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    20211216 死んでいる それが何だよ
    暗…暗いかな…?でも死んでる時点で暗いか

    ##暗い
    ##全年齢

    さいていのしろきたれり 大切だったあれもこれも燃えれば全ておしまいだった。きっと何でも同じだろう。物も、人も。
    「あ。こんばんは」
     だから『これ』は。
     
     朝食中はどこかへ行っているよう告げれば戸惑いを返されることもなく閉まる扉が音を立てた。段取りなどあっただろうにも関わらずあの男が素直に命令に従ったのは良き犬であるから。それだけでは決して無いだろう。きっとあれ自身気付いているのだ。ここ数日己が主人へ向けている犬にあるまじき憂える視線を。
     かすかな靴音さえ無くなってから、そうっと立ち上がりもっとも近くの椅子を引く。すると。
    「どうも」
     自分以外がこの場に居たならひどく奇妙な現象に肝を冷やしているに違いない。ぽふ、ぽふ、と自然には発生しない靴音らしきものが鳴り絨毯が僅かに凹む。それらを気にもせずすとんと椅子へ掛けた彼は途端腹を鳴らした。思わず悪態が口をつく。
    「へえ、生きたことも無いのに空腹にはなるのか」
     何も言わず胃を撫でるさまに何故か無性に腹がたち、目の前の皿とバスケットをぐいと横へ押しやった。
    「……食べれば」
     朝はあまり食欲がわかないから。言葉は全て嘘だった。朝食はそれなりにしっかり取る方だし食欲が無いとしたら原因は間違いなく朝だからでは無い。けれどそんな事彼は知るわけもなく目の前のパンやらにぱっと顔を輝かせる。よく似ていた。だからこそ耐え難く、つい顔を逸らす。
    「全部あげる。君には足りないかもしれないけど」
    「ありがとう。でもあなたの分をくれなくても大丈夫だよ。俺は霊体もらうから」
    「は?」
     形容しがたい音につられ顔を戻せば一瞬目を離した隙に予想外の光景が現れていた。いただきます。合わせられた手の前では先程彼へ渡した皿とバスケットに瓜二つのただしひどくぶれた存在が揺らぎ続けている。呆気に取られるこちらを置き去りにパンらしきものを一口ちぎって口へ放り、気に入ったのかランガはほほえんだ。
    「おいしい」
     そうだった。こういう、理解できないことを平気でする子供だった。こんなところまでそのままなのか。嫌になるな。
     
     わざわざ強めに叩いたドアをするりと抜けて入り平気で座ってくるのは挑発行為と見なして良いだろうか。
     彼以外の何者かであれば即断するが、しかし車窓からの景色をぼんやり眺める横顔はかつて見たとある少年の横顔と全く変わらないので悩んでしまう。本物の彼がそのような真似をするところを自分は見た事がない。だがこの偽者だか自分が生み出した幻覚だか分からない生き物が見た目以外も本物とまるで同じであることもまた、数日これと共に過ごした体感だった。
     こんばんは、と真っ暗な部屋に声が響いたとき。まず焦がれるあまり耳が異常を起こしたのだと解釈した。しかし電気を点けてすぐこの異常は耳だけでなく目にもそして脳にて起きているのだと、部屋の中心で突っ立つ見知った姿を前に悟った。
    「愛抱夢。久しぶり」
     もっとも最近会話した時と同じ服、同じ気安さで声をかけてくる彼に何を言えば良かったのか。そうかな僕の方はそこまで久しぶりには思わないけど。何でこんなところに居るんだ。うん、久しぶり。君に会えて。すべて間違いに思えた。だから力の抜けた顔をそのままに、有り得ない存在へただ目を向けていた。普通の人間のように。
     言葉ひとつ扱えなくなった自分をわらうことも気にすることもなくランガは。
    「俺と滑って」
     いつもの唐突さを以てそう言った。
     
     廊下に背をつけランガは空中を見ていた。その身体を他人が次々通っていく。ぞっとしない光景だが本人は特に興味が無いようだ。結局彼はこちらが近づくまで世界に無視され続けていた。
    「愛抱夢」
     この場では決して呼ばれる筈のない名前にくすぐられるような感覚が首筋を襲う。もう一つの名もそろそろ耳に馴染んだだろうにランガは頑なにこちらを愛抱夢と呼んだ。あなたはこっちだ。俺はこっちしか知らない。言いきる身に命じるのも馬鹿らしかった。それに本物の彼もそのように言う気がしたから。
     スマホを顔の横へ。そうして通話のふりで、横に戻ってきたランガへ話しかける。
    「君、こんなところまで付いてくるわりに肝心な場所には入ってこないよね」
    「だって仕事だろ。邪魔になる」
    「一応今も仕事中なんだが」
     あっ、と言うように口を丸くしたランガがどこぞへ走り出す前に止めた。誰かに虚空へ手を伸ばしているさまを目撃される前に掴んだ手ごと身体の横に置く。
    「離れろとは言ってない。迷ったらどうする。君を探すのは骨が折れるんだ」
     何せ目撃者も居なければGPSも作動しない。他人の行きそうな場所を手当たり次第探すなんて初めてだ。自分に相応しくはないだろう行為はしかしやめる気にはならなかった。見つける度駆け寄ってくる迷惑者への怒りの他様々な感情が原動力として絶えずうまれる限り。
    「迷子になっても助けてあげないよ」
     意味深な視線の意味は分からないでもない。
     確かにこのランガが目の前から姿を消す度自分は探すようにしているが、それは幻覚が自分の管理下に無いと気にくわないのと放置して騒ぎでも起きたら困るからだ。捨て置くことが出来ないだけ。厄介だと思う。偽物のくせに、振り回して。
     スマホとは反対側から声が聞こえる。
    「あのさ。愛抱夢って忙しい?」
    「……まあ」
     返答に困った理由をランガが察せられるわけもなかった。本物もそうだった。善良ではあったが敏くはなく、けれど人のやわいところを見つけるのだけはうまい。
    「でも最近は沢山S来てたよね」
     今は行っていないと言うとランガは困ったように顔をしかめる。分かっていた。彼の日付や時間に関する感覚は本物の自分が過ごした日々を元にしている。最近とはおそらく彼が最後に滑ったあたり。少しだけ遠くなった時間を指しているのだろう。
     理解しながら何故はぐらかすような言動をしてしまったかと言えば、訊かれたくなかったからだ。
     どうしてと訊かれたなら必ず自分は答えてしまう。君に会いに行っていた。そんなふうに。子どものように。それにランガが何と返してこようときっと自分は嬉しくなって、そして。
    「ねえ。今晩は何が食べたい? 何でも聞いてあげる。本物にはまだ早いと思って連れていけなかったところが沢山あるんだ。君ならいいだろう、見えないし……」
     足が止まる。いつのまにこちらの前へ回り込んでいたランガ。その手がスマホを持つそれに触れた。表情は無に近い。強いて言うなら、悲しそう、だろうか。
    「……愛抱夢。俺は」
    「いいや。君は偽者だ」
     本物のランガはそんな顔をしない。自分へ見せてくれなどもしない。そもそもこれが本物ならばここに居る訳がなかった。時折滑るだけ、それで満足だと唱えて関係に名をつけることさえしなかった自分の元へ彼は来ない。だから偽者だ。これは形だけ似せた、自分の願望に違いないのだった。
     
     更に数日経ち互いに慣れたのだと思う。背後からこちらの肩に顔をのせ、許可も取らずにランガはスマホを覗き込む。
    「何見てるの……あ」
     その顔が喜びに染まるのを視界の端で捉えた。スマホ内ではプレーヤー達が各々好きに滑り自身の持つ才を見せあっている。背景こそ全く別の土地だが雰囲気はそれなりに、あの場所と似ているのではないだろうか。
     置いたスマホにランガが夢中になっている間に横のファイルを取る。ぱらぱらとめくるうちにひどく疲れたような心持ちになり放れば、彼にしては珍しいことに気付いたようだった。
    「それは?」
    「……資料」
    「何の?」
     唇がわずかに震えた理由を自分自身知らない。
    「……君の代わりになる……かもしれない、プレーヤー達……」
     そう、とランガは再びスマホへ顔を向ける。横顔には傷ひとつ無かった。それに対して抱くべき感情も分からず傍観していると。
    「……この人とかどう?」
    「ええ……?」
     それでいいのか。気になるものの自身ありげな顔に反応しないうちは話が進みそうもない。仕方なく近づきスマホを覗く。ランガが示したプレーヤーは確かに悪くはなかった。しかし。
    「……全然違う。全くそそられない」
    「じゃあ、こっち」
    「趣味ではないな」
    「いつもの皆のなかからじゃ駄目なの? こっちは?」
    「駄目だね、僕はそこまで節操無しではないし提案だけでも血を見そうだ。面白味に欠ける。却下」
    「後ろの……」
    「優雅さが足りない」
    「……この人!」
    「嫌だ」
     がっくりと項垂れるランガだが、何故分からないのだろう。全員良きプレーヤーではあるものの自分の好みには一切当てはまっていなかった。自分は彼らと比べより美しくより涼やか、無垢に残酷鋭く孤高でかつ内に自身を燃やすほどの熱を秘めた、そんな存在を求めているのだ。
     最高の条件に、しかしランガは眉をひそめる。
    「そんな人居るかな」
    「居るさ」
     言葉は強く口から出た。必ず居る。どこでも良い、日本が駄目なら世界でも。探し続ければ世界のはしっこで一人くらいは見つけられる筈だ。
    「居るに決まっている」
     信じられるのはだって、知っているから。会える筈のない存在だろうと願えば会いに来ることを未だ網膜に焼き付く青い月と白い夜が示してやまないから。それを見せてくれたもう一人は、生憎自分の前には偽物しか居なくなったけれど。
    「見つけてみせる。君を、いや君以上に僕を楽しませてくれるような誰かを。だから君は」
     回された腕には体温など無い筈だ。それなのに、おかしなことに、しみるほど熱かった。わかったと声がする。いいや、君はずっと何も分かっていない。だから今そんな顔でそんなことを言えるのだ。
    「それじゃあ今から滑ろうか」
     
     世界から見れば自分一人。いつか立った舞台、そのスタートラインにて止まる。ボードは二つ。足元と腕の中。腕の方を渡せばランガは大きく瞬きを繰り返した。何で、どうして、と目で訴えてくる。
    「本物ではないよ。それはレプリカ」
     何となく作らせてそのまましまいこんでいた物だ。腕を上げ月にかざし、しげしげとボードを眺めているランガだって夜の暗さで誤魔化されているだけで、もうすぐ訪れる朝日がこの場を照らしたなら、彼も傷の見当たらないデッキや若干の形違いにすぐ気付くだろう。
    「映像を元に再現させたものだから違和感はあるかもしれないが……」
    「ううん。ありがとう、嬉しい」
    「……良いんだ」
     無理に顔をこちらへ向かせればランガはほんのり不満げに目を伏せる。こんな表情を見るのも久しぶりだ。思えば少しだけ、悪戯心のようなものが。
    「これは僕がしたくてやったこと。ボードが違うから本気を出せませんでした、なんて君に言い訳させたくないだけだから」
    「……しないし」
    「そう? なら手加減もしないし置いて行かれた君が大泣きしたところで慰めてもあげないけど」
    「いい。っていうか変なの。何で手加減? しかも俺が置いてかれる前提?」
    「おや、置いていかれるのは僕だと?」
    「そうは言ってない。やってみなきゃわからないってこと」
     不満をあらわに言い返してくる顔はもしかすると初めて見るかもしれなかった。本物にはこんな言い方はしないよう気を付けていたから。何を言えば傷付くのか、どうすれば喜ばせられるか分からなくておそるおそる指先を伸ばしていた。今ほんのわずかにそれを後悔する。
    「どうかな。君、しばらく滑っていないだろう。自信があるのは結構だが慢心は身を滅ぼすよ」
    「愛抱夢だって全然滑ってない」
    「僕には長年の積み重ねがある」
    「……時間の話はずるい!」
    「……はは。ああ、そうだね」
     確かにこればかりは自分が悪い。素直に謝り、
    「さて」
     体勢を整えだせば、分かりやすく隣の空気が変わった。ずるいなんて子供らしく口を尖らせていた面影さえなく前を見据える目は遠い空かつ浅い海。焦がれても直接掴めはしない、自分のものにはならない色彩がしかし他の何者にも奪われない瞬間を知っている。
     行こうか。呟けばランガは頷く。何処まで、何時まで、そんな事訊きはしない。きっと二人とも背後へ迫るものに気付いている。けれど。
     やかましい合図の代わり、はじいたそれが落ちるまでの一瞬。確かに世界は自分達の物だった。
     
     気付くと片手、指一本に力が入らなくなっていた。動かすうちに何処かへぶつけたらしく全く反応しない。だがしかし今後の生活について考え面倒だと思うことも、そもそも考えもしなかった。これは今だけの傷でありこの時間が終われば何もかも元通りになるのだろう。そう何故だか理解していた。
     正面からは風、背後では削られる地が絶えず叫んでいる。自信には裏付けされたものがあったらしい。突き放せるかと思っていたので正直意外だった。思わずそれなりにまっとうに滑ってしまうほどには。
     まだ余力はあるものの、このまま滑り続けたなら何が起こるか分からない。指一本程度で済んでいるうちに終わりにすべきだ。
     わかっている。しかし。
     内から。外から。身体が痛む。きしみ苦しみながら、それでも息の通る場所を探し前へ進む。後ろからついてくる音へ、たまらない喜びを抱きながら。
     何故か理解出来ていることはもうひとつあった。もし自分がスピードを落とすかあるいは「もういい」と感じたなら。きっと今自分の後を追い、ときには先へ行こうとするもう一人は反発することなく共に勝負を下りてくれるのだろう。それは彼の優しさであり、捻れた見方をすれば慈愛にも感じられ、しかし自分にとっての幸福には何より遠かった。
     気を失っては強引に引き戻す。そうしてまた耳を澄まし、まだ居るのかと腹を立て、ならこれはどうだとなけなしの体力を捧ぐ。時に笑いすら浮かべながら。
     これこそ幸福だ。
     拭った頬が熱く心地好かったせいか。思わず弧を描くようにボードを回し、背後を見据えたのは。どうしようもなく失敗だったのだろう。
    「――――」
     こうなることを知って、望んだのに。
     明るくなりつつある空がひたすらに憎らしかった。
     
     自分がボードから足を離せばランガも倣った。しかし同じとは言い難い。彼の足は既に、おそらく朝日が上りつつあった頃から、もはや自分にさえ見えづらくなっている。
    「楽しかったね」
     言葉の意味は分かるのに何か言えば「それ」が始まると思うと何も返したくはない。けれどランガがじっと言葉を待つものだから答えるしかなかった。
    「ああ。偽者にしては楽しめたよ」
    「だから偽物じゃない」
     肩を落とすランガ。その身体は朝日に透け、そして朝日とは別の光の粒を纏い出している。
    「……まあいっか。誤解は残念だけど。こうなる前に滑れたし」
    「逆だろ」
    「あ。うん、そう。わかるんだ」
    「分かるよ」
    「そう」丸くなった目を細めて「すごいな」少年が笑うのも不満だ。分からない筈がないので。滑ろうか。そんな短い約束をどれだけ自分が楽しみにしていたか彼は知らない。けれど知らなくとも、同じ思いを抱いたからあの夜自分の前に現れたのだとしたら。これほど嬉しいことも無いのだろう。
    「愛抱夢。すごく楽しかった。忘れない」
     ありがとう、とこの口に告げられるのは何度めだったか。
    「それじゃあ、」
     
     
     
     
     手は繋げた。もう殆ど消えているにも関わらずだ。どうなっている。いや、どうだって良い。繋ぎ止められるなら。
     ランガは驚いているようだ。当たり前だろう。朝が来るまで滑り続け互いの全てを出し尽くした。高レベルのプレーヤー同士としてとても良い終わりを迎えられた、その筈がこんな。
    「……なに?」
     何だ。自分は今彼に何を言いたい。このなけなしの未練も無くなったあるべき場所に還る子供へ。
     もう少し居れば。消えかけに何を言う。朝食の話でもするか。いや彼は一度決めたらそんな誘惑には乗りやしないだろう。いっそ泣き真似でもするか。悲しませるだけだ。彼にはもうどうすることもできないのに。
     心底悔しい。何か言わなくてはと思えば思うほど言葉が詰まっていく。
    「……きみ」
     わからない。
    「ランガくん」
     なんと言えば彼を引き留められる。
    「……名前」
    「……え?」
     驚いた表情のままぽつりとランガが呟いた。
    「会いに来てから、初めて呼ばれた……」
     その目のうちで星が流れれば。あの日のように。何度でも心は白く。
    「……そんなもの。そんなことで良ければいくらでもする。ランガでもスノーでも、君の呼ばれたいように呼んでやる」
     何処でだろうと叫んでみせよう。人が居ようが居まいが構わず君を個として、存在するものとして扱おう。言えば我に返ったようにそれは止めた方がとランガは眉を下げる。驚かれるよ。と。思わなくもない、しかしこの場では考えても詮無いことだ。
    「そうだ。君が今ここで消えても僕は同じことをする。霊媒師でも何でも呼んで君ともう一度会おうとする」
     本当にするかは分からないが今はそう言い張る。
    「生涯君を探して全部注ぎ込んで神道は気が狂ったと誰からも噂されてやる。君の元にも届くくらいの奴を死ぬまでされ続けてやる。僕が求めているのが君だと知られたならきっと面倒なことになるよ。だが君がここに居ればそんな未来は生まれない。だから」
     何もかもがうろんだった。そして阿呆らしかった。既に気が狂っているのだろうか。それならそれで良い。霊が来てスケートに誘うなど――こんな眉唾話、有り得ない世界でいつまでも正気を保っていた、それこそおかしかったのだ。
    「だからこのまま僕の傍に居ればいい」
    「ありがとう」
     礼なんて今一番欲しくなかった。
    「でも」
    「……分かってる!」
     肩を掴んだ指先の殆どが空を掻く。唯一ランガの身体を感じ取れたのは、先ほど力を失った一本だった。今は不思議と感覚のあるそれに痛い程力を込める。
    「だとしてもどうか望んでくれ。君がそうしてくれるなら、僕は何をしても君を留めてみせる」
     言葉は空虚だ。
     滑れば終わることなどとうに知っていたのに彼の誘いに乗った。理由を考えるまでもなく自分は最低で、加えて今厚顔にも更なる愚行に走ろうとしている。
    「僕とのスケートが忘れられないくらい楽しかったのだろう。もっと滑りたい、滑らせろと願うと良い。きっと叶う。まだ君はここに居られる筈だ」
    「……だけど」
     ランガがどこか苦しげに口を開く。分かっている。もしそんな事で本当に現世に留まれたとしても一度滑ればまた消えるだけだ。
    「居ても滑れないなら、俺は。あなたも」
    「そうだ。滑れない君なんて君じゃない。偽者だ」
     言葉に強ばったように見えた身体はしかしもう触れても感触など無く、腕は抜け、抱きしめることも出来なかった。本物の、生身ではないからだ。これはおしまいのさきに生まれた何か。自分の脳の中にしか存在しない可能性を未だ捨てきれない零と一の境。
     この世にいる限りランガはどうあろうと偽者だ。
     だから。
    「偽者でいい」
     やはり空虚な言葉が明るくなった世界に響く。そう思うなら自分はずっと耐えなければいけなかった。ランガを偽者だと思い込み、だから滑らないのだと言い続けていなければ。そんな事も出来なかったのにあさましくも心は望む。平気で言葉を口にする。
     我慢する。君と滑れなくていい。一緒に居られれば。
     全部嘘だった。
     けれどそうなればいいと心から思ってもいたのだ。
     朝日が眩しい。目がくらむ。嫌だ、嫌だ。彼の背後光るは燃えるような白。輪郭が同化していく恐ろしさに思わず手を伸ばし、それが彼を貫くのを目の当たりにする。
     心臓があった筈の場所は冷たく静かで雪の中に似て、入ってきたこちらを拒絶することなく、内に残っていた小さな温もりを手へと落とした。
     ランガと目が合う。流石に気まずそうにしつつ彼は笑った。下手だった。だから下手だなとそのまま言えば彼はきょとんとして、それから照れ臭そうにはにかんだ。
     ああ。どうしようもなく嫌になる。
    「行かないで」
     否定も肯定もせずランガは笑い続ける。白く染まる微笑みは今まで見たどの表情にも似ていなかったがそれでも彼をランガ以外の何かだとは思わなかった。たとえ死んでも、思うことは無いだろう。
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