噛み締めながらでいいから追え 全力で滑り下りたのに吸った息は冷たくて少し変な気分だ。これと良く似たものを十数年ランガは故郷で味わっていたらしい。あれだけ体力があってもよくバテる理由が分かる、気を付けないと僕だって帰ってから気づけないで無理しそう。
「やあ。楽しんでる?」
「……まあそれなりに」
「はは。素直じゃないなMIYAくんは」
ぶつからないギリギリの距離でボードが止まった。そうじゃないかとは思っていたけど、やっぱりこっちの才能も持ってるのか。癪だから困らせてあげよう。そんな悪戯心で肩に寄りかけていた手を掴む。
「でもこういう僕が好きだったんでしょ」
「今でも愛しているさ」
「一番?」
「それはもちろん――見て」
愛抱夢が手をかざす先は丘の頂上。今から丁度滑るところの。
「彼が一番」
得意げに笑う顔には動揺のどの字もない。やめとけばよかった。僕は別に自慢話を聞きたかったワケじゃないんだけど。
ランガが動き出す。いつもと違うこなれた感じはちょっとかっこよくて、それに。
「似合うね」
しまった、被ってる。
「当然か、彼は僕のスノーだもの」
「……オジサン無理して面白いこと言おうとしなくていいから」
実際、全然似ていない僕達が意見を一致させるほどにはランガと雪景色はよく似合っているのだと思う。暗いSだと目立つ見た目がこの広くて真っ白い世界にはこわいくらい馴染んで、一瞬姿が見えなくなるたび消えたんじゃってドキッとするくらい。
「彼の生家近くにある雪山はここの比ではない高さと斜面を持ち林も多い。ともすれば自分すら見失いそうななかを滑って行く姿……さぞ美しかっただろうな……」
「何で知ってるの」
「ただの想像だよ、はぁ会ってみたかった。――おや」
雪を散らしてランガが跳んだ。
「なんだか今日のランガ」
「はしゃいでいるね。僕の招待がよほど嬉しかったのかな。それとも僕と会えたことが?」
「嬉しいのは久々の雪じゃない?」
何度も宙に浮く身体が楽しくてたまらないとその全部で伝えてくる。ああいうときのランガは高校生なのに僕よりずっと子供みたいだ。嫌いじゃない。
「雪の中を跳ね回る白い影、人々の前に姿を現してはいたずらに誘う妖精の類い。冬にしか出会えない幻に彼はよく似ている」
「何その言い方……でも今だけは同意してあげるよ。たしかにランガってあれみたい――」
示し会わせたみたいに声が重なった。
「「雪男ユキウサギ」」
「「――――」」
「…………愛抱夢……本気?」
「MIYAくんこそ」
「いやどう見たって雪男の子供でしょ」
わんぱくで食いしん坊で親にべったりなやつ。迷子になってるところを見つけたのが出会いで一緒に家に帰ってあげないとクエスト進められなかったりするアレ。NPC人気投票六位くらいの。
「雪男とは茶色くて毛むくじゃらのアレだろう? 彼とはとても……」
並べたあるあるはさっぱり通じない。そういえば愛抱夢ってこれ系の話いまいち通じないんだった。
「……百歩譲って雪男じゃないとしてもウサギはどうなの? だってウサギってあのウサギだよね、白くてふわふわの」
「そうだよ」
「……小さくて、可愛い」
「ああ。小さくて可愛いだろう。彼は」
「……」
それは愛抱夢と比べたらそうかもしれないけど。でも。
「愛抱夢、僕のことどう思ってる? 小さくて可愛かったりする? 動物だったら何?」
「……今日は随分アプローチが大胆だね? MIYAくんは子猫のように小さく可愛いよ」
「じゃあランガは?」
観光客の間をすいすいと抜ける一人本気のシルエットを指す。僕もいずれあれくらいなるだろう上背の高さとゴーグルを着けていても何となく分かる顔の作りでちらほら注目されつつある彼が小さくて可愛いかと言えば当然。
「当たり前に小さくてこのうえなく可愛い。魅力的で目の離せない、僕の幼いユキウサギと言ったところか」
何か言ってあげる気にもなれなかった。
愛抱夢は物事の本質を見る目を持っているうえ頭の回転も驚くほど速い。変な事を言えばどんな風に見られるか、それでどれだけ自分が不利になるかだって分かってる筈だ。だとしても言うだなんて
「ん、ランガくんがこちらに来そうだ。ほらMIYAくんも手を振って。その方が勝率が上がる」
この人、ランガのこと、ほんとに本気なのかも。
どうやら僕らは勝ったらしい。さっきの愛抱夢以上にさらりとボードを止めたランガがゴーグルをあげる。
「愛抱夢、MIYA、何してるの?」
「……休憩」
「素晴らしいものを見せてもらったよ。楽しんでいるようだね」
「楽しいよ。一緒に滑る?」
「! ……良いね。それはすごく良い、ふふ……」
「早く行こう」
足元を踏みしめる愛抱夢をぐいぐい引っ張るランガはいつも以上にマイペース、というより最早強引だ。ぼんやり揺らぐばかりの青い目も反射光のせいかきらっきら。頬もよく見たらうっすら赤い。
「ああでも参ったな……可愛いユキウサギが僕の目の前に現れでもしたら、うっかり捕まえてしまいそうだ……そんな無粋な真似はしたくないんだが……」
「兎?」
ランガのことだと代わりにこっそり教えれば瞬きを数回。その度瞳のきらきらが強まっていって。
「……それなら俺は大丈夫」
――あ、珍しい。ランガが笑うこと自体レアだけどなかでもこれはレア中のレア、SSR。戦いたくてうずうずしてる時の。
「捕まえていいよ。捕まらないから」
言うなりリフトに向かって行くランガは、僕らが思っていたよりずっと楽しくなってるみたいだった。これは後々僕も誘われるだろうな。明日に向けてどれくらい体力を残せるかについては、あの状態のランガに誰が何回付き合えるかが重要だ。特に大人達の中でも体力底無しクラスのジョーとこの人――。
「……見た?」
「見た見た」
見たから早く行ってと感動に震える背中を押した。
急がないとまずいんじゃない。『僕の幼いユキウサギ』が捕まえられるのを待ってるよ。