事後は突然に「……っ」
魈は痛みに顔をしかめた。いつもとは違う類の違和感が魈に襲いかかっていた。なんの足しにもならないが、痛む箇所に手を当ててさする。しかし、治癒力などは持っていないので、ただ手を添える程度に過ぎなかった。
敷布に手をついて起き上がる。それだけで精一杯だった。尚も気怠い身体を壁に寄りかからせて、ふぅと息を吐いた。
敷布の端の方で眠っていたようだが、空いている所には誰もいない。昨夜は鍾離が望舒旅館のこの部屋へ来ていた。いつもと変わらないような雰囲気ではあると思ったが、久しぶりに会ったような、そんな気がした。
喉がひどく渇いている。僅かながらに口の中に溜まった唾を飲み込んだ。すると、喉にも違和感があることに気付く。何故こんなに満身創痍であるのか思い当たる節はあるのだが、本当にそれのせいなのか? とも思う。
業障の痛みではない。しかし、全身がだるく、特に腰の辺りが痛む。肌の見える範囲には、歯型や鬱血痕がそこかしこにあった。いつもより重く感じる身体は、少し発熱しているようにも思う。しかし、いつから眠っているのかは、もう思い出せない。
「魈、起きていたか」
「……しょうり、さま、げほっ」
声がかすれていて、半分くらいは音にならず咳き込んでしまう。まるで病人だ。それを見てか、盆の上に水差しを乗せた鍾離が足早に部屋の中へ入ってきた。
「体調はどうだ? 水をもらってきたから飲むといい」
鍾離に身体を支えてもらいながら、水をちびちびと飲んだ。しかし、鍾離が持ってきた水のほとんどを飲んでしまい、それ程までに水を欲していたのだと気付く。
「昨夜は、すまない。久しぶりにお前に会って、歯止めが効かなかったようだ」
「鍾離さま……」
「俺も途中から記憶がないのだが、目が覚めたら覆いかぶさるようにしてお前の隣で眠っていた。しかし、二人とも衣服は身につけていないままであった。年甲斐もなく随分とお前を求めてしまったようだ。魈の惨状を見るに、他でもない俺のせいだろう。……すまない」
再度鍾離から謝罪を受けた。昨晩そういう雰囲気になり、身体中の水分がなくなりそうな程に気を遣ったのは覚えているが、その後の記憶はない。鍾離に求められるのが嬉しく、求められるままに致した結果、やはりこうなっているということで合点がいった。
鍾離がなんとも申し訳なさそうな顔をしているので、魈も申し訳なく思ってしまう。もう少し自分の身体が頑丈にできていたのならば、鍾離にこのような表情をさせずに済んだはずである。
「どこか痛む所はあるか……?」
「いえ、大丈夫です。普段から痛みには慣れておりますゆえ、問題ありません」
魈は緩く首を振った。動けなくはあるが、骨を蝕むような痛みに比べれば、これくらいは何ともないのは事実である。
「お前には気持ちよくはなってもらいたいが、痛みは与えたくない。どの辺りが痛むのか見せてくれ」
しかし、それは痛む所があると言っているようなものであり、鍾離の顔が尚も曇ってしまう。額に触れられ、微熱があることを指摘され、更に満足に動けないこともバレてしまい、敷布に寝かされてしまった。
「う……申し訳ありません……」
「謝るのは俺の方だ。本当にすまない。何か食べるか? 言笑殿から杏仁豆腐をもらってくる」
「……鍾離様、大丈夫です。このまま横になっていればすぐにでも回復いたします。お手を煩わせてしまい、我の方こそ謝罪しなければなりません」
「魈……」
「往生堂の方は大丈夫でしょうか? 頼まれ事があるのでしたら、我に構わずここをお発ちいただいて構いません」
「……すぐ戻る。しばし休んでいてくれ」
「はい。お気をつけて」
近頃望舒旅館に鍾離が来ていなかった事から、決して暇ではないのだろう。昨日はその合間を縫って、きっと望舒旅館へ訪れていたのだ。やはりまだ仕事があるようで、鍾離は後ろ髪を引かれる思いだと言いながら、望舒旅館を発って行った。
これで良かったと魈は目を閉じる。特に眠くはないのだが、次に鍾離が来るまでには動けるようにしておこうと思ったのである。
「戻った」
「え」
まだ一眠りもしていない。凡人の足ならば、おそらくまだ帰離原を歩いているくらいの時間のはずだ。
「依頼を片付けて来た。往生堂へ行き堂主にしばしの間休暇をもらえないかと話もつけてきた。よって、魈が動けるようになるまでは望舒旅館へ泊まらせてもらおうと思うが、良いか?」
ここで断る夜叉がいればその顔を見てみたいと思うが、生憎と数分と経たず戻ってきた魔神を追い出すほどの技量を、魈は持ち合わせてはいなかった。
「だめか?」
追い打ちをかけるような鍾離の質問に、駄目です。などとは言えるはずもなく、甲斐甲斐しくも身の回りの世話をされてしまう、魈なのであった。