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    20211119 月がきれいな日だった 闇堕ち

    ##暗い
    ##全年齢

    誕生 S――妨害、計略、はては暴力行為も時に合法となる危険地帯。不良の溜まり場、悪党の棲み処。そう切り捨てる輩が大多数であろう地をしかし神道愛之介はこここそ己の理想でありこの世の最果てにある原初の救いなのだと信じてやまない。
    「だってそうだろう」
     傍らの少年に翻り、神道は底のない夜を求めるように両手を空へ掲げた。
    「どんなに非道な行いでも許される場所は、いつまでもありえない夢を見られる場所でもある。あれが欲しいと幼子のようにごねるのも自由、もちろん――」
     先端まで、一本一本に別個の生命が宿っているかの如くうごめく五指が月を覆う。手の中の天体はうっとりとなで回されたと思えば。ぐしゃり。次の瞬間左右から押しつぶされた。
    「捨てることも自由だ」
     神道には今己がどうしようもなく酔っている自覚があった。満月の下今宵起きた出来事。その顛末が身体を全能感で満たしている。昂りに支配されるまま王者気取りで言葉を放てば身を包んでくるなんともいえぬ心地よさ。それに神道は自ら溺れていた。
    「ここは遊び場だよ。僕らの――君と僕だけが息をする時の止まった世界。退化もなく未来もない孤島――」
    「ネバーランド」
    「……おや」
     こうした言葉遊びにこの少年が反応を返す事はそう無い。思わぬ食いつきに機嫌をよくし神道は深く頷く。
    「そうとも。子供だけの楽園だ」
    「あなたが、子供?」
    「僕は子供だよ――そんな夢も見られる。ここでなら」
    「夢……」
     復唱しつつ少年はのろのろと瞬きを。どこか放心しているようでもある仕草は神道の言葉を噛み締めているとも、話しかけた身でありながら神道を放置し眼前の景色へ意識を戻したとも解釈出来た。どちらでもあるのだろう。少年は――馳河ランガは年齢にしてはひねたところも無く誠実だが、決して器用では無かった。面前に広がる地獄の如き光景を切り離すことなど彼には出来ない。
     ランガの、あるいは神道の前に積み重なる物はまさしく人であった。背をつけ、うつ伏せで、見知った顔ぶれも多数、そのどれもが昏倒している。
    「皆も夢を見れてるかな」
    「とびきり美しいのを見ているさ」
    「よかった」
     一人の漏れも無く全員を沈めた身が放った言葉にしかし神道は驚かない。胸に手をあて安堵のため息を溢す少年が戦いの最中いかに心を痛めていたかなど、本人から聞くまでも無く理解していた。たとえそのスケートに、相手を突き放す滑りに、一切の迷いが無かったとしても。
    「皆辛そうだった」
     苦し気に目を伏せるランガの肩をさりげなく抱きながら神道は眼前にずらりと並んだ顔ぶれへ数十分前の記憶を重ね合わせる。
     確かにランガの言う通り彼等はどれもこれも張り詰め真剣で、神道からしてみれば実につまらなかった。
     だが――いいじゃないか。
     神道は目を細める。
     今横たわる彼等はほとんどが意識を失い当然感情を出す様子も無かった。何としてでも止めると睨んできた険しい目も閉じている。傷まみれの安らかな寝顔ばかりが並ぶのみだ。
     実にいい。
     彼等を見るうちに神道の唇は自然と笑みの形をとっていた。あまりに滑稽すぎる物を見た人間は自ずと笑みを浮かべる。神道のそれはそういう部類の表情だった。哀れみ、蔑み、嘲り。
     ランガと違い神道は彼らに微塵も同情していない。むしろ当然の末路だと思っていた。
     何も知らない愚者が神道を語り彼の愛を語ったのだ。到底許せる筈も無い。ランガが取りこぼした分は自分が、そうして一人残らず叩き潰してやろうと目論んでいた神道だがしかし結局彼の汚れ切った手に今夜再び出番が来る事は無かった。
     胸元のボタンをなぞる手。見えない返り血で染まった白い手を持つ少年は悲しみを誤魔化すように首を振る。
    「スケートってそんな気持ちでするものじゃないと思うんだ。スケートは――」
    「『楽しくてするものだ』?」
     毎回のように聞かせられその呆れるほど優しい答えを神道はすっかり覚えてしまっていた。
     彼自身の精神的支柱ともいえるそれを全身に巡らすようにランガが深く呼吸をする。
    「……うん。皆にそう思ってほしかった」
    「優しい子だね。君の献身を彼らはきっと忘れない」
     そう。忘れられる筈も無い。
     彼等は全員ランガに負けた。年端もいかぬ一人の少年に何もかも肯定され、手を差しのべられ、その上で追い付けずに勝手に果てていったのだ。完全敗北と言わず何と言おうか。挑戦者達の中に少数居るだろう無様な結末を簡単に忘れる事も出来ない愚か者たちに向け神道は心中で呟く。可哀そうに。
     倒れ伏す敗北者達は皆等しく同じ夢を見ているに違いなかった。
     前を行く粉雪の少年に追い付こうと滑り、しかし叶わず吹雪にのまれる夢。何と美しい悪夢だろう。あまりに美しいものだから起きたとしてもその夢が覚める事はない。
     朝日と共に目覚めた彼らは気づくのだ――コースアウトした瞬間自分達は静謐たる氷の城に囚われ、その魂に秘めていた熱を全て奪われたと。
    「今頃夢の中で君と勝負の続きでもしているかも」
    「それは……すごく、いい。楽しそう」
     一瞬思い悩むのを止め空へと向けられた少年の横顔は月明かりでラインが際立ち、足元に横たわる敗者を含めて一枚の絵画のようだ。民衆を導く聖人――あるいは屍の元に降り立つ天使。
     “その時”は近い。少年に倣い空を見上げようとしていた神道はしかし、生きる芸術を汚す者の気配に眉を震わせた。
     届くか否かの距離から確かに聞こえる呻き声。人山の中から極々僅かずつ這い出てくる腕を蹴りあげたい衝動に襲われた神道だがランガの手前そうも行かない。舌打ちで堪えつつも以前から何度も水を差してきた腕とその持ち主への感情は振り切れかけていた。雑魚でありながらしぶとく鬱陶しいことこの上ない。そのうえ腕の持ち主はどうしようと神道が唯一手に入れられない立ち位置を得ている。
     当然ランガが気付かない訳も無い。腕のもとへ駆け寄り伸ばされたそれを抱く少年の姿に神道は眩暈を覚えた。共にあろうがランガへの神道の渇望は未だ強く、その心は常にランガが自分の元から去る可能性から目を逸らせないでいる。
     だが神道の恐れは杞憂であった。
    「ありがとう」
     ランガは労るように腕をさすり、言葉を。
    「でももういいよ」
     見て取れるほど脱力した腕をそっと地面に下ろし、ランガは再び前へと目を向けた。打ち捨てられた敗残者の群れへ注ぐ眼差しは温かい。
    「……ね、愛抱夢」
    「何だい」
     神道が期待する中、瞳が月光もかくやと思う程の輝きを放つ。
     それは心から大切に思う物を見る目であった。――断じて、己が磨り潰した人間を見る目では無かった。
     「俺、皆のことが好きだな」
     口角をゆるめるだけのささやかな微笑みが宣告のように神道を貫く。
     今だ。この瞬間、ランガは完成した。
     目の前の障害を屠りながら慈しむ。それこそ神道が喉から手が出るほど欲した理想の少年、その愛だ。
     どこまでも無垢だったランガの愛をここまで歪に仕立て上げたのは他ならぬ神道だった。少年に神道が与えた至上の毒。時に指先を媒介として少年を汚染し、時に人間の形をとり立ちふさがった毒を少年はあっさりと飲み干し糧にした。
     神道が見極めた限界ライン。張りつめたロープの上で踊る度ランガは美しくなった。神道好みの危うさを手に入れていった。
     そしてこの特別な月夜に再び生まれたのだ。殻を破り、産声をあげ、神道の求めた姿そのままで。
     震える手が無防備に立つ身体へと伸ばされる。神道の願いは一つだった。ずっと求めていたただひとり。これを折れる程に抱き締めたい。
    「ああ……ランガ――僕の――」
    「でもね」
     身体へ辿り着く前に神道の手を取ったランガは、驚く“もうひとり”へばつが悪そうに眉を下げた。
    「ちょっと足りない、かも」
     しんと静まり返ったSに男の笑い声が響く。この世の喜びを全て受けたかのような叫びにも近い声は本人の表情にも隣でやや不満げにしている少年にも相応しく無かったが、倒れたプレーヤー達には良く似合っていた。その悪夢に笑う悪魔が足された事間違いない。
    「あなたが欲しい。いいだろ」
    「……勿論。食らいつくしてくれ。僕のイブ」
     しかしそれらは二人にとって全て関係の無い話だ。
     歩き出す二人分の足を止める者はもう何処にも居ない。目の前を行く少年がそれを気にしていない、自分との勝負しか――自分の事しか考えていない事に神道は踵を弾ませていたが。
    「今日、明るいから面白くて良い」
     そうランガが言った瞬間その脳は喜びのあまり忘れかけていた“その時”を取り戻した。共に見られたならと熱望していたのを笑顔の下に隠し、愛しい少年へ神道は返す。
    「いいや。それはどうかな」
     思わぬ否定だったのだろう。ランガは瞬きを増やし、神道が指すまま月へ目を向けた。その輝きが奇妙な現象に深まるさまは想像していた以上に神道の心を逸らす。この瞳を、この身体を。はやく、はやく、自分のものに。
     赤い月すら呑み込む夜に子供は子供へ祝福を贈る。ここは確かに彼らの国だった。彼らだけの楽園であった。
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