シキという男は、鍾離よりも背が少しばかり高い。微笑んでいることが多く、やわらかい口調に耳に心地の良い声をしている。顔立ちは整っており、街中でいろんな人間に声をかけられては、すぐに仲良くなってしまう。
鍾離が少し品物を見ている間に、見知らぬ相手と意気投合しているなんて光景はよくあることだった。
それでいてデートをしている鍾離をないがしろにはしない。鍾離が戻ってくると、嬉しそうに笑って待ってたと言わんばかりの顔をする。
性格は穏やかだ。やわらかいながらも流されない芯がある。意外なことに、押しても引かず、自分の意思や主張はしっかり通してくる。それでいて相手を尊重するので、そのことには気づきにくい。いつの間にかからめとられているなんてことも、鍾離でなければよくあることだっただろう。
シキという男はとても出来た男で、だからこそ厄介だった。
誰にでも優しいシキは、鍾離にも優しい。鍾離がどういう思惑をもってシキとかかわっているのかを知っていて、態度が変わる様子がない。
心を奪われることなどないと過信しているのか、はたまた鈍いだけなのか、シキの性質を見れば前者なのだが、あまりに悪意がなくて後者にも思える。
そんなシキとの攻防戦は、送仙の儀が終わった現在膠着状態にあった。
旅人たちは変わろうとしている璃月のざわめきの中、少しでも力になれたらとしばらく滞在して依頼や任務をこなすつもりでいるようだが、時間はそれほどない。シキが璃月を発つ前に、彼にうなずかせないとならない。
だというのに、シキがそれ以上を鍾離に踏み込ませないのだ。
出身、自身の経歴、家族のこと。何一つ口にしない。そして最後に決まってこういう。
『今の俺に大切なのは空君だけだよ』
好きだと言っている相手にあんまりな対応だと鍾離は思うのだがシキはそこだけは譲らない。大きな決定をあの旅人に委ねている。
「なぜ空に委ねている?」
すると、シキは少しだけ困ったように笑んだ。
「俺はね、快楽主義なんだよ」
そんな風には見えない。自分本位には感じない。だからその自己申告に驚いた。
「ひと時が楽しければ、それでいいんだ。タルタリヤくんとちょっと似ているかな。訳があって、空君が楔を刺してくれてるんだよ」
「他人に頼らなければならない程お前に理性がないとは思えん。それにお前なら加減が出来るだろう」
「俺のことずいぶん評価してくれるんだね。鍾離先生」
「人を視る目には自信がある。お前は自分の欲に流されない人間だ」
なおも追及する鍾離に、シキは珍しく嘆息した。
「……あんまり言いたくないけど、じゃあこう言おうかな。空君との絆が欲しいんだよ」
それは、鍾離への気遣いの末の告白だった。
「君も知っての通り、恋とは違う感情だけど、家族に抱くものと同じかそれ以上に強い親愛を持ってる。最初にいった覚えがあるよ。「きっと嫉妬させる」って。そういうことだよ」
「その絆は一つで足りるのか?」
問いかけた鍾離に、虚をつかれたような顔でシキは鍾離を見た。思いがけないことを言われたと言わんばかりの表情には隙がある。
「お前が満たされるなら、俺も楔になり得る。違うか?」
「……鍾離くんが」
敬称が変わったのに驚いた鍾離に対して、シキは変わったことに自分で気づいていないようだった。
「そんなに俺を好きなの、なんだか驚いちゃうよ」
「俺だってどうしようもない感情に身を焦がすことはある」
シキは微笑む。
「ありがとう。光栄だよ」
胸に手を当てて、感激の意を示すシキは、少し考えるそぶりを見せてから口を開いた。
「鍾離くん、俺は明日、討伐懸賞に出かけるんだけど、君も一緒に行く?」
「討伐懸賞に?」
シキからの誘いは初めてだ。それが魔物の討伐であっても、鍾離には何ら問題ない。
「旅人に許可を取らなくて良いのか?」
「取ってあるよ。誘うかは決めてなかったけど、あらかじめ空くんに言っておいた」
つまり誘う気はあったということだ。鍾離はすぐに行くと口に出した。
「じゃあ明日の朝迎えに来るよ。またね、鍾離くん」
「ああ。また明日」
別れの言葉にきちんと返事をするのは、それも契約に値するからだ。約束、と言い換えてもいいが、つないでおかないとすぐに去ってしまいそうなシキは、きっとその言葉でこの地にとどまる。
その背が見えなくなるまで鍾離は見送った。
「それで、空はともかく公子殿がどうしてここにいる?」
次の日、迎えに来たシキは一人じゃなかった。
「空くんが一緒に行こうって」
特に含みもなくシキがそう言ったのに、空とパイモンは申し訳なさを感じているようで、う、と詰まった。
「お、オイラがうっかり……」
「シキが戦闘に行くと聞いたら行くしかないだろう?」
口を滑らしたらしいパイモンの台詞を引き継いで、さわやかさすら感じる声音で楽し気に言ったタルタリヤに、鍾離は想定はしていたがまさかこうなるとは思っていなかったと腕を組む。
経緯は分かったが、シキがあっさり許したのも気にくわない。理由は察せられるが、それで納得できるかといえば人心は複雑だ。
「街の人かなり怖がってるみたいだから、早く決着をつけたいし、来てもらったんだ。話を聞くと遺跡守衛だと思うんだよね」
案の定、街の人間を思った故の承諾のようだ。
「なるほど、確かに手間取りそうだな」
硬い大きいリーチが長いと面倒さのそろった相手に、仕方ないと鍾離はすぐに切り替えた。
シキは背に薙刀を背負っていた。使っている人間などほとんど見たことない。片刃の槍と思う人間もいるだろう。
柄と刃の間に、丸い装飾部分があり、三日月が彫られている。そこから伸びた刃は美しく静かな弧を描き、わずかに紫がかっている。握り手の上の部分は濃い紫の紐が巻いてあり、柄先からも同じ紐が編まれて下がり揺れている。見事な武器だと眺めた鍾離に、シキは嬉しそうに微笑む。
「綺麗でしょ。この薙刀は、」
「シキ」
空が遮るように名前を呼んだのに、シキは苦笑する。
「ごめん。脱線しちゃうね。行こうか」
「何か言いかけて傍から止めるのはずるいんじゃない?曰くつきなんでしょ。俺は聞きたいんだけど?」
タルタリヤの直球な問いかけに、空が口を開く。
「これはいじわるとかじゃなくて、シキは武器の話になると長いから」
「へえ、武器好きなんだ?」
タルタリヤの問いかけに、シキが応えるより早く、パイモンが口をはさんでくる。
「どっちかっていうと戦闘狂だよな。シキ」
「そうだね。戦うことが好きだから、武器を極めるのも好きだよ」
鍾離がまだ知らない話が、パイモンをきっかけに出てくるのを、幸いとばかりに覚えた。自分以外の人間がいてこそ聞ける話もある。
「じゃあどうして俺と手合わせしてくれないんだい?」
不服そうなタルタリヤの問いかけに、シキはさらりと応えた。
「歯止めが利かなくなったら困るからだよ」
「いいよ。利かなくて。その方が面白い」
「だめだよ。手加減できないってことだから」
「俺に手加減して勝てると思ってるんだね?」
売り言葉に買い言葉。ぽんぽんとリズムの良い会話がされるのに、最後にシキは黙って微笑んだ。その肯定といって良い反応に、タルタリヤは楽し気な表情のままで殺気だつ。
「シキ」
「ごめん。空くん。怒らないで」
空に名前を呼ばれたとたんにしゅんとした顔をしたシキが早々に応酬から離脱したのに、タルタリヤは溜息をついた。
「もうちょっとだったのに。ねえ相棒。君と俺の仲だ。そろそろシキとの手合わせを許可してくれないかな?」
「だめ」
即答にタルタリヤはがっかりしたように肩を落とす。
「歯止めが利けば良いのか?」
「え?」
振り向いたシキが、鍾離が乗ってくるとは思わなかったという顔をするのに、鍾離は唇に笑みを乗せる。
「制限時間を設ければいい。俺と手合わせしないか?」
「…………鍾離くんと?」
目を見張ってから空を期待したまなざしで見たシキに、空は溜息をつく。
「鍾離先生相手ならいいんじゃないかな」
「オイラもそう思う!」
「えっ、鍾離先生、先に目を付けたのは俺って言ったのに!」
タルタリヤと仲がよさそうなシキのやり取りを不満に思っていただけに、許可を取り付けたことで留飲が下がる。
「でも、その前に……」
「その前に?」
「討伐懸賞だよ」
冷静な空の一言に、ああ、と一行はようやく今回の目的に戻ったのだった。