられてしまう危険性が高いのです。それに、もし反逆者たちが「ブルーノに用があるから、見かけたら教えてくれ」とたくさんの人に声をかけていたら、それもまた怖いことです。直接会わなくとも、行き先がバレてしまうわけですからね。
六人とトリシアは素早く駅を駆け抜けると、フロレンティアにいく急行列車に乗り込みました。ナープラから目的地のウェネトゥスまで直接行くことは出来ません。フロレンティアという都市で乗り換える必要がありました。
他の六人がひとまず列車の中に隠れると、ブルーノは鍵を入れる穴を探しました。けれど、水飲み場には古城の鍵に合う鍵穴なんてどこにもないのです。蒸気機関車は、走り出したい気持ちを抑えきれないように、煙突から煙を吐き出していました。列車の発車時刻はもう迫っています。
「ブルーノ、もう列車が出てしまいます」
ジョジョはじれったそうに言いました。
「わかっているけれど、王様の言う鍵の使い場所がわからないんだ」
ブルーノもこめかみに汗を浮かべます。反逆者たちに勘づかれて持っていかれたのかもしれない……そんな最悪の想定が頭をもたげていました。
「場所を間違えたのでしょうか?」
「いいや、亀のいる水飲み場はここしかない。いや、待ってくれ、どうして駅の水飲み場に、亀がいるんだろう?」
ブルーノはそう呟くと、亀を見ました。亀は大人の陸亀で、水飲み場から逃げることもなく、おとなしくしています。その亀の甲羅に、奇妙な凹みがあることに気がつきました。鍵穴ではなく、鍵そのもののかたちをしています。ブルーノは「まさか」と思いましたが、試しに鍵をへこみにはめこんでみたところ、あつらえたかのようにピッタリとハマりました。
「いったいどういうことだろう?」
ブルーノが亀を持ち上げて首を傾げると、鍵についている宝石の中に、部屋が現れました。そして、亀を持っている手が吸い込まれそうになります。
「そ、そうか、この亀自体が乗り物なんだ!」
ブルーノは亀を持って列車に乗り込みました。
亀の中は、実に素晴らしい部屋になっていました。大きなソファは七人で座っても余裕がありますし、柔らかく沈み込んで、まるでベッドのようでした。テーブルの上にはおいしそうなパンや瑞々しい果物がカゴいっぱいに盛られていて、全員で食べても余るほどあります。床には美しい織りの絨毯が敷かれていますし、壁には暇を慰めるための本をたくさん並べた本棚が用意してあり、キャビネットにはふわふわの毛布が人数分入っておりました。無心電信機の隣には見事な花々が飾られ、部屋いっぱいによい香りを満たしておりました。どれもこれも素晴らしいものばかりで、王様の姫君(そういうことになりますね!)を護送するのにまったく相応しいしつらえでした。
ブルーノたちはこの亀を炭水車の後ろにある荷物車にそっと潜ませました。まさか反逆者たちも、亀の中にブルーノたちがいるとは思わないでしょう。ブルーノたちは乗り換え駅のフロレンティアまで体を休めることにしました。亀の部屋の中に隠れてすぐ、ボーッ! ボーッ! と汽笛が鳴って、列車は少しずつ走り始めました。
黒猫と戦ったアバティーノ、フラゴラ、そしてジョジョは、ソファに座るとすぐに寝入ってしまいました。三人とも、大変疲れていますからね。特にアバティーノは、切り落とした手首をブルーノのジッパー・マンでくっつけてもらったばかりなので、一刻も早く休みたかったのです。すうすうと寝息を立て始めた三人を労うように、ブルーノは柔らかい毛布をかけてやりました。
「わあ、いっぱい本があるよ。どれか読もうかなあ」
と、オランチアは本棚を眺めていいました。本棚には絵入りの物語本や、ファッション雑誌、王都ロマティヌスにできたばかりの百貨店のカタログもありました。きっと、王様かペリラスがトリシアのために用意してくれたのでしょう。
「こっちは、冷蔵箱があるぜ。おお、キンキンに冷えてらァー」
冷蔵箱を覗き込みながらミシェレは歓声を上げました。大きな氷を入れて使う冷蔵箱は、まだお金持ちの家にしかない珍しいものでした。冷蔵箱の中には、瓶のソーダ水やレモネード、シトロンのジュース、ジンジャービアなどがよく冷えて入っていました。透き通った水晶のような氷もたくさん箱に入っています。
「ミシェレ、ソーダ水を渡してくれ」と、ブルーノは言いました。
「私も同じものをちょうだい」と、トリシアもいいました。こんな状況ですから、みんな喉がかわいているのです。
「オランチア、お前も疲れてるだろう、何か飲んだ方がいいぜ」と、ミシェレはオランチアにいいました。でも、オランチアは「温かいものがほしいな、胃に優しいし」などと年寄りくさいことをいいながら膝に毛布をかけるので、ミシェレは呆れてしまいました。
それからミシェレたちはめいめい、しばらくくつろいで過ごしました。すると、突然オランチアがゴホゴホと乾いた咳をし始めました。あんまり続くので、ミシェレは心配して声をかけます。
「大丈夫か? 何か飲んで、喉を潤したら――」
ミシェレは最後まで言い切ることができませんでした。オランチアの様子があきらかにおかしいのです。顔はおじいさんのようにシワだらけで、黒々としていた髪の毛は小麦粉をかぶったかのように真っ白になっています。
「おいッ、何かおかしいぞ、お前!」
ミシェレが叫ぶと、オランチアは耳に手を添えて、ひどくしゃがれた声で言うのでした。
「ええ? なんだあい? 声がちいさくて、聞こえないんだよう」
ブルーノとトリシアも、オランチアの異変に気がつき、驚いています。
「おい、ブルーノ、これって!」
「ああ、敵の攻撃だ! まさか、見つかってしまったのか!?」
すると、騒ぎに気がついたジョジョが、のっそりと起き上がり、のんびりとした口調でこう言いました。
「何か……ありましたか……?」
声の方に振り返ったミシェレは、ギョッとしてまた叫びました。
「と……年を取っている! ものすごいはやさで、年を取っているぞ!」
ジョジョもまた、髪の毛が真っ白なおじいさんになっているのです! ジョジョだけではありません。フラゴラも、アバティーノも、眠ったままおじいさんになっていました。
オランチアもジョジョも、自分自身の異変に気がつき始めました。そして、二人の顔のしわはどんどん深くなり、皮膚からはつやが失われてゆきます。
「も、もう奴らに見つかっちまったのか!?」
焦るミシェレに、ブルーノは冷静に首を振ります。
「いや、もし見つかっているなら、直接攻撃を仕掛けてくるはずだ。きっと俺たちがこの列車に乗っていることを知って、トリシアを探し出すために攻撃しているんだ! 年を取らせて俺たちが無力になったところでトリシアを攫おうという魂胆に間違いない!」
「じゃあ、この攻撃を仕掛けている奴を先にやっつければいいってことだな? そういうことなら、俺と『シックス・バレッツ』の出番だぜ!」
ミシェレは調子のいい声で言いました。こうしている間にも、オランチアはどんどん年を取ってゆきます。背骨が浮き出てほとんど骨と皮になってしまい、起き上がる気力もありません。もはや一刻の猶予もありませんでした。
ミシェレは急いで亀の部屋の中から飛び出していこうとしましたが、ジョジョに引き留められました。
「待ってください、ミシェレ。倒しに行く前に、一つ謎を解かなくては。調べなくてはいけないことがあります」
「けど、急がないとオランチアもお前も、寿命を迎えちまうぜ!」と、目元にうっすら小じわの出来たミシェレは言いました。
「いいや、ミシェレ。ジョジョに何か考えがあるみたいだ。ジョジョ、何を調べるんだ?」
おじいさんになったジョジョは、一呼吸置いてこう言いました。
「僕たちの間で、年を取るスピードが違うのは、何故でしょうか?」
三人はハッとしました。それはもっともな疑問でした。オランチアはもうお迎えがきそうなほど年を取っているのに、ブルーノもミシェレも目元に小じわができた程度にしか年を取っていませんし、トリシアはほとんど変わっていません。年を取る早さは人によって違いますが、いくらなんでも、奇妙な違いでした。
ジョジョは続けて言いました。
「この列車の乗客を全員無差別に老い殺してしまったら、彼らとしても大損害です。トリシアも巻き込んでしまいますからね。老いるスピードには、条件があるはずです。トリシアよりも先に僕たちに年を取らせて殺すための、何かの条件がね」
「男と女か? いや、でも俺たちの間でこんなに違うのはおかしい……」と、ブルーノは呟きます。
「結論から言えば」ジョジョは口を開きました。「『体温』だと思います。一般的に男性より女性の方が体脂肪が多いから、男性よりもほんのちょっぴり体温が変化しにくいと聞いたことがあります。その体温が変化してゆくスピードの、そのわずかな差でトリシアとそれ以外を区別しているのではないでしょうか?」
ブルーノとミシェレは互いに顔を見合わせました。そうはいっても、二人とも男ですし、体脂肪もそんなにありません。そこへ、トリシアが口を開きました。
「私もミシェレもブルーノも、冷たい飲み物を飲んでいた。それで身体が冷えて、年を取るスピードが遅いんだわ。でも他の人は毛布をかけて、身体が温まっていたから、早く年を取った。だとしたら――」
トリシアは手にしていた瓶を持って、オランチアに近づくと、そのほっぺたに瓶を当てました。するとどうでしょう。瓶に触れた部分だけ、若返ったのです! それをみたブルーノは、ジョジョやフラゴラ達にかけた毛布を剥ぎ取りました。眠っている彼らも、ほんのちょっぴりだけ若返ります。
「睡眠が深いほど、体温は下がるという。なら、オランチアは毛布を掛け、その上起きて活動していたからこんなにも早く年を取ったのか」
ブルーノは納得したように言いました。
「じゃあ、この冷蔵箱の氷で皆を冷やせばよォーッ、みんな助かるってことだよな!」
ミシェレは冷蔵箱を開けました。でも、氷入れは空っぽになっていて、箱を冷やすための氷の塊しかありません。
「その氷はお前が持っていけ!」ブルーノは言いました。「その氷が溶けきる前に、カタをつけるんだ!」
ミシェレは年を取ったみんなを見ました。ジョジョは、黙って頷きます。ミシェレは氷を手にすると、亀の中から飛び出しました。
荷物車は炭水車のすぐ後ろだけあって、少し熱気を感じました。体温が上がったのは、この車両の熱気もあるでしょう。ミシェレはピストルを構えながら、注意深く客車にうつります。
「何っ!?」
ミシェレは客車の下部から白い蒸気が上がっているのに気がつきました。
「まさか、客車に暖房を入れてるってのか!?」
季節は春になったばかりですが、暖房を入れるほどではありません。むしろ、そんなものを入れたら暑いくらいです。でも、敵にとってはそれこそが狙いなのでしょう。
ミシェレは客車内部を見回しました。ボックス席に座っている乗客は誰も彼も、年を取ってぐったりとしています。あるお母さんの腕の中で、赤ん坊がその大きさのまま年を取っているのを見ました。ミシェレが窓を開けてやると、ほんの少しだけ涼しい風が入りました。
「おっ、あれだな!」
ミシェレは座席の下にレバーを見つけました。放熱管と繋がっているので、操作すれば恐らく暖房を調節できることでしょう。幸い、機関車は走り出してからそれほど経っていません。こういった列車の暖房は、効き始めるまでに時間がかかりますので、今すぐに暖房を弱められれば、これ以上状況が悪化することもないと思われました。
「な、何ッ!? なんだ、これは!」
ミシェレがレバーを掴んだとき、指の先に何かが刺さり、あらぬ方向に腕が引っ張られ始めました。釣り針にかかった魚のように――いえ、まさしく『それ』でした。ミシェレの指には、釣り針が深く食い込んでいたのです! ミシェレの背中に冷たい汗が流れました。
「老化させる奴の他に、別の奴がいたのか!」
基本的に、精霊は一人につき一体、能力も基本的に一人一つとされています。オランチアもホルマティウスも黒猫も、一つの能力を応用して、さまざまなことが出来るというだけなのです。でも、『広範囲に老いさせる』能力と『ピンポイントに釣り針を潜ませる』のはあまりにも性質が違います。ですからミシェレはそのように判断したのです。そして、それはその通りでありました。
ミシェレの身体は、ものすごい力で後方車両に引っ張られていきます。それだけではありません。針がどんどん指から手へ、手から腕へと深く深く入り込んできます。もし、心臓や肺や、太い血管にこの釣り針が刺さったら、想像するのも恐ろしいことです。
「ぐわっ!」
ミシェレの身体が壁に叩きつけられました。釣り糸は車両の壁をすりぬけて伸びています。壁や座席といった『物体』などものともせず、まるで水の中と同じように自在に動き回れるようです。そのため、糸を何かにひっかけて針を抜くことは不可能でした。
「それじゃあ、糸をぶっちぎってやるぜ!」
ミシェレはピストルを自分の腕に向け発砲しました。しかし、弾が糸に当たった手応えを感じた瞬間、彼の身体は雷にでも撃たれたかのように大きく痙攣します。単に腕を撃たれるだけ――ミシェレの基準では、ですが――ではない、何倍にも増幅した衝撃が、彼の全身を襲ったのです。
「この糸は、切れねえッ! それどころか、衝撃を返してくるんだッ!」
まったく酷い話もあったものですねえ。自由に物体をすり抜けるのに、獲物には深く食らいつき、その上糸を攻撃すれば何倍もの衝撃にして返してくるのです。これじゃ、どうしようもないじゃありませんか。しかし、その点、ミシェレはとても覚悟の決まった男ですので、判断は速かったのです。ミシェレは再び、入り込んでくる糸のすぐそばに銃弾を撃ち込みました。
「シックス・バレッツ! この糸を引っ張って止めるんだ!」
ピストルの弾に乗って、親指ほどのミシェレの精霊『シックス・バレッツ』が身体の中に飛び込みました。シックス・バレッツは六人ひと組の小人の精霊で、NO.1からNO.7までいます。というのも、ミシェレは数字の「4」が大嫌いですので、NO.4が抜けて、NO.3の次がNO.5になっているのです。
バレッツたちは銃弾に乗って、その動きを自由に変えられる能力を持っていますが、それ以上に珍しいのはそれぞれ好き勝手に喋ったり、動いたり、ご飯を食べたりすることでした。つまり、ミシェレが全てを指示しなくとも、自分で考えて行動できるのです。
「引っ張れー! 引っ張るんだー!」
身体の中に入ったバレッツたちは力を合わせて糸を引っ張りましたが、小さなバレッツは、力持ちではないのです。すぐに、「オレたちじゃ無理だよう!」と言いました。
ですが、逆にミシェレの覚悟が決まりました。
「じゃあ、この糸を使うやつをやっつけるしかねえってことだな! いくぜ、バレッツ! この釣り糸を使ってるやつを探すんだ!」
「アイアイサー!」
ミシェレが再び何発も発砲しました。放たれた銃弾に乗って、バレッツが後方車両に飛んでゆきます。バレッツたちは車内を見渡しました。これまでの経験からして、相手はきっと宝石の首輪をつけた動物です。人間よりも寿命が短い動物のはずです。この老いさせる攻撃が、『無差別攻撃』である以上、敵と味方を区別することもできません。釣り糸を使う敵も、氷で対策をしているはずなのです。
バレッツたちは個室内も注意深く見ます。乗客の中には、動物を連れて来ているものもたくさんいました。でも、みんなぐったりしていて、かろうじて生きている状態です。それに、犬や猫を連れているのはみな見なりのいい金持ちっぽい人ばかりでした。誰も彼も、綺麗な石のついた高価な首輪をつけていました。
「ミシェレ、もうすぐ食堂車だよ!」
バレッツの一人が言いました。
「食堂車なら、氷があるかもしれない! よし、氷を探して、壊すんだ! やっこさんはたまらず正体を現すかもしれない!」
バレッツの一人が、カウンターの上にコップに入った氷の山を見つけると、乗っていた銃弾をぐるりとUターンさせて、コップのど真ん中に突っ込みました。パリン! と高い音がして、氷ごとコップは粉々に砕けました。
「ウキャア、な、なんてことするんだ!」
カウンターの影から、子猿が飛び出してきました。袖なしのコートを羽織った子猿で、首には宝石付きの首輪があり、手には、小さな体には似合わない釣り竿を持っています。
「ミシェレ、いたぞ! こいつがその釣り糸の敵だよう!」
子猿はしまった、という顔をしました。でももう遅かったのです。続け様に、バレッツたちの乗った弾が着弾して、かろうじて残っていた氷を砕きます。子猿の顔は、いよいよ真っ青になりました。
ミシェレはピストルを構えたまま、ゆっくりと食堂車に入ります。子猿は慌てふためいて、釣り竿を投げて逃げ出しました。それと同時にミシェレの体からも釣り針が消えます。
「逃すか!」
ミシェレが発砲すると、子猿の長い尻尾の先がちぎれ飛びました。血が流れ出る尻尾を呆然と見つめて、子猿は震えるばかりです。釣り糸の精霊は強力でしたが、それをあやつる子猿は、大したことなかったようです。
ミシェレは、つぶらな目に涙をいっぱいにためておびえる子猿にピストルを突きつけると、冷たい目をしてこうおどしました。
「今から三つ数えるうちに、もう一人いる仲間の場所を教えろ。三つ数え終わったら、すぐに撃ち殺すからな。いーち……」
子猿は震えて、何も言えません。
「にーい……」
「あ、あう……し、知らないんだよう!」
「その答えでいいのか? さーん……じゃあ、死ぬしかないな!」
ミシェレが引き金にかかる指にぐっと力を込めた瞬間、足元に大きな猫がもたれかかってきて、「ニャ……ニャア……」と助けを求めるかのように力なく鳴きました。ミシェレはハッとしますが、大猫はもう年寄りになっていますし、上質なベストを着せてもらって、首にはシルクのリボンを結んでいます。どこかの金持ちの飼っている猫のようでした。
「おい、元凶をぶっ殺したらお前もご主人も助けてやるからよ、今は……」
しかし、ミシェレのピストルを持つ手がものすごい早さでしなびていきます。オランチアの比ではありません。一瞬でした。
「こっ、これは……!? まさか、この猫は……!?」
バレッツたちも、干物のようにシナシナになって落ちて行きます。ミシェレはかすみ始めた目で、ネコを見ると、ネコの背後に、体中に目のついた不気味な精霊が佇んでいます。その不気味な目のひとつひとつにしわくちゃになったミシェレの顔が映り込んでいました。ネコは口を歪めて言いました。
「死ぬのはお前のほうさ、ミシェレ。我が精霊『ザ・サンクフル・デッド』は不可視のガスで相手を徐々に老化させる能力。だが、どうだ? 『直触り』のスピードと威力は、段違いだろう!」
ミシェレは立っていられず、うーんとその場に倒れてしまいました。ミシェレを冷たく見下ろす大猫は、時を巻き戻したかのように若返って行きます。やがて、スラリとした長い四肢を持つ高貴なヤマネコになりました。金色に輝く毛並みには黒い斑の模様が美しく浮かび上がっていて、芸術神が一つ一つ模様をつけてやったかのようでした。目は夜空のような深い青色で、星の光を映したかのように輝いています。誰もが見惚れるような美しいヤマネコでした。乗客は皆、「あの美しいネコは、きっとあの紳士方の連れてきたネコに違いない」と思い込んだので、ヤマネコは堂々と列車に紛れ込めたのです。
「プロシュガード兄貴、助けに来てくれたんだね!」
子猿はうれしそうに言いました。しかし、ヤマネコのプロシュガードは、子猿の横っ面に手痛いパンチを喰らわせると、怒って言いました。
「ピスキス、なんだ、あのザマは!」
子猿はしゅんとして答えました。
「キィ、でもよう、おれ、氷を割られて、尻尾もちぎられて、慌てちまったんだよう。あいつはピストルを使うし、それで……」
「ピスキス、俺はな、『慌てたこと』に怒っているんじゃあないんだぜ。お前が慌てる気持ちは、よくわかるもの。氷が割れたら、焦るし、尻尾をちぎられたらショックだ! 俺は、お前が『逃げ出したこと』に怒ってるんだ。俺たちは、たとえどんな深手を負おうが最後まで諦めねえ! お前だって、フィッシャー・マンの釣り針をコイツの体深くに喰らい付かせていた。なのに放り投げちまった! あのとき、お前だって有利を取ってた。お前の釣り針は、ミシェレにはどうにもできなかったからな。それくらい、お前の精霊は強い力なんだ。それを操るお前だって、本当は強いんだよ。なのに、お前自身の強さを、お前が信じないでどうする?」
プロシュガードは毅然とした口調で言いました。それを聞くピスキスの目に、自然と涙が浮かびます。プロシュガードが怒っているのは、ピスキスのことを高く評価してくれるからこそだと、身に沁みてわかったのです。
ミシェレは萎えた力を振り絞って、ピストルに手を伸ばします。しかし、その手はプロシュガードに踏みつけられました。プロシュガードはピストルを拾うと、言いました。
「いいか、ピスキス。今から手本を見せてやる」
カチリ、と撃鉄の音がします。そして、静かにミシェレの頭に銃口を向けました。
「ぶっ殺す! と思った時には!」
三発。
パンパンパン! と三発立て続けに乾いた音がしました。
「その時すでに行動を終わらせておくもんだぜ」
プロシュガードはピストルを放り投げると、スタスタとその場を立ち去りました。しばらく呆気に取られていた子猿のピスキスも、急いでその跡を追います。
食堂車には、嘘のような静寂が訪れました。ミシェレは死んでしまったのでしょうか? だって、銃弾を三発も頭に受けたら、誰だってあの世行きですものね! でも、ミシェレの精霊は銃弾を使うことに関してはスペシャリストでした。ミシェレの帽子から、三発の銃弾がコロリと飛び出すと、バレッツのNO.5が泣きながら這い出てきました。
最初にコップの氷を割ったNO.5は、氷のかけらを持ってミシェレの帽子に潜んでいました。他のバレッツが動けなくなっても、NO.5は氷のおかげで元気なままでしたし、一人で三発もの銃弾を止めたのです。ミシェレはそのことに気付き、嬉しそうに微笑みました。
「お前が動けて良かった。でも、俺はしばらく動けそうにない。ほかのバレッツを氷で若返らせてくれ。ブルーノたちに危険を知らせるんだ」
すると、バレッツは言いました。
「それならもうやったよう。復活したNO.6が、残りの氷を持ってブルーノのところに向かってるよ!」
「そうか、それならよかった……」
ミシェレはそのまま、ぐったりと気を失いました。
さて、プロシュガードとピスキスは、ブルーノたちを探すことにしました。
「ピスキス、アイツはどこで針にかかった?」
「一番前の客車ですよ。おいら、前の方に張ってたんでさぁ。炭水車や荷物車に潜んでいるかもしれないって思ってさ……」
「だが、あのあたりは列車に乗り込んで真っ先にお前がみて回ったのだろう? それなのに、お前は前方車両に張り、見事に釣り上げたわけだ。何か根拠があったんじゃあないか? あいつらが来るなら『前からだ』と思える根拠が」
「根拠なんて、大したもんじゃないですよう。ただ……」
自信がなさそうに言い淀むピスキスに、プロシュガードが言いました。
「ピスキス、自信を持て! お前は確かに引き当てたんだ! そのお前を、俺は信じているんだぞ」
「運転席をいじった時、荷物車の中に生き物がいる気がしたんです。でも、ネズミか何かかもしれなかったし、本当にたまたまかも……」
「いや、確認してみよう。アイツらは七人で列車に潜んでるんだ。それが一人もいやしない。いや、いるのに見えなくなってるんだ。王が何かとんでもないものを貸し与えてるのかもしれない」
そういうと、プロシュガードは床に鼻をつけて臭いを辿り始めました。その姿にピスキスは驚いて声を上げました。
「兄貴、そんなこと、今まで嫌がってしなかったじゃあないですか!?」
「今ならミシェレの臭いがわかるから追える。それに、なりふり構っていられねえ。俺たちの誇りを取り戻すためには、なんだってやってやるさ!」
さて、亀の部屋の中では、ブルーノとトリシアがミシェレの帰りを待っていました。二人は、敵が二人組、いえ二匹組なことを知りません。
ミシェレが部屋を出て行ってからそう時間はたっていないのですが、待つだけ、というのはずいぶん長く感じるものです。籠に盛られている果物はみんなしなびて、ドライフルーツになってしまいましたし、美しく咲いていた花々も、すっかりドライフラワーになってしまいました。
その時、何者かが亀に近づく気配を感じて、ブルーノは顔をあげました。
プロシュガードは、ミシェレの臭いをたどります。血の匂いもありますから、鼻のいいネコにとって辿るのは簡単です。
プロシュガードは、荷物車のある地点で足を止めました。
「妙な臭いがするぜ。これは亀の臭いだ。荷物車に、亀なんて普通紛れ込むか?」
「ウキッ、亀ですかい? ペット商人の売り物でしょうか?」
「よし、確かめてみよう」
すると、ピスキスがすぐにウキッと声を上げました。亀を見つけたのです。しかも、ただの亀ではありません。背中に鍵のはまった妙な窪みがありますし、その鍵についた宝石の中には、なにやら部屋のようなものが見えます。しかもその中に、トリシアと四人の若者たちもいます!
「兄貴ッ! 見つけたよォー! トリシアもいる!」
さて、ピスキスはトリシアと四人の若者を見つけたのですが、一人足りない気がしませんか? そうです。ブルーノがいないのです。ピスキスがそのことに気がつくのと、天井から現れたブルーノの蹴りを喰らうのは、ほとんど同時のことでした。ピスキスは「ウギャッ」と悲鳴を上げると、ボールのように壁に当たって、そのままのびてしまいました。
「ピスキス、しっかりしろッ!」
プロシュガードの呼びかけにも、ピスキスはうーんと唸るだけで、起き上がる気配はありません。
「弟分の心配をしている場合か?」
すかさずジッパー・マンの拳が飛んできたので、プロシュガードは自身の精霊、ザ・サンクフル・デッドに拳を受け止めさせます。しかし、ジッパー・マンは拳を握られないような、そんな立ち回りをしています。ザ・サンクフル・デッドの拳を警戒するかのように。
「ブルーノ、アイツの『手』に気をつけろ! 一瞬で老化させられるぞ!」
ブルーノの髪の中から、氷を持ったバレッツのNO.6が指示を飛ばします。プロシュガードは驚きました。バレッツが生きているということは、ミシェレが生きているということです。銃弾を三発も撃ち込んだのにも関わらずです。
ザ・サンクフル・デッドは広範囲の人を老化させられる、強力な力を持っています。そのかわり、力も速さもジッパー・マンには一段劣るので、どうにか防衛するのでやっとでした。ですが、プロシュガードには勝算があります。ブルーノもブルーノで、決定力にいまいち欠いていたのです。力一杯に何度もパンチを繰り出すのは疲れることです。プロボクサーなんかは、練習の時でも汗を滝のように流しているでしょう。あんなに汗をかくのは、体温が上がっているからです。同じく打ち合いを続けるブルーノの体温もどんどん上がって行っていました。小さな氷を当てたくらいでは効果がないくらいに、上がっていたのです。
ブルーノの息が上がり始め、目元にはカラスの足跡のような深い皺が刻まれました。動きも先ほどより鈍くなり、パンチにキレもありません。プロシュガードはそれをみて、口元を美しくゆがめました。
「ブルーノ、ナープラの長官になったそうだな。だが、運のないやつだ。長官になって、こんな仕事を引き受けたばかりに、仕事も失敗して、部下もろとも死ぬ羽目になるとはな」
プロシュガードはブルーノの頭めがけて、ザ・サンクフル・デッドの手を伸ばしました。『直触り』によって仕留めようというのです。でも、触れる直前に、待っていたとばかりにブルーノの頭がパカリと二つに分かれ、手は後ろの壁にあたりました。ブルーノは自分の頭に密かに取り付けたジッパーを開いて、空振りさせたのです。そして、ありったけの力を込めて、ザ・サンクフル・デッドの腕を握ると、こう言いました。
「運がない、なんてことはないさ。俺は出会いに、部下に恵まれている。そして、部下も守るし、この仕事も成功させてみせるぞ!」
その時、プロシュガードは車内に吹き込む風を感じました。いつのまにかジッパー・マンが荷物車の壁と床に、ジッパーで大きな切れ目を入れていたのです。プロシュガードはこれからブルーノがしようとしていることを悟り、青ざめます。
「馬鹿な! まさかお前は、自分もろとも、この俺を……!?」
切れ目からは、恐ろしい速さで後ろに流れてゆく景色が見えます。床下では、鉄の車輪や棒が怪物の歯のようにガチガチと鳴っています。
「覚悟はいいか? 俺はできているぞ」
そう言い放つと、ブルーノはプロシュガードもろとも、走行する列車から身を踊らせました。