星呑み小話11神というものは生物――特に人間が「そうあれ」と望み、祈ることで名前と形を保っている。人の、身勝手でどうしようもない望みに沿うには、理解がなければ話にならない。戦の、野蛮な血塗れの神である丹星とて例外ではなく、それが出来ていたからこそ今の今まで消えずにいたのだ。存在も名前もこの国から消え失せた神は幾多もいる。消えずとも、神達は人間が繁栄するほどに力が目減りしていくのを感じていた。だから残った神は消え失せる前に表舞台から降りることとした。今も起きている神は丹星のみであろう。他は恐らく永遠に起きることはない。消えるか眠るか、淀んだ二択の末の酷い結末だ。
何故前者を選ばなかったのか、丹星は夢のうちで何度も答えを探した。星がなければ今もその答えを見つけることが出来なかっただろう。
まさか己に、まるで人のような穏やかな時が訪れるとは夢にも見なかったのだから。
「本日は、お願いがありまして」
ある日、朽ちた社の戸を叩いてきた晶は恭しく頭を下げながらそう言った。
誰を伴うでもなく、単身でやって来た晶に丹星は続きを促す。
「お住まいを、動かしていただきたいのです」
『……ふむ?』
「此処から随分と離れてしまいますが……人里はお嫌いですか?」
顔を上げた晶が微笑む。
『盛大に祀ったところで、俺の力は戻らんぞ?』
星を取り込んだことにより、丹星の力は全盛期並とまではいかないが戻っている。とは言っても、今や焼火以外には人であろうとなかろうと名前を呼べず聞き取れない曖昧な存在だ。
更に丹星が司るのは戦と武具だけだ。一昔前までと違い大きな戦もない今、人里に居を構えて祀るものでもないだろう、と丹星は考えている。
「戦神様がこれ以上力をつけられたら、この国なぞ直ぐに燃え尽きてしまいます。それはご勘弁を。……ですが、やはり折角起きていらっしゃるのですし。勿論、戦神様には焼火がいれば何も問題はないのは承知しております」
『それでも、と。……お前のことだ、何か見えているのだろうな』
晶は答えない。
祈りのためではなく、人のためではなく、己一人の何かのためだけに、晶は神を使おうとしていた。
恐らく、他のまだ名前の残る神ならば怒りを覚えるのだろう。しかし、丹星にそんな感情は微塵もなかった。
『お前が待っているものに多少興味はあるが……俺が問うことでもないな。お前には返しきれない恩がある。少なくとも……お前の呼び名が分かるまでは、何だってしよう』
「……有難きお言葉です、戦神様」
また晶は恭しく頭を下げ、そして去っていった。
「――……晶は」
丹星が寝所の襖を開けると、掠れた声がそう問いかけた。
『もう帰った。……身体はどうだ?』
「大丈夫だと、俺は何度も貴殿に訴えたが」
のろのろと起き上がった焼火が不満げな表情を作る。その身体は――あまり他人に見せるものではない有様になっている。見た目だけの話ならば、大半が着物の下になるので問題はない。だが、今の焼火は歩行等にかなり問題があるような有様だ。通常の人間であれば、治るまでかなりの日数が要する。けれども、丹星の身体が文字通り「混ざっている」為、明日には殆ど繋がり、塞がり、消えてしまう。
『別にあれがお前を見ても眉も動かさないのは俺も承知しているが……まあ俺以外が見る必要はないだろう?』
「そういうものだろうか……」
少しばかり考えるような首を傾けた焼火だったが、まだ頭がうまく働かなかったらしく諦めたように晶の要件を丹星に問うた。
近い内に引っ越すことになる、恐らくお前には色々動いてもらわねばならない、と告げると目を見開く。
「それは……また……」
『ん?』
「何と言うか……ううん……」
焼火が丹星から目を逸らす。珍しい動作だ。
「恐らく……近いのは、不安や恐怖だと、思う」
『何故?』
「貴殿が……俺の神では、無くなってしまうような」
逸らされていた目が合う。
揺らぐ瞳には、確かにそのような色が見えた。
『その言葉、そっくり返すぞ』
「……?」
『俺とてそういう感情とは無縁ではないということだ。……戦場よりもずっと、お前が俺から離れていく方が恐ろしい。お前を人でいさせてやりたいのに、人に混じらせたくないと思ってしまう。決してお前の心の内を疑うわけではないんだが』
神である筈の丹星が、晶の頼みに思ったことは只それだけであった。
人間個人の身勝手に怒りもせず、只々――まるで人間のように、伴侶が変化するかもしれない可能性に怯えた。年月のせいでもなく、星のせいでもなく、ただ焼火だけが丹星の神性を揺らがせ、留めている。
「……」
『幻滅したか?』
「そんなことは、全く」
それよりも、と焼火は笑う。
感情が分かりやすい焼火が、丹星は好きだった。
「貴殿が同じ気持ちであることが、嬉しい」
淀んだ二択の果ての、他の神から一笑に付すにも値しない状態であろうとも。
見せかけの肉の醜悪な姿だが、まるで己が人になれたような、そんな心地がするのだった。