緩やかな青の束縛。街中をコートを羽織り歩けば、どこもかしこもクリスマスの装飾に定番の音楽が流れていた。
後ろには二人の部下が雑談をしながら着いてくる。
一人でも良い、と断ったがココくんが…と幼馴染の名前を出され仕方なく二人を従えて大寿とココこと九井一が居る事務所となっているマンシヨンの一室まで向かう途中だった。
九井は青宗に対して些か過保護な所があり、黒龍が暴走族という形態から組織化した事でより青宗の身を案ずるようになったのだ。
これが任務中ということであればダラダラ歩いて無駄口を叩く等、部下に許す事は無いが青宗は基本的に他人に興味が無いから任務外であれば好きにさせておく方だった。
「もうクリスマスだもんなぁ。お前彼女に何か買ったの?」
「それがさぁ、付き合ってから1年目のクリスマスだからって高い指輪強請られてんだよなぁ」
そんな雑談を背に足を踏み出すとふとショーウインドウの中のマネキンが視界に入る。
男性の形のマネキンが身に付けているのは深い緑に赤とネイビーのチェック柄のマフラーだった。
(ココに似合いそうだな…)
身に着ける物に拘りのある幼馴染の姿がマネキンと重なる。
その横に値段とブランド名が表記されたプレートがあり、目を通すと彼の好きなブランドの一つだった。
洒落た男が好んで着るブランドなだけあって素材も形も品のある物ではあったが、マフラーとしては青宗には見た事も無い金額でこんなの自分では絶対に買わないと思った。
「でも買ったんだろ、指輪。お揃いだったりして」
「解るか?実はペアリングなんだよ。はぁ〜でもマジ1ヶ月分の給料叩いたからな」
クリスマスといえば、子供の頃は家族のイベントなのが普通であり青宗だって幼い頃は人並みにそういう行事には参加していたものだ。
それが成長すれば友達や恋人達と過ごすようになる者も多いのだろう。
後ろで浮足立つように浮かれた話をしている部下達もそうらしい。
そういえば今、青宗も服の下に身に付けているシンプルなシルバーに青い石のついたネックレスは去年のクリスマスにプレゼントされて物だったと思い出す。
元々マメな幼馴染はクリスマスだの誕生日だのと何かとイベント毎には青宗へプレゼントを贈ってくれた。
それに対して青宗も何か返さなければ、とは思うのだが結局いつも何も思い浮かばないままで当日を迎え色気の無いコンビニのケーキだとか近所の中華料理をご馳走するくらいしかして来なかった。
このネックレスを貰った時だって…
自分はあの時何をあげたか。思い出して頬が熱くなった。
あの日青宗は午前中に行き着けの床屋に行き、髪をいつも通りに切って貰いその間に週刊誌の漫画をパラパラと読んでいた。
さっぱりとした頭で午後は幼馴染と約束していた食事に行った。クリスマスだからといって特別なディナーを食べたわけでは無く、いつもの中華料理屋でエビチリと炒飯を食べた。
それから二人で同居している部屋に帰って来て適当にコンビニのケーキかなんかを食べる、そんなのがいつものクリスマスだった。
家に帰って来ると、例年通り九井からクリスマスプレゼントを渡された。
毎年マメな奴だなと思いながら礼を言って一応貰った手前多分高価な物であろうネックレスを身に着けると彼はやっぱり似合うと満足そうに笑った。
中華料理はこれも例年通り自分が奢ったが、結局毎年こうやって残る物をくれる幼馴染に対して自分は何も返して無いよな、と思った。
別に九井が自分から見返りを期待してないのは解っていたが、何となく脳裏に床屋で読んだ漫画のクリスマスの話を思い出した。
大好きな彼氏を驚かせたくて彼女がミニスカサンタ姿で更に首にリボンを巻いて私がプレゼント!なんていうベタな内容だ。
貰ったプレゼントの包装に使われていた赤いリボンを手に取って、それから首に巻いて隣で携帯電話を弄っている幼馴染の肩を叩いた。
リボンの結び目は恐らく不格好であったとは思うが、こういうのは意図が伝われば良いと顔を上げた幼馴染に対して半笑いで言ってみた。
「ココ、ネックレスのお返し。俺がプレゼントだ」
予想ではそこで呆れた顔をしながらも案外ノリの良い幼馴染はウケてくれる筈だった。
だが思っていたようなリアクションは返って来ず、驚いたみたいに目を見開いた幼馴染がこちらを凝視して来るからこれはスベったと判断して誤魔化すようになんてな!と言って終わらせる、そのつもりだった。
「…嬉しい」
搾り出すような声音と共に思いの外嬉しそうな笑顔が返ってきた。
全く想定していなかった反応にえ、と戸惑っている内に何故だか抱きしめられていて本当に嬉しい、と感極まったような声が耳元で聞こえた。
九井がこんなに喜ぶなんて、今更冗談だったなんて言えない雰囲気にどうしようかと焦った挙句抱きしめてくる腕の中で大事にしてくれ等とほざいていた。
「一生大事にするに決まってる」
すかさずそう返されて、ほんのり赤い頬で微笑んだ九井に気付いたらキスされていて…
と、冗談みたいな話だがそんな感じで青宗は幼馴染と付き合う事になった。
成り行きではあったが、青宗はずっとこの幼馴染に片想いをしていたから自分と同じように彼が自分を好いてくれてると知って嬉しかった。
変な始まり方ではあるが、そこから今日まで九井とは密かに恋人として付き合っている。
「彼女の事我儘だなぁと思う時もあるけど、好きだから強請られると弱いんだよ」
「まぁ解るよ。甘えられると弱いんだよなぁ」
青宗が去年のクリスマスの恥ずかしくも甘い記憶を振り返っていると部下たちの彼女との惚気話はまだ続いていたようで聞こえて来る。
考えてみると、九井は我儘なんてほぼ言わないし甘えて来るような事も少ない。
いつも青宗には優しくて、何か欲しいと言わなくても必要な物なんかは察して与えてくれるし仕事以外なら青宗の事を優先してくれるし本当に大切にしてくれている。
それに比べて自分はやっぱり何も返せてないな、と思う。
普段の食事もデート代もホテルに泊まる時も、全部九井が金を出してくれている。
そんなに金がかかるような事しなくて良いと、言ってもイヌピーに贅沢させてあげたいと押し切られてばかりだ。
気持ちは嬉しいが幾ら恋人だからと言ってこんなに甘え過ぎてはいけないのでは…と常々思ってはいるのだ。
青宗からしたら信じられないくらい値の張る先程のブランド物のマフラーの事が思い浮かぶ。
財布の中には十分に困らないくらい九井が金を持たせてくれてるしカードも渡されている。
黒龍の鎬からそれなりに分け前も貰えているが金に執着が無い青宗の代わりにそういうのは九井が管理してくれいた。
だがそれは結局全部九井から与えられたようなものだ。
どうせなら100%自分の力で稼いだ金で彼にプレゼントを贈りたいなと思う。
去年のクリスマスに付き合い始めたから、今年のクリスマスは自分達に取っては1年目の記念日でもある。
普段はこんな事気にするようなタイプでは無かったが、初めての恋人と過ごすクリスマスに何か特別な事をしたい。
それならばと思い立ち後ろに居た部下達に、なあ、相談なんだけどと声をかけた。
さっきまで雑談していた部下達は、普段冷酷無比で無表情で怖いと思っていた上司からの唐突な呼び掛けに脅えた顔で返事をした。
自分は本当に世間知らずなのだな、とコンビニのフリーペーパーをパラパラ捲りながら思う。
部下達に良いバイトは無いか、普通のやつで。と相談した結果部下達は顔を見合わせ乾さんが…バイト…と戸惑いながらもバイト求人誌を見てみたらどうかと教えてくれた。
そういうものかと、コンビニの雑誌コーナーの端に置かれているフリーペーパーを貰って来た。
掲載されている求人情報はたくさんあれど、どれも青宗の年齢や取り立てて資格も無いとなると時給が安い。
これじゃあ何の足しにもなんねーなと思う。黒龍のシノギから分配される金額の何十分の一という安い金額に溜息が漏れる。
それだけ黒龍が金になるビジネスをしているという事であり、それの殆どが大寿の顔と九井の采配に依るものだというのは理解している。
自分はそれに割り振られた仕事を熟しているだけだ。そこから青宗への報酬額を決めているのも九井であるからもしかしたら通常より色がついている可能性も無くはない。
どちらにしろ生活に必要な金額以外の金の管理は全部彼に任せているし九井に使って貰って構わないとは言っているが彼なら律儀に貯金してそうだなと思う。
何から何まで自分は幼馴染に世話になりっぱなしだ。そうやって甘えているからこんな事も知らないでいる。
この家だって九井が用意した所に身一つで来た時には家具やら衣類やら全部が揃った状態だった。
何の苦労もせずに幼馴染が用意してくれた舞台に胡座を掻いているだけだ。
自分を情けなく思いながらもどうにかその中から時給の良い飲食店のバイトに当たりをつけた。
掲載されている電話番号に電話をして面接の予約を入れてほっと一息吐いた辺りで玄関のドアが開く音がした。
九井が帰宅したのだろう。慌てて求人誌を部屋の引き出しに隠した。
クリスマスまでどうにか自力で金を作り自分で稼ぐ事が出来てその金でプレゼントを用意したら、きっと九井は驚くに違いない。
そして少しは青宗の事を見直してくれるかもしれない。
そんな気持ちからこの事はクリスマス当日まで秘密にしておきたい。
勿論部下達にも自分がバイトを探していた事は口止めしてある。
何でも無い顔を装って九井を出迎える為に玄関の方へ向かった。
よほど人手が足りなかったのか、居酒屋のバイトの面接は直ぐ採用になった。
疲労を滲ませる痩せた店長らしき女が週末に来てくれとおざなりに言った。
しかし青宗はバイト初日から寝坊して遅刻してしまうというミスを犯した。
30分程遅刻したのを形ばかりに謝罪したら店長の女に睨まれこれだから学歴の無い奴は…とぶつぶつと文句を言われた。それからあなたの代わりならいくらでも居るとまで言われムカついたが、確かに自分より仕事出来るやつは沢山いるんだろうなと思いいつもならキレたいた自分を抑えて謝罪した。
初日だしとりあえず外で客にの呼び込みして来てと言われ何をすべきか碌な説明を受けずに寒空の中外に出された。
「警察がうるさいから店の範囲から出ないでね」
そう言い残しドアが閉まったが、何をどうしたら良いのかわからなかった。
普通であれば店長に聞きに行けば良い所なのだろうが青宗はまたあれこれ言われるのも怠い、とボーッと突っ立ていた。
そんな青宗の方をヒソヒソしながら若い女数人のグループが見てくる。時折顔を寄せて笑っているし、顔が…とか漏れ聞こえて来る。
どうせ自分のこの顔の火傷痕が気になるのだろう。初対面の相手からそういった目で見られる事は珍しくは無いがいつまでも陰口を叩かれるのは良い気はしない。
イラッとして、見世物じゃねーよと威嚇してやると女たちはやだなにあれーせっかく入ろうと思ってたのに、と勝手な事を言いながら立ち去っていく。
そんな感じでただ店前に突っ立てるだけで、寒いし暇だなと思っていたら店長が出てきて呼び込みなんだから声出さなきゃ駄目でしょと怒られた。
それならそう言えよ、と内心思っているともう次は店の中で皿を洗えと言いつけられた。
厨房でドロドロに油の浮いたシンクの中、水に浸けられている皿をスポンジで擦り業務用食洗機に入れるようにと告げられげぇきたねーと思いながらも嫌々手を突っ込んでスポンジで擦り…
しかしそれも上手くいかず皿を落とし割るというのを何度も繰り返す。
呆れられてじゃあホールで料理や酒を運べ、と言われ不慣れながら重たいビールジョッキ3つと熱い料理をテーブルによろよろと運んだというのに。自分より背も低く細い女がヒョイヒョイトレンチに幾つも料理の乗った皿を載せ、更に片手にビールジョッキ4つを持ち歩いていく。
それを見てあんな小さい体の女にも出来るのに自分は何も出来ないんだなと情けない気持ちになった。
1日で青宗は自分には向いてないと見切りをつけそのまま勝手にバイト先を辞めてしまった。
その後は自宅から少し離れたコンビニバイトを始めてみるも、レジは操作が難しいしやる事が多いのに時給は安い。
苛立っていた所に金を投げるように出してくる客にブチ切れてめぇ、金投げんじゃねーよ!とレジカウンター越しに胸ぐらを掴んで凄んでしまいクビになる。
求人誌には接客ばかり募集されているがこんなに大変でストレスの溜まる仕事じゃ誰もやりたがらなだろう。人手不足も納得である。
今後、コンビニやレストランで店員にもう少し優しくしようと青宗は密かに思った。
どうやら無愛想で気が短い自分には接客業向いてない思い知った。
それならばと、時給は少し落ちるが工場のライン作業の面接を受けに行ってみた。
「乾くんみたいに不良だった子も多いから、気兼ねなく働けるよ」
青宗の態度から不良であると判断したらしい。
人の良さそうな主任とかいう初老の男が採用してくれた仕事は流れてくる個包装の菓子を目視で不良品は避けてという簡単で単純は物だった。
ラインを流れる大量の菓子を欠伸混じりに眺めながら形が歪な物を避ける事数時間。
普段はそんなに感傷的なタイプでは無いのに、人間でも俺みたいな不良品は弾かれんだろうなと普通のバイトも満足に出来ない自分の事を重ねてしまう。
工場のバイトは数日間何とかやれていたがじっとして動けない事に結局ストレスを感じ辞めてしまった。
それならば、体を動かす方が良いのかと肉体労働の職種をやり始めた。
体を動かすのは嫌いじゃ無いし、指示された通り黙々と資材を運び工場車両を誘導したりする仕事は性に合ってる気がした。
何よりもう日にちも無ければ、後がないから多少理不尽な事を言われても耐えた。
荒っぽい職人みたいな奴等が多かったが、青宗が文句も言わず働くのに先輩達がだんだん可愛いがってくれるようになった。
コンビニで弁当を買ってくれたりコーヒーを奢ってくれたり、世間話を振ってくれる。
こうやって九井や黒龍以外の人間と接するの初めてだよなと新鮮で心なしか少し楽しい気がした。
「なぁ、イヌピー」
その日バイトにこっそり出掛ける為に玄関で靴を履いてると背後から声をかけられた。
振り向けば先程までベッドで眠っていた筈の九井が直ぐ側に立っていた。
その顔はどう見ても寝起きとは思えず、どうやら起きていたらしい。
「悪いけど、心配だったから何やってんのか調べさせて貰ったから」
手に持っているのは青宗が散々読み込んだせいで丸まって折れた求人情報誌。
隠した筈だが簡単に見つかってしまったようだ。
考えてみれば最近の自分の行動は不審であったかもしれない。
黒龍の仕事が終われば九井からの食事の誘いを断り、休日もいつもなら取り立てて予定が無かったし九井と過ごすのが常だったのに予定があると外出していた。
それに対して九井は何も言わなかったが、いつもと違う行動をする青宗の事が当然気になるだろう。
「何でバイトなんてしてんの?」
聞かれても素直に答える訳には行かないし、下手に嘘をついても自分の事を知り尽くしている九井には直ぐにバレる。
だから何を答えたら良いのか解らず口篭る。
「黒龍のシノギだけじゃ足りなかった?言ってくれればイヌピーの金渡したのに」
「そうじゃねぇ…それに、あれはココが使ってくれて良いから」
ココのクリスマスプレゼント買う為に自分で働いて稼いだ金でプレゼントを買いたい、というのが理由だとは言えなくて困る。
一体どうしたら九井が納得すらような言い訳が出てくるのか青宗にも解らない。
「金足りないなら言ってくれれば、俺が渡すのに」
「…そういうの、もうやめてくれ。ココは俺を甘やかし過ぎる」
常々そう思っていた事だった。青宗が何か困っているといつも助けてくれる。
そうで無くても先回りし、青宗が必要以上に苦労をしなくて良いように何でもやってしまう。
それをついこの間まで当然のように受け入れ何の疑問も持たなかったが、実際に自分だけの力で働くようになって色んな人間と交流する度に如何に自分が甘えていたのかを思い知った。
「は?」
低くなった九井の声に顔を上げると手の中の雑誌をくしゃりと丸め込んだ。
綺麗に整えられている眉が片方ピクリと跳ね上がる。
「ココが俺を思ってしてくれてんのは解ってるけど…そうやってココから貰ってばっかじゃ俺は駄目になる」
何でもかんでも汚い事もココにだけやらせて自分は与えられた事だけをやるのは簡単で居心地が良かった。
だけどそこで思考停止したままでは自分は何も成長出来ない馬鹿なままだと口にした。
「…今さら何なんだよ、そうやって今まで俺の金でここまでやって来たのに」
「それは…ココに甘え過ぎて悪かったと思ってる。俺はココの金が無くたってお前が」
大切だから、そう言おうとした。
だがそうするより先に九井が握りしめていた雑誌を床に叩きつけるようにして投げた。
驚いて口を噤むとしゃがみ込んで目を合わせて来た九井が青宗の肩を摑む。
「俺の金が必要だろ?お前の黒龍再建の為に俺の金がなきゃどうにもなんなかったろ?イヌピーにだってそれで散々贅沢させてきたのに今更綺麗ぶって否定すんのか?!」
肩を揺さぶられ怒鳴られて、九井がこんなに感情的になるなんてと咄嗟に言葉が出て来ない。
それに上手く言い返せなくて、いつも優しく自分を見てくれる目は血走り鋭くてどうしたら良いか解らず目を反らしてしまう。
「そうじゃなくて、俺はただ…」
ココのやる事を否定したかった訳じゃ無いのに上手く言葉に出来なかった。
怒ったような、だけど何処か寂しそうな顔をした九井は青宗の肩から手を離すとそのまま出て行ってしまった。
その日から青宗は九井とは顔を合わせても言葉を交わす事も出来ずにギクシャクしてしまうようになった。
九井の方もまるで避けるように帰る時間をズラしたり、いつも一緒に寝ていたベッドじゃなくソファで寝るようになった。
ベッドで寝れば、と一度声を掛けたが忙しいからソファで寝て方が直ぐ起きれると素っ気なく返されてから何も言えなかった。
九井のそういう態度から、きっと青宗が彼の金目当てで一緒に居ると思わせただろうか。
言い合いになった時、ちゃんと言葉に出来なかったから…
大好きな恋人だから、ただ喜ばせてやりたかった。
そんな思いで始めたバイトで、金を稼ぐ大変さを知って今までにどれだけ九井に苦労をかけていたか、自分がどれだけ無力だったかを理解してきた所だった。
それなのに喧嘩になってしまった…自分の不甲斐なさに落ち込んでしまう。
しかしだからと言ってじっとしていると余計な事ばかり考えてしまう。
クリスマスまで時間も無い事だし、と青宗は黒龍の仕事はきっちりと熟した上でいっそうバイトに打ち込んだ。
そんな自分へ複雑そうな視線で九井が見ているのは解っていても、今の自分に出来るのはこれだけだからと。
そんな感じであまり会話らしい会話もしないままに短期の契約だったバイトも終わりを迎え、給料を貰った。
手渡しで渡された封筒は黒龍の仕事で扱う物よりずっと薄っぺらかったが自分の力だけで稼いだのだと思うと重たく感じた。
「乾くん、最初はどうなる事かと思ってたけどとても頑張ってくれたから少し色付けたよ。また機会があったらよろしく頼むね」
そんな風に言われて初めて自分が他人から認められた気がして少しだけ嬉しかった。
自分で稼いだ給料の重み。軽いけど重たい。
これで九井にクリスマスプレゼント買えるかと思ったが、数えてみて例のショーウィンドウの前で値段を見るとあと少しだけマフラーの値段に足りなかった。
どうしたものか、ここまでやったのだから妥協はしたくないし自分だけの力でやり遂げたい。
悩む青宗であったが、もうクリスマスまでに日数は幾つも無かった。
何か無いかと街中を歩いて途方に暮れていた時にケーキ屋の前の貼り紙が目に入る。
いつもは素通りしていたその店の前に急募!とかなり人手が足りないらしいその貼り紙の内容はクリスマス当日にクリスマスケーキを売るという仕事をしてく)る人間の募集だった。
日給もかなり良いが、時期が時期だけになかなか見つからないようで青宗はこれだ!といつになく行動力を見せた。
ケーキ屋に入り、外の貼り紙の募集の事を告げると店の店主らしき女性が是非お願いしたいと直ぐに話は決まった。
これでクリスマスプレゼントはどうにかなりそうだと見当をつけて久し振りに気分が良いまま帰宅した。
玄関を開けて室内に足を踏み入れると温かい空気が頬を撫でる。
エアコンがついているようで、九井が居ると言う事だとここ最近の気まずい空気に少しだけ顔が強張った。
そっとリビングのドアを開けるとソファに寝転んでいる九井の姿が見えて内心ホッとしてしまう。
静かに物音を立てないように近寄ると、眉間に皺を寄せて疲れを滲ませたような寝顔が見える。
テーブルの上には仕事途中なのか煌々と光るパソコンの画面と数個の携帯電話。
寝る間も惜しんでこうやって一人で無理をしているその姿に胸が痛むのに、自分は彼のやっている事を少しも解らなず何も手伝えない。
それがもどかしくて、何かなんでも良いから役に立てれば良いのにと思う。
寝室から毛布を持ってくると体の上に掛けてやる。
顔にかかっている前髪を指で撫でてから、そっと皺の寄っている眉間に口づけた。
「ココ、ごめんな…」
あともう少しだから。そうしたらあのマフラーを買ってプレゼントして仲直りしたい。
また以前のように優しい目で見つめて欲しいし、自分の前でぐらいは笑っていて欲しい。
起こさないようにそっとその場を離れて青宗はあと1日だけ頑張ろう、と気合を入れるように拳を握った。
クリスマス当日。
青宗は例のケーキ屋の前でサイズの合わないダボっとしたサンタクロースの衣装を着て大量にケーキの積み上がるワゴンの前に立っていた。
クリスマスを目前にして書き入れ時だというのにバイトが二人も辞めてしまい困っていたのだとケーキ屋の店主は青宗が来てくれた事にとても感謝していた。
こんな物しかあげれないけど、とシュークリームを休憩の時に食べるようにと渡してくれた。
店主ともう一人のバイトらしき女性と二人で店内で朝から予約のケーキを取りに来る客への対応でとても忙しそうであった。
青宗は寒空の中どうにかこのケーキを売らねばと思う。
今までの青宗であればどうしたら良いか解らず突っ立ているだけであったかもしれないが、僅かながらのバイト経験から学んでいた。
愛想が良いとは言えないが、メンチは切らず極普通の声音でクリスマスケーキ販売してます、と呼び掛けた。
雪こそ降っては居ないが真冬の外にずっと立っていれば寒さで手が冷たくなるし鼻も赤くなった。
ケーキは昼のうちはポツポツと数個程度しか売れず、だがこれを余らせれば給料が下がるかもしれないしケーキは廃棄になってしまうかもしれない。
そう思い、休憩中に貰ったシュークリームを食べれば優しい甘さが美味しくて九井にも教えてやろうと思った。
薄暗くなり始めた夕方も外に立ってケーキを売る為に声を出した。
そこへサラリーマンらしきスーツ姿の男がケーキを一つ購入していく。
「仕事が忙しくて、クリスマスケーキの予約忘れちゃってたから買えて良かった。子供をがっかりさせずに済むよ」
そんな風に幸せそうに感謝されて、自分が仕事をして誰かが感謝してくれるなんて今までに無い経験に少し心が暖かくなった。
自分も早く、恋人である幼馴染と仲直りしたいし喜ぶ顔が見たい。
その為にもケーキを売り切りたいと、柄にも無く少し声を張り上げた。いらっしゃいませ!クリスマスケーキいかがですか!と元気よく声を出してみればお兄さん頑張ってるから、と女性客やカップルの客等がケーキを買って行く。
人に感謝され笑顔を見ながら商品が売れていくのも案外悪くないかもなとか思う。
かと言ってこういう仕事が自分に向いているかと言われればやっぱり接客業は得意では無いしやらなくて良いのならやりたくない。
黒龍での仕事はクリーンな物とはいえないが、無理して笑顔を作らなくても良いし理不尽にキレて来る相手が居れば殴り倒しても怒られないからそちらの方が性に合ってる気もした。
それが知れただけでもバイトをしてみて良かったかもなと思った。
「ケーキ一つくれ」
「いらっしゃいま…」
目の前に人が立ったから反射的に顔を上げれば、そこに居たのはずっと頭の片隅に居た幼馴染で恋人でもある男だった。
驚いて口を開いたまま凝視してしまうが、コートのポケットに手を入れたまま売ってくんねーの?と言われ慌ててケーキを手提げ袋に入れた。
金を渡されて釣り銭を手袋の手のひらの上に載せるとケーキの入った袋も手渡す。
「ありがとうございます…」
一応商品を買ってくれたのだからと、ボソリと言え目の前の男は気まずそうに、おお、と答えた。
「ココ、ケーキ食うのか」
「…大事な奴と食べれればいいんだけどな」
毎年ケーキなんて食べて居なかったからつい、そう聞いてみれば九井はこちらへと視線を合わせずにそう呟いてから立ち去って行ってしまった。
呆然と黒いコートの背中が雑踏に消えて行くのを見送りながらも頭の中では先程の言葉がぐるぐるとかけ巡る。
大事な奴って、それはつまり青宗以外の誰かとケーキ食べたいと言う意味なのだろうかと思ってもみなかったそれにショックを受けた。
毎年クリスマスは約束をしなくても二人で過ごして来たし、今年は一応付き合って1年目のクリスマスだった。
だからてっきり二人きりで一緒に過ごせるものだと思い込んで居たが、自分達は今喧嘩のようなものをしている。
青宗としてはプレゼントを渡して謝って、自分の気持ちと九井への日頃の感謝を伝えて仲直りしたかった。
だが九井の方はとっくに自分に愛想を尽かして居たのかもしれない。
それなのに呑気にバイトしてプレゼントで機嫌を取ろうと思っていたわけでは無いが、喜んでくれるのではとお気楽な事を思っていた。
今までは青宗の事を優先して来てくれた九井であったが、もう既に別の誰かを見つけて居ても何ら不思議では無かった。
九井一は子供の頃から女にモテていたし、クリスマスを過ごす相手なんて幾らでも簡単に見つけられるだろう。
そうなったらもう、そこに自分の入る余地等無くなってしまうのでは無いか。
さっきだって目も合わせてくれなかった。
気持ちは落ち込んだままであったが、その後19時前にはケーキは完売し店主にはとても感謝されたし思っていた以上に稼げた。
目標金額を越すくらいの金が手に入ったのに、もうプレゼントを渡す相手も居なくなってしまったかもしれない。
そう思ったが、だがやはりあのマフラーだけは九井にプレゼント出来たら…と閉店間際のデパートに滑り込んでそしてどうにか無事にマフラーを買う事は出来た。
だが九井は自分以外の誰かと過ごしてるのかもしれない。
家に帰って知らない女が出てきたら、若しくは誰も居ない冷たく暗いリビングが見えたらどうしよう、と考えると悲しくなった。
怖くなって二人で暮らしているマンションに帰ることも出来ず、プレゼントの包みを持ったまま近所の公園へやって来てしまった。
昼間の子供達の声が聞こえる賑やかな公園とは違い、真冬の街灯に照らされた薄暗い公園は静かだった。
ギコギコと錆びた鎖が音を立てる古いブランコに腰掛けて白い息を吐き出す。
綺麗に包装された包みは膝の上に載せてある。
店員に包む時にリボンの色を聞かれ青いリボンを選んだ。
九井がよく青宗の青い目が好きだと言って、青い物を見つけるとイヌピーを思い出すって言ってくれたのを真に受けて選んでしまった。
馬鹿みたいだな、と思いながらブランコの冷たい鎖のを握り締めて途方に暮れる。
こんなの九井と恋人になる前なら、彼が誰とクリスマスを過ごそうと何とか我慢もできたのに。
抱きしめられる温もりや優しい眼差し、キスの感触に肌の匂い。
そういうものを全部知ってしまった今は寒さが突き刺すように堪える。
冷たくなった手は感覚が鈍くなってしまって力が入らないからとはあ、と息を吹きかけた。
今頃九井は自分じゃない誰かと過ごしてるのかもしれない。
彼がしてくれる事や与えてくれる物に甘えて自分では何もして来なかった。
九井にばかり色んな事を背負わせて来てしまった。
そういう事を何一つ理解してなくて平気な顔をしてきた癖に、ちょっとばかりバイトしたぐらいで知った風な口を聞いて怒らせてしまった。
そんな自分に愛想が尽きても仕方ない。恋人になってからも自分からは何も行動をしなかった。
いつだって九井からされる事を黙って受け入れるばかりで、つまんない奴だったろう。
言い訳をするのなら、九井と一緒に恋人として過ごして彼が恋人扱いしてくれるだけで凄く幸せで胸がいっぱいで。いつも頭がぼーっとしてされるがままになっている内にあっという間に時間が過ぎてしまうのだ。
でもそんなの九井には関係ないだろうし知った事では無かっただろう。
きっと何してもぼーっとした間抜けな面した男に嫌気が差したのかもしれない。自分だったらそんな男にはさっさと見切りをつけて別れてる。きっとそうすると思う。
しかしだからと言って、わざわざ自分の売ったケーキを他の奴と食べるなんて当てつけみたいな事をしなくてもいいのに。
「ココのいじわる…」
ポツリと呟く声が静かな公園に響くが答える者なんて居ない。
そう思ったが背後でジャリっと土を踏むような音が聞こえ、突然に後側から腰掛けていたブランコの鎖を引かれた。
咄嗟の事でバランスを崩して、そのまま引っ張られた後ろ側に体が傾いた。
このままでは後頭部から地面に落下する。来たる衝撃にギュッと目を閉じたが数秒経っても体にそんな衝撃は来なかった。
それどころか何かに寄りかかるように体は傾いたままである。
一体何だ、と思って頭を上に向けようとしたら背後から回ってきて腕が肩から包み込むように抱き締めて来た。
ふわりと香る香水の匂いや、抱き締めて来る力でそれが誰のものか見なくとも直ぐに解る。
「ココ…」
「誰が意地悪だって?」
独り言を聞かれてしまった気まずさに黙ってしまう。
彼の細い顎が頭の上に置かれて、はあと飽きれたような溜息が聞こえて来るのにブランコの冷たい鎖を握り締めた。
「イヌピーには優しくしてるつもりなのにな」
九井は確かにずっと優しくしてくれた、そんなのは解ってる。
それに甘えてしまい自分は彼の事を大切に出来なかったのかもしれない。
九井みたいに頭は良くないし上手く立ち回る事も出来ない。
最初の仕事は何をして良いのか何も解らなかったし、無理だと諦めて逃げてしまった。
その次のコンビニだって店員側になってみて解った事があったし、態度の悪い客はムカついた。
みんなが当たり前のようにやってる事すら何一つ出来なくて何で自分はこんな事一つまともに出来ないのだろうと情けなくなった。
「ココ、俺自分で働いてみて金って稼ぐの大変なんだなって解ったんだ。それに今まで凄くココに甘えてたのもちゃんと自覚した本当に俺は駄目な奴だった」
そこまで言ってから、だから九井だって自分の事を嫌になったんだろうなと思う。
本当はこんな筈じゃなかった。もっと上手くバイトして金を作って自分で稼いだ金で九井にプレゼントを渡したかった、喜ばせたかった。
それなのに自分はロクにバイトすら出来なくて上手い言い訳も出来ず心配掛けてその上、怒らせてしまった。
自分の不甲斐なさに自分でも呆れているぐらいだ。
「俺には何も無いし、ココが居なきゃ一人じゃ何も出来なくて情けねぇ…」
自分でも自分が嫌になる、そう吐き出すとギュッと抱き締める腕に力が篭もった。
それに対してどうしたのかと振り向こうとしたが動けないくらい抱き締める力が強くなる。
「あー、それは、多分…俺のせいだからイヌピーは悪く無いよ」
気まずけな声で言われてどういう意味なんだろうと解らなくて答えに困ってしまう。
自分が不甲斐ないのは自分のせいであって、九井に責任なんて何も無い筈なのに。
「イヌピーは俺が居なきゃ何も出来なくなれば良いと思った。その為に何でも先回りしてやったし、贅沢も覚えさせたくて色んな所連れてったり食わせたりプレゼントしたりしまくった…」
確かに九井はいつも口にしなくても自分に必要な物を与えてくれたし、美味しい店に連れて行ってくれて寒さを凌げる二人で暮らす家も服も何もかも与えてくれた。
それにはずっと感謝しているし、何かを返せればいいのに何も出来なくていつももどかしい気持ちになっていたがそれを九井のせいだなんて思った事は無い。
「ココはいつも俺の事を思って色んな事をしてくれて本当に感謝してるよ」
だからココは何も悪くない、そう言ったらうう、と気まずげに唸ってからするりと腕が居離れていく。
それが少しばかり寂しい気持ちになったが、九井は青宗の目の前に回ってきて立った。
それから気まずそうに頭をかきながらそうじゃねぇ、と言った。
「その、イヌピーが俺無しじゃ生きられなくなれば良いなと思って…その為にイヌピーを何も出来ない奴にしたのは俺。だからイヌピーに感謝される筋合いは無い」
コートのポケットに両手を入れながら地面に視線を落とした九井は唇を尖らせてそう言う。
言ってる意味があまり良くわからなかったが、別にそんな事わざわざしなくたって自分は多分とっくに九井が居なきゃ駄目になっていた。
何も持たない退屈な自分の側にずっと居てくれた事にどれだけ救われたか解らない。
「ココがどういうつもりだって別に良い。俺はココが隣に居てくれただけで嬉しかったし、今まで本当に幸せだった…」
その言い方が何だか引っかかってん?と首を傾げている九井であったが、構わず話を続ける青宗。
ブランコの上で膝を曲げたり伸ばしたりしながら揺れている体は寒そうに凍えているようにも見えた。
「だから、ココが俺じゃなく他の奴とケーキを食べても仕方ない。別れたからって恨んだりとかもしないから安心してくれ」
寂しげに笑って、だけど九井がそれで幸せであるのなら自分は大丈夫だからと顔を上げて見た。
だが目の前の彼はどういう訳か驚きと困惑の表情を浮かべてこちらを見ていた。
何だか思っていたような反応と違う気がして、変な事を言ったかと思ってココ?と呼び掛ければ九井は慌てて首を横に振った。
「な、何で別れる話になってんの!?」
いつもは涼し気な黒い瞳を丸くして、発した声も少し裏返ったままに至近距離まで近付いて来る。
足が触れ合いそうなほど目の前にやって来て何かを言おうとしたが、そこで青宗の膝の上に綺麗に包装された包みが視界に入ったらしくと言うのにこれは?と指差した。
「ああ、これはココにクリスマスにプレゼントあげたくて。そんで自分で働いた金でって思ったんだけど上手くいかねぇな」
小さく笑いながら包みを手に取って青いリボンを撫でた。
おれの為に…と呟いて九井は自分の口元に手をやって僅かによろめいている。
「最後だからこれ、受け取ってくれると嬉しい」
バイトしても失敗ばかりで九井とは喧嘩もしてしまったし上手くいかなかったけど、せめてこれだけはと差し出すと九井はそれを見つめそっと手に取った。
受け取ってくれて良かったと、ホッとした気持ちで腕を下ろそうとしたが手首を掴まれそのまま引っ張りあげられた。
突然のそれにバランスを崩して倒れそうになるのを抱き留められ、それからすっぽりと腕に囲われるように抱きすくめられた。
「ココ…?」
いきなりどうしたのかと、驚いている青宗だったが、ごめんと搾り出すような声が耳元で聞こえた。
「何が?」
聞き返したが答えは返って来なくて、その代わりのように冷たくなった頬に唇が寄せられる。
いつもみたいに食むように柔く唇で挟まれると、帰ろうと言われて頷いた。
体が冷えてる、と肩を抱かれそのまま捕まえたタクシーに乗せられた。
タクシーの中でも青宗の手をこんなに冷たくなって、と包み込んで擦ってくれる。
状況がよくわからなくてされるがままになっていたが九井はどういうつもりなのだろうと思う。
さっきのごめん、は別れるからという事なのでは無いのだろうか。
それなのにこんな風に変わらず優しく接してくるのはどういう事なのか。
「俺は、ココに振られたんじゃないのか。その…別れるんじゃねぇの?」
聞き返したら凄い剣幕で別れる訳無いだろ!と言われてしまった。どうやらよく解らないが別れ無くて良いらしい。
それは良かったとは思うが、だがそれならクリスマスケーキを買った時に大事な奴と食べたいと言った話はどうなったのだろうかと思う。
「どうした、まだ寒いか?」
黙ったままで居る青宗を伺うように聞かれたがタクシーの中は暖房が効いてるし、九井が手を握ってくれてるから暖かかったから首を振ってそれから聞いてみる。
「クリスマスケーキは、誰か別の奴と食べるんじゃないのか?大事な奴と食べたいって… 」
「ああ、あのケーキな。後で一緒に食べよう」
優しく微笑まれてえ、と戸惑ってしまった。
そのケーキを一緒に食べるのは本当に自分で良いのだろうか。
「ん?もしかしてあのケーキ美味くねぇの?」
「あ、いや…わかんないけど、あそこのシュークリームは美味かった」
答えるとじゃあきっとケーキも美味いなと笑みが返ってくる。
その笑顔にうん、と頷いてみたものの聞きたかった事はそうではなく、と向き直る。
「大事な奴と食べたいって言ってただろ、だから誰かと食いたいのかと思ったんだけど…」
それなのに自分とで良いのかと聞いてみればああ、もう…と焦れたように九井が大きな溜息を漏らす。
その様子に自分はまた彼を呆れさすような事を言ってしまったかと落ち込みそうになる。
だがそんな青宗の髪を撫でて首の後ろに指を滑らせると引き寄せられた。コツンと額が触れ合う。
「俺の大事な奴なんてお前しか居ないだろ」
小声で囁くように言われて、視線だけを上げたら掠め取るように唇が触れて離れたいった。
もう九井はそれ以上に何も言わないと、前を向いてしまう。
心なしか少し怒っているような不満気な顔をしているのが気になったが、彼が話さないと決めたらもう絶対に話してくれないのは確かだから家に着くまでこちらも黙ったままになった。
よく解らないが、自分以外の誰かと九井がケーキを食べると言うのは勘違いらしい。
それに一安心した。どうやらまだ自分は九井に飽きられては居ないらしいと。
家に着いて手を引かれたままリビングに入ると、見慣れた部屋のテーブルの上にはケーキやチキン、それから綺麗な赤い花やキャンドルまで飾り付けられて用意されている。
まるでクリスマスのパーティーの用意みたいなそれに振り向くと九井はは本当はもっと夜景の見えるホテルとかレストランで、って思ってたけどと口を開いた。
「イヌピーと恋人になって1年目のクリスマスだし、やっぱ誰にも邪魔されずに二人きりが良いかなと思ってさ」
照れたように笑う九井に、彼がそんな事を考えてくれていたなんて夢にも思わなかったから驚いた。だけど、じんわりと嬉しくなる。
「ココ、ありがと。嬉しい」
繋いで居る手を両手で包み込むようにして素直に礼を言えばん、と照れ臭そうに素っ気なく返答しているのが可愛いなと思った。
「それ、開けてみて」
手にしたままでいるプレゼントの包みを指差して、促すとああと頷いて二人でソファに腰を掛ける。
カサリと紙の包みが音を立てて存在を顕にしているようだった。
「初めて自分で稼いだ金で買ったココへのプレゼントだから、気に入ってくれたら嬉しい」
「イヌピーが俺の為に頑張ってくれたってだけで胸がいっぱいになる」
そう言いながら青いリボンをそっと解き、包装紙を丁寧に開けていく。
これ、と包みから出てきた黒い箱に刻印されているブランドロゴを指差してこちらを見る目に少しばかり得意な気持ちになった。
「俺の好きなブランド、知っててくれたんだ」
「ココの事ならずっと隣で見てるから」
ブランドなんかには興味が無く疎い青宗であったが九井の好きな物なら覚えていると言えば嬉しいよ、と頬を撫でて軽くキスをされた。
恋人らしいこういう細やかな触れ合いも久し振りだなと思うと嬉しくて擽ったくて笑みが零れる。
開けてみてくれ、と促すとああと頷いて箱を開ける
と中からはチェック柄の質感の良いカシミヤのマフラーが出てくる。
「良いな、この柄」
手に取ると簡単にそれを首に巻きつけて暖かいなと顔を埋めるようにして笑ってくれた。
それを見て九井が気に入ってくれたようで良かった、と思う。
「外に着けてくの勿体無くて使え無いな」
「ココに似合うと思って選んだから、してる姿いっぱい見たい」
「じゃあイヌピーとデートの時には着けるよ」
マフラーを撫でながら言うからうん、と頷いたが直ぐに九井の表情が曇っていく。
浮かない顔をしている九井にどうしたのかと伺うように顔を覗き込むと、その…と言い難そうに視線が泳いだ。
「俺はここ最近イヌピーがなにしてんのか気になって、イヌピーと過ごす時間が減ってくのにも焦っちゃって…ごめん、そんなの言い訳だな」
項垂れる九井にどうしたのだと問えばごめんと謝られる。
一体どうしたというのだろうか、九井に謝られるような事はなにも無い筈だ。
「クリスマスプレゼント、用意出来なかった…」
申し訳無さそうに言うから何だと思えばそんな事。
別にいいのに九井は昔から律儀な奴だなと思う。
「ココは今までも俺にプレゼントたくさんくれただろ」
「こんなに凄い良い物を貰って、返せるかわからないよ」
マフラーを大切そうに撫でながらそんな事を言う九井はよほどプレゼントを用意出来なかった事を悔やんでるらしい。
元々サプライズやプレゼントをするのが好きな方だから余計に気にするのかな、と思う。
そんな事本当に気にしなくたってこうやって一緒に居られるだけで十分幸せなのに。
だが律儀なこの男はそれを気にしてしまうらしい。
暫し落ち込む九井の横顔を見つめてからふと、去年のクリスマスの光景を思い出す。
ソファの上の先程まで箱に結ばれていた青いリボンを手に取った。
それから九井の手首を取るとくるりと巻きつけて不器用に結んだ。
「イヌピー?」
突然の青宗のその行動に一体何をしたいのかと問うてくる九井は自分のリボンの結ばれた手を目の高さまで持ち上げて見て首を傾げた。
「今年のクリスマスはココが俺のプレゼントになって」
去年のクリスマス。この部屋で青宗が自分の首に赤いリボンを巻いて自分がプレゼントだと言ってみせた。
それがきっかけで自分達は恋人になったのだ。
「リボンまで俺の好きな色だ」
深い青のリボンに気付いて笑った九井はこちらを向いて青宗の手を包み込むように握った。
「俺の事貰ってくれる?」
「一生大事にするよ」
去年の九井が言ってくれたものと同じ答えを返して、ちゅ、と可愛いらしい音を立てて唇にキスを送った。
リボンの巻かれた手で青宗の輪郭を確かめるように髪や額を辿って頬に触れて額をくっつけてくる。
「イヌピーが俺に黙って何かしてるって思って、その、もしかしたら浮気とかしてんじゃないかって焦っちゃって…」
「俺がココ以外とそんな事するわけ無いし、相手も居ないよ」
そんな事を自分に思うのは九井だけだと、笑って否定した。
自分みたいな奴を好きだと言ってくれたのなんか彼以外に居ないのにそんなの要らぬ心配だ。
何より自分はもうずっと目の前の男の事しか見えてないのに。
「イヌピーを信じて無いわけじゃないけど、俺の目の届かない所に行くと心配になる」
「ココが不安になるならなるべく側に居るよ。どこに行くのも何をするのもココに言う」
「そんな事簡単に言うなよ…」
「簡単じゃないよ、ココが俺の全部だしココより大切なものなんて無いから」
何も疑わない目でそう言い切ったのに対し九井が目を見開く。
もうずっとそうだ。お前以上に大切なものなんて何も無い。
命を救ってくれたから、大切にしてくれるから、姉の事を今でも思ってくれてるから。
理由なんて幾つでもあるが、一番は何よりも自分がそうしたいからだ。
「俺の事、ココが居なきゃ生きていけなくしていいよ」
リボンを引っ張ると手に指を絡めるように握って微笑んだ。
それから九井の肩に頭を預けてそう言うと背中を温かくて優しい手が撫で擦る。
「イヌピーが居なきゃ生きていけなくなってんのは俺だよ」
「嬉しい。ココは俺のもの」
プレゼントだもんな、と無邪気に笑う青宗を見て来年のクリスマスもこんな風に笑い合えてたら良いのにと思う。
手首の青いリボンの拘束を撫でる。
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