ぱきんっ。ふたりの吐息の間で、甘く苦い香りが割れてはじける。
ゆっくり離れていった顔の真ん中、紅いひとみがゆらり、と弧を描く。司が今まさに食べようと口に含んだチョコレートを、凛月は半分かじりとり、咥えたままうっすらと笑みを湛えた。
「ふふ。隙あり」
二月半ば、春めいているのは暦ばかりで、学内の空気はまだどこかきんと冴えている。それはこの、司たちの占拠するスタジオも例外ではない――部屋の人口がたった二人なのもあってか、こたつに体を入れてもなお肌寒かった。そんな折、予期せぬタイミングで近づいてきた体温は司を驚かせ、そして、触れないまま離れていったことでもう一度驚かせたのだった。
どうせなら、キスまでしてくれたっていいものを。
「凛月先輩、私……」
「うん?」
悪びれないで凛月はくびを傾げる。薄い頬がチョコレートの欠片によってわずかにふくらんでいた。
司が事務所のスタッフから糖分補給にともらった小さな個包装のチョコレートは、今は半分に砕け、司と凛月の腔内に同じ甘さを含ませている。
「初めてです。本命というものを、贈ったのは」
凛月の目が、きょとん、と丸くなった。
「それって、……違うか」
凛月は自身の頬をゆびでとんとんと叩き、それから司をじっと見る。いま食べているこれのことか、と無言で尋ねるしぐさだ。司はうなずいた。
「こないだもくれたよねぇ、かわいい箱に入ったやつ。あれじゃなくてなんだ?」
確かに数日前も凛月にチョコレートを渡した。自分用にひとつだけ、と思いバレンタイン催事を覗いたのだが、きらきらした宝石箱のような品々からどうしても選びきれず、先輩や友人に配るつもりでいくつも買い込んだうちのひとつだった。
「あれは日頃お世話になっている方へのほんのお礼の気持ちといいますか……あっあの、」
「なぁに」
「皆さんにというのは、あまり、その」
問う言葉を探しあぐねて、ちらり、と上目遣いに凛月を窺う。
いわゆる義理チョコを仲間内で贈り合う文化は、司たちの周囲で今に始まったことではない。けれど、わざわざ他の人にも渡したことを明言するのも無神経だったか、と今さら急に心配になったのだ。
きっと、他の想いを込めたっていいはずの関係だから。
凛月は、ころ、と口の中でチョコを転がし笑った。
「あは、ううん、全然」
ちろ、とわずかに舌を出し、凛月のくちびるがゆっくりと湿されていく。
「これが『本命』、なんでしょ?」
「……貰い物ではありますが」
自分から出した単語なのに、改めて凛月に復唱されると、頬が焼ける心地がした。催事場で買った上等のチョコレートとは質の違う、チープなミルクチョコの芳香が、喉に絡んで司の声を潜ませる。
「ここから召し上がる方など他に、おりませんから」
そう言って、司は自身のくちびるにそっとゆびさきを触れさせた。そこはしっとりとしてやわらかかった。
ここに触れることを唯一ゆるした、別のやわらかさのことを――想起せずにいられるほど、司は気が長くなかった。
じっと注いだ視線の先、紅く鋭い三日月が、いよいよ愉しげに甘さを孕むのを司は見た。
「でも、だとしたら、一個じゃ足りないかなぁ」
こくん、融けたチョコレートの甘ったるい残滓を、司は喉を鳴らして飲み込む。
欲張りなひとですね、と言いかけた言葉も、一緒に飲み込んだ。
言えば自分に返ってきてしまうから。
「……甘くなくても許してくださいね」
する、と司の顎に触れた凛月のゆびさきはひやりとしていて、そして間もなく、つめたさを失っていく。
「だいじょうぶ、甘ぁいよ」