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    りつかさ/夜を呼ぶ

    #りつかさ

    「Marverous! 甘いだけでなくコクがあり……Spiceも入っていますか? ぽかぽか温まるお味ですね。とてもおいしいです」
     と、流暢な食レポをしているのは、俺たちKnightsのかわいい末っ子。
    「そう。よかった」
     そして互いにオフの今日、俺の部屋にふたりきりのあいだくらいは、俺だけの愛しい子、と呼んでも差し支えないはずだ。
     先日までバレンタイン一色だった世間が、今度は慌ただしく返礼の準備を始めた頃。お菓子づくりを趣味とする者としては、様々な素材が出回るのもこの時期の楽しみの一つだ。溶かして飲むのにぴったりのチョコを手に入れたので、俺なりのアレンジを加えて振る舞えば、お気に召したのは一目瞭然。一気に飲める熱さではないけど、少しずつ何度もくちびるをカップにつけて、もう半分近くなくなっている。ちびちびと味わっている姿はなんだか小動物みたいだ。
     朝から絶好調な俺ではないので、特別な予定でもない限り、俺たちのオフは午後から始まる。昼から夕方に差しかかる手前、火にかけてすぐの卵みたいなわずかに乳白色の陽光が、部屋を穏やかに浸していた。ソファで嬉しそうに舌鼓を打つス~ちゃんを、俺はまた別のレシピの仕込みをしつつ、キッチンから眺める。大がかりなことは今日はしたくないし、手軽にチョコレートムースでも――もちろんこれも、完成すれば真っ先に向かうのはス~ちゃんの胃袋だ。目の前と、少し未来の想像とに大切な子の笑顔があって、これだけでも贅沢すぎるほどの午後だけれど、作業の合間に構ってあげるのも忘れない。ソファの後ろから身を乗り出して、ちょっとびっくりしてるス~ちゃんを覗き込みつつ言った。
    「そんなにおいしい? 俺特製の媚薬」
    「えっ」
     濁点つきのリアクション、ス~ちゃんが一瞬フリーズする。
    「なんてったって、逆先のナッちん直伝だからねぇ」
     わざと間延びした響きで言い残して、俺はキッチンへ引き返す。ナッちんはハーブやスパイスに詳しいし、お菓子もつくれる人だから、意見を参考にさせてもらったのは本当。媚薬なんてものがもし実在するとして、ナッちんなら作り方を知っていてもおかしくない、教えてくれるかどうかは別として。
     まあ、なので、微妙に信憑性を持たせた、悪いほうの冗談ではある。
    「あの、凛月先輩」
    「ん?」
     さて、ムースもあとは冷蔵庫で冷やせば完成、というところまでこぎつけた。面倒な後片付けを前にして、しばし途方に暮れていると、ふいにス~ちゃんが俺を呼んだ。
    「び、媚薬というのは……どれくらいで効いてくるものなのでしょうか」
     ス~ちゃんはまっすぐ座ったままだったので、そのときは俺から表情が見えなかった。両手でくるんだカップは、中身の深い鳶色をまだ半分残している。とっくに飲みやすい温度になっているはずなのに、ペースはむしろ初めより落ちているみたいだった。
    「そうだねぇ。早い人だと二十分くらい、かなぁ?」
     俺がス~ちゃんにホットチョコレートを出してあげたのが、だいたいそれくらい前のことだ。
    「効いてきた?」
     背後に立つと、ス~ちゃんの肩がびくんと跳ねる。
     じりじり温められた陽光の卵は、さっきよりも心なしかくすんで、重たい。俺はス~ちゃんの肩には触れず、代わりにソファの背もたれを撫でた。しゃがんで背もたれに腕を置き、そこに自分の頭を乗っけると、抱きしめているのとほぼ変わらない距離になる。違うのは、体のどこも触れていないこと。俺たちは今日まだ、お互いの体温を知らずにいるってことだけ。
    「わ……かりません、ただ」
    「うん」
    「体が、熱いような気と。あと、」
     頬をさらに近づけて、すり寄せる手前で止まる。まだくっついていないのに、ス~ちゃんのそばだけ他より温度が高いのを感じて、ス~ちゃんの熱に肌を撫でられているみたいで。
    「凛月先輩はいつ、隣に来てくださるのだろうと。思っていました」
     あーあ、夜はまだまだ来ないのに、そんなこと言ってくれちゃうんだね。
     まあ、俺が言わせたと言われてしまえば反論はしかねるけど。片付けなんて後でもいいや、と俺は決意して、エプロンを外しソファの縁に引っかけた。
     少し隙間を空けて隣に座ると、ス~ちゃんは顎を引いて、上目づかいに俺を見る。ス~ちゃんの手からカップをそっと奪い、ひとくち飲み込むあいだ、紫のひとみはじっと俺を見つめつづけていた。ぬるくなったチョコレートは絡みつくように甘ったるくて、俺のくちびるも喉も、ゆっくりと焼けていく心地がする。
     カップはテーブルに置いて、ぺろり、と舌で一度くちびるを湿して。前のめりになると、俺の手に擦れたソファの革がぎゅっと鳴いて、ス~ちゃんが目を細める。顔を傾けながら近づけば、ス~ちゃんの顔も反対側に傾いで、薄いまぶたはゆっくりと重力に引っぱられていく。
    「ね、あれ嘘」
     今にもキスしてしまえそうな距離で、けれどもス~ちゃんのくちびるに触れたのは、吐息を込めた俺の声だけだった。うつむきかけていたまつげが持ち上がり、水分を含んだアメジストは揺らめいて、雨の夕暮れみたいな色で俺を惑わす。ス~ちゃんが何か言う前に、俺はうっすらほほえんだまま言葉を続ける。
    「媚薬なんかじゃ、ないよ。スパイスは確かに入れたけど、なんでもない、普通の。ス~ちゃんが飲んだのは、ただのおいしいホットチョコレート」
     こんなこと、勝手に知った口をきいたらナッちんに叱られるかもしれないけれど、そもそも魔法と呼ばれるものの効力なんて、きっとほとんどは気の持ちようだ。それを信じることにしたほうが都合がいいと、かけるほうもかけられるほうも合意したとき、成立する約束ごと。
     騙しっぱなしの優しさもあるって分かってるのに。種明かしをするのは、優しくない俺を許すためだ。
     俺って、ずるいお兄ちゃんかな。
     わずかに顔を遠ざけて、ス~ちゃんの表情を見る。怒られるかな、と思った。それとも、恥ずかしくて泣きそうな顔をされるか。どのみち百面相が繰り広げられることは想定したけど、ス~ちゃんは弱ったように軽く眉を下げるだけで、視線を行ったり来たりさせて言葉を探しているみたいだった。ひとみの下がぷっくり赤くふくらんで、きらきらしている。
    「……そういった効果があるのか、ないのか。どちらだと、しても」
     ス~ちゃんがほんの少しくびを伸ばすだけで、簡単に俺たちのくちびるは触れた。
     ちゅうっ、と音を立てながら、ス~ちゃんの粘膜が俺のに吸いつく。ちゅぷん、と離れて、はあっ、とス~ちゃんの吐いた息が俺のくちびるを包む。頬のすぐそこでス~ちゃんのまつげがまたたいて、当たってもないのに体じゅうがくすぐったく思える。
     たった一瞬で。こんなに甘くて、こんなに熱くて。
     おまじないの媚薬なんかより、少なくとも俺にとっては、ずっとずっと効果があるものだ。
    「このあとは、もう。……今のくちづけのせいということに、いたしませんか」
     ス~ちゃんが声をひそめて、低くなるささやきが部屋の静けさを味方につけてしまうと、それからの俺たちはもう、夜になる。甘くて苦い鳶色が、光に混ざって光を飲み込む。それを信じることにしたほうが都合がいいと、かけるほうもかけられるほうも合意したとき、成立する約束ごと。
     そんな悪い魔法を持ちかけられて、悪い魔物が何と答えるかなんて、もう決まってるよね。
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