リマインド・Q 代わる代わる並ぶ文章空白文章空白。学校で一度似たものに触れたことがある。これは。
「アンケート?」
うんうんと何度も頷く顔はいつも通りご機嫌だ。
夕食の買い出し帰り、一緒に掻っ攫われたのが良い感じのキャベツで良かった。もうすぐ暑さも本番だ。生肉なんか買っていたらもう。
「昨年の夏を覚えている?」
「それは、まあ」
覚えているかと言われればとてもよく覚えている。この一年と少しの間、楽しいことも悲しいことも沢山あった。特にあの夏は、一番楽しくなる前の助走みたいな、複雑だけど大切な時間だったと思う。
「僕も忘れない……君と初めて滑った運命の夜……トーナメントの開催を宣言する僕を熱く見つめる君の瞳……僕と愛し合うため懸命に戦う君を……」
夏の範囲が広くないだろうか。
「もちろんSの皆も君に、いや君と僕の愛に熱狂したわけだが。そうなると、だよ」
ととん、と愛抱夢が踵でシートを叩く。
「期待してしまうだろう?『今年の夏はどうなるんだ』『去年より楽しませろ』……観客というものはこれだから、身勝手で欲深くて……」
手を組みはあと息を吐く、その表情は、愚痴にも聞こえる言葉とは似合わない。
「実に、良い……!」
「良いんだ」
「もちろん。愚かであろうと信者は信者だ。神として平等に愛してあげなくちゃ。そこでそのアンケート」
ようやく話が戻った。
「皆にとびきりの夏を届けるためにまずは調査しようと思ってね。なに、簡単な質問ばかりだ。リラックスして答えてくれればいい」
「俺が答えるの?」
「……当然、皆に聞くよ。ただ最初は君であるべきだ。だろ、前トーナメント優勝者くん?」
「なるほど」
それが正しいかはともかく、選ばれた理屈は納得だ。何はともあれやってみようと手渡されたペン片手に最初の質問を。
「愛抱夢。大変だ」
「何が?……まさか、不審な点でも?」
そうではないので首を振って、もう一度質問を見る。
「読めない」
漢字含めた読み書きはだいぶ上達したはずなのにさっぱり読めない。何処かで見たことくらいはある気がするがそれだけだ。なにこれ。
正直に訴えると、異様なほど静かに愛抱夢が息を吐き「そっちか」と呟いた。身を乗り出し文字をなぞる。
「見せて。ああこれはアレだよ。僕がいつも君に贈る」
「ばら?」
「正解。良い子だ」
指先は文字から離れ、去るついでにこちらの頭を撫でて行った。そうか。ばら。どうりで見たことのある─。
「……愛抱夢」
この読めなかった漢字がばらだとして。
「質問がおかしくないか」
『ビーフする際どんな種類の薔薇をどれくらい受け取りたいですか』─前提が、うまく言えないけれど変な気がする。それなのに、
「おかしくない。重要なことだ」
愛抱夢の声は珍しいくらい真剣だった。
「ばら、要る?」
「要る」
「ビーフで?」
「……ランガくん。君は勘違いをしている」
語られた話ではこういう質問は直接的にしないものらしい。統計がどうとか傾向がなんだとか色々聞いた。聞いた端から抜けて行った。
「いいかい。難しく考える必要はない。フィーリングだ。君の『何となく』を僕は尊重しよう」
「……分かった」
優しい言葉に押されるようにペンを握る。そして回答欄になるべく丁寧な字で、要らない、と。
「よし。次行こう」
二問目に向かう手が止められた。
「……尊重するって言った」
「するさ。ただ理由も書いておいたらどうかなと」
置き場所がない。飾る量にも限界がある。受け取る時どんな顔をしたらいいか分からない。
「なるほど。参考にしよう」
それと書かなかったけれどもう一つ。この興味深げに回答を眺める男以外からそれを貰うイメージが少しも浮かばない。黄緑の玉にぽんと乗っけられた花束。後部座席のスペース的に仕方なくとも多少雑に見える置き方を、なんと先程の愛抱夢は喜んだ。君の生活に僕が馴染んでいる証拠だ─きっと彼以外はそんな事言わない。
だから他のは要らない。愛抱夢のだけでいい。
「そうそう。これはあくまでアンケートだから、何もかも君の要望のままにとは行かない。もし、仮に、他から有力な意見が出た場合そちらを優先することもある」
当たり前だ、アンケートなんだから。
再度二問目に進み。
「愛抱夢」
「読めない?分からない?」
「どっちも……」
この皮雨安?は何だろう。こっちのは?ここに書いてある愛のやり取りって具体的に何?
よく見れば質問のほとんどが見慣れない漢字や言い回しであふれている。めくってもめくっても終わらないページ、これを解読して考えて─夜までに帰れるか怪しくなってきた。
悩む手から紙束が抜かれる。
「仕方ない」
軽々アンケートを取った愛抱夢は空いている片手でこちらの肩を抱き寄せ、耳元で良い方法がある、と。
「読み聞かせてあげよう。噛み砕き、簡素に分かりやすく。僕の趣味ではないが、君が望むなら」
どうだと笑う顔、仮面の奥で片目が瞑られたのが何となく分かった。この何となくも尊重していいやつだろうか。
「ありがとう。よろしく」
「いいんだ。僕もこの機会に少々認識を改めたい。……そうかニュアンスすら把握していなかったか、なら今までの愛は届いて三割……まさかそれ以下……」
「何が?」
「こちらの話だから気にしないで。任せてくれランガくん、僕は今年の夏を無駄にする気は一切なく――ボディランゲージも得意だから!」
突然上から下まで飾られたパーティー状態の会場にはやっぱり客も大勢。けれどその多くが首を捻り、何が起きるのか分からないって顔をしている。結局あまり配らなかったのだろうか、アンケート。
それにしても大きなケーキだ。これだけは絶対にと頑張って答えた甲斐があった。上の人形も食べられるかな。何かに似てる気がする。気のせいか。
相変わらずバラを持って降りてきた男が叫ぶ。最高の夏を始めよう。うん、今年も忘れられない夏になりそうだ。