どこへいこうと「で、お前の意見を聞かせてもらえないだろうか?」
「……えぇと……」
鍾離の今の話を要約するとこうだ。
鍾離はしばらく仕事が休みである。最近は天気も良く、出掛けるには適した気候だ。だから魈と出掛けたいと思ったが、どうだろうか。
魈は一語一句真剣に話を聞いていたので、おそらくそういうことなのだと思った。しかし、如何せん魈に意見を尋ねる前に、鍾離が前述の内容を三十分程話していた為多少の齟齬が生じている可能性はある。何にせよ魈の返事としては、はい。どこへ行きましょうか。の一言しか思いつかないのだが、鍾離がこんなにも時間を掛けて自分と出掛けたい理由を述べてくれているのに、たった一言で返すのはどうだろうか。と少し悩むところでもあった。
「外出するのは構いません。鍾離様は、どこか行きたい場所があるのでしょうか?」
迷った挙句最低限の返事をしてしまったが、鍾離は顔を僅かに明るくさせたので、結果良かったのだと思う。
「蓮の花が咲くにはまだ少し早い。水に入るには少し水温が低いな。うむ。散策するには丁度良い季節と言えるだろう。たまには何も考えず、行くあてもなく散策してみるのも一興かもしれん」
「わかりました」
魈は頷いた。賑わっているであろう璃月港へ行こうと言われると、業障の影響などを考慮せねばと思っていたが、散策であれば問題ない。
「道中座って休むこともあるだろう。茶や食べ物を用意しよう」
「はい。では言笑のところへ行ってきます」
「俺は茶葉と茶器を用意する。出先で茶を沸かし飲むのも貴重な体験と考える」
「わかりました」
言笑へ料理を頼むと、二つ返事で杏仁豆腐を包んでくれた。もう一人客人がいる旨を伝えると、璃月三糸を持たせてくれたので露台へ戻る。すると、丁度鍾離も準備が整ったらしく、風呂敷に色々包んで背中に背負ったところだった。
「さて、望舒旅館からどの方角へ行こうか」
「そうですね……」
どの道へ行けばどこへ着くかなど二人共熟知している為、何も考えず当てもなく一歩踏み出すというのは少々難しいことに気づく。
「この枝が倒れた方角へ行くというのはどうでしょうか」
「おもしろい。それで行こう」
魈は近場にあった枝を地面に突き立て、手を離す。すると、支えを失った枝は地面へと倒れていった。倒れた先は荻花洲の方だ。
よし、決まったな。と鍾離が言い、そちらへ一歩足を踏み出したので、魈もそれについて行った。
「はっ! あなた方は、降魔大聖と往生堂の客卿殿ではありませんか! お二人が一緒とは、何か大事件が起こっているのでしょうか!?」
「…………」
「降魔大聖には往生堂の仕事を少し手伝ってもらっているが、今日はただの下見だ。特に大事件は起こっていないので、気にしないでくれ」
「はっ! お気をつけて!」
ここを抜ければ石門だという辺りで、千岩軍に声を掛けられた。魈は沈黙して眉をひそめるしかなかったが、鍾離は淡々と返事をしている。先ほども店番をしているという羽に出会い、その先で花を摘んでいるモンモンに出会った。どちらも鍾離には挨拶をしていたが、魈には特に言葉を掛けてくることはなかった。軽策荘へ行く途中によく出会うらしく、鍾離とは軽い知り合いのようだ。璃月港ならまだしも、この短時間にこうも顔見知りに出会うとは、さすがは鍾離である。
千岩軍の者との会話も早々に切り上げ素知らぬ顔でその場を去った。また少し歩いた所に休憩できるテーブルなどが置いてあったので、そこで茶を飲もうという話になった。
「……さすがは鍾離様です。我はまさか声を掛けられると思っていなかったので、何も言えず……」
「はは。まさかデートしているので邪魔しないでくれとも言えないだろう?」
「だっ、で!? ゲホッ」
「大丈夫か魈?」
鍾離が淹れてくれた茶を口に含んだところで、うまく飲み込めず噎せてしまった。鍾離が出掛けたいと言っていたのでただの付き添いのつもりであったのだが、そうか、これはデートだったのかと魈はそこでようやく気付いて頬が瞬時に熱くなった。
デートであったのならば、もっと出掛け先をよく考えるべきであったかもしれない。このような鍾離の貴重な休みの日に、当てもなくフラフラと出掛けるなど、時間を無駄にしているようなものだと言われれば、否定のしようもなかった。
「鍾離様は、本当に行きたいところなどなかったのでしょうか?」
「行ったはずだ。行くあてもなく散策をするのも良い、と。魈にとってつまらないのであれば、今からでも行き先を変えるが……」
「つまらないなど、滅相もありません。少し気になっただけですので……鍾離様がよいのであれば、このまま散策を続けましょう」
「魈。俺一人がよくても、魈がつまらないと感じるのであれば続ける訳にはいかない。任務で散策をしている訳ではないんだ。正直に言ってくれ」
「先ほども申したように、我はつまらないと思っている訳ではありません」
「……そうか。わかった。では、石門へ行くか、軽策荘へ行くか、また枝で決め、気ままな散策を続けよう」
「はい」
茶の片付けをし、魈はまた地面に枝を突き立てた。枝は軽策荘の方を指している。それでは、と鍾離が足を踏み出したので、魈も後に続いた。
そこからはしばらくどちらも口を開くことなく無言で道のりを歩いた。先程魈が発した言葉が原因のような気がする。鍾離は特に不満を抱いていなかったのだろう。魈ももちろん不満を抱いていた訳ではない。では、この気まずさはなんだろうか。空気が重くのしかかってくるような気がして、鍾離の隣を歩くことができず、少し後ろから踵を見つめているばかりであった。
「……魈、見てくれ。夕日が綺麗だ」
「あ……」
口を開いたのは鍾離だった。怒っている訳ではない、優しい声色だ。
指を差された方に魈は視線を向けた。竹藪を抜けた後、開けた場所から夕日が沈んでいくのが見える。夕日が水面に反射して揺らめいて綺麗だと感じた。鍾離がちょっとした岩の上に登り立ち止まったので、魈もそこへ行って同じく立ち止まった。
「……綺麗ですね」
「ああ」
その場に鍾離が座した。魈も座るよう促されたので腰を下ろす。先程までと同じく無言であったが、少しだけ鍾離の肩が魈の肩に触れた。魈は少しだけ肩を飛び上がらせたが、ちらりと鍾離の方を見て、同じく少しだけ肩を寄せた。
夕日が沈みきるまで、二人でそれを眺めていた。
「このまま食事にするのはどうだ? 今日はあまり雲がない分、星も綺麗に見えそうだ」
「はい。そういたしましょう」
言笑に包んでもらった杏仁豆腐と璃月三糸を取り出し、器に入れて星を見ながら食事をした。
「いつも同じような景色だが、いつも同じという訳ではない。俺はよくこの辺りのタケノコを取りに来るが、今日は魈と夕日や星空を眺めることができたので、いつもとは全く違う景色になる」
「はい。我も、妖魔以外に目を向けることはあまりありませんので、今日は鍾離様を通して良きものが見れたと思います」
「つまり、俺にとって魈との散策がつまらないというのはあり得ないということだ」
「申し訳ありません……我は、その、デートだと思っておらず、デートに相応しい場所が他にあったのではないかと邪推してしまったのです。結果、鍾離様の気分を害してしまうこととなり、本当に申し訳ありませんでした」
「そうか。俺はデートの誘いとは言ってなかったのか」
「……我が聞き逃していたのかもしれません」
魈の中で合点がいった。デートの誘いだったゆえに、鍾離はあんなにも時間を掛けて魈を誘っていたのだ。一語一句聞いていた覚えはあるが、デートという単語はなかったように思う。だが、解釈の齟齬はやはりあったのだ。
「申し訳ありません……」
「そのように何度も謝らないでくれ。俺の伝え方も悪かった」
「そのようなことは、決して……」
「魈」
「は、い……」
鍾離の言葉を否定しようと思ったが、強く名前を呼ばれ遮られてしまった。思わずびくんと身体が揺れたが、返事をしようとすると抱きすくめられた。身動きが取れないほどにぎゅうぎゅうに抱きしめられ、鍾離の体温を感じる。
「戻ろうか」
魈の耳元で鍾離が優しく囁いた。これはどう返事をするのが正解なのかと思ったが、そのまま魈はこくんと、鍾離の胸元に顔を埋めるようにして頷いた。
その後望舒旅館へ戻り魈の部屋で共に眠った。口を開けばどちらも謝罪の言葉を並べる為、今日はもう止めようと会話もなく眠った。しかし、どこかへ行かず何もせずとも、鍾離の体温を感じながら眠りにつくことは、魈にとって僥倖であることは紛れもない事実であった。