ヤマガラのチョコ 海灯祭も無事に終わりを迎え、人々がごく平凡な生活に戻ろうとしている頃のことである。
(なぜ我は……香菱と菓子を作っているのだ)
なぜ、と言われれば、菓子を作ることに了承したからなのだが、そもそもなぜ菓子を作ることになったのか。
わざわざ望舒旅館の厨房まで借りて、小鍋に入れた……チョコと呼ばれるフォンテーヌの菓子を木べらでかき混ぜながら、魈はぼんやりとそれが溶けていくのを眺めていた。
海灯祭が終わったので再び旅立つ旨を旅人が望舒旅館へ知らせに来てくれたのが、そもそもの発端である。
「そうだ、レシピをさっき露店で買ったんだよね。魈にもあげるから、先生に作ってあげたら喜ばれると思うよ」
「我は料理をするのを好んでいない。これは別の者へと渡すべきだろう。例えば……言笑や香菱だ」
「じゃあ、魈に渡すから香菱と作るのはどう?」
「……なぜ、作るのをそのように勧めるのか、我には理解できないが……」
「もうすぐバレンタインデーっていう行事があって、普段お世話になっている人にチョコレートを渡す日なんだ。魈も鍾離先生にあげたらいいんじゃないかって……余計なお世話だけど」
「無論、鍾離様には世話になっているが……その、チョコレートというのは……?」
「甘い茶色のお菓子だよ。絶対渡してよね? 絶対だよ!」
じゃあね! と説明も半ばに旅人は行ってしまった。バレンタインデーとチョコレートは、どちらも聞きなれない単語だ。絶対渡せと渡されたレシピに書いてある羅列された材料名が、魈にはわからなかった。
「仕方ない……」
鍾離に絶対喜んで貰えるという品であれば悪い気はしない。レシピが書かれた紙を握りしめ、魈は万民堂へと飛び立った。
万民堂に行ったが、香菱はいなかった。聞くところによると、軽策荘の方へ向かったらしい。それならばと跳躍し、香菱の姿を追って行った。すると、丁度望舒旅館の辺りにいたのである。
「……香菱」
「わ! びっくりした~! 魈! 久しぶりだね。どうかしたの?」
「……このレシピの品を作りたいのだが、手伝って貰えないだろうか。礼はする」
何と話し掛けたら良いかわからず、かなり不躾な物言いになってしまったような気がする。しかし、香菱はふんふん、と頷きながらそれを凝視し、嬉しそうに瞳を輝かせながら了承してくれた。
「丁度フォンテーヌのお菓子に興味があって、この前露店でチョコレートを購入してたんだ~! 今から作る? かなりシンプルなレシピだけど、魈は他に入れたい物はある? スライムとか、絶雲の唐辛子とか!」
「……我にはアレンジ方法はわからぬが……」
チョコレートは甘い菓子だと旅人は言っていた。香菱の料理人としての腕を疑っている訳ではないが、スライムや唐辛子を入れて、味を損ねないか心配である。どうしたものかと考えている視線の先に、霓裳花の花があるのが見えた。
「あっ! 霓裳花を飾りつけるのもいいかも! いいねいいね! 早速厨房へ行こう!」
魈よりもやる気に満ちてしまった香菱が、望舒旅館の中へ入って行く。言笑に厨房を借りるべく、魈もその後を追った。
望舒旅館の厨房は借りられたが、チョコレートは家にあると香菱が言うので仙術を用いて取りに行った。そのまま万民堂で調理してもよいかと思ったが、璃月港ではいつ鍾離に鉢合わせするかわからない。なるべく内密に作りたいような気がして再び望舒旅館へと戻った。
……そして今に至る。
「型に流しいれて、固まらないうちにお花で飾っちゃおう!」
「わかった」
香菱が型も持って来てくれたので、それにチョコレートを流し入れる。ヤマガラ、グォパァー、花、星、お化け、様々な形があった。固まる前にと霓裳花を小さく切り、そこへ刺していった。
「他の色のチョコレートもあるから、目なんかつけたら面白そうだよね! ちょっとまってて! 溶かしてみるね」
何も言ってないが、香菱はそう言うと白色のチョコを溶かしだした。箸を渡され、それにチョコを絡めて目をつけるようだ。力を込めすぎるとチョコが割れてしまう。そっと箸を持ちヤマガラとお化けに目をつけ、ほっと息を吐いた。
「ふぅ……」
「あとは固まれば完成なんだけど……これは魈が食べるの?」
「我ではない。とある方への贈り物だ」
「そうなんだ! じゃあ包みも用意しないとね」
香菱にチョコの包装の仕方まで教わってしまった。すっかり世話になってしまったので礼は何が良いかと尋ねると、調理するのが楽しかったから何もいらないと香菱は帰っていった。つくづくお人好しな者だと魈は思った。
バレンタインデーであろう当日。万民堂の軒先にグォパァーの型で作ったチョコを置いてきた。
その後、鍾離の家へと飛び、寝台の近くのテーブルへとヤマガラの型で作ったチョコを置いた。ちらりと視線をやると、眠っている鍾離が目に入る。慌てて視線をチョコへ戻し、鍾離の目が覚める前にとその場を去った。
直接渡せば良いと旅人は言うだろう。しかし、なんという名目で渡したら良いかがわからなかったのだ。急にチョコなど渡されて、鍾離は困惑するに違いない。その上そのような物を日頃の礼だと言われても、鍾離に差し出す品としては相応しくないのではないか。急にそんな考えが浮かんだ。差出人も書かずに置いてきてしまったそれを、きっと鍾離は……。
気付けば望舒旅館の露台でぼーっと考え込んでしまっていた。視界に入る物や気配など、一切何も感じていなかった。
「これは本命と受け取って良いのか? 魈」
「なっぁっ!? 鍾離様!?」
ふわりと風が舞い、気付けば鍾離が隣にいてヤマガラのチョコを持っていた。本命とはなんだ。バレンタインデーとはなんだ。どうして鍾離はそんなに嬉しそうに目を細め、楽しそうな顔をしているのだろう。
目の前がぐるぐる回る。予想外に鍾離の顔が近付いてきて、思わずその場に倒れ込んでしまう、魈なのであった。