幸福は薄色 ここ最近、気を抜くとつい将来の自分に思いを馳せてしまう。子供時分に毎年「ぼくのしょうらいのゆめ」的なスピーチをさせられていたのが大体今くらいの時期だったのも大きいが、未来があまりに不確定すぎて単純に楽しみになってきたのかもしれない。
それほどに新しい生活は新鮮な驚きに包まれている。
「ただいま」
知らなかったことばかりだ。安住の地に戻った彼の嬉しそうな溜め息も、いそいそと玄関に向かう自分も。
「おかえり」
出迎えるなりずいと腕を差し出された。ランガが握るそれを一瞥して部屋に戻る。二人で買った一輪挿しがいいだろう。
「ありがとう」
適当に生けたそれを受け取りリビングに向かうランガの背中は、どことなく機嫌が良さそうに見えた。
「珍しいね」
君が花なんてと続ければ背中が「似てると思って」と返し、花と共に床へ座り込んだ。成長したとはいえ、家でのランガは相変わらず言葉が足りていない。
「何に」
「あなたに」
「……ふむ」
思わず横に座り、素っ気なく床に置かれたままの透明な一輪挿しを見る。
真っ青な薔薇。ランガには自分がこんな物に見えているらしい。
「例えばどこが?」
「色味とか」
解りやすいが喜ばしくもない回答だ。
「……君、青ければ何でも僕に見えたりする?」
「そんなことない」
よく見てとばかりに薔薇をぴしりと指したランガが
「ほら」
と言うわけだが根拠もなく似ていると言われてもどう受け取れば良いのか解らない。例え褒めの肝はそれのどこと近しく感じるかの解説だと思うのだが。
愛しい彼からなら「愛抱夢はこの青薔薇みたいに華やかで魅力的だね」なんて解りやすいお世辞でも全力で受け取る気はあるのに「似てない?」の一点張りでは。
更に気になるのが。
「……似てる似ていないはともかくとして僕と薔薇なら赤じゃないの?」
登場時からプロポーズまで。「Sの愛抱夢」が好んで選ぶのは真紅の薔薇、情熱の愛。それはランガも身を持って知っているはずだが。
「……え」
何故か意表を突かれたと言わんばかりにその表情が固まった。そしてゆっくりと動き始めると「ああ……」や「そっか……」などとぽつぽつ呟いて恥ずかしそうに顔を伏せる。ここが床で良かった。すかさず潜り込んで見上げる。
「なに? 教えて」
「いや……確かにそうなんだけど……愛抱夢があれ持ってる時って、その」
「うん」
「俺に渡すだろ」
「……ああ」
なるほど、理解できたが――折角なので本人の口から続きも話してもらおう。
「そうだね。君に渡すことも多い。で?」
「……絶対もう解ってる」
ランガは眉を下げ、けれど促されては話す他ないと諦めたようだ。こちらと薔薇を交互に見つつ言い訳を再開する。
「だから持ってたとしても、そのあと俺のほうに来るし……半分俺のみたいに思っちゃってたというか……」
「ふふ」
こらえきれずランガの頭を左右から抱える。
自分を象徴するはずの赤薔薇も、ランガからしてみれば二人の物らしい。なんとも無自覚に傲慢で素敵だ。
「……ごめん」
「怒るわけない。かわいいよ」
「青いのも嫌じゃない?」
「ああ」
軽く額を合わせてやると機嫌の良さが伝わったようだ、すっかり立ち直り通常の無表情に戻ったランガが「それなら」と花瓶をつつき
「これ、使いたい」
ようやく言えたという感じで息を吐く。わざわざ買って来た本来の理由はどうもそれだったようだ。
「悪くはないけど……」
おそらく各テーブルに置きたいのだろうが、少し主張が強い気がする。起き上がって傍らのスマホを手に取り数点写真を出した。
「染められた青よりも……ほら」
やや青紫に近いそれは唯一存在する本物の青薔薇、良い品だがランガが望むなら何だってしてテーブルどころか会場全て埋めてやってもいい。
「こんなのは?」
「違う」
即断もいいところだった。
「……色が薄い」
至極残念そうにランガが首を振る。
「これは愛抱夢じゃない」
「僕かどうかで花を決めるのはやめようか。……参考までに聞くけど、どこが僕じゃないと思う?」
「あなたはもっと強烈」
「強烈……」
本当に青なら何でもいいわけではなかったらしいが、強烈とは。
こちらの髪をふわふわと撫でつつもその驚愕は一切気にせず、ランガは視線を前へ。
「なんていうか……すごかったんだ」
ひたすら何かを追想するように青薔薇へと向けていた。
「全部奪われる、みたいな……」
熱烈な愛の告白も本人にその意識がなければ意味がない。こっそり溜め息をこぼす。
それに、奪われたのがランガだけだと思わないでほしい。
わざと強めに起き上がった。薔薇であろうが思い出であろうが、今ここにいる自分以外がランガの心を占めるのを許容できるほど優しくはなれない。特に今だけは、絶対に。
「実際に可能かは解らないけど、僕は薄いほうを選びたい」
衝撃で意識を引き戻されあたふたしていたランガがピクリと反応する。
「構わないよね? 僕にだって権利はある。何せ主役の片割れだ」
「……もう片方は俺なんだけど」
「会場の規模は君がどうしてもと泣きつくからかなり小さくしてあげたし料理も君が主体で選んでたじゃあないか」
「会場はあれでも広すぎるし、料理は……愛抱夢、見た目しか興味なかっただろ……」
項垂れるランガ、彼の食事に関しての焦りっぷりはかなり良かった。それまでぼうっと流されるままだった彼が「え……草と、花……?」と絶望してから嘘のようにキビキビと動き出したのを録画しなかったことが悔やまれる。
「食べられて美しい。良いだろう?」
「よくない……一生に一度なら、美味しくてお腹にたまるほうがいい……」
その程度の食事ならいくらだって食べさせてあげる、そう言えばまた嫌そうにするのが解っていたから言葉のかわりに横の体を抱き寄せた。わずかに首が傾けられ空いた肩へ、顔を埋める。
「薄くていいんだよ」
何も言わなくてもそうされることの喜びを知ってもうどれくらいだろうか。
「君が強烈だと感じた青、僕の苛烈さ――そんなもの、もうほとんど残っちゃいないんだから」
どいつもこいつもさっさと何処かへ行ってしまった。おそらく全員重度の幸福アレルギーだったのだ。
「今の僕ならこれくらい。薄いくらいで丁度いいさ」
「……もしかして俺のせい?」
眉ひとつ動かさないままランガがこちらを向く。それがからかいの表情だと解る人間は少なく、いつしか自分ははその内の一人になった。おそらく今後最もランガの全貌を知れる可能性を持つ男も自分に違いない。何せ手に入れたのだから、たった一つの特等席を。
「そう。君のせい。……責任とってね」
「任せて」
恋人のやる気に満ちた声。それに合わせるように薬指に嵌まった証明がきらりと光った。