瞳の先 傑がいなくなってすぐ、彼の部屋は高専の上層部によって手が入った。傑が使っていた呪具から、傑が使っていた教科書まで、彼が呪いを残せるもの全てが持ち出され、やがて呪術師の手によって祓われ焼かれた。それは突然のことだったので、俺は少し待ってくれ、俺にもその箱たちの中身を見せてくれとせがんだ。けれど彼らは友人だった、いや五条家の人間だった俺の気持ちを認めず、結局この手には何も残らなかった。傑がいた教室はいつの間にか席は二つになり、彼が三年間を過ごした寮の部屋は封印された。俺は最後に会った時、何も出来なかった自分が不甲斐なく思えた。けれど彼が生きているだろうことには、少しばかり安堵した。あんな大量殺人を犯した友人が生きていることを、だ。高専に潜り込んでいる五条家の間諜に調べさせたところによると、上は彼を殺そうとはせず、様子見をするようだった。もしかしたら、傑が何か企んだのかもしれない。呪詛師となった彼が仲間を得たら、高専といえどおいそれと手出しは出来ないだろうから。
そんなある日、部屋で制服にアイロンをかけていると、ノックもなしに扉が静かに開いた。そこにはボストンバッグを持った硝子が立っていた。彼女は直ぐに何も言わず、「煙草、いい?」と尋ねた。窓を開けてくれるんなら、と言うと硝子は煙草を仕舞い、ボストンバッグの中から、小さな行李を取り出した。柳で編まれた、古いアンティークのものだ。それには呪術がかけられており、中身を見るのには少し苦労しそうだった。だが、硝子はすぐにその行李を開き、俺に向かって中身を取り出した。
「これはあんたに渡したほうがいいと思ったから」
硝子はそう言って、折り畳まれた封筒を俺に渡した。そこには日付が傑の筆跡で書かれており、俺はそれが漂わせている懐かしさに、アイロンを台に置き、その電源を切った。そうして封筒を受け取って、俺はその中身を取り出し目を見開いた。そこに映るのはほとんどが俺と硝子、そして傑だった。任務に行った時に自撮りしたものや、高専の運動場で撮ったものなどがある。それは数えきれないくらいの枚数があり、そういえば傑は写真を撮るのも上手かったなと、そんなことを思い出した。そうしてフィルムが現像されて帰ってくる度、自分が死んだ時には、この写真の束から遺影を選んでくれと、冗談のように言っていたことも思い出した。俺は硝子に断りを入れて、自分のベッドに座る。すると硝子は煙草を取り出して、オイルライターで火をつけた。
「感謝しろよ、上が部屋に入る前に持ち出したんだから」
煙が部屋に満ちる。硝子の言う部屋とは、傑のもののことだろう。硝子の持ち前の勘の良さに感謝しながら——いや、俺はどう思っていたのだろう、自分でも分からない——俺は写真を見つめる。そうして、一枚だけ傑の写真を選んだ。何かを見て笑っている傑だ。
「やっぱり、それを選ぶと思った」
硝子が煙草の煙を吹きながら言う。どうしてだ? 俺はそう思ったが、尋ねずにいた。けれど今日の硝子はどこか饒舌で、解説を求めない俺にこう言った。
「それは私が撮った写真。夏油があんたを見てるところでシャッターを切ったんだよ、北に任務に行った時に。あいつがこんな顔をするのはお前を見てる時だけだったから珍しくってさ」
俺はその硝子の言葉に何も言えなかった。ただそうか、と思った。傑はこんな優しい顔で俺を見ていてくれたのかと、もう思い出の中にしかいない親友のことを思い出した。
「それからもう一つ教えてあげる。おんなじ任務の時に撮った、あんたの写真が一枚消えてたんだ。あんたがあいつを見てた時の写真がね」
一体誰が盗んだんだろうね、いや、持って行ったのかな。そう硝子が言った。俺はそれに何も言えず、もしもそれが本当なら、これ以上嬉しいことはないと思った。傑、俺の親友、もう一生お前以外の親友は出来ないだろう。そんなお前が俺の写真を持って行ったことを、俺は心の支えにするよ。悔しいのは、お前を見ていた俺がどんな顔をしていたのか分からないことだけれど。
「写真なんか撮って、呪いに使われたらどうするんだって、夜蛾先生が怒ってたっけ。でも、こうやって残るんなら、きっとそれでよかったんだろうね」
硝子が言う。俺はもうそれに返せなくて、ただひたすら写真を見つめた。傑は笑っていた。幸せそうに、これからの人生が輝かしいものであるように、そして優しく、視線の先にいる俺を守ろうとするように。
「本当だね……」
俺は写真を見つめる。硝子が部屋を出てゆく。目玉が痛くなって、やがて何も考えられなくなった。それは、彼女が部屋の扉を閉めた時のことだった。