魅惑的な彼女と悪戯な風────────
学園内に一部の区画として設けられている木々の生垣。どんな季節でも艶やかな緑は霞むことなく、陽の光を浴びて生き生きとすらしていると感じさせる。生垣の前に佇む一人の姿も、今日の春の陽気を浴びていた。
背に陽を受けながら緑を眺めている、というより、何か常人では及ばぬ崇高な思考を働かせているのではと思わせる端正な顔立ちは、どちらとも取らせない。
「閣下!お待たせ致しました!」
無人で静かだった庭に、凪砂へ駆け寄る足音が響き渡った。同時に呼ばれて顔を上げた視線の先、思わず目を疑ってしまった。
凪砂があまり動揺もしない方だとしても、これはせざるを得ない。長くきめ細やかな暗紅の髪を乱しながら向かってくる茨の姿が、普段のものと明らかに違ったからだ。
(……なんで、そんな格好を?)
どんな時も隠されて中々見ることの叶わない、すらりとした茨の脚が、惜しみなくさらけ出されている。凪砂の視線は茨の脚へ釘付けになっていた。
生白く、傷一つない滑らかそうな肌。程よく引き締まっていて、肉付きは良い方でないと言うが魅力的な美しい足。
──正直に言って良いのなら、気の済むまで撫で回してみたい。
邪な考えが過ぎる。
(…絶対断られるし、嫌がられるだろうけど)
欲の薄い凪砂も、茨に関することだと自分の欲望が起こされ、内心に渦巻く時がある。普段秘されている部分をこうも見せられては、考えない方が失礼なんじゃないかと思わせるほどに蠱惑的。
辿り着いた茨が目の前で何か話している声も届かないくらいに、凪砂の意識は今、茨の脚に向いていた。
「──ということで、…あの、閣下?自分の話聞いてますか?」
「……うん…。ねぇ茨。足、どうしたの?」
怪訝そうな表情に生返事を返し、そして尋ねずにはいられなかった。
好奇心のうちの一つとも言えるが、何故今日に限ってそんな露出をしているのか。凪砂にしてみれば、いつもは頑ななほどに露出を避ける茨が、今の姿になんの抵抗もなさそうにいることが不思議だった。
聞かねば教えてはもらえないだろうと尋ねた凪砂に、茨は自身の脚に目を遣る。
「足ですか?んん…、特に怪我などはしておりませんが」
「…そうじゃなくて。ええと、黒くない…?」
「ああ!タイツのことですね。こちらに向かう途中で引っ掛けて大きく裂けてしまったので、脱いで捨ててきたんです」
「……脱い…、え、捨て…?」
茨の発言を聞いても、上手く言葉にならなかった。
どこで脱いで、どこに捨てたの?
問い詰めてしまいたい衝動は、「いくらあの茨とはいえ、女の子の事情にあまり突っ込みすぎちゃ駄目だからね!」と日和に言われたのを思い出して、口にするのを憚られた。
「自分の不注意で閣下をお待たせしてしまって、申し訳ありません。今日はもう殿下たちと合流してのミーティングのみですから、このまま行こうかと」
「……そう」
替えのものを持ち歩いてはなかったのか。それとも、凪砂を待たせているから、みっともない姿では会えないと急いでくれたのか。後者が茨の口から出てきそうではある。
でも、どちらにしても凪砂が納得出来る理由とはいまいち遠かったが、これ以上聞けば茨は今の姿でいることの謝罪を述べたあと、誰かに替えを持って来させるかもしれない。更にはこの場に長く留まり続けてしまえば、凪砂と茨のみが立つ庭に誰かがやってくるかもしれない。
それは───誰かに見られるのは、嫌だ。
(……私ですら、これほど惑わされてしまうのだから)
数々の懸念を避けたい、叶うならこのまま何処かに隠してしまいたい。
芽生えた小さな独占欲を告げるには、2人の関係を指すものに相応しくはない。凪砂は言葉を飲み込んだ。
とは言っても、他の誰でもない茨に対し、特定の好意を寄せる凪砂からすれば状況に些かの動揺が消えてくれない。凝視は良くないと逸らしても、目線がつい、茨の白い脚に向けられてしまう。
姿勢を変えた時や、動きに合わせて揺れるスカートの裾にも誘われて、目を惹いてやまない。
「わっ、と…。今日は少々風が強いですね」
ふわり。涼やかな風が2人の間を通り抜けた。翻そうになるスカートと靡いた髪を茨はおさえる。
その仕草にはた、として凪砂は茨から顔をそらした。
「…そうだね。早く移動しようか」
「アイ・アイ!集合の店はこちらで──」
不自然な動きではなかったようで、凪砂の言葉にいつものように敬礼のポーズを取った茨。
そのためにスカートから手を離した、その時。
「──す、」
ひときわ強い風が、ちょうど良く。というか、タイミング悪く、というか。
「……え」
悪戯な風が茨のスカートをさらい、大きく翻していった。
そして凪砂の視界に飛び込んできたのは、ばさりと捲れ上がったスカート…の内部に、秘されていたけれど今やなんの隔たりもない、無防備な茨の下肢に身に付けられた可愛らしい───
「〜〜〜!!!??」
すかさず茨はスカートをおさえこみ俯く。
恥ずかしさからか、肩を震わせて必死に感情を殺そうとしているのが分かる。
時間にして数秒の沈黙のあと、茨は恐る恐る凪砂へと顔を上げた。
想定外の事態に、顔を真っ赤にしたまま。
「閣下、見っ……見まし、あの」
「…………」
「あ、ぅ、その、〜〜っ…!」
強かさも快活さも消えて、弱々しく辿々しい言動で何とか凪砂へ声をかけるも、凪砂の視線が居た堪れない。しかも無言で見つめてくるから尚更。
赤い顔を更には染めあげて、どうするのがいいのかとぐるぐる思考を巡らせる茨。
「た、たいへん、お見苦しいものをっ…!失礼致しまし、」
「……ん?そんなことないよ。とても魅力的な白色だった」
「ーーー!!?あーー!!!」
───ばっちり見られてたぁ!
茨の謝罪に返ってきた返事には、本日の下着の色を足して。動揺から凪砂の言葉を遮ろうとしても、何もかも全てが遅い。
(いやそりゃそうですよね目の前で捲れ上がったんですからね!でもわざわざ言わなくてもいいんじゃないですか!?)
少し泣きそうになりながら内心で文句を言っても、この失態はそもそもタイツを破損してしまったのが原因だと思い至る。タイツを穿いていれば、例えスカートが今と同じくらいに思い切り捲れ上がってもここまで羞恥を覚えなかっただろう。
(でも、だって、こんなの……!)
茨も大概羞恥心というものが薄く、レッスン後の着替え時にジュンがうっかり部屋に入ってきてその様を目撃されても、「どうしました?急用ですか?」けろりと対応してのける。どうかしてるのはあんたでしょうが!と毎度怒られても軽く流すのみ。
これが凪砂だった場合は、すぐさま衣類を身につけ謝罪と共に用向きを確認する行動に移せる素早さがあるが。
茨は様々なリスクなどを考えて行動に移せているからこそ、そういうケースは本当に稀だが、今回、想定外の事態が起きてしまった。
(ああぁ…!くそ、タイミングが最悪すぎる!どうすればいいんですか、この空気!)
風を恨んでも、好きな男の前に不意打ちで下着を晒してしまった事実はもう消えない。本当、よりにもよって凪砂の目の前に。
茨のなけなしの乙女心も悲鳴を上げる。
こんなことならもっと可愛らしいものをとか、殿下が選んでくれたやつを穿いていればとか、なんで今日に限って小ぶりなレースだけの地味な白なんだとか。
冷静な思考は失われ一人悶々とする茨に、凪砂が口を開く。
「……茨、落ち着いて。見られたのが私で良かったでしょう。他言もしないから、安心して」
「ありがとうございま…いや、自分は閣下に一番見られたくなかったんですけどぉ!?」
「……えっ。そっか、ごめんね茨…」
「え?あ、待ってください、今のは違うんです!あの、そのっ……も、すみませんでしたぁあ!!」
そして、凪砂の目を見て話せるようになるまで、あらぬ誤解を解くことにも数日を要することとなるのだった。
「これを機に、今まで無かったと言える恥じらいを持つべきだね!」
「反省しております……」
協力を要請した日和の仲裁により、凪砂と茨の関係がより深まったとか、一歩後退したとか何とか…☆
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