君を喪う 木枯らし一号が関東に吹いた時、俺たちはたまたま公安局との合同捜査で現地にいた。そんな日に懐かしい面々との再会もそこそこに俺たちは仕事に向かうことになったのだが、その任務については守秘義務があるし、霜月もいい顔をしないだろうからここでは割愛しておこう。
ただ、俺たちに割り振られたのは厄介な仕事だったことは確かだ。だからこそ行動課が呼ばれたのは分かっていたが、街中や廃棄区画を走り回らされたし、慎導らとともにドローン頼りでない、熱心な聞き込みまでやらされた。そのおかげで無事犯人は捕まり事件は解決し、俺と狡噛は今、騒がしい喧騒が消えた夜の東京で、霜月がとってくれたホテルにいる。
てっきり潜在犯である俺たちは執行官官舎にでも押し込められると思ったのだけれど、外務省とパワーゲームをする公安局は俺と狡噛、そして須郷を他省庁の特別捜査官であることを重視したのだろう。その結果がこのホテルなのだろうと、俺はいやに豪華なアメニティを見て思った。公安局にツテを持つ入国者が開いたこのホテルは、嫌味なくらい何もかもが丁重で重厚感があり、そして高級だった。
「ギノ、見てみろ、ノナタワーがあんなに低い」
部屋に入った瞬間、狡噛がカーテンが開かれた窓を見て言った。俺は彼のその声、そして言葉に少し驚き、骨張った指が指す方向を見つめた。ノナタワー、厚生省の本部ビルにして、この都市のシンボル。外観はかつてと同じくホログラムによって彩られており、俺はそれを見て縢のことを思い出し、苦い思いを抱いた。
あの日、ヘルメット暴動が起こった日、常守と狡噛、そして縢は俺たちを置いてノナタワーに突入した。そこで狡噛は槙島と死闘を繰り広げ、常守の手によって彼は逮捕されることとなった。二手に分かれて地下に向かった縢は、唐之杜の追跡をもってしてもいまだ見つかっていない。捜査は局長権限で打ち切られて、真相は藪の中だ。俺はあの後輩がどこかで生きていることを祈っていたが、それは軽々しく口にできることではなかった。
「都市の景観を守るため、ノナタワーより高いビルはなかったっていうのに、ずいぶん東京は変わったな」
「そりゃあそうだろう。縢だって生きてたら、あの頃の俺たちの歳を越してるしな」
狡噛が言う。俺はそれにやはり驚き、彼も縢について考えているのだと驚き、後輩を悼む気持ちを強くした。縢は生きてはいないだろう。槙島の引き起こした事件にまつわる謎は多く残されており、俺たちはきっとその真相に触れただろう彼が、佐々山の時のように殺されただろうと思っていた。花城なら何か知っているかもしれないとも思うこともあったが、彼女は口が硬く、例え何かを知っていたとしてもしゃべってはくれなかっただろう。
「風呂に入ろう、ギノ」
唐突なその言葉に、俺は彼を二度見した。縢について語っていた口が、しゃべる言葉ではなかったからだ。
「……誘ってるのか?」
俺は目をすがめて言う。だが、狡噛は肩をすくめてこう言った。
「どっちでもいいさ。早く温まろう。走り回って汗をかいたが、やっぱり東京は冷える」
狡噛がジャケットを脱ぐ。俺もそれにならってトレンチコートを脱ぐ。そして俺たちは服を脱ぎ散らかしながら示し合わせたようにキスをして、それからバスルームにもつれ込んだ。互いの身体をまさぐり、大切なものを抱くように口づけあった。バスタブに湯をため二人で入ると、ほとんどがあふれてしまったのは面白かった。でも、ただそれだけだった。
俺たちはいまだにあの事件で喪ったものを抱えている。縢、そして俺の父。いたずらっぽく笑うのが印象的だった後輩と、狡噛がとっつあんと呼んで慕っていた俺の父親。俺たちはずっと喪い続けている。まるで毎日誰かにさよならを言っているみたいに。
風呂から上がりのぼせつつも髪を乾かしていると、狡噛はタオルドライをしただけ、部屋に置かれていたバスローブを着ただけでソファに陣取った。そして厚生省推薦のニュース番組をつけて、そんなこと出島では滅多にしないというのに、正しいアクセントで読み上げられる今日のニュースや天気、そしてスポーツの情報を頭に入れていった。俺はそんな彼から離れて、乾かし終えた、まだ柔らかな髪を一まとめにした。それを見た狡噛が「もったいない」と言ったのが、少し面白かったのだけれども。
「お前も乾かしたらどうだ」
俺が呆れながら水滴のしたたる髪を触ると、狡噛はあくびをしてこう言った。まるでそれが当然の要求だと言わんばかりに。
「ギノがしてくれよ」
彼は俺に向かって振り返り、頭を振った。冷たいしずくが飛び散る。せっかく温まったのにまた風邪を引いてしまう。でも、それがまるでかつての愛犬の風呂上りの姿に似ていたので、俺は素直な感想を言った。
「犬みたいだな」
「犬みたいに舐めてやったろ?」
バスルームでさ。狡噛が笑って言う。俺はそれにいくらか呆れて、頭をはたいてやろうかと迷った。けれど彼の戯れ言を聞き流し、狡噛の望む通りに髪をドライヤーで乾かしてやったのだった。結局のところは。それから俺たちはソファで身を寄せ合って、暖房が効いたホテルの部屋の中で身を寄せ合って、つまらないばかりのニュースを見た。俺たちが関わった事件はきっと報道されないだろう。サイコハザードが懸念されるだろうから、そもそもなかったことにされるか、よくて漂白されて明日の短いニュースだ。縢がいなくなった時、上から圧力がかかったように、俺たちは今度は圧力をかける側にいる。
「……ノナタワーに突入した時、縢はどうしてた?」
俺はCMに入ったテレビを眺めながら、狡噛に尋ねる。すると彼は「いつもと同じだったさ」と、ふわふわになったボリュームのある髪を俺にこすりつけた。俺はそれに口付けてやり、「そうか」とだけ答える。縢秀星、お調子者に見えて優秀だった男。きっと今も生きていたら、花城も引き抜きたがったろう男。ああ見えて、俺を気遣うところもあった優しい青年。裏で俺の陰口を言っていたことは知っているが、それすらも今ではじゃれあいのように思える。彼は弟のようだった。思うに、早くに家族と引き離された彼にとって、俺たちは擬似的な家族だった。あの頃の一係は、そんな雰囲気だった。
俺は狡噛に身を寄せる。狡噛は俺を抱き締めてくれる。自分が終わらせた事件を後悔している、俺を抱き締めてくれる。縢はきっと帰らない。でも、どこかで生きてくれたらと思わずにはいられない。そしてそれは、多分俺の勝手な都合なのだった。
俺は目を閉じる。柔らかな狡噛の髪に指を差し入れ、あたたかなホテルの中で目を閉じる。あの寒い日にいなくなった仲間のことを考えながら、ただ目を閉じる。