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「…それじゃあ、いってくる。着いたら連絡するね」
まだ陽ものぼりきっていない早朝の星奏館。
閣下はこれから大きな荷物を手に、旅立つことになる。
と言っても、またどこか趣味の発掘などに出掛けるのを見送ったわけではなく、他県に仕事へ向かうのを寮から送り出したのだ。
「アイ・アイ!お待ちしております!お気を付けて、いってらっしゃいませ!」
敬礼し閣下の背に挨拶をすれば、社用車に乗り込む前、肩越しに振り返り手を振る。
───バタン。
ドアが閉まって、程なくして車は走り出していった。見えなくなるまでその姿勢を崩さずにいて、確認すれば手を下ろす。
本日の一大任務、完了でありますな。
この度の閣下のお仕事は、Edenとして発売する写真集のための撮影。
4人分収録するたくさんの素材が必要で、すでに各地での撮影が始まっている。
メンバーそれぞれに合ったロケーションや、カメラマンの求めるポージング、自分との打ち合わせ通りの衣装やシチュエーション。
様々に万全を期した今回の撮影に自分が同行出来ないのが大変惜しいけれども、ジュンが明日合流予定なのでひとまずの安心はしている。
「閣下が現場に着くのは、交通事情が問題なければ昼過ぎ…。今日は移動だけで使うといっても、長距離の移動だから連絡をもらえたら早めに休んでいただいて…」
スマートフォンを取り出し、改めて予定の確認。
絶好の撮影場として選んだ場所がESから何県も跨ぐところ故に、現場入りとして前日の移動。翌日朝から撮影が始まる。
終了までの滞在先のホテルは、現場からも近く景観も品質もセキュリティも最高級の五つ星をおさえた。
お寛ぎいただく部屋は最上階のスイート。ジュンは豪華すぎて落ち着かないと文句を言っていた気がするが、それを聞くより閣下に最適な休息をとってもらうことのほうが優先的だ。
今回閣下に依頼されたシチュエーションは、晴れた日の海辺でのひととき。
潮風に吹かれ、たなびく白銀の髪。光が反射してキラキラと眩いのだろう。
髪をかき上げたあとの少し伏し目がちに見下ろす目線は、不意に見せられると胸が高鳴るのを感じる。
もちろん、海に入ることもあるだろう。
浅瀬で水平線を眺める物憂げな表情、落ちている貝やシーグラスを見つけて拾ったり、カメラに向かって水をかけたりなんて無邪気さも良い。
海辺だけでなくホテルの一室、ベッドの上の無防備なお姿を…なんて、企画書の内容を思い出せば他にもたくさんある。
様々な閣下の表情や仕草が、この世に切り抜かれることとなるだろう。
写真に収めるからこそ出る色気と魅力もあるというもの。
依頼を貰った時から、こうしてシチュエーションへ思い巡らせることが止まらなかった。
そんな数々の一面にも合いますよ、と閣下の衣装にも水着の打診もあったが、過度な肌の露出はNGと断った。
ありきたりだが真っ白なシャツに黒のパンツ…いや、ジーンズでも良い。それに裸足とラフな格好で浜辺を散策するだけでも画になります、など代替案として持ち出せば、先方は一息おいてから目を輝かせて食い付いた。
ジュンならともかく、閣下は控えめな露出の方が需要がある。あの肉体美はおいそれと見せないからこそ、いっそう価値が上がるのだ。
期間にして1週間、閣下とジュンはESを離れることとなる。
その間にどれだけ素晴らしい一枚一枚に仕上がっているのか…想像するだけで口角が上がってしまう。
ふふふ。最高の被写体に最高のロケーションなんです、全てを写真集に収録出来ないのが非常に残念ですな〜!
ああ、実際撮られた写真を見るのが楽しみでなりません!
「ふぅん。これが今回の撮影の企画書なんだね?」
「───で、殿下!?」
閣下を見送ってから移動した副所長室で思い耽っていれば、来客に気付かず驚く。
デスクに置いていた企画書は、殿下の手元でパラパラとめくられていた。
「ジュンくんより、凪砂くんのところをいつになく細かく書いてるね。へぇ〜…なるほどね」
一通り見てくれたのか、手書きで加えたものも多かったのでそれを見つけたのか、殿下が頷いている。
「ええ。今回自分が同行出来ないぶん、閣下の魅力を最大限に引き出せるよう考えた次第であります。先方からも良い返事をいただけましたし、閣下もこれで良いと」
「うんうん、確かに凪砂くんに良く合うシチュエーションばかりだね!素晴らしいね!」
おお、そうでしょう。そうでしょうとも!
企画書を見るだけでも素晴らしいでしょう!
殿下のお墨付きもいただけて、ますます鼻高々になる。殿下にも渡すつもりだった折れ目一つない企画書を見遣り、その中身をまた思い出して何度か満足げに頷いた。
「なるほどね。茨は、こういう凪砂くんが見たいってことなんだね」
「……はい?」
が、次いだ言葉に動きが止まった。
「違った?それとも、こんなに細かく色々書けているのは、もしかして見たことがあるからってことなのかな」
「え?見たことなんて……」
確かに多くのことを書き、先方と打ち合わせてお互い納得のいく良いものにまとめた。
見たいかどうかと言われたら、そりゃあ見たい場面が多い。
けれど言われてみれば、それらを企画書に書き込む手は、話す口はいつも以上に止まらずにいた。
いや、それはだって、どんどんアイデアが浮かんできたからであって。
この時の閣下が何より美しかったとか、あの日の閣下はとても────……あ。
「────っ!」
ぶわっと鮮明に浮かび上がったのは、自分が考えたシチュエーションでも浮かんだアイデアでもなんでもなくて。
思い出してしまった。ありありと、全て。
そうか、それはぜんぶ、この目で実際に………
「…そんなこと、一度もありませんが」
「わあっ!今、とても分かりやすくぼくに嘘をついたね?悪い子だね!悪い日和!」
はい、ありますよ。
なんて、言えるわけがないでしょう!?
それよりも、どうして気付かなかったんだろうか。
見慣れた光景だからとでも言うのか?なんて贅沢な…!
まずい。一度思い出してしまえば、思い出さなくていいことまで出てくる。
すっかり拗ねた殿下の機嫌を取ることすら忘れて、俺はデスクに突っ伏すしか出来なかった。
(帰ってきた時、どんな顔して閣下に会えばいいんですか!)
*
──後日。
全日程を滞りなく終わらせて、ジュンとともに閣下は帰ってきた。
仕事で出迎えられなかったが、閣下は着くなりそのままの足で副所長室まで出向いてくれた。
「…茨、撮影のデータは見てくれた?」
そして開口一番、これである。
避けられない話題と分かっていても、もう少し会話してからでも良かったじゃないですか。
完全に出鼻を挫かれ、つい目線を逸らしてしまう。
ちくしょう、期待に満ちた視線が痛い。
「…今回は茨が一緒に居なかったから、カメラの向こうに茨がいると思いながら撮影に臨んだのだけれど…どうだったかな」
「─────」
もちろんデータは全部見た。
ジュンのも含めたいへん満足のいくものばかりで、それは一緒に見た殿下も言っていた。
言っていたんですが。
『凪砂くん、茨といる時と同じ顔をしてるね』
なーんて、何を言ってるんです殿下は!そんなことないでしょう!あっはっは〜☆
と受け流したのに、ご本人から答えが出てしまったらそれが正解なんだろう。
「余計なことをしないでください!!」
「…えっ。どうして怒ってるの?」
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