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    shimotukeno

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    shimotukeno

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    一応一段落

    希死念慮高い生き残りゾォのフーイル小説つづき ボス・ディアボロが倒されておよそ半年。ぶどうはたわわに実った房を重たげに垂れ、緑色の宝玉のようなオリーブは日々少しずつ色を変えながら収穫の時を待っている。
     パンナコッタ・フーゴはアンティークの椅子に腰掛け、キーボードを叩く。集中は切らさず、しかし集中しすぎてもいけない。音楽をかけながら、傍らの気配に意識を向ける。
     都会の喧噪は遠く、建物に切り取られることのない空は驚くほど広い。田舎風の大きな屋敷に広い庭、聞こえるのは風と鳥のうたばかりだ。都会で消耗する中年の憧れそうな隠居暮らしだが、これでもフーゴは任務まっただ中である。この屋敷は組織の持ち物で、任務のために住み込んでいる。
     この屋敷の主寝室がフーゴの仕事部屋だが、ベッドにはつねに主が眠っている。身長一九〇センチ近く、深いブルネットの豊かな髪の持ち主、半年前、ポンペイで対峙した男。暗殺チームのメンバー、鏡のイルーゾォだ。
     パープル・ヘイズの攻撃によってほとんど溶けかかりながらもまだわずかに命があった彼に、ジョルノがゴールド・エクスペリエンスを使い血清を打ち込んだ。血清が効いたところで手遅れだろうと思われていたが、奇跡的に命が繋がったらしい。ミスタもそうだし、亀のポルナレフの話を聞いてもそうだが、スタンド使いというのは常人より生命力が強く、しぶといのかもしれない。
     すべての戦いが終わると、ジョルノは病院の集中治療室――状態が状態のため、スピードワゴン財団系列の大病院に収容されたらしい――でどうにか命をつながれているイルーゾォの体を修復したが、すべてを元通りにすることは叶わなかったらしい。ウイルスの後遺症なのかはわからないが、上半身の右半分に火傷の痕のようなものが残ってしまった。それよりもなぜジョルノが財団病院の奥深くに入り込めたのかがフーゴにはよくわからないのだが。
     あれからイルーゾォは一度も目覚めない。自分の命がまだあることに気付いていないかのように。
     この隠れ家でイルーゾォの面倒を見ることが当面のフーゴの任務であった。
    「イルーゾォさん。ご飯の支度をしてきますね」
     周囲の木々の影が濃く、長く長く伸びているのに気付いたフーゴは、イルーゾォにそう呼びかけてから音楽を止め、部屋を後にする。三十分後に戻って音楽をかけなおしても、イルーゾォは眠ったまま、何も変わったところはない。
     フーゴはずっと思い続けている。ただ眠り、呼吸をし続けるのは「生きている」と呼んでもいいのだろうかと。彼の場合は「生きながらえさせられている」と言った方がいい。何のために彼は生きながらえさせられているのだろう? 「僕ら」としては暗殺チームの話を彼の口から直接聞きたいからだ。でも、彼自身は? 彼は何のために、ただ一人生きながらえることになるのだろう?
     ジョルノはいずれ目覚めると言っていたが、眠った状態のまま死なせてやった方が温情なのではないかと思う。二番目に倒された彼は他のメンバーの死を知らない。目覚めたらまず仲間は自分を残して全員死に、自身もボロボロの体となっているのを知ることになる。自慢のスタンドだって、以前のように出せるかどうかわからない。
     残酷な現実に引きずり出すくらいなら、自分が生きていることにも気付かないうちに死なせた方が彼のためだ。そう思って、首に手をかけたことがある。しかし手に力が入らなかった。次こそはと何度も手をかけた。手にかけることはできなかった。首から伝わるぬくもりが、鼓動が、まだ生きたいと訴えかけてくるようだったからだ。
     ――いや、違う。それは自分の願望を投影しているに過ぎない。実際のところは、自分が、彼に、生きてほしいと願っているのだ。
    「ポルチーニ茸のリゾット、結構うまく出来たんですよ。今年は豊作なんで、また作らなくては」
     独り言が虚しく空気に溶けていく。詮無きことだ。二ヶ月昏睡状態の人が目覚めたものの、四倍の期間、食事は管を通して行われたという話も聞いている。仮に今目覚めたとしても、彼が自由に食事できるのは当分先だ。
     ――でも、ひょっとしたら。ジョルノの力で命をつながれた彼なら。近いうちに一緒に食事を楽しめるかもしれない。そうも思うのだ。
     いいや。やはり無理だ。よりによって、自分の体をボロボロにしたやつと楽しく食事なんて出来るはずはない。そうでなくとも、自分のチームを始末したやつらの一味なのだから。
     わかっているけれど、甘美で虚しい夢想はつきることがなかった。徒花とわかっていても、はじめから終わっていると気付いていても、想いはつのるばかりだ。変わりばえのしないイルーゾォの寝顔を見て、フーゴは深いため息をついた。
     かけていたCDが終わっていたことに気づき、次にかけるCDを選ぶ。イルーゾォのそばにいる間はつねに音楽をかけ続けることにしている。昏睡状態の人が好きな曲や思い出の曲を聴いて突然目を覚ます話はいくつか聞いたことがあった。正直なところ、音楽の好みどころか人となりもよく知らないが、ポップス、ジャズ、R&B、プログレッシブ・ロック、クラシック、賛美歌、メタル――目についたものを片っ端からかける。やらないよりはマシだろう。
     フーゴは映画音楽のCDをケースにしまうと、往年の名テノールのアリア集を取り出した。オペラに興味のない人間でも、有名アリアというものは案外知らず知らずのうちに耳にしているものだ。世界的な有名歌手のものならなおさらである。
     一曲目が終わり、二曲目、三曲目、……ついに一人目の作曲家の曲が終わり、二人目にさしかかったところで、フーゴはイルーゾォの手の爪が伸びてきていることに気付いた。温タオルで指先を清め、やすりをかける。痩せた指を痛めないように、焦らず丁寧に。つま先がなめらかになったのを確かめると、保湿クリームを塗り込める。「その時」は突然だった。
     死を前にした男が、恋人を思い生を惜しむうたがクライマックスに達したとき。指先がぴくりと反応したかと思うと、たしかに力を込めて手を握り返してきた。
    「え……」
     イルーゾォの顔を見る。ぼんやりと目が開かれている。不思議そうに視線を巡らせたあと、柘榴石と紫水晶の視線がかちあった。
    「わかりますか……イルーゾォさん」
    「ど……ど、こだ?」
     消え入りそうなかすれ声だったが、イルーゾォは間違いなく喋った。
    「ネアポリス郊外の、組織が持つ屋敷です」
    「なに、どう、なって……? おまえ、ふーご? なん……なんで?」
     意識も記憶もはっきりしているようだ。あの時敵だった相手が自分を看病している状況の異常さにいち早く気付いている。
    「ジョルノがあなたの命を繋いだんです。左腕も、体も作り直して」
    「ジョルノ……新入り……あいつ、なんで、生きて」
    「あなたの位置を特定した蛇は、ウイルスに汚染された場所からジョルノが生み出したものだったんです。抗体をもつその蛇から血清を取り出し、ジョルノ自身とあなたに打ち込んだんですよ。……それでも、あなたが生き延びたのは、本当に奇跡的なことです」
    「あれから……どれくらいだ……?」
    「半年になります。ボス・ディアボロはジョルノに倒され、今は彼がボスを務めています」
     イルーゾォは二、三度瞬きをすると、「わけがわかんねえ」とつぶやいて目を閉じた。真っ当な反応である。フィン物語群のオシーンとか、日本の浦島太郎にでもなった気分だろう。
    「……ほかのみんなはどうしたんだ」
     目を閉じたままイルーゾォはぽつりと尋ねた。ほかのみんな。聞き返すまでもなく、暗殺チームの残りのメンバーのことだろう。
    「あ、ああ……そのことなんですが……」
     嘘をつくことはできない。かといって今真実をありのままに話したら、そのままイルーゾォも死んでしまうような気がして、フーゴは返答に窮した。
    「……しんじまったんだな。みんな。リーダーも」
     フーゴの沈黙を、最悪の答えと受け取ったらしい。さらなる沈黙はその肯定にしかならなかった。静寂は時としてなによりも雄弁に真実を語る。
    「生き残ったのは……あなた、だけです……」
     フーゴは顔をゆがめ、苦しげに言葉を紡ぐ。イルーゾォはうん、と言うとそれっきり口を閉ざした。
    「イルーゾォさん……?」
     顔をのぞき込むと、両目からはらはらと涙が下っていた。プライドの高そうな彼が、涙を隠そうとも拭おうともせず、ただ流れるに任せている。唇をかみしめるでもなく、顔を歪ませるでもなく、彫刻作品のように固まった頬辺を涙が濡らしていった。彼はそのまま眠ってしまったようだった。

     ソファで眠っていたフーゴはけたたましい音で飛び起きた。外を見れば地平線にオレンジ色の光がすうっと伸び、星は徐々に白み始める空に最後の輝きを添えている。まだ夜明け前だ。フーゴは部屋の灯りを付け、イルーゾォのベッドに駆け寄ると、彼の上半身はベッドから落ちそうになっていた。点滴台は倒れ、ベッドサイドにあった洗面器が床に転がっている。
    「大丈夫ですか、イルーゾォさん!?」
     フーゴは顔色を変え、ゆっくりとイルーゾォを助け起こす。イルーゾォは痕の残る顔の右半分を撫でながら皮肉っぽい冷たい笑みを浮かべていた。
     洗面器に映る自分の顔を見たに違いなかった。
    「イルーゾォ(幻影)じゃあなくって、ファンタズマ(幽霊)にでも改名するか」
    「時期が来たら、その痕も治療しましょう」
     ついさっきまでくつくつと自嘲的に笑っていたイルーゾォだったが、急速に表情を曇らせた。
    「不要だ。いいんだ……いい……」
     イルーゾォはすっかり意気消沈した様子で、フーゴに背を向け、大きな体を小さく丸めていた。眠る子供に語りかけるような、穏やかで静かな声音が無性に悲しかった。
     仲間もいない。体はボロボロ。美しかった顔は半分、痕になっている。「いい」というのは、「どうでもいい」ということなのだろう。治したところで、彼にとって意味はないのだ。何もかもどうでもいいのだろう。
    「なんで、生きてんだ、おれは……なんのために……たったひとり……」
    「それは、あなたの、あなた達の話を聞きたかったから」
    「晒して、おれやおれの仲間を笑って、成り代わった正当性を主張するためにな」
    「そんなことするものか!」フーゴは叫んだ。「ただ、知りたいんだ。僕らは互いのことを何も知らないまま、殺し合っただけだったから……!」
    「知ったところでなんになるって言うんだ? それに話すつもりはない。話しても理解できないだろうな。お前らにとっちゃ俺にはもう一リラほどの価値はない。生かしておくだけ無駄だぜ。時間と金と人手のな」
     背を向けたまま、イルーゾォは挑発的に言う。彼は殺されようと言っているのだ。それがわかっているから、安易に挑発に乗るわけには行かない。
    「今の俺を縊り殺すなんて難しいことじゃあねえだろ。そうしろ、そうしたらみんなせいせいする。俺も、お前も」
     でも、他ならぬ彼がそれを望んでいるなら。フーゴは自らを奮い立たせるように声を上げた。
    「そんなに、そんなに死にてえんなら――!」
     フーゴは乱暴にイルーゾォの肩をつかみ、仰向けにさせると馬乗りに跨がった。痩せた首に手をかけても、イルーゾォは眉一つ動かさない。あの時は、片腕を切り離しても生き延びようとしたくせに。
     でも、やっぱりだめだった。手に力が入らない。イルーゾォがそんなにも死にたがっているなら、――彼の願いを叶えてやれたらと思う。でも。どうしても。心の一番深いところでは、彼に生きてほしがっている。生きてほしいと思うことに、大層な理由は要らない。
     やがて何も起こらないのを不審に思ってフーゴの顔を見上げたイルーゾォはぎょっとした顔になる。見開かれた目の近くに、大粒の涙がぼたぼたと落ちていった。
    「お、お前……」
    「できません……! 僕はあなたを殺せない……!」
     フーゴはついに手を引っ込め、強く握りしめる。イルーゾォは顔を歪ませた。
    「今更何言ってやがる……ふざけてんじゃあねえぞ。何を怖じ気づいてる!?」
    「あなたに死んでほしくない……あなたの望みを叶えたいけど、叶えたくないんだ」フーゴは消え入りそうな声で言った。「どうしても、生きていてほしいんだ」
     フーゴはイルーゾォの襟ぐりに顔を押しつけると、わあっと幼子のように泣き出した。イルーゾォは自分に覆い被さるようにして泣いているフーゴを押しのけることもなく、ただ困惑した顔で固まっていた。


     ◆  


     リゾットに声をかけられたような気がして、イルーゾォは目が覚めた。覚えているのはポンペイ遺跡でフーゴのスタンドに殺されたところまでだ。だが、あの殺人ウイルスに体を溶かされたのに目が覚めたということは、ひょっとしてすべて夢だったのだろうか? 苦痛はない。失ったはずの腕もある。清潔なシーツと、心地よいベッドの上で、よい香りに包まれている。しかし、ラスチコと木の典型的な田舎風の天井は見覚えがない。眠っているとしたらアジトの部屋のはずだ。――ここはどこだ?
     イルーゾォが視線を巡らせると、点滴台やよくわからないモニターが見え、パンナコッタ・フーゴと目が合った。彼も驚いたように、目を見開いている。
    「わかりますか……イルーゾォさん」
     フーゴ。パープル・ヘイズのフーゴだ。だが彼に敵意はなさそうだ。色々とわからないことがあるが、最初にこぼれ出た疑問を口にする。
    「ど……ど、こだ?」
     発語も一苦労だ。よほど長い間喉を震わせていなかったらしい。
    「ネアポリス郊外の、組織が持つ屋敷です」
     イルーゾォの問いかけに、穏やかな声色でフーゴが答えた。彼によるとここは組織の屋敷の一室であるらしい。どういう経緯で、自分は組織の屋敷で看病されている? それに、彼は本当にフーゴなのだろうか? あれは、夢ではなかったのか。彼は敵ではなかったのか。ますますわけがわからない。
    「なに、どう、なって……? おまえ、ふーご? なん……なんで?」
     問いかけると、フーゴは少し安堵したように表情を緩めた。
    「ジョルノがあなたの命を繋いだんです。左腕も、体も作り直して」
    「ジョルノ……」ジョルノ。資料になかった、ブチャラティチームの新入り。「新入り……あいつ、なんで、生きて」殺人ウイルスに感染して鏡の中に入ってきた真正のイカれ野郎だ。――ということは、やはりポンペイでの出来事は夢ではなかったのだ。
    「あなたの位置を特定した蛇は、ウイルスに汚染された場所からジョルノが生み出したものだったんです。抗体をもつその蛇から血清を取り出し、ジョルノ自身とあなたに打ち込んだんですよ。……それでも、あなたが生き延びたのは、本当に奇跡的なことです」
     ――何を言っているかはわからないが、すべて計算して鏡の中に入ってきたことはわかった。そしてあの時の蛇はあのジョルノが生み出したもの、ということは生き物を生み出す能力を持っているらしい。色々な意味でキているやつのようだ。
     それにしても、あれから一体どれほど時間がたったのだろう。数日と言うことはないだろうが。
    「あれから……どれくらいだ……?」
    「半年になります。ボス・ディアボロはジョルノに倒され、今は彼がボスを務めています」
    「わけがわかんねえ」
     ――わけわからん。だが気になるのは仲間の安否だ。ホルマジオのやつは死んだとして、他のみんなは――
    「……ほかのみんなはどうしたんだ」
     ぽつりと口に出してみる。
    「あ、ああ……そのことなんですが……」
     フーゴは明らかに答えにくそうにしていた。トリッシュを護衛していたやつらがどういうわけかボスを倒し成り代わっているわけのわからない事態だ。やつらが生きている、ということは、仲間は皆倒されたということだ。ホルマジオが死んだ時点で和解することもないだろう。フーゴの様子からすると、考え得る限り最悪の結末をたどったとみて間違いない。
    「……しんじまったんだな。みんな。リーダーも」
     フーゴは否定しなかった。誰かが生きていればそう言うはずだ。しばらくの沈黙の後、フーゴは重々しく口を開く。
    「生き残ったのは……あなた、だけです……」
     俺一人生き残っても仕方ない。復讐するはずのボスも倒されてしまった。実際の時間は半年でも、皆で顔を合わせていたのはつい昨日のように感じる。大きすぎる喪失感は、復讐する気力を削いでいった。ただ過ぎ去った日々が涙となって流れていくだけだった。

     日が昇るにはまだ少し時間があるようだった。イルーゾォは上半身を起こし、マン・イン・ザ・ミラーに窓を開けさせる。東の空にほの明るい光が現れようとしていた。
    「どうしたんだ……お前……」
     マン・イン・ザ・ミラーの姿に違和感を覚える。顔の右半分に火傷でもしたかのような痕がある。スタンドの負傷が本体に反映されるように、本人の欠損もスタンドに反映されることがあるという。つまり。
     手の届く範囲に鏡はないが、ベッドサイドにステンレス製の洗面器があった。顔を映す。鏡像の左半分、実際には右半分に火傷痕。
    「ああ……!」
     驚いて洗面器を払いのけると、その勢いで点滴台も倒れ、自身もバランスを崩してベッドから落ちかける。
    「大丈夫ですか、イルーゾォさん!?」
     フーゴに助け起こされる。よく見ると、右手や腕にも同じような痕がある。まるで、映画に登場する怪人の特殊メイクだ。
    「イルーゾォ(幻影)じゃあなくって、ファンタズマ(幽霊)にでも改名するか」
     皮肉をこぼすと、フーゴは優しく語りかけてくる。
    「時期が来たら、その痕も治療しましょう」
     だが治療したところで、一体なんになるのだ? 
    「不要だ。いいんだ……いい……」
     希望も、気力も、目的も消え失せた。あのまま死なせてくれた方がよほど優しかった。もっとも生き延びさせること自体が「ケジメ」なのかもしれないが。なぜ、なんのためにと問う。
    「それは、あなたの、あなた達の話を聞きたかったから」
     だが、返ってきたのは生っちょろい答えだった。そんなことのために。殺しなおすならともかく、お話し合いなど付き合う気にはならなかった。やはりガキはガキだ。話し合いとか、相互理解とか、そんなことに夢を見たがる。本当は理解する気もないくせに。
     この場にいるのがキレやすいフーゴなのは、イルーゾォにとって都合がよかった。煽れば激高して縊り殺してくれそうである。証人を殺したら面倒なことにはなるだろうが、どうせ理解はできまい。結果はかわらない。
    「そんなに、そんなに死にてえんなら――!」
    フーゴを焚きつけるのは思った以上に簡単だった。すぐに怒りに身を任せ、首を絞めてくる、と思っていた。首に手をかけたまま、力を入れる様子がない。
     イルーゾォはフーゴの顔を見上げる。フーゴは泣いていた。
    「お、お前……」
    「できません……! 僕はあなたを殺せない……!」
     フーゴはついに手を引っ込め、強く握りしめる。イルーゾォは怒りで顔が熱くなるのを覚えた。
    「今更何言ってやがる……ふざけてんじゃあねえぞ。何を怖じ気づいてる!?」
    「あなたに死んでほしくない……あなたの望みを叶えたいけど、叶えたくないんだ。どうしても、生きていてほしいんだ」
     突然わけのわからないことを言ったと思うと、首のあたりに顔を押しつけてわっと泣き出す。明らかに様子がおかしい。――いや、よく考えてみれば、今に始まったことではない。(どういうわけかブチャラティではなく)ジョルノがボスになったのなら、仲間のフーゴは幹部となっていて当然である。それがどういうわけで、こんな郊外の田舎で、死に損ないの、裏切り者で敗者の自分の看病をしているのだろう。
    「フーゴ、お前、どうして……」
     どうしておれの看病なんてしているんだ。どうして組織の本部にいない? どうしてこんな田舎にいるんだ。どうしてお前が泣いているんだ?
     フーゴはゆっくり顔を上げる。綺麗な顔が、涙でぐしゃぐしゃになり、頬に髪の毛が張り付いている。
    「好きです、イルーゾォさん。ぼくはあなたが好きだから、あなたの望みを叶えられないんだ」
    「なるほど」
     いや、なるほどではない。様子がおかしいとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。頭をハンマーで殴られたようにクラクラする。
     そういえば、ナイチンゲール効果というものを昔映画で見た気がする。確か看病しているうちに相手を好きになってしまう心理のことだ。もっとも、ネタ元であるクリミアの天使はそんな覚えはないと言いたいところであろうが、それはともかく、きっとそういう類いだ。
     イルーゾォはさらに納得するため、これまでの疑問点を整理することにした。
     なぜフーゴはこんな田舎で看病というつまらないことをしているのか? それはきっと何か事情があって、フーゴは組織中枢にいられなくなって、こんなところに追いやられたのだ。そこにはつきっきりで看病を必要とする者がいる。自分が世話しなければ死んでしまう人間だ。そいつが死んでしまえば、フーゴを必要とする人間がいなくなる。そのことへの恐れを好意と錯覚しているのではなかろうか?
     ――そうだ。そういうことだろう。
     頭のどこかでは早急すぎる結論だとの声もあったが、そういうことにしないと頭がどうにかなってしまいそうだった。
    「フーゴ、もう泣くなよ。悪かったな……お前の気も知らねえで……もう、言わねえから」
     ナイチンゲール効果というものは、患者が回復したり看護を必要としなくなると徐々に薄れていくらしい。自分が回復すれば、フーゴの錯覚も治るはずだ。
     別に、フーゴがどれほど悲しもうが知ったことではないと言えばそれまでだが、今の状態で死ぬのはどうも後味が悪い。あの泣き顔を見ると気がとがめる。
     今まで、どんな美女が泣き崩れて命乞いをしようと(命乞いされる間もなかったが……)せいぜいもったいないなと思う程度だったのに。
    「泣くなって。な? 悪かったよ」
     フーゴは子供のようにふるふると頭を振った。
    「ぼくこそ、取り乱してしまって、ごめんなさい。顔を洗ってきます」
     フーゴは涙を拭いつつ部屋を出て行く。イルーゾォは再び状態を起こし、その背を見送った。普通なら、起き上がることもまだできないと思うが、出来てしまうのはきっとジョルノの能力で体を補われたからだろう。
     ぐうっと腹が鳴る。夕飯を食べずに寝て、翌昼頃起きたときのような、当然のような顔をして訪れた空きっ腹だ。本来ならこれもあり得まい。
     自分の気も知らず、体が生きようとしているのがなんだか情けなく、ポンペイからずっとジョルノの手のひらの上で踊らされているようで滑稽だった。
     しかし裏を返せば、それだけ回復も早いということだ。心置きなく仲間のところに行ける日もそう遠くないだろう。
     フーゴを待っている間、自分の指先が目について、イルーゾォは目に近づけてよく見てみる。とても綺麗に整えられている。自分でやるよりずっと大切にされている。とても丁寧に扱われていたことに気付いて、少し胸が痛んだ。
      
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