何よりも大切なものは……ー横浜の空は随分と澄んでいるものだね。
星奏学院を前にした御門浮葉は空の青さに気づいてため息を吐く。
今日、星奏学院では体育祭が開かれており、関係者以外でも観覧は自由とのことらしい。それで朝日奈唯が「もしよろしければ……」というメッセージとともに招待してくれたのであった。
自分なんかが行ってもいいのだろうか…という気持ちもあったが、唯はぜひにと誘ってくる。そのため、訪れることにした。
門をくぐり、校庭に向かっていると歓声が聴こえてくる。
自分もつい1年前まではこのように青空の下で学校生活を送ってきたはずであるが、そんな日々は遙か遠くに過ぎ去ってしまったことに気がつく。
すると浮葉の耳に聞き覚えのある声が響く。
「源一郎くん、頑張って~!」
声の主は唯。そして、彼女が声援を送っているのはかつての従者。
その声が他の者に対する応援と少し異なるのは気のせいだろうか。
そして、唯の声に気がついた源一郎の瞳もかつてより優しいもののような気がする。
おやっと思いながら浮葉はこの一年前のことを思い返す。
ふたりがこうしてともに同じオーケストラで活動し、そして学び舎にいることは一年前には思いもよらないことであった。
すると、唯が浮葉の存在に気がついたらしい。源一郎相手にブンブンと振っていた手が今度は浮葉相手に振ってくる。ただ、その眼差しは源一郎に見せたものとは異なり、浮葉もよく知っている元気ある姿であったが。
「御門さん、いらしたんですね」
「ええ。破門したとはいえ、やはり源一郎のことは気に掛かりますから。そのような立場ではないとわかっていますが……」
「いえ、御門さんが源一郎くんのこと気に掛けていると知れば、源一郎くん喜ぶかと思います」
唯から漏れてくるのは源一郎が大切だという気持ち。
一年前に強制的に自分の元から引き離し、このコンサートミストレスのもとに身を寄せることにさせたが、そのときの決断は間違っていなかったのだろう。唯の態度を見て、浮葉はそう思う。もっともその過程で彼を傷つけたことは事実であるため、すべてを正当化してはいけないが。
すると、唯が校庭を囲む土手を指差す。
「次、借り物競走なのです。源一郎くんも参加するのですが、せっかくだから見えやすい場所に行きませんか?」
そう言われて浮葉は唯に案内されるがまま、土手へ足を向ける。確かにそこからだとグランド全体が見やすくなっており、格好の観戦場所であった。
すると、周りのものよりも頭一つ背が高い者の姿が待機場所にいるのが目に入る。はっきりとは見えないが、おそらく源一郎だろう。そして自分の記憶よりも逞しくなっていることに一年の重みを感じる。
源一郎は背が高いこともあり、出番は最後とのことだった。そのため、他の者たちの様子を見ているが、それぞれが引いている札には「帽子を被っている人」や「担任の先生」など趣旨を凝らした内容が書かれており、出場者が該当する人を探し出せるかどうか観客も楽しんでいる様子であった。
そして、ついに源一郎の番がやってきた。
「変な札に当たらないといいのですが……」
隣にいる唯がそう呟くが、浮葉も同様の気持ちであった。
なるべく簡単な内容で、できればトップでゴールしてほしい。
そう思って源一郎を見つめているとアナウンスの声がグランドに響く。
『おっと、鷲上選手、何やら札を手にしたようです。』
その言葉とともに源一郎がこちらに向かってくるのが見える。途中、自分の存在に気がついたのであろうか目配せをし、軽く頭を下げてくる。そして、隣に座っている唯の手を取った。
「朝日奈、詳しいことはあとで話す。一緒に来てくれないか?」
「え!?」
唯の動揺など気にする様子もなく、源一郎は唯の手を引きゴール目指して走る。
『鷲上選手、圧倒的な速さでゴール!! おめでとうございます!!』
実況の放送が響く中、源一郎たちはゴールテープを切る。見れば他の者たちは思いの外該当するものが見当たらないのか、まだゴールまでには時間が掛かりそうだった。
源一郎や唯と同じ白組の生徒たちが喜ぶのを見ながら浮葉も誇らしい気持ちになる。自分は既にそのような立場ではないとわかりながらも。
「御門さん、今日はお忙しい中、ありがとうございました」
結局、浮葉は体育祭を最後まで見ることとなった。
ほんの一時とはいえ、スターライトオーケストラでともに過ごしたメンバーが参加していることが大きかったが、それよりも自分には二度と戻ることのできない青春を謳歌している彼らを少しでも長く目に焼き付けたい気持ちもあった。
源一郎は後片付けがあるため、浮葉の見送りは唯が行った。
「ところで源一郎の持っていた札に何が書いてあったか、ご存じですか?」
「いえ」
「そうですか。でしたら私から話すのはよしておきましょうか」
唯は気になると表情に描いているが、浮葉はいつも通りの本心を見せない笑みで誤魔化す。
源一郎が唯を誘い出すとき、浮葉の目からチラリと見えた文字。そこに書かれていたのは。
『大切な人』
あのとき、源一郎は自分を選ばなかった。破門したから当然といえば当然であるが、かつてなら自分を選んだかもしれない。だけど今日選んだのは唯でおった。
そして、源一郎が唯に事情を話さなかったということは、まだふたりの想いは通じていないということだろう。
唯に礼をし、浮葉は星奏学院から立ち去ることとする。
駅まで少し歩き、やがてやってきた電車に乗ることとする。一年前には思いもつかなかったひとりで電車に乗るという行動。
「もう私がお前の行方を案じる必要はなさそうだね」
1年前、冬の訪れを感じる空気の中、無理矢理分かった道。
コンサートミストレスという光はあったものの、その光にたどり着くことができるかは未知数であった。
だけど、今日の様子だと彼は自分ではない大切な人を見つけた。そして、源一郎は唯を連れていくときに後で事情を話すと言っていた。もしかすると、今頃彼が手にした札が何であったのか話しているのかもしれない。
その様子を間近で見られる立場でないのが正直口惜しい。だけど、源一郎のことを思えばこれくらいの距離感の方がいいのかもしれない。自分は彼に干渉しすぎる。
窓から差す光は夕方の優しい光となっている。それに吸い込まれるようにして浮葉は眠りについた。