ここしばらく、スメールでは雨の日が続いている。
季節により雨量が変わるのはスメールらしい気候だけど、くたくたになって帰る中での本降りは、余計に足を重くさせる。
ここがシティじゃなかったら、もっと酷い目に遭ってただろうな、と思いながら、運よくシティに住みつけた幸運に感謝する元気も今はない。
この雨の中、道端には人気はなく、歩いているのは私だけだ。
早く帰ってあったまろ……と思った瞬間、どこからかくしゃみが聞こえた。
思わず足を止める。
ちょっと聞いただけでは、泣き声のように聞こえるその音は、私にはくしゃみに聞こえた。それもわんちゃんの。
わんちゃんだ！わんちゃんがこの近くにいる！
それもこの雨の中くしゃみをしてる……！
一大事だと疲れも吹っ飛ばし私は積み上がっている木箱や、屋台の影を覗いてまわり、全然見つかんないけど！？と思いながら必死の捜索の上、ぱっと気付けないような、木箱の外れかけた板の隙間を覗き込んで、ようやくその子を見つけた。
奥で雨宿りしている小さい影。
小さな体にくりくりのお目目。ぴんとたった三角の可愛い耳。ちいさな顔は愛らしさしか呼び起こさない。
こ、これは……！！ポメちゃん！！
びっくりさせないように心の中でクソでかボイスの叫びをあげる。
ふわふわだっただろう毛がぺっとりとはりついていて、小さな体がさらに小さく、雨の中の哀れな姿にとても胸が締め付けられる。
このポメちゃんは、SNSではあまり見かけない銀鼠色の毛だ。でも確か灰色の子とかもいたよなあ、と私はポメちゃんと目を合わせる。
暗い中で座っているポメちゃんは、鳴き声も上げずにじっと私を見つめている。
警戒をしているというより、観察しているような様子は、小型犬とは思えない落ち着きがあった。
動かないので怪我をしているかも分からない。
しゃがみこんだまま、私はじっとポメちゃんと見つめ合ってから、そっと手のひらを上に向けて少しだけ前に出す。
「風邪ひいちゃうよ」
声をかけても反応する気配はない。
スンッ……とした雰囲気すらある。放っておいてほしいのかもしれない。
でもさっきのくしゃみはきっとこの子がしたものだ。それにこんなびしょ濡れでは、風邪をひいちゃうかもしれない。こんな可愛いポメちゃんが病気になる姿を想像して私はこの世の絶望だ！と内心で頭を抱えた。
「今日だけでもいいから、うちにおいで」
もし来なかったら、家からポメちゃんにタオルや雨避けの物資を持って来よう。
決意しながら辛抱強く、じっと手のひらを差し出したまま待っていると、ポメちゃんは立った。短い足をちょこちょこと動かして近寄ってくる様子が可愛すぎて息の仕方を忘れそうになる。少し私の手のひらを見下ろし、また私を見上げるポメちゃんは、これまた珍しく綺麗な緑色の目をしている。
それからぽん、と短い前あしを私の手のひらの上に……おいた……。
おお神よ……！この子を世界に産み落としてくれてありがとう……！
あまりの愛らしさに天を仰ぎ、限界突破しそうになった萌えをなんとか抑え込む。まるで私の反応を不思議に思うかのように、首をちょっと傾げているポメちゃんに、驚かせないようにそっともう片方の手を伸ばし、ポメちゃんを抱き上げると、その体は小さく震えていた。
寒がってる……！！
慌てて私は自分の腕と体の間に潰さないように抱き抱えた。濡れた毛が私の体温を奪っていくのに、ポメちゃんはどんなに寒かっただろうと歯を噛み締める。
長い雨でスメールの気温はここ最近低く、普段のスメールに慣れている子なら寒いだろう。
小さな体は腕の中にすっぽりとおさまってしまって、なおも震えているのがとてもかわいそうだった。
こんなところで一人で雨宿りしてたなんて、心細かったんじゃないだろうか。
急ぎ足で雨の中を踏み出した。一刻も早くこのポメちゃんをあっためてあげなくては……！
腕の中で鳴き声ひとつも上げず、静かなポメちゃんを心配しながら、私は急いで家へと帰る。わんちゃんと抱いて安全に家まで走る選手権があったらぶっちぎりで優勝する勢いだ。
私も水を滴らせているけど、ポメちゃんの方が先！冷え切ったポメちゃんを早く温めてあげないと。
毛の長いポメちゃんがいたくないように、ひとまず丁寧にタオルで包む。くりくりとした丸い目がじっと私を追いかけてくるのがめちゃくちゃ可愛いし、早く快適にしてあげたくてまた胸が締め付けられる。
水嫌がるかな……と心配しながら短い足が沈む高さのお湯にそっと下ろすと、嫌がる素振りはない。
ほっとして泥だらけの足を洗ってあげる。それから毛が引っかからないように洗おうとすると、泥で毛先が絡まっているところがあった。
私はこんなこともあろうかと、ねこちゃんわんちゃん用のシャンプーを取り出す。これは近所のねこちゃんを預かった時に貰ったものだ。あのねこちゃんも可愛かったなあ。
とりあえず今はポメちゃんに集中しようと、温まるようにお湯をかけながらそっと洗う。
洗い流したあと、水を切るためにぶるぶるっと身を震わせたポメちゃんに、また私がびっしょりになってしまって、思わず笑ってしまった。わんちゃんあるあるだ！
ポメちゃんは自分の行動にびっくりしたような顔をしていて、それが可愛い。びしょ濡れになったことないのかな？という顔でまた笑ってしまう。
新しいタオルでポメちゃんを包み込んだ。
ドライヤーかけたらびっくりしちゃうかな……どうかな……。
私の家にはこれ一つだけしかない小さなコアを嵌めてドライヤーのスイッチを入れても、ポメちゃんは微動だにしなかった。
このポメちゃん……強い……。
それならそれでやりやすい、と熱くなりすぎないように乾かしていくうちに、どんどんもふもふになっていくポメちゃんに笑顔が隠しきれなかった。小さかった体がだんたんもっふりしてくる。短い足も毛に埋もれてもっと短くなる。毛が絡まないようにそっと梳かしてあげながら、ポメちゃんへの内心でスタンディングオベーションだった。この世の奇跡……。
あんなに細くて小さかった体が……！今やもふもふのふわふわ！温かい体に心なしか瞳もさっきよりもきらりとしている。
か、かわいすぎる……！抱きしめたい……！
でもそんなことをしたらポメちゃんにびっくりされちゃうかもしれないし、何より私がまだびしょ濡れだった。
ドライヤーを左手、櫛を右手に持ち、ふわふわのもふもふで立派なポメラニアンちゃんがしっかりと立って私を見上げるのに、私はこれまでの人生の中で一番充実した瞬間は今だと確信する。
このポメちゃん、最高に可愛い。天才。優勝！
「ポメちゃんお腹空いてない？」
話しかけると、ポメちゃんは怪訝な顔をした。
表情は変わっていないというか可愛いポメちゃんなのに、どうしてか怪訝な顔をしているような気がする。
「もしかして名前ポメちゃんじゃ嫌かな……」
黙っているポメちゃんが何を考えているのかはよく分からない。でも考えてみたらこの子は誰かのポメちゃんかもしれない。となると別の名前があるのだろう。
「とりあえず仮にポメちゃんで良い？」
すると仕方ない、とでもいうようにポメちゃんはソファに座って落ち着いた。うーん、美ポメちゃんだ。
よく見れば瞳の中に赤い虹彩があって、もしかして高貴なポメちゃんだろうか？なんて考える。
手を伸ばして撫でても嫌がらないのが嬉しかった。ちょっと面倒そうな顔をしている気はする。
「よしよし、君はあんな雨の中、耐えててえらかったね」
頭や背を撫でたあと、うりうりとほおをぎゅっと包む。
「えらいぞ〜〜。よしよし」
もふもふを堪能していると、流石にふい、と顔を背けられてしまって私は素直に手を離す。ご褒美は終わりのようだ。
私がいた世界ではこんな色合いのポメちゃんはいないけど、テイワットなら珍しくないのかもしれない。
何食べるんだろう。と言っても今この家には桃しかない。頂き物の美味しい桃。
わんちゃんに桃は大丈夫だったはず！とキッチンで桃を小さく切って、お皿に乗せてポメちゃんの元へと運ぶ。前にお皿を置くと、ポメちゃんは私を見上げ、桃を見下ろして、それから小さな口で食べ始めた。
ま、まってほしい……可愛すぎる……。
あまりの可愛さに胸を抑えて苦しみそうになるのを、ポメちゃんがびっくりするかもという理由で耐えた。わんちゃんもねこちゃんも人間の様子に敏感な子が多いのだ。
ちゃんとご飯も食べられるし、元気そう。
そう思った途端にほっとして、同時にどっと疲れが出てくるのを感じた。これはまずい。寝落ちる予感がする。
なんとか服だけでも着替えようと、体と髪を拭いて、かろうじて下着とキャミソールを新しいものに着替える。
その間に食べ終わったらしく、おとなしく座っているポメちゃんに、もしかして声が出せないポメちゃんなのだろうか、と思いながら、私はベッドへと倒れ込む。
すると心配してくれたのか、ポメちゃんが枕元に飛び乗ってくる。
「きゅん」
鳴いたーーー！！！！
初めて鳴き声を聞いた！あっ、でもさっきくしゃみしてたから声は出せるんだろう。めちゃくちゃおとなしいポメちゃんというだけだったみたいだ。
嬉しさにへらりと笑みを浮かべながらも、頭を撫でる。
「ごめんポメちゃん……もうスタミナゼロで……。明日ちゃんと帰してあげるから……」
その興奮すら眠気に勝てなかった。
急速に思考が鈍くなっていく中で、無意識にふわふわの塊を抱き寄せる。あったかくてふわふわで幸せだ。何か抗議するように吠えてる声がしたような気がしたが、気にすることも出来ずに眠りに落ちていった。

意識が目覚める感覚に、瞼を震わせてから私はまだ目を開けたくないと体から力を抜く。
なんだかあったかくて大きいものに抱きついているけど、そういえば昨日ポメちゃんを拾って……。
……デカくない？
ぱっと目を開けた瞬間、鮮烈な緑の瞳と目が合って、私は息をのむ。
「ようやく起きてくれたか。そろそろ腕を離してもらえるとありがたいんだが」
低い男の人の声が耳に届いて、私は弾かれるようにベッドから飛び退いた。
ベッドにいたのはあのポメちゃんじゃなかった。
「え、え？ポメちゃんは……！？」
身を起こしたその男の人が思っていた以上にさらに身長が高くて、私は肩を強張らせる。
「いくつかの説明は必要だが、最初にその問いに答えよう。俺がその、君が言うポメちゃんだ」
男の人を抱きしめて寝てた！？とか、誰この人！？とか混乱していた頭が、イケメンの真面目な顔からでたポメちゃんの単語に停止する。
ポメちゃん。この人がポメちゃん？
そういえば、髪の色と目の色が全く同じだ。
「わ、わたしのポメちゃんがこんなでっかい男に……」
わたしのではないが気持ちはわたしのポメちゃん。
衝撃を隠せない私に、男の人はベッドから毛布を持ち上げると、私の肩にかける。
「そしてその前に、できればシャワーを浴びて服を着た方がいい。昨夜の君は俺のことばかりを気にしていたが、風邪を引く可能性が高いのは君の方だ」
「え、あ……」
そういえば、と見下ろした自分は裾の長いキャミソールに下着一枚。
う、わ………あ…………。
腕を組んだ男の人は気を遣ってくれているのか視線を逸らしている。照れた様子もなく、ただ義務的な調子に救われながら私はか細い声で返事をする。
「ちょっと……失礼してきます……」
「ああ」
なんでこの人こんなに落ち着いてるの！？と思いながら、私は毛布を引っ被ってばたばたとバスルームへと逃げ込んだ。
見られたことよりも、あの可愛いポメちゃんがあんなでっかいイケメンだったことがショックだ。
あんなに……可愛かったのに…………。
唇を噛み締めて、私はこの世の不条理をひとしきり嘆いたのだった。


「改めてお見苦しい姿をお見せしてしまいすみません……」
狭い貧乏な一人暮らしの家なので、この男の人が立っていると圧迫感がある。
「想定外の状況だ。気にしていない」
淡々と返されるのに、フォローの少ない人だな、と思いながら変に気遣われるよりはましか、と考え直した。
「えーと……」
「アルハイゼンだ。教令院で書記官を務めている」
「書記官…………」
教令院のことはほとんど何も知らないけど、書記のイメージから、多分頭のいい人なんだろう。
「それにしてもなんでポメラニアンの姿になってたんですか？」
この世界がファンタジー世界なのは知ってはいるけど、ポメラニアンに変身出来る人間がいるとは思わなかった。
するとアルハイゼンさんは腕を組む。
「ポメラニアンとは、あの犬種の呼び名か？」
「え？はい、知りませんか？ポメラニアン。」
「聞いたことがない。生物については専門外だが、あの体格を考えると、愛玩のために品種改良されたもののように考えられるが、スメールで見たことはない」
「え……スメールにポメラニアンいないんですか！？」
衝撃の事実に思わず大声をあげてしまった。慌てて口を抑えても、アルハイゼンさんは驚いてはいないようでほっとする。でもちょっとだけ眉が寄った気がした。
「いないと断言は出来ない。だが、俺が読んだ多くの書物の中にもポメラニアンという名称は出てきたことがない」
「そうなんですか……」
「君はどこでポメラニアンを知ったんだ？」
「そ……れは…………も、モンドで…………」
まさか本当のことを言うわけにもいかず、だが何かを答えないと怪しまれそうだと私は必死で教えてもらったちょっとヨーロッパっぽい印象の国の名前を思い出す。
腕を組んで何か考えるようにしたアルハイゼンさんに、ちょっとだけ視線を向ける。
こんなに装飾がたくさん付いている上に、ヘッドフォンをしている人がどうやったらあんなふわふわなだけのポメちゃんになるんだろう。
変身系魔法少女もびっくりだ。
ため息をつくと、アルハイゼンさんの視線が私に向けられて慌てて背を伸ばした。
「君は犬には詳しいのか？」
「いえ……、あの、どうが……えっと、犬や猫のイラスト集を見るのが好きで」
「その本を持っているなら見せてもらいたい」
「あ……私今……諸事情で何も持っていない状態でして……」
部屋の中を見て貰えばわかるだろうが、この家にはベッドとキッチンとわずかな食器しかない。贅沢設備のバスルームがあることが奇跡だ。
するとアルハイゼンさんは少し残念そうだったが、それ以上の追求はしてこなかった。
「あの犬種名がわかっただけでも収穫としよう。君には世話になった。謝罪の意味を含め、君に何かしらの謝礼をしたいが、何か希望はあるだろうか」
「謝礼……？」
といっても私は雨にぬれてかわいそうな、可愛いポメちゃんを拾ってあっためてふわふわにしただけだ。
アルハイゼンさんの格好からするに、きっと裕福なのだろうとは思うが、流石にお金を要求する気にもなれない。
「うーん……」
「意図していないとはいえ、一人暮らしの女性の家に泊まり込み、プライベートに踏み込んだことに対しての口止めの理由もある。先ほどから君が落ち込んでいるのも、先ほどの出来事が理由なら、何かしらの要求をしてもらいたい」
つまり慰謝料みたいなものを支払っておきたいということかな。
それなら、受け取ってあげた方がいいだろうな、と思いながらも、相場も分からずに困惑する。
「と言われましても具体的な提案をするのはちょっと難しいというか……。それに落ち込んでるのはそういう理由じゃないので気にしないでください」
「他にどんな理由が？」
「えーっと……」
素直に話すには、躊躇われる理由なんだけど、アルハイゼンさんは容赦がない。
「できるだけ懸念事項を減らしておきたい。今回の件に関することは出来るだけ話しておいてほしい」
そう背が高くガタイのいいイケメンに目を合わせて問いかけられて、誤魔化せる人間はそういないと思う。
「可愛いポメラニアンが人間だったので…………」
理解し難い、という表情を浮かべたアルハイゼンさんに、ですよね……と私は曖昧な笑みを浮かべる。
「君からの提案がないというのなら、俺が妥当と考える金額を支払おう」
「あ、じゃあそうしてください」
5000モラとかかな。それはちょっと多すぎるかな。でもそれくらい貰えるとしばらくの食事が安泰になるのでありがたい。
「それと、手を見せてもらえないか」
そう言われて不思議に思いながら右手を上げると、アルハイゼンさんがその手を取ったのでびっくりした。
仕事で治りかけの傷や荒れた肌がちょっと恥ずかしいけど、アルハイゼンさんは気にした様子はなく、真剣な表情で私の指を摘んだり、手のひらを撫でたりしている。
「あの……？」
ひとしきり何かを確認したアルハイゼンさんが手を離す。
ちょっとどきどきしたな、と手を引きつつ、アルハイゼンさんを見上げた。
「君は何か特別な力を持っているか？」
思いがけない問いかけに、目を瞬いてから首を振る。
「え？いえ、ただの一般人ですけど……」
「君の一般人の定義に神の目を持っている者や、元素を扱える能力を持つ者は除外されているか？」
「そんなことができたら一般人じゃないと思います……」
流石にその辺りの常識は覚えた。何を疑われているんだろう。もしかして私がポメラニアンに変身させたとか思われてるのかな。
それだったら証明できないし困るなあ、と思っていると、アルハイゼンさんはどこからか紙とペンを取り出して、小さなテーブルで何かを書きつける。
「明日以降、教令院の窓口でこの紙を提出してくれ。君に金銭が支払われるように手続きをしておく。その際、君には俺の研究の協力者という名目をつけておく。君は受け取った後、ただサインをすればいいだけだ」
「あ……、はい。分かりました」
同じ内容の文章とアルハイゼンさんのサインが記された紙を受け取った。
「また何か聞きたいことがあれば、君を訪ねても構わないか？」
「構いませんが……、何もお手伝い出来ないと思います」
「その判断をするのは君じゃない。ふむ、そろそろ時間だな。今日はこれで失礼する」
「はい、分かりました。また……」
別れの言葉をなんと言えば良いのかわからずに曖昧な声を出すと、アルハイゼンさんは気にした様子もなく、マントを揺らしてあっさりと家を出ていってしまった。
見送ってからベッドを振り返っても、あのもふもふふわふわの銀鼠色のポメちゃんはいない。
はあ……と深くため息をついた。
昨日は髪を乾かさずに寝てしまったし、精神的疲労が大きいし、取り敢えず今日はのんびりしよう……。
翌日、もしかして何か騙されてるんじゃないだろうか？と怯えながら、教令院に行くと、話は聞いています。と事務的な手続きが行われた。
そして差し出された思ったより大きな袋にえ？となる。
「こちらがアルハイゼン書記官が指示した20万モラになります」
「に………」
私の驚愕に、怪訝そうな顔をした事務官さんにこれ以上不審に思われないために、私は慌ててサインをすると、教令院を後にする。
「20万モラ……！」
しばらくしてから道端でそう叫んだ私に、道ゆく人がぎょっとしていたけど、流石に多すぎる。
流石にポメラニアンを拾って一晩泊めた額じゃない。例え下着姿を見られていようと、口止めにしても多すぎる。
それにしても、ポメラニアンかあ、と私はもふもふで小さな可愛い銀鼠色のポメラニアンがじっと私を見上げていた姿を思い出す。
「そういえば、ポメガバースっていう創作設定があったような……」
まあ、まさかそんな二次創作万歳な設定がこの世界にあるはずもないだろう。
多分、私が巻き込まれた地脈異常とかそういうやつだ。あの時は大変だった。蛍ちゃんとパイモンちゃんが居なかったら死んでたに違いない。ポメラニアンで済んだのはアルハイゼンさんにとって僥倖であり、私にとって世界の損失だった。
それにしても、20万モラ。旅費が貯まったら、もうちょっと暮らしやすそうなモンドに移住したいなあ、なんて考えながら、私はひとまずモラを持ち帰ろうと自宅へと向かう。

その途中、親分野良猫に睨まれ、怯えている金色ポメラニアンを拾うことになるになるなんて、その時の私には思いもつかないことだった。