『あんたの手料理一度食ってみてえもんだな』
数日前のSNSでのやり取りを読み返すのはもう何度目だろうか。変な返しになっていなかっただろうか、とかこれ本気なのかな、とかいろいろ考えすぎて頭がパンクしそうだ。
しかもその後、配信中に『ブラッドリー』というアカウントからコメントがあって、さすがに偽物かと思ったら本人だった。これにはさすがに口から心臓が飛び出るほど驚いた。まさかあのブラッドリー・ベインが『ネリー』のことを認知する日がくるなんて……。
ブラッドリー・ベインと言えば今をときめく人気俳優で、フォルモーント・プロダクション所属のベテラン役者だ。十代の頃にアクション作品でデビューして以降、数々の新人賞を総なめにしてきた実力者である。
テレビやネットや週刊誌では毎日のように『話題のドラマを徹底解剖!ブラッドリー・ベインの気になる役どころは?』とか『自身の手掛けるブランドで新作発表』とか『今度は共演女優と熱愛か?密会現場を激写!』といった見出しが躍っている。ブラッドリーの名前を目にしない日はないくらいだ。
そんなブラッドリーが、事務所自体は大手と言えどほとんど無名に近いただの配信者である『ネリー』を知っていたなんて、やっぱり今でも信じられない。
『ネリー』の好きな俳優はブラッドリー・ベイン、と公言するくらいには彼のファンである。これをきっかけにコラボ配信をしたり、プライベートでも仲良くなれたら、と普通なら思うのだろうが、そうゆうわけにはいかない事情がこちらにはあるのだ。
なんたって『ネリー』の正体は、ブラッドリーとデビュー作『Buddy』で共演し、相棒のような存在であったにも関わらず、ブラッドリーに何も告げずに突然芸能界を引退したネロ・ターナー本人なのだから。
『ネリー』の正体がネロであることをブラッドリーは知らない。たぶん。
もし『ネリー』の正体を知ったのならば、無理やりにでもネロの居場所を突き止めて突撃してくるはずだ。ブラッドとはそういう男なのだ。それをせずに様子見をしているということは、その確証がないのだろう。
ネリーの声がネロに似ているとネットで噂されているのは知っているけれど、あくまで噂だし、顔出しをするわけじゃないんだから真相は闇の中だ。ちょっと声が似ているだけでネロ本人だとバレるはずがない。
SNSを通じての多少の交流は仕方ないにしても、このまま適度な距離を保って躱していけば大丈夫。
この時のネロはそう思っていた。
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『ネリーの気まぐれクッキング』のフライドチキン回でコメントをして以降、ブラッドリーは他の料理回でもたまにコメントをするようになった。SNSでも料理の感想を送ってくれたりするし、同じ事務所のリケが、ひーちゃんとなーさんのぬいぐるみを持っている写真をアップしたりもしている。さすがにそういう時は俺からも反応するし、そうすると二、三言メッセージのやり取りが続くことになる。
また、この間ラスティカと食事に行ったらしく、その時に『ネリー』の料理を食いたい、と言ってきたそうだ。さすがに撮影にブラッドリーを呼ぶのは無理だけれど、それならばせめて連絡先を教えてくれ、と言われ、渋々連絡先を交換することになってしまったのだった。
個別に連絡を取り合うようになると、元々気が合う関係だったのもあり会話の中で話題が尽きることはなかった。ドラマの撮影の裏話、雑誌のインタビューの内容、ツァイトヘーレの新作デザインの話、ネリーが最近作った料理のこと。いろんなことをメッセージで話した。
あまり頻繁に連絡を取っているといつかバレるのではないかとヒヤヒヤしていたのだが、文字を打っている分には返信内容をじっくり考えることができるから何とかなっている。一度だけ『今話せるか?』と通話を求められることがあって焦ったけど、それはさすがに断った。ブラッドは口の上手い奴だから、言葉巧みに会話に乗せられるとボロが出そうで怖いのだ。それ以降、特に通話を求められることはなかったのでまたすっかり安心しきっていた。
そういったメッセージ上での交流を重ねるうちに、いつからかブラッドリーの方から『あんたの飯が食いたい』とか『会って話がしたい』と言われることが増えてきた。そういうのに対してどう返せばいいのかわからなくて、『いつか機会があったらな』と適当に誤魔化している。
まるで口説かれているような気分だ。もしかしてブラッドのやつ、『ネリー』のことが好きなのか?
『ネロ』とブラッドリーだって付き合っていたわけではないけれど、お互いに「こいつしかいない」という気持ちはあった。今思えば恋愛感情のようなものだったと思う。
でも『ネロ』はブラッドリーの前から姿を消した。そんな『ネロ』の面影を求めて『ネリー』にアタックしようとしているのだろうか?
ついこの間『ネロ』が戻ってくるまでアクションを封印するとか言っておきながら、他の男(実は同一人物だが)に好意を向けているのかと思うと、なんだかもやもやする。
まだ女優とよろしくやってくれていた方がましだ。
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別のタイミングでまたしても『会いたい』と言ってくるものだから、ついに我慢できずに煽るようなメッセージを送ってしまった。
『あんたには待ってるやつがいるんだろ?』
『ネロのことか?』
『そう。その、ネロってやつ』
『俺はいつまでも待つつもりだが、正直、戻ってくるかわからねえからな』
『そいつが戻らないとアクションはやんねんの?』
『あいつとしかやる気はない。戻ってこないなら、アクションは二度とやらない』
そんなにまでして待つ価値が俺にはあるのだろうか。確かに『ネリー』に対する興味はあるようだが、『ネロ』への執心もブラッドの中で変わっていない。
それが嬉しいような、早く諦めてほしいような。複雑な気持ちだ。
『俺はいつまでも待ってるから、早く戻って来いよ』
返事を返せないでいると、続けざまにそんなメッセージが飛んできた。
これはどういう意味なんだ?まさか俺の正体に気づいてるのか⁈
二人が面と向かって本音を話せる日が来るのは、案外すぐそこなのかもしれない。