Marry me!- Marry me! -
俺には許婚がいる。
春の国と冬の国の友好な関係作りのため。ガキの頃にそう決められたブラッドリーとは、ずっと幼なじみだった。
許婚とは言っても、手を繋ぐくらいしかスキンシップはなく、兄妹のように育ってきたのだ。
そんな関係が最近、異常をきたし始めている。
「それ、いいじゃねえか」
「似合ってるぜ、ネロ」
「自信持てよ。お前以上に俺様好みの飯を作れるやつはいねえ」
褒める。やけに褒めてくる。
そのうえ、以前より春の国に訪れる回数が増えた。しかも滞在時間のほとんどはネロの傍で過ごしている。
最初は何か思惑があるんじゃないかと思ったものだが、自分を称賛してくるブラッドリーの表情に裏は無さそうで、余計に困惑した。女を口説く練習台にされてるんじゃないか、と思ってしまったのはちょっと申し訳なかった。あいつはそんなに失礼なやつじゃない。
それと、単純に恥ずかしかった。だから素直に「ありがとう」なんて言えず、そっぽを向いてしまったり、逃げてしまったり。その分ブラッドリーと話す機会が少しだけ減ってしまっている。
まあ、話といっても、いつも軽口を叩き合う程度だけれど。
そして、今日もブラッドリーはリケと一緒に苺摘みをしていた所にひょいと現れた。最初こそ肉が喰いたいと煩かったものの、結局リケと一緒に収穫量を競い合っている。
「ネロ! ブラッドリーの手、僕よりも大きくて一度にたくさん取れるんですよ。ずるいと思いませんか?」
「俺様の一部なんだから、ズルでもなんでもねえよ。つうか、それならお前がでかくなるまで勝負できねえじゃねえか!」
「あははっ、ムキになるなよ。もう子どもじゃねえんだから」
思わず笑っていたら、ブラッドリーは急に真剣な顔になって、「いいな。ずっと笑ってろ」なんて言い出して。ネロは咄嗟に顔を背けて「馬鹿じゃねえの」と返した。照れ隠しにしても、可愛く無さすぎる。
ぷちぷちと苺を収穫しては、リケの籠に入れていく。ブラッドリーは文句を言っていたが、無視だ無視。
一体どうしたんだよ。いつもそんな感じだったか?たしかに褒める時はちゃんと褒めるやつだったかもしれねえけど。
悶々としていれば、暫くの間作業に没頭していたらしい。ふと横を見ると、ブラッドリーはリケに収穫し終わった苺を渡していた。よく頑張ったじゃねえか、と褒めている様子は普段通りかもしれない。
──やっぱり俺の勘違いか。
ほっとしたような、がっかりしたような。ぼんやりと二人を見つめていたら、不意にブラッドリーが寄ってきて、ネロの耳元でひっそりと囁いた。
「おい、ネロ」
「うわっ、な、近……」
「話してえことがある。この後時間とれ」
「え、今じゃ駄目なのかよ……?」
「お前がいいなら、いいけどよ。ガキの前で言っても構わねえなら、ここで言ってや…」 「やっ、やっぱり後でいい! 二人、で……」
二人で。ブラッドリーと、二人っきりで?
「言質は取ったぞ」
ブラッドリーはにやりと口端を上げる。
──ハメられた。
「二時間後に、花時計前のベンチだ。絶対来いよ。……二人でだからな」
「……早すぎたか……?」
結局そわそわと落ち着けなくて、ジャム用の苺の下拵えすら手に付かず。心配したリケに、「大丈夫です、ネロ!ミチルと一緒に頑張りますから、休んでいてください!」とまで言われてしまった。
レシピは教えてきたけれど、子どもだけで大丈夫だろうか。様子、見に行くべきか?
時間は約束の三十分前。まだ余裕がある。ネロはベンチから立ち上がり、キッチンに向かって歩き出そうとした。
「おい!」
「!? ブラッ……」
どたどたと背後で靴音が聞こえて、それからブラッドリーの声がした。なぜか、焦ったような。振り返る直前に後ろから腕を回され、強く抱き締められる。歩き出そうとしていた身体はつんのめったが、難無く抱えられてしまった。
「へっ……?」
「てめえ、逃げるつもりかよ」
困惑と混乱で、脳内に疑問符が飛び回った。逃げる。まさか、ブラッドリーとの約束を放り出して逃げようとしたと思われてるのだろうか。
「せっかく俺様から言ってやろうってんのに。聞きもせずに逃げようなんざ、許さねえぞ」
胸の上にかかった腕に力が込められ、さらに密着度が上がった。嫌でも体格の差を感じてしまう。自分の顔の横に、ブラッドリーの端正な顔が寄せられた。
少しだけ左肩の方に視線を向ければ、余りにも近い距離でブラッドリーと目が合った。大きな赤色は完熟した苺のように鮮烈だ。だけど、そんな可愛らしい表現は似合わない雄々しさも併せ持っている。
腹立たしくもブラッドリーがにょきにょきと身長を伸ばしてからは、こんなに近くで見つめ合うことなんてなかった。だから、ほぼ耐性はゼロと言ってもいい。
どくりと心臓が鳴った。かあっと体中が熱くなる。ネロは思わず正面に向き直った。
「は、離せよ……っ」
「おっ、照れてんのか? ようやく可愛げのある反応したじゃねえか。……けどよ、そんくれえで恥ずかしがってたら、この先困るんじゃねえの」
「この先、って」
「結婚すんだぜ、俺たちは」
ブラッドリーの口から、結婚なんて言葉を聞くのは初めてだった。俺と将来一緒になるのをどう思っているのか、ちゃんと尋ねたことはなかったから。
「でも、お前は……」
「てめえ最近、あんまりブラッドって呼ばねえな。それも照れ臭いのかよ」
「う、うるせえぞブラッド! 俺はお前のほうが、許婚とか、そんな国が決めたレールには乗りたがらねえと、思っ、て……」
勢いよく話し出したのに、後半は尻窄みになった。だってこれじゃあ、俺は結婚したかったけどお前は違うだろ──間違ってはねえけど──みたいなことを本人に暴露してるんじゃないだろうか。
「いや、その……」
「俺はレールになんか乗らねえよ。自分で作る道に、お前が必要だと思っただけだ」
てらいなく告げられた言葉に、ネロはぎゅうと胸が締め付けられた。幸せか、喜びか。少しだけ涙腺に響いた。恐る恐る、斜め下から見上げるようにブラッドリーを窺う。
「ネロにしか俺様の隣は任せられねえ」
ブラッドリーはネロを抱えたまま身体をずらし、長い指でサイドの髪を撫で、耳にかける。次いで前髪を掬い上げ、軽く額に口付けた。
驚いて、思わず目を閉じる。だけど唇の感触は一瞬で離れてしまった。片頬を大きな手で包まれるのを感じて、もう一度ブラッドリーを瞳に映す。
「最初から婚約者だと、絶対余計なこと考えるだろうが。だからごちゃごちゃ面倒くせえてめえのために、このブラッドリー様が恋人から始めてやろうと思ったわけだ。優しいだろ?」
自分が考えそうな、というか考えていたことまで予想されている。完敗だった。
そうだ、こんなやつを好きなった時点で、敵う筈がない。
「指輪はまた今度だ。嵌めてやるし、嵌めさせてやるよ」
頬を撫でていた手が、するりと落ちてネロの指を掬い上げた。嵌めさせてやる、までセットなのがこいつらしい。そういうところは、嫌いだけど、嫌いになれない。
「断るわけねえよな、ネロ」
てめえも俺のこと、好きなんだろ。
ブラッドリーは、いつものように自信たっぷりに笑う。
「……ばーか」
好きだよ、の言葉の代わりに、ネロはブラッドリーの襟元を引っ張って、その傲慢な唇を塞いでやった。