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    りつかさ/月の庭

    #りつかさ

    ゾンビランドパロ 月だけが今も何食わぬ顔をしている。
     暗い路地を走り抜けると、大通りに出た。死に絶えた街灯の代わりに、強烈な満月の光が、くろぐろとしたコンクリートを照り渡らせている。遮る人混みも車列もここにはもう存在しないから、凛月は遠くまでを見晴らすことができた。自分以外に、誰の気配も感じない――生者も、死者も。どうやらひとまず逃げ切れたらしい。凛月は大きく息を吐くと、路肩に乗り捨てられたタクシーに寄りかかってしゃがみ込んだ。
    「ふぅ……」
     セーターの袖を捲る。左腕に空いた二つの孔は、赤黒く固まった血によって今は塞がれている。傷の周囲が変色している様子も見られなかった。痛みもほとんどない。ただ、じんわりと重たく、冷たく、脳から送る信号に返りのない感覚、肉体が己のものではなくなるような感覚だけが、ゆびさきから少しずつ、凛月の中心へとにじり寄ってくるだけだ。
     みんな、無事でいるだろうか。身を隠す場所を見つけられただろうか。
     凛月が思いを馳せるのは、少し前まで行動を共にしていた、ユニットメンバーの四人のことだ。
     未知のウイルスによって冒された街は、数日の間にたちまち崩壊した。感染は肉体の腐敗を引き起こし、生ける屍となった感染者は、生者の肉を求めて新たな同胞を増やす。力を増しつづける脅威と戦いながら救助を待つこんな状況では、単独行動は命取りにしかならない。混乱の場に五人で居合わせた凛月らは、身を寄せ合い、文字通り命運を互いに委ねた。
     そんな中、集団の襲撃に遭った。なんとかその場は逃げ延びたものの、応戦の最中に、凛月は腕を噛まれてしまった。幸いにと言うべきか、その現場を誰も見てはいなかった。
     ユニットの指揮を執るのは司だ。五人の中では最年少だが、名家に生まれ、人の上に立つ者として育てられた子だ。感染者が出たとなれば、被害の拡大を防ぐため切り捨てる判断が、おそらく司にはできる。できてしまう。だからこそ、凛月はこっそり皆のもとを離れた。できるだけ遠く、遠くへ逃げた。まだ自分が正気でいられるうちに。かわいい末っ子ちゃんの前で、まだ格好をつけていられるうちに。
     みずから身内を見殺しにする選択なんて、ス~ちゃんはしなくていい。
     みずから、大事なひとを――これは俺の、うぬぼれだけど。
     がしゃん、と激しい物音が広い通りに響き渡った。路地に散ったガラスを踏み抜く足音は、どうやら一人分ではないようだ。少しずつ感染に冒されつつある体では、複数の敵を相手どるのはさすがに分が悪い。月に雲がかかり、辺りは急に闇深くなる。
     そうだ、どうせなら安らかな闇のなかで目を閉じたい。眠ったまま襲われてしまうならば、それはそれで俺らしい最期だろう。
     全身を苛む疲れに任せ、凛月はそっとまぶたを下ろし、赤い双眸に蓋をした。





    「凛月先輩」
     死者の世界とは程遠い、あたたかな体温が凛月の肩を揺すったのは、その少し後のことだった。
    「まったく、こんなところで寝ていらっしゃったのですか? 探しましたよ」
     聞き慣れた声が、凛月を微睡みから強引に連れ出した。
     思わず目を見開くと、まだ辛うじて明瞭さを保つ視界が捉えたのは、紛れもなく司の姿だった。夜明けに似た紫色のひとみは少し呆れたように細められ、凛月をじっと見つめている。
    「ス~、ちゃん……」
     セナ、ナル、こっちだ、とよく通るレオの声が遠く聞こえた。三人分の足音からはどれもしっかりした足どりが感じられ、みな大きな負傷もないようで、凛月は安堵する。と、同時に、秘密を暴かれてしまった時のような心細さと焦りが汗となって背中を伝った。探しに来れないほど遠くへ来たはずだったのに、彼らは凛月を見つけてしまった。
    「ここにもじきに奴らが来ます。さあ、行きましょう」
     司はすっくと立ち上がり、凛月へ手を差し出す。逆光に翳りながら周囲に目を配る横顔は、まだ強い意思を保っているのが分かる。けれども凛月には、その手をとれない理由がある。
    「ス~ちゃん、俺ね」
    「分かっております。傷は……腕ですね? 痛みますか? まだ動けそうでしょうか」
    「痛みは、ないよ。動けもすると思う」
     凛月が噛まれていたこともお見通しだったようだ。ならばなおさら、合流してお荷物を増やすわけにはいかない。
    「それならよかったです」
    「行かないよ、俺」
    「なぜ?」
    「行ったら、近いうちにス~ちゃんは俺を、……置いてかないといけなくなる。俺は勝手にいなくなっちゃったってことにしといてよ」
     荒涼とした夜が音を吸ってしまうのか、それとももう力が入らなくなりつつあるのか、自分の声が凛月にはひどくか細く聞こえた。それはきっと司の耳にも同じだろう。これ以上弱った姿を見せたくはないのに、司はもう一度しゃがみ――恭しく跪いて、凛月をまっすぐに見据えた。地面を擦る上等な司のコートは、泥よりも黒ずんだ何かによって、見る影もなく汚れている。
    「その言葉を聞いて安心いたしました。凛月先輩にはまだ、心が……騎士の心が、残っていらっしゃるのだと」
     冷たくなった左手を司が両手でくるむ。記憶には確かにある司の体温を、冒されつつあるゆびさきはもう、うまく拾うことができない。できないはずなのに、凛月は全身に熱が駆け巡っていくのを感じた。そのせいで頭にかかる靄もぱっと晴れ、思考と感情がふたたび元のように動き出してしまう。
     みんなと一緒に生きたいと、思い出してしまう。
    「ならば、最期まで私と共に戦ってください。あなたの王を、守ってください。私の騎士として」
     握った手に、ぎゅっ、と込められる司の熱。司はそこへ額を寄せて、ふつとまぶたを閉じた。朱いまつげが封をしたそこは、青白く血色を失い、幼気な頬には心労が影を落としている。大事なものを何ひとつ取りこぼさないように、いつだって無理をしてしまう気高い王の、頑張り屋な末っ子の。
    「置いてなど、いきませんよ。その時は、司が」
     司の声もふるえているように聞こえたのは、やはり静寂に食い荒らされた夜のせいだろうか。
     そっか、俺は、置いていかれるのが嫌だったんだ。
    「……それで俺がス~ちゃんを置いていっちゃったら、世話がないよね」
     でも、もう大丈夫。たとえみじめに斃れることになったって、最期の時までス~ちゃんが、みんなが隣で生きてくれる。
     左手をくるむ司の手に、右手を添え、ぎゅ、と握り返した。後方の安全を確認し終えたのか、レオたち三人も凛月の周囲に駆け寄る。それぞれ心配そうに落ちてくる視線へ、凛月はひとつひとつ微笑み返すと、司の力を借りて立ち上がった。
    「行こう。最期まで、戦おう。俺たちの王さまといっしょに」
     ぐんぐんと流れていく雲の切れ間から、満月がふたたび全身を顕した。緩やかに終わりゆく街を見下ろしながら、月光はステージライトを点しつづけている。
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