落ちる落ちてくる落ちる ジングルベルジングルベル。深夜に響く軽やかな鐘の音と、それに全く相応しくない疲労感。
疲れた。
プレゼント配りがここまで肉体労働だったとは。父さんは鍛えていたから平気だとして、世界に居るそうなおじいさんサンタクロースの皆さんは大丈夫なのだろうか。
「ランガ、次で最後」
ソリの中で荷物を確認していた真っ赤な背中が振り返る。サンタ役に張り切っていた相棒もすっかりお疲れ顔だ。くわえて一秒ごとにますます表情が曇っていくのはルートが悪いとかまだ早いから起きているかもとか散々理由を付けて後回しにした家に近づきつつあるからだろう。
「行きたくない?」
「別に……後悔してるだけ。疲れるって分かってんだから先に片付けとけば良かったなって」
事前に話を通してある以上行かない訳にもいかないし、と大きな包みを両脇に二つ抱える。
「もうソリ置いてくか」
「取られない?」
「こんなもん取る奴も居ないだろ。ゆっくり歩こうぜ。ゆっくり」
のろのろ進む暦を引きずりつつ着いた門の近く、暗闇からぬっと現れた手に招かれるままこっそりと侵入。お邪魔します。
「おっす、メリークリスマス」
サンタクロースが渡した包みに、手の主は片眉を上げ何か言おうとしていたけど「お前もだよ」と肩を叩かれて結局おそるおそる受け取っていた。案内するからと歩き出した背中を追いかけつつ暦は目線を目の前の腕からはみ出た包みとその足元に代わる代わる動かしている。凝り性のサンタクロースとしては例え全員分かっていてフリだったとしても寝ている間にお邪魔して用意されたそれに詰めて、って手順を全員分ちゃんと踏みたかったのかもしれない。剥ぎ取って詰めだしたら止めないとなあと思っているとスネークが足を止めた。
「ここだ。静かに、慎重に行け」
「わかってるって……それよりアレは?ちゃんとあるよな?」
「勿論用意済みだ」
「よっしゃ!行こうぜランガ、これ終わらせてパーティーだ!」
「パーティー……!」
はしゃぎかけた身へもう一度静かにと釘を刺され慌てて口を押さえる。確かにその通りだ。
というのもこの扉の向こう、スケートサンタとトナカイの最後のプレゼント対象者は――自分達が来る事を知らない。
全員分かったうえで行う遊びの筈が一体どうしてこんなリアルサンタに。答えはよく分からない。ただ今すやすや眠っているだろう人が最近Sに来ず、キャップマン経由で誘ってみたところ何故かスネークから返信が来たうえ、あれよあれよという間にそういう事になっていた。不思議だ。
二人して息をひそめ、せーので開いた扉の向こう。目を引いたのは家具でも部屋の主でも無かった。というかそこらへん全部見えなかった。視界に広がるのは赤色ばかり、侵入者を防ぐようにでんと置かれた大切なアレ。プレゼントを入れるための靴下――の筈なんだけど。
「でっか……」
「でかくね?……これに入れんの?これを?」
最早自立している巨大な靴下と手元の包みを交互に見た暦が浮かべた怪訝な表情に概ね同意。それなりに大きい筈の包みも人が一人縦にすっぽり収まってまだ余裕のありそうなサイズの靴下に入っていたら見劣りしそう。明日目覚めたあの人が見てがっかり、なんて想像するとちょっと悲しい。楽しんでもらえたら良いなと思っていただけに残念だ。
とは言え他にプレゼントの用意も無い。
「……よっと。どうだ。中見えるか」
「見える」
持ち上げられた身体を何とか靴下の縁にもたれかからせる。厚みがあるのか多少体重を掛けてもぐらつきさえしない。こういう軽業は自分より比較的小さい暦がした方が良いと思うのだけど、スネークが譲らなかった。
ひとまず出してみた手は空を掴むばかり。まだ真っ暗にしか見えない底になんて当然届かない。
少しだけ力を入れて腕を伸ばす。まだ届かない。思い切って身を乗り出せば気を付けろと暦が叫んだ。包みの中身はそんなやわな物じゃないから、たとえぽいっと投げ落としてしまったって問題はない。分かっている。だけどもう少しだけ。
だって、はじめてなんだって。
聞いてしまった。最初少し信じられなくて、しばらくしてまあそういう事もあるのかなと結論付けて、そしてじわじわ頑張ろうと思った。
初めては特別だ。スノーボードも、スケートも。クリスマスのお楽しみも。知らないまま生きていても良いと思う。けれど知れたなら、それを楽しむかどうか選べるようになる。
たいして知らない人。ひりつく夜に楽しそうに笑っていた人。月明かりの中険しい顔でけれど一番楽しそうに滑っていたあの人に、あなたの知らない楽しいことがもっともっとあるんだよって言いたくなる、この気持ちは何なんだろう。
分からないまま体をより深く靴下内へ。出来る限り近付けばようやく底がはっきりと見え――いや、やっぱり見えない。敷き詰められているあれらはなんだろう。白っぽくて沢山あって、表面はスポンジのような。
「暦、何か」
あるよ、と言いかけた途端ちょっとした衝撃。バランスを崩した体は続く不可解な揺れに耐えきれず呆気なく靴下の中へと落ちた。
「ランガーッ!?おいお前なんで急にぶつかったんだよ、ランガ絶対骨折ったぞ!?」
それが意外と無事だったりする。先程見つけたスポンジの群れが受け止めてくれたからかもしれない。
「平気、落ちただけー……」
「だけじゃ……って、え?何?……は……?」
戸惑うような暦の声が消え一人くらいの足音が遠ざかるとしんと部屋が静かになった。
状況を確認したいけど胸から下は完全に埋もれていて動けないし、スポンジの白さ程度では暗い視界はどうにもならない。改めて認識すると、何だかどうしようもない寂しさが押し寄せてくる。このままずっとこうだったらどうしよう。真っ暗な中に一人なんて。
疲労と不安が生む嫌な想像から逃げたくて、誰も居ないと知りながら上を向く。
覗き込む顔と目が合った。
暗いなか少しだけさす明かりは髪の輪郭をはっきりさせるくらいで鮮明に顔が見えている訳じゃない。けれど髪の隙間から覗く赤は記憶の中と同じ色をしていた。何を言えばいいだろう。分からなくて、思いついた端から口に出す。
「こんばんは……えっと、起こしてごめん」
いいんだ、と首を横に振る間も瞳はずっと信じられないものがそこにあるみたいに丸くなったまま、視線も自分から離れる事は無かった。まあ深夜部屋に突然知り合いが現れたらそうなるか。なんか浮かれた格好までしているし。
「……あ、そうだ」
幸い守れた包みを掲げる。限界まで頑張れば何とか届きそうだ。
サンタクロースは現在不在のようなので急遽交代代わってトナカイ。実はちょっとやってみたかった。巡って来たチャンスがこの人なんてラッキーかも。埋まっているけど。
「メリークリスマス。プレゼントをどうぞ」
お決まりの文句に目が数度瞬いて、ぽつりと小さな声がした。
「くれるの?」
勿論。あなただけ例外なんてことはない。今日はクリスマスで自分は代理サンタ。プレゼントをもらえる条件はとびきりのが一つだけ。そしてあなたはずっと、ずっとそうだったのだと何でかな、自分には分かるから。
手を伸ばす。スケートを愛する良い子のあなたへ。どうか受け取ってくれますように。
「好きだよね」
「……うん」
包みが手から離れ靴下の向こう側に消えた。かと思えば、急に世界がゆっくりと動き出す。それは自分が驚くあまり錯覚しているからでだんだん視界を黒い影が埋めていくように見えるのは単にこちらへ近づいているからだと気づいた頃には飛び込んできた身体を目いっぱい受け止めていた。
勢いでスポンジが小さく飛んだり跳ねたりするなか彼が顔をあげる。乱れた髪をかき上げて真っ暗な底の中でもやっぱりよく見えるつやつやの瞳を細めて、最後にこちらをぎゅっと抱きしめると笑った。
「大好き」
変だな。出られないのも助けが来ないのも変わらないのに、何だかちっともこわくない。