男勝りな魏無羨ちゃん(15歳)、姑蘇藍氏双璧の藍忘機に出会うの巻③ 雲夢江氏の大師姉こと魏無羨と、姑蘇藍氏の藍二公子こと藍忘機がとある夜狩で出会って以来、ふたりは手紙のやり取りをする仲になった。
といっても、恋仲になった訳ではない。
夜狩の最中に倒れ世話になった感謝の礼として手紙と蓮の花托と共に届けてもらった返事が届き、気まぐれに魏無羨がその返事を伝送符で送ってみたらまた返事が来た。その繰り返しを数ヶ月ほど続けている。
雲夢の蓮湖の花が見頃なこと、蒸し暑い季節は水浴びが一番楽しいこと、師姉が作ってくれる料理がこの世で一番美味しいこと。
魏無羨からの手紙にはきらきらと眩しく、蓮花塢での日々を楽しんでいることが伺えた。
「藍湛からの手紙って、なんていうか、こう…」
「あら?」
「あぁ?」
蓮花塢にある蓮湖に面した四阿でのんびりと茶を楽しんでいた江厭離と、江澄こと江晩吟は卓に頬をつけだらしなく座る魏無羨の言うことにそれぞれ返事をした。
茶托ごと湯呑みをゆらゆら揺らす姿に行儀が悪いぞと嗜めた江澄の言葉には耳を貸さず、魏無羨は独り言のように語り続けた。
「会話に広がりがないっていうか、面白みがないっていうか…」
「それなら手紙を出さなければいいだけだろう。お前が書くから向こうは律儀に返事をくれるだけだ」
「まぁ、確かに阿澄の言い分も分からなくもないわね。姑蘇藍氏は礼節を重んじる家系だもの。藍の二若様も阿羨が返事を書いてくれるから、返事を書いてくださる可能性も捨て切れないわ」
ふたりに遠回しに手紙のやりとりを辞めたらどうだと言われ、魏無羨はなんと返事をすれば良いのか分からず「うーん…」と返す言葉も歯切れが悪い。
魏無羨は揺らしていた茶托から湯呑みを取り一口茶を啜った。江厭離が丁寧に淹れてくれた茶は優しい味がする。手先の器用さには自信があるが、彼女の淹れ方を真似てみても同じ味にならず首を傾げるばかりだ。味の差はきっと差し出す相手への真心を込めたか否か、くらいしか検討がつかない。だって魏無羨はいつも適当なことばかり頭に浮かべて、器用に動く手を動かしていただけなのだから。
「別にさ、手紙書くのが嫌なわけじゃないよ。手本みたいな綺麗な文字が俺…じゃなかった、私のために書かれてると思うとうれしいし、返事を書くくらいの時間は割いてもらえるんだって感じるし…。でもさぁ、内容があまりにも若者って感じじゃなくないか?昨日今日した鍛錬について、庭で見た草花について、裏山で見かけるうさぎについて。いや、そこもっと、いやもう少しだけでもさ、突っ込んだ感想書けよって思うじゃん」
ヤケ酒の要領で魏無羨は器に盛り付けられた菓子を二、三個奪うように手に取り、ひとつずつ口に運んで咀嚼する。
その姿に江厭離、江澄は目をパチクリとさせ、見事に同じことを言ってのけたのだった。
「阿羨、あなた、藍二公子に恋してるのね?」
「魏無羨、お前、藍忘機に惚れたのか?」
「……恋、とは……?」
魏無羨、十五歳、青天の霹靂とはまさにこのことか。ふたりに指摘され、初めて自分の気持ちを自覚してしまうなんて。
姑蘇藍氏が拠点とする仙府、雲深不知処。普段は内弟子や外弟子が日々鍛錬に励んでいるが、蘭室では他世家から公子を預かり勉学を教えて導くこともしている。来年の春から雲夢江氏次期宗主、江晩吟もここで一年はげむそうだ。
「忘機、三日後に江宗主と御子息の晩吟殿、そして御息女の厭離殿と彼女の護衛もかねて魏無羨殿が座学留学の下見に来るそうだ。彼らとは歳も近い、よかったら世話役を頼みたいんだがいいかな?」
久しぶりに兄こと藍曦臣から今日は夕餉を共にしないかと誘われたのが昼過ぎのことだった。黙食を家則とする姑蘇藍氏は家族との食事の場でも会話はせず、各々静かに箸を動かし皿を空にしていった。食後の一服として茶を飲んでいた時だった。
三日後、魏無羨が江宗主とその子供達に付き添い、ここ雲深不知処にやって来る。
兄である藍曦臣にそう言われ、藍忘機は手にしていた湯呑みをそっと卓に戻した。
「それは、座学における説明を彼らにしろということですか?」
弟からの生真面目な返事にくすりと笑みを見せ藍曦臣は続けた。
「その辺りは叔父上がやってくださるはずだ。江宗主と叔父上は歳も近いし、積もる話しもあるだろう。その間の御子息たちの世話を頼みたい」
「世話、ですか…」
「難しく考えなくてもいいよ、忘機。今時期が見頃の草花をお見せしてもいいし、読書がお好きなら蔵書閣へお連れしてもかまわない。雅室でゆっくりお茶でもてなすだけでも十分だ」
穏やかな笑顔からは断ることができない圧を感じ、藍忘機は了解しましたと深々と頭を下げた。
明日、彩衣鎮の菓子屋に足を伸ばし、後日雲深不知処から遣いの者が受け取りに行く旨を伝えに行こう。
雲夢江氏の宗主が子息、子女を連れてくる。そして子女の護衛として魏無羨がやって来る。
夜狩の最中、初めて邂逅した彼女は軽やかな動きで物の見事に邪崇を倒してみせた。そのあと手合わせを頼むとしつこく迫られたが、何故か倒れ込んでしまい共に来ていた雲夢江氏次期宗主である江晩吟の元へ送り届けてやったのが藍忘機と魏無羨の出会いだった。
後日届いた手紙にはあの晩助けてもらった礼と、体調はもう落ち着いているから心配する必要はないと書かれていた。一緒に届いた縫い目が歪な小さな紫色の巾着には、蓮の実がぎっしりと詰まっていた。その巾着は文机の抽斗に仕舞い込んでいる。
あの晩、偶然に出会ったのだからまた夜狩で会う機会があるだろうと、しばらくの間は懐にしのばせ出掛けていた。ところが一月経ち、二月、三月となかなか藍忘機が出向く夜狩に魏無羨の姿はなく、無くすと悪いからと抽斗に仕舞っておいたのだった。
伝送符を使っての手紙のやり取りは続いていて、その話しを聞いた藍曦臣に「忘機が返事を書くから魏殿も返してくれるのだろうね」と苦笑気味に言われてしまった。遠回しにそろそろやり取りを終えても良いのではないかと言われたのだ。
それでも藍忘機は止める気になれず、かと言って何故なのかと問われても言葉に詰まる。書かれる魏無羨の日常を手紙を通して垣間見ることが、今では藍忘機の日常になっている。
「雲深不知処って、山の中過ぎじゃないか?」
二人分の荷物を抱えた魏無羨が不満を口にすれば、江親子も苦笑いをする。
江厭離も今回の雲深不知処訪問へ同行するため、御剣ではなく水路と陸路を使い蓮花塢からで向いているが、いかんせん遠いものは遠い。その上、体力のない江厭離の荷物まで魏無羨は抱えているのだ。遠く感じて当然だろう。さすがに心苦しくなった彼女が荷物を持つと申し出るが、魏無羨は大丈夫だからと断ったのだ。
「さすがに山頂にあるだけあるな。彩衣鎮から随分歩いてきたが、まだ山門まで辿り着かない」
「私に合わせてしまってごめんなさい。三人だけだったら楽だったでしょうに…」
「急ぎではないから気にするとこはない、阿離。今は雲夢では見られない景色を楽しもう」
一行が雲深不知処の山門に辿りつたのは、一時辰経った頃だった。
江澄の座学留学の下見はつつがなく終わり、あとは藍啓仁と江楓眠が積もる話しがあるからと松風水月に籠ってしまった。子供達はその間、勝手気ままに他家の敷地をうろうろする訳にもいかず、さてどうしようかと通された雅室で手持ち無沙汰になっていた。
「江宗主を引き止めてしまったこと、叔父の代わりに謝罪しよう。二人は共通の知人もいるし、積もる話しがあるようだ。申し遅れていたね、私は藍曦臣。ここを管理する者の一人です。遠路はるばるお越しいただいたことですし、今はゆっくり過ごしてほしい」
突然現れた姑蘇藍氏次期宗主の藍曦臣の姿に、それまでだらしなく座っていた江澄は一瞬で背筋を伸ばし挨拶を返している。こういった姿を見るたび、魏無羨はそういえば江澄は雲夢江氏の次期宗主だったな…と失礼ながら思ってしまう。頭では分かっていても、普段あまりにも近い距離で過ごしているため忘れがちだ。
姑蘇藍氏の藍兄弟はふたり共似た顔立ちをしているが、生まれ持った性格の違いなのか兄である藍曦臣からは柔和な印象を受ける。あの晩見た仏頂面の藍忘機を思い出して、少しは笑えば良いのにと魏無羨は思ってしまった。
「弟の忘機に御三方の世話係を頼んでいる。そろそろここに来るはずだから、何かあったら彼に言付けて欲しい」
それでは失礼するよ。そう言って藍曦臣は雅室から去っていった。そして入れ替わるように藍忘機がやって来たのだった。
藍忘機は短く挨拶をしたあと、手本のような淹れ方で茶を用意し三人に差し出した。ここに通された時に用意してあった茶菓子とは違うものを卓に置かれ、雲夢では見ないものだと江厭離と魏無羨は顔を見合わせクスリと笑った。
しばし三人が淹れてもらった茶と菓子を楽しんでいる間、藍忘機は微動だにせずこちらの様子を伺っている。さすがに江澄が彼のその態度に気まずさを感じ、口を開いた。
「姉が疲れているので少し休ませたい。私が世話をするので、その間、藍忘機殿には魏無羨の相手を頼みが良いだろうか?こいつは静かにしているのが苦手なんだ」
魏無羨は振り返り一言多いぞ江澄と顔で伝えると、感謝しろとばかりに胸を張られてしまった。心なしか江厭離もにこにことしている気がする。
「昨日から休みなしで水路と陸路を渡って来たんだ、姉は疲れが溜まってる。少しでも良いから横になってもらいたいんだ」
「了解しました。客間の用意をします故、しばらくお待ちいただきたい。用意が出来次第、案内いたします」
藍忘機が雅室を後にしようとする後ろ姿を見送ろうとしている魏無羨に、江姉弟が笑顔で圧をかけてくる。
──追いかけろ
江澄は声に出さず口をパクパクさせながら、せっかくだから追いかけろと魏無羨に訴えてくる。
何言ってんだと呆れながら江厭離の方を見れば、いってらっしゃいとばかりに手を振っているではないか。
「積もる話しもあるでしょう。こんな機会、滅多にないわ。私も少し横になりたいし、阿羨、手紙を読んで裏山のうさぎを見たがっていたじゃない」
よかったら案内してもらいなさい。
優しく微笑まれては断ることも出来ず、ふたりに後でちゃんと合流するからと言って走らない程度の速さで魏無羨は藍忘機を追いかけた。
「藍湛、よかった、追いついた…」
雲深不知処は走っちゃいけないって聞いてたから走らないで追いかけるの大変だったと、魏無羨は藍忘機に笑いながら声を掛けてきた。
「雲深不知処内で大声を出してはいけない」
つい普段の懲罰担当の癖で声をかけてしまい、他所の仙門の者に不躾だっただろうかと普段なら見当たらない感情に駆られてしまった。だが、杞憂だったようだ。
魏無羨は藍湛は真面目だなと言って、くすくすと笑っている。あの晩突然倒れた様子はもうなく、手紙に書かれているように元気が有り余っているようだ。あの日と違うところといえば、着ている衣だろうか。
初めて夜狩の場で会った彼女は雲夢江氏の男物の校服を着ていたが、今は紫の反物が使われた女物の校服を着ている。それに気付いたのだろう、魏無羨は苦笑いを浮かべながら話してくれた。
「出かける前に虞夫人に捕まってさ。紛らわしい格好で他所の仙府に行くなって叱られて、今回は女物の校服着てるってわけ」
着慣れないから落ち着かないんだと、藍忘機の目の前でくるりと一周した魏無羨は彩衣鎮で見かける年頃の娘より愛らしく感じる。
「似合っている、と思う」
「本当?」
小さな声を聞き逃さなかった魏無羨は喜びのあまり大声を上げてしまい、藍忘機に叱られてしまったのは次の機会にでも。