赤目の黒猫(ルイ亜)【亜蝶】10時、オフ、火曜日。
いつもより布団が重たい気がする。
というか、大きい気がする。
そう思って、眠たいながらに前髪をグシャッとあげようとした時に、
その前髪がないことに気が付いた。
だが、毛の感触はある。脱毛は済ませているはずなのだが。布団から出るのにやたらと時間がかかるので、鏡でも見に行くか。
【ルイ】9時、オフ、火曜日。亜蝶がいない。軽く部屋を見に行ったのだが、布団は人型のそれを保ったままに、誰もいなくなっていた。俺が見逃すはずがないのだが。鬨に聞いたが、散歩に行かれたのですかね?と寝ぼけ半分に答えるだけであった。あいつが出かけるとしたら一体どこに向かうのだろうか。
【亜蝶】11時、オフ、火曜日。鏡を見ると、そこには俺が写っていなかった。いや、正確には「いる」が、これは俺ではない。天井という天井は大聖堂のように高く、椅子は柱のように、床の木目は畳のような広さだった。そしてこれは、俺にとって、あまりにも、認めたくない現実である。ふさふさの尻尾と耳を自らの意思で動かせるあたり、やはりそうなのだろう。烏麻亜蝶は─俺は、猫である。
【ルイ】14時、オフ、火曜日。散歩にしては長いと思い、スタッフに確認をしたところ、特に誰かが外出した記録はないらしい。いくら亜蝶とはいえ、完全にここから逃げるのは不可能であろう。華の種のこともある。
そうなるとまだこの敷地内にいるということになるが─小一時間探しても見つからないのは、どういうことなのか。
【亜蝶】15時、オフ、火曜日。まずい、まずい、まずい。目の前の状況を理解した黒猫、もとい烏麻亜蝶は、鏡の前で踊るかのように震えている。スタッフに見つからないように慎重に物陰に隠れながら中庭へ避難しようとする。一体これからどうしたものかと、ふう、という息が出た。声を上げ、助けを呼ぼうにも「ニャア」という単語しか発せられないのである。
【鬨】18時、オフ、火曜日。ルイさんは、朝からずっと亜蝶さんを探しているみたいだった。何か手伝えることはないですか、と言って一緒に探すのを手伝ったけれど、どの部屋にも居なかった。今日は、前から気になっていたカフェに行こうと考えていたのだけれど、亜蝶さんを探すルイさんの顔がどんどん疲れていっているように見えて、放っておけなかった。せっかくのオフなのに、ルイさんはいつもより忙しそうにしている。なんだか今、一瞬、黒い影が見えた。ううん、何だろう。僕もやっぱり、疲れているのかな。
【ルイ】22時、オフ、火曜日。耳元にふさふさとした感触があったので下を見ると、烏のような色をした赤目の黒猫がいた。だれの猫だろうか。昔から俺には動物が寄ってくる。ニャーともの悲しそうに鳴くので、とりあえず頭を撫でたのだが、何故かフーッと鳴いた後軽くかまれた。まさか猫に噛まれることがあるとは.まあ、明日には亜蝶は帰ってくるだろう。今日は諦めてもう寝るかと思い動いたのだが、なぜかあの黒猫が俺の後をついてきた。スンスンと寂しそうに鳴いていたので、寝室に連れて行こうと決めた。捨て猫にしては毛並みが良すぎるので、スタッフの飼い猫だろうか?
【亜蝶(猫)】23時38分。ニャー―オ。ニャア、ミャア、ニャア、ニャオ。…ゴロゴロ。
【ルイ】思えば今日の半分ぐらいはこの黒猫と一緒に居たのか、と、毛繕いする黒猫をじっと見つめながら思案していた。付いてくるたびに、触れ合おうとしてもすぐ噛もうとする。でも離れるとまた付いてくる。不思議だ、と思いつつ黒猫を薄目で見ていた。眠ってしまった黒猫が寝返りを打つと、一瞬、幻のように烏麻亜蝶の背中のそれと重なって見えたので、思わず強い瞬きを繰り返した。さすがに幻覚だ。だが、さっきのことで、こんな時間なのに目が冴えてしまった。よく見ると─黒くて目が赤くて、俺に対する態度もなんだか─いや、考え過ぎだろうか。ペットを飼ったことはないが、もしこの黒猫を飼うなら名前は何にしようかとぼんやり考えながら、黒猫の顔を覗き込んでいた。身体が熱い。気が付けば、「黒猫」の額にそっと口づけをしていた。もっとも、「黒猫」は、口づけたと同時に、見慣れた黒髪のあの男に戻ったのだが。