酒に酔う 魈は酒を好んで飲まない。勧めても精々一杯飲めば良い方だ。いつでも戦闘に行けるようにしているのもあると思うが、一杯程度ではさほど様子が変わったようには見受けられないので、全くの下戸ではなさそうだ。
今日は夜風もあまりなく、景色を堪能しながら酒を飲むには絶好の日であった。ならば、隣で酒を嗜んでくれる想い人がいれば、尚更良い一日の終わりとなる。
そんな訳で望舒旅館を訪れ、広めの良い部屋を取った。窓から見える景色は申し分ない。あとは、彼が帰ってくるのを待つだけだ。
夜もだいぶ更けた頃、僅かに風が動く感触がした。そのような事をせずとも気配でわかるものだが、少しばかり彼の帰宅を嬉しく思ってしまう。
勝手に待っている間にだいぶ一人酒は進んでしまっていた。盃を置いて部屋を出る。階段を上がり、魈の部屋へと足を進めた。早く会いたい。と思ってしまうのは、些か酒に酔っているのかもしれない。夜風が気持ちよく身体をすり抜けていく。熱を冷ますには丁度良い風だ。
「魈。おかえり」
「! 鍾離様! た、ただ今戻りました」
部屋に戻ろうとしている魈を見つけ、後ろから声を掛けた。彼は急いで振り返り、あたふたと手を宙にさ迷わせていた。
「大事はないか?」
「はい。本日も滞りなく終わりました」
「そうか。ほら、おいで」
「えっ。は、はい……」
腕を広げてみた。魈はぎょっとしながらも鍾離の近くに来ては、キョロキョロと辺りに人が居ないことを確かめ、そっと胸元に身を寄せた。
「鍾離様……酒の匂いがします。だいぶ酔っておられますね……?」
傍に来てくれた魈を逃がさないようにしっかり抱擁すると、そう零していた。
「ああ、お前を待ちながら外の景色を見ていた」
「我に何か用事がありましたか?」
魈はちらりと上目遣いでこちらを見てくる。なんとも可愛らしいものだ。
「一緒に酒を飲みながら景色が見たいと思ったんだ」
「そうですか……しかし我は……」
「お前もたまにはどうだ。少し付き合って欲しい」
「……わかりました」
こくんと魈は頷いた。鍾離が取った部屋へ行き、二人で景色を見ながら酒を飲むのはなんとも気分が良く、今日も望舒旅館へ訪れて良かったな、と思ったものである。
数刻が経ったが、今日の魈は随分と晩酌に付き合ってくれていた。そればかりか、目を蕩けさせ、頬を紅潮させている。酔い始めた魈の状態をあまり見ることがないので、珍しいなと鍾離は思いながら、また酒を口に含んだ。
魈は盃を持って立ち上がり、窓の近くまで歩いて外をじっと見ていた。
「少し酔ったか?」
「風が気持ち良いです」
「そうか」
景色に満足したのか、くるりとこちらを向いた。そのまま盃をテーブルに置き、座った。
なんと、鍾離の膝の上に、だ。
いつもは不敬なんだと言って自ら寄って来ない魈が、膝の上に座ってその身を鍾離に預けている。
「魈。どうした? 寒くなったか?」
「いえ。鍾離様がここに座ると愛でてくださると前に言っていたような気がするので、実戦したまでです」
「ほう。それは違いないな」
鍾離も盃をテーブルに置き、片腕で魈がずり落ちないように抱き留める。もう片方の手で頬や髪を撫でていると、すりっと身を寄せられた。この愛くるしい姿を愛でない方がおかしい。
「鍾離様……」
「どうした?」
「お慕いしております」
「うむ。俺もお前の事は好いている」
突然の告白も驚くことなく受け入れた。そもそも魈とは恋仲である。何もおかしくはない。今日の魈は素直過ぎるくらいで、今なら前から気になっていたことも聞けそうだと思った。
「魈。俺に何か言いたい事はないか? 不満に思っていることがあれば言って欲しい」
いつも全面的に鍾離のすることに魈は同意をするが、もしかしたら不満に思っていることがあるのではないかと前々から思っていた。
「それは……ありませぬ」
しかし、彼からの回答はやはり『ない』だった。
「何かあるだろう。ほら、その……話が長いとか……」
ちなみに話が長い! はよく胡桃に言われることである。
「そうですね……えぇと……では……」
「うむ」
魈は半分瞼を閉じながら、一生懸命考えているようだった。
「鍾離様は……いつも突然に来すぎです」
「ほう?」
なんだ。そんなことが気になっていたのか。
「我のいない時に旅館に来ないでください」
「うむ。そうか。では前もって知らせよう」
特に約束もなく会いに来るのを楽しみにしていたが、その機会を減らそうと思った。
「鍾離様の話はたまに難しくて我には理解できません」
「はは。そうか。すまない」
お前があんまりにも目をぱちくりとしながら聞いてくれるものだから、つい、楽しくて話をしてしまっていたのだ。すまない。
「我の事をじっと見ないでください。恥ずかしいです」
「すまない。お前があまりに可愛くてな」
今もじっと見ているが、これは目線を逸らせそうにない。
「そういうことをすぐに言う所も困ってます」
「これは本音だ」
反応に困る。ということだろうか。困っている姿も可愛らしくてそこもひっくるめて可愛いのだが、どうしたものか。
「鍾離様、我を愛でてください」
「はは。わかった」
髪を撫で、額に口付けをし、再度抱擁すると、嬉しそうに眦を下げていた。
「鍾離様」
言葉が続かないのか、魈は口を開いたまま瞬きをしている。
「もういいのか? 言い残したことはないか?」
「……鍾離様、愛しています」
「うむ。俺も愛している、魈」
我慢出来ずに唇へと口付けると、うっとりと目を細め、満足したのかそのまま瞼を閉じて眠ってしまったようだった。
魈を抱えたまま、残りの酒を舌で転がして味わう。可愛らしい魈の些細な文句を聞くことが出来て、今日の酒はなんとも味に深みを感じた。
しかし、これではやはり、俺の前以外では酒は飲ませられないな。と独り言ちた。