新しい人へ／６翌日午前十時。
外線電話を取った脳外科担当看護師Ｘは、急ぎ五階の控室へ繋いだ。

金銭の要求含む交渉条件、身柄引き渡し場所の指定、報道統制。
そして殺害予告。

院内に匿われていないか、ナース控室のロッカー、分娩室、ベッドのスプリングの中、空調ダクトや給食室の冷蔵庫の中まで、西東京の警察署員総出で漁られる。


　二十四時間以上、外科手術一部制限、全病棟外来、面会中止。出入口以上に、地下電源設備周辺は特に警護が手厚い。

　二百三十名以上の医療従事者、資材搬入、清掃員、共用浴室を使う入院患者に至るまで、厳しい検問を設けている。

　ネットＦＡＸを利用した、覚書が一通渡された。紐づけされた携帯番号はプリペイド、偽の個人情報。

　交渉の際に立会者を指定する。

――十名の日本人男性、他三名のアメリカ合衆国国籍所有者の男性――が列挙され、一名でも身柄を抑えたら、直ぐに時間を指定した上で場に臨むという。

　締切時間を厳守できない、若しくは全滅であれば彼は還らない。

残るは三時間。
邸宅の親族、区内某所に集めた会社関係者を急ぎビデオチャットで呼び出し、調査を急ぐ。
存命が確認できたのは七人。
　都内から余裕を持って送迎できる居住地の者は、二名のみ。
　あとは連絡先照会中、特定できたがセスナ機を飛ばしても移動に二時間以上掛かり、若しくは重疾患で身動きを取ることがかなわない。


　 成城学園前から徒歩五分の、骨董趣味に溢れた喫茶店。
『星月夜』を模したステンドガラスがはめ込まれた、東向きの窓際席に、Ｉ氏はひとり寛いでいた。
　 介添人である孫娘はカウンター席で店主と談笑している。
　週に一、ニ回、冷たいコーラを飲んで、ここで掛かるクラシックを聞き流す、若しくはラジオ放送をイヤホンで聞いている。
　先週は若い友人から勧められた、流行りのジャンプコミックスを二冊読んだ。

「『誘拐報道』って映画、知ってます？」
「おお！『恨み節』書いた監督の奴だ。僕はテレビ放送で初めて見たよ。三十年前くらい、四チャンの土曜の昼だったかな。」

「私も最近BSでたまたま見まして、まあおもしろくって。もしかしたら小さい頃にもテレビで見ていたかもしれませんね。その次の日は『震える舌』が、、、」
「子供が出てくるけど、大の大人が見て顔を青くする作品ばかり。フフフ。」


　あと十分ほどで、迎えの車が店の前にやってくる。
死に損ないになっても、友達を傍に呼び、飯を食い語らう楽しみは掛けがえない。

　しかし今回は、大げさが過ぎるのでは。

※※※


風呂から上がって、貴重品ロッカーから財布とiphoneを取り出した。
化粧台で髪を乾かしながら着信履歴を見る。
「ハイ、〇〇医療センター病院、総務部です。」
「もしもし、先程お電話いただいた、ナカムラと申します。忘れ物の届けがあったと訊いて折り返しました。」
「ハイ、５分程前にご連絡致しました、アオイと申します。お忙しいところ申し訳ありません。二日前、脳外科病棟へお見舞いに来られた、中村さんで間違いありませんね？」

　アレ、僕は病院のヒトへ電番を教えた覚えはない。

　応答は続き、その後、ひとりでは事態を飲み込めない、奇妙な出来事が起こった。


※※※
公式記録では、七月上旬に世を去ったとされる。

　誘拐騒動が起こった五月中旬から危篤状態が続き、面会謝絶となった。経営者である彼の縁者たちも、ほとんど姿を伺えぬまま、院内ICUにて６月１１日、息を引き取った。
　一部では、騒動決着時にはすでに事切れていたという噂も。

　春からの入院の事実を極秘に抑えるマスコミも確かにいた。
　が、入院先が省庁の息が掛かった施設であり、隠しカメラ持ち込みや不審車の待機、最寄り駅前での偽装取材、超望遠監視などへの対策を施しており手を出せなかった。
　野良のカメラマンが何人も拘束され失踪したという怪談がある。

　かように息苦しい警護のもとにあった老人が、こうも手際よく拐かされるものか。

※※※
ロッカールームから出てまもなく、ジムの受付担当者について、三名の男性が僕に立ちはだかった。
紫色の防水ジャケットが頭上へ被せられ
両腕を掴まれる。抵抗する隙すらない。
両足が浮いている？地下駐車場まで運び出された。正確には、その気配。
テープが頭に巻かれ目隠しされている。