これで完璧!一からわかる愛之介様講座復習編「……つまり愛之介様が頷いたとしてもそれが肯定の意味の頷きであるとまで判断してはいけない。全ては愛之介様が決めることだからだ」
「うん……」
「よって二番の『わからない』が正解だ。何か質問は?」
「ない……」
「なら設問七に移る。愛之介様が突然『○○に行きたい』と言い出した時だがこれは言ってみただけなので……」
「何をしてるんだ」
「あ、愛之介様。お疲れ様です」
いつの間に戻ったのだろうか。酷く訝しげに眉を寄せた主人に声をかけられた。ホワイトボードにマーカーを貼り付け、躊躇いなく返す。
「愛之介様講座をしています」
「……あ?」
更に眉が寄った。どうしたことだろう。
「命令は?」
「はい。誠心誠意遂行中です」
『自分が席を外す間少年を楽しませろ、絶対に退屈させるな』一応は考えてみたのだが。
「特に思い付かなかったので彼に希望を聞いたところこうなりました」
「お前は本当に……」
頭を振った主人がふいに目を開く。
「待て。彼が望んだのか、この……講座とやらを」
「はい」
まだ多少の困惑を含んだ問いに首肯すると、パッと周囲に花が咲いた。
「あなたの事が知りたいそうで」
「ふーん……」
平静を装いつつ横を抜けていく。少年の元に小走りで近づく後ろ姿はそわそわと嬉しそうだ。
少年の横に座り「そうなの?」と顔を覗き込んだ次の瞬間、主人の表情が一変した。つられて確認すると
「……」
少年の魂が完全に抜けている。
「……おい」
「申し訳ありません。熱が入りました」
「っ~~!後で覚えておけ……!」
一気に情報を詰めすぎてパンクしたらしい。通常時に輪をかけてぼんやりした顔の少年、その肩が猛烈な勢いで揺らされる。
「ランガくん、ランガくん」
「はっ」
意識が戻ったようだ。良かったとばかりに主人にひしと抱き締められた少年は人間らしくない声をあげ、焦点の合わない目で辺りを見回した。
「ここはどこ……暦とプーティンは」
「一つ目に関しては何とも言えないけど二つ目の方は後で存分にあげようね!大丈夫かい?」
「あ」
ようやく少年が主人を捉える。
「こんにちは。愛之介さま」
「…………」
「どうしたの?」
あいのすけさま、ともう一度、間違いなく名前が呼ばれた。
主人がぐるんと振り返る。血走った目が言葉無く訴えた――お前何を教えているんだ。少年に気づかれないように小さい動作で否定する。教えていません――。本当かと言いたげにすがめられた目に必死に首を振ると、ようやく鋭い眼光は逸らされた。解放感にほと息をつく。
「ランガくん、あれは」
「……?スネーク」
「僕は」
「愛之介さま……何?」
少年が首を倒した。発言のおかしさに一切気づいていない素振り。なら無意識だとして、その原因は。
主人がもう一度振り向く前に目を逸らした。間違いなく原因は自分にある。先ほど言いもしたが少々熱が入りすぎた。「スネーク、先生みたい。なんか眠くなる」少年がそう呟いた時点で止めにしておけば良かったかもしれない。返事をするからといって意志疎通ができているとは限らない、うつらうつらと身体を揺らしていた彼はおそらく軽い催眠状態に入っていたのだろう。同じ言葉を何度も聞かせられれば無意識下にそれを刻み込むほど。
さて、どうすれば良いだろう。自分が然り気無く指摘するのが一番角が立たないか、そう考えていたこちらを止めるように手があがった。
「待て。……審議に入る」
眉間をつまんで唸ったり軽く天井を見上げたり少年に名前を呼ばせたりした後、主人は高らかに宣言した。
「有りだ」
「そうですか」
有りだったらしい。少年の頭をなで回し何度も一人で頷いている。
「いつもの少しやんちゃな子供らしさも良いがこれも中々悪くない。あくまで自然なのが好ポイントだ」
ポイント制なのか。
「我に返った顔もまた良いだろうな……よし。喜べ、ポイントを倍にしてやる」
「私用だったんですか?」
「当たり前だろう。貯まったら有給に変えていいぞ」
「いえ、それ以外で……」
主人の世話をしない日なんて増えても困るだけだ。断れば信じられない顔をされた。割りとキツめの罵倒も来た。
「正気か?」
言葉を駆使しない分心からそう言っているのだと伝わる。
「命令を頂ければ、それで」
「……録音」
「はい」
「録画」
「はい」
「ホワイトボードが邪魔だ」
「すぐに片付けます」
結果として有意義な時間になった。第二回に向けて資料を用意しておこう。