溶けあうのは真夜中だけ(鍾タル) 食事と睡眠は生きるために欠かせない。生きるために必要ということは、戦い続けるためにも無論必須ということだ。よく食べ、よく動き、よく眠る。それなりの訓練を積んでいる身なので、多少それらが欠けていたとしても動くことはできるが、それは満たせるときに十分満たしているからこそ叶えられる。女皇の刃、戦士たる己にとっての食事と睡眠はメンテナンス的な意味が強い。
でも、それだけじゃないとも思う。たとえば俺が完全に食事も睡眠も必要としない身体になったとしても、きっと俺はどちらの習慣も欠かすことをしないはずだから。
隣に横たわった鍾離先生に腕を伸ばす。そのまま頭を抱え込むように腕を回すと、居心地が悪そうにもぞりと腕の中で男が身じろぐ気配がした。自分と同じ背丈の男相手だが、大して問題は感じなかった。多少デカいが、やりかたは妹や弟を寝かしつけるのとそう変わらない。そう言ったら、きっとこの男は嫌そうな顔をするだろうと思うとどうにも可笑しい。
「……っふふ、」
「言い出したのは公子殿だろう。……そう笑われる筋合いはない」
声だけでも不服そうな表情が透けて見えるようだった。ごめんって、と口先だけの謝罪を述べはしたが、特に体勢を変えはしない。もぞ、と鍾離先生が時折落ち着かなげに身じろいでいたが特に構わなかった。一応、これはお互いに合意を取った上での行為だったので。
腕枕のようにしているのとは逆の腕を背中まで回して、背中をゆっくりと撫でてみる。こうして触れてみると、薄い。自分とそう変わらないくらいだろうか。肉付きは無駄がないどころか、彼の圧倒的な膂力を考えれば少ないくらいだった。これも魔神の規格外の身体というものなのか。
でも、と思う。左胸の裏側にてのひらをあてがえば心臓の鼓動が伝わってくるし、あたたかい。まるで陶器か、人形か、つくりもののような風貌をしているくせにこんなにあたたかくて柔らかい。自分と同じように時を刻み、命を燃やし続けているように感じられることが不思議だった。
とくん、とくん、と鍾離先生の鼓動が掌から腕を伝って、まるでこっちの心臓に繋がっているみたいに溶けていく。こうして同じベッドの上で一緒に寝ていると、どちらがどちらの音なのかがわからなくなってくる。自分と相手の境目がわからなくなる。それが無性に。幼心には安心したのだということをふと思い出した。
長く生きれば生きるほど。外の世界にさらされるほど、自分という人間の輪郭ははっきりと、強固なものになる。それは素晴らしいことだ。望ましいことだ。俺だってもう、ひとりの人間として立てるようになってそれなりの月日が経つ。鍾離先生はもっと長い時をそうして過ごしてきただろう。もしかしたら、生まれたときからずっと。でも、たぶん。だからこそ、こういうのも悪くないのだと思う。
自分の境界を曖昧にするという行為。六千年もの間ひとりで当たり前のように存在してきたこの男が、眠ることを知らないと言ったこの男が、どろりと形を崩す瞬間が見てみたかったのかもしれない。
どれほどそうしていただろう。触れた寝具が体温でぬくまって、鍾離先生の身動きの回数がほとんどなくなった頃。溜息が首筋に触れた。
「ははっ、やっぱり難しかったかな」
「いや、……もう少し、このままで構わないか」
「しょうがないな。約束したのは俺だからね」
寝かしつけてあげるよと言い出したのはこちらからだったので、折角なら朝まで付き合ってやろうと思った。望む形であるのかどうかは兎も角、居心地が悪そうにする鍾離先生を拝めたのはそれなりに愉快だった。しばらくはこれをネタにできるだろう。勿論、まったくそういう仲でも何でもない男と一緒に寝ただなんて他の誰かに話せる話ではないから、鍾離先生をからかうことにしか使えないだろうけれど。
腕に少し力を込めてみる。――と、抱き返された。それまで受け身だった長い腕が胴体に回されてぎゅう、と力が込められている。完全に油断していたせいで、ぎゃあとか、うわとか、みたいな間抜けな声が思わず出る。笑われている気配がしたがこれ以上騒ぐのも面倒になってやめにした。というよりは、眠気が勝った。
寝かしつけると言っておきながらこちらが先に眠ってしまいそうだった。いかんせん、こうしてゆっくりと微睡みに浸かるような時間は久しく取っていなかったものだから。効率化しすぎた睡眠において微睡む間は殆どない。眠れているのだかどうかはわからないが、男の規則正しい呼吸音と心音がまた、拍車をかけてくる。
ああ、これはよくないなあ。あまり長く浸っているべきじゃない――。理性に後ろ髪を引かれたのは間違いなかったが、しかしこれも、今だけだ。眠りからは醒めなければならないし、生ある限り朝は必ずやって来る。
ならば、今だけは構わないだろう。ひとりでどうとでも生きていけてしまう自分たちにはそれが似合いだ。なあ、朝までだよ。朝までだからさ、もうすこし、いいだろ。やわらかいぬくもりに身を任せながら、そうしてそのまま意識を手放した。ふわりとした黒髪に寄せた頬がくすぐったくて、なんだか名残惜しかった。