かつての瞳 ブラッドは酔うと時折、本当に時折昔話をする。
普段はそんな様子など見せないくせに、高慢ちきな貴族さまから後妻を奪った話だとか(彼女はただ可哀想な女ではなく女傑だったようで、しばらく死の盗賊団の女神になり、北の国の芸術家のミューズになった)、これもやはり領民のことを考えない領主から土地を奪い、追いやった後等しく土地を分配したことなど、今でも死の盗賊団の伝説のうちでも語り草になっている話を、ブラッドは酒を飲みながらした。俺はそれを聞きながら、昔の話をするなんて老いている証拠かなんて思ったりして、けれど自分も同じように貴族から奪った後妻に作ってやった料理の話(彼女は貧しい村の出で、豆のスープが結局は一番うまいと言っていた)や、やっと手に入れた土地をどう扱っていいのか分からない領民に、豆の撒き方を教えてやった話などを思い出していたのだから、同じようなものなのだろう。そしてそういう話の後には、決まって初めて俺とブラッドがキスをした時の話になる。それは決まりきったルーティーンみたいなものだった。
初めてブラッドとキスをしたのは、盗賊団に入ってしばらくして、俺が酷い怪我をした時のことだった。骨を折って回復魔法もなかなか効かなかった俺はただ寝ているしかなかったのだが、見舞いに来たブラッドが魔力を供給してくれて痛みが引いたのだ。怪我はすぐには治らなかったが、それでも痛みがないだけ随分ましだった。そしてその時、俺は特に優しくもなかった家族が、たまに哀れみを見せてくれるのを思い出して、「キスを」とねだった。もちろん唇にじゃない。額にだ。でもブラッドは何を勘違いしたのか俺の唇に熱いそれを重ね、水を飲ませて寝かしつけたのだった。全部、忘れちまえと言って。
でも、俺はブラッドのキスを忘れなかったし、結局は俺たちは共寝をする中になった。ブラッドは俺の側でだけリラックスするようになり、俺はそんな恋人に見惚れて、なんでもしてやった。ブラッドは俺を信頼し、なんでも任せてくれた。そんな彼を見限ったのは俺で、それでも、今でもそんな俺を信じてくれているのがブラッドリー・ベインという男だった。本当にどうしようもない、そんな男だった。
「おい、つまみが尽きたぞ」
「そんなこと言ってやって来るのはお前くらいだよ」
皿洗いをしながら答えると、厨房の出入り口に立つブラッドは家探しを始めた。そうして戸棚からフライドチキンを見つけると、意気揚々とそれを持って俺以外に誰もいない厨房でワインボトルに口をつけ、そのまま飲み込む。俺はその下品さにため息が出そうになったけれど、彼は今日はかつての瞳をしていたので、そんなものだと思い直した。かつての瞳、盗賊団の頭だった頃の瞳、あらゆるものを盗んでも、義賊であり続けた男の瞳。
「お前もワイン飲めよ。これ、なかなかいい出来だぜ」
「俺はいいよ、飲み残しで腹がぱんぱんだ」
「……残飯をつまみにするのはそろそろやめたらどうだ?」
その言葉は軽かったが、それでも重いものだった。別に残飯を食べるのが嫌なわけじゃないんだ、ただ捨てられてゆく料理が可哀想なだけなんだ、でも、傍目から見たら、俺は可哀想な料理人なんだろう。誠心誠意料理を作って、残されて、それを食う男。
「でもまぁ、お前が俺の残飯を食うと思うと興奮するよ」
肉がまだついたフライドチキンを、ブラッドが俺の口元に押し付けてくる。俺はそれに齧り付き、そうして食べてしまうと、骨をシンクに投げ捨て、彼の唇にしゃぶりついた。ブラッドは咎めなかった。瞳はいつもよりずっと優しい色をしていて、過去を語る時の色でもあった。高慢ちきな貴族さまから後妻を奪った話だとか、これもやはり領民のことを考えない領主から土地を奪い、追いやった後等しく土地を分配したことなどを俺は思い出した。彼の好きな武勇伝を、俺は思い出した。そして初めてしたキスのことも思い出した。
「なぁ、俺の部屋に来いよ」
ブラッドが俺の耳たぶをくすぐる。シンクにはフライドチキンの骨が転がり、脂が滲み出ていた。寸胴鍋には水が張られ、洗い終えるまでには時間がかかるように思えた。
「いつまで? 俺は忙しいんだよ、ブラッド」
「お前が満足するまででいいから、な、ネロ」
ブラッドが笑い、俺にキスをする。ワインの味がうっすらとする。俺はそれを改めて味わいながら、彼には敵わないなと、真っ赤な血のような瞳に、かつても今も、それしかないと焦がれた瞳に思ったのだった。