さしすでひとりかくれんぼ(してない)高専にはパソコンルームなどというものは無い。補助監督事務室と図書室に誰でも使っていいパソコンが一台ずつ置かれている。補助監督たちは自分のパソコンがあるし、教師陣も職員室に自身のパソコンがあるので、この誰でも使っていいパソコンは主に高専の学生のためのものだ。
ここ最近、夏油は時間ができればそのパソコンに向かっていた。補助監督事務室は基本的に忙しい補助監督たちがバタバタと動き回っていたりあちこちに電話をかけていたりするので、静かな図書室の方によくいる。
任務が終わり寮に夏油が居ないことを確認すると、五条はまっすぐ図書室にやってきた。図書室の角に配置されているパソコンの前に、夏油はやはり、居た。
「傑お前最近パソコンで何してるわけ?」
「あれ、悟おかえり」
「ただいま」
五条に声をかけられて、夏油はやっとパソコンの画面から目を離して五条を見た。よっぽど集中して見ていたらしい。
「なに?エロ画像?」
「違うよ、たまにグロ画像踏むけど」
「踏む?」
グロ画像を踏む、とはどういった意味なのだろう。きょとんと首を傾げた五条に、夏油はこれだよ、とパソコンの画面を指さした。
夏油に促されパソコンを見ると、ずらりと並ぶ大量の小さな文字。日付けや名無しという言葉が並んでいるそれを見て、去年テレビで見たドラマを思い出した。
「なんだっけ、にちゃんねる?」
「そうそう」
確かいわゆるオタクが愛用しているという巨大掲示板だ。
「傑オタクなの?」
「漫画は少し読むけどアニメはあんまり見ないね」
「でもこれオタクがやるんでしょ」
「その傾向はあるかもしれないけど、色々専門の板があるんだよ」
「いた??????」
「そう。本当は専ブラ使った方が使いやすいんだろうけど今のところ見るだけだからそこまでではないし……dat落ちしたスレ見る必要がありそうだったら●は買おうかなとは思ってるけど」
「せ、せんぶら?だっとおち?まる??????」
夏油の口からするするとこぼれる恐らく専門用語に、五条はいまいちついて行けない。五条が分からない話をする夏油がなんとなく面白くなく、むすりと唇を尖らせた。
「何言ってんのか一つもわかんねぇんだけど。なんで傑そんなの見てんの?」
テレビドラマで見た掲示板の利用者と、夏油は全く違うタイプで、五条は夏油がその掲示板を使っていることがいまいちしっくり来ない。その理由が知りたいのだ。隠し事すんなよ俺にという支配欲にも近い気持ちもある。
「オカルト板っていうのがあってね、幽霊だとか、まあいわゆる怖い話専門の板なんだけど、良い呪霊の情報落ちてないかなと思って」
「当てになんのかよそんなの」
「今力を蓄えてそうな仮想怨霊の見当がつくくらいには。例えば最近だと……」
マウスのホイールを動かして画面をスクロールさせ、夏油は一つ左クリックをした。
ページが変わる。
「ひとりかくれんぼとか」
『ひとりかくれんぼ実況スレ』と書かれたページだ。
書かれてある内容を読むと、ひとりかくれんぼとはどうやら色々とルールがあるようで、なかなか面倒そうだった。内容は降霊術に近いらしい。
「もしこれが呪霊化してたら面白そうな術式になってると思わないかい?」
好奇心旺盛そうな顔でキラキラと笑う夏油を見て、五条は察した。ニヤリと右口端をあげて夏油に応える。
「一緒にやろうぜ!ひとりかくれんぼ!」
そもそもひとりかくれんぼは二人でやるものではない、と注意する人間は残念ながらここには居なかった。
用意するもの。手足のあるぬいぐるみ、米、縫い針と赤い糸、爪(血や肉や髪でも良し、身体の一部)、包丁(刺せるものならなんでも良い)、コップ一杯の塩水。
思い立ったが吉日とばかりに五条と夏油は必要な物を用意した。ぬいぐるみは夜蛾の部屋から呪骸化されてないものを一つパチり、ついでに赤い糸と縫い針もパチった。ぬいぐるみを夜蛾の部屋から持ち出した時点で五条が「硝子も誘おうぜ。これ絶対バレたら怒られるのにアイツだけ怒られないのズルい」と意味のわからない理論を展開し、夏油はまあ意味は分からないけど気持ちは分かると思ったので家入に連絡し包丁と塩水の用意を頼んだ。集合場所は夏油の寮。
「でもこれ降霊術なんだとしたら、傑その米ごと食わなきゃいけないんじゃないの」
家入を待ちながら夏油が黙々とぬいぐるみから綿を抜いていると、五条が言った。
「えー、でも呪霊がこのぬいぐるみを使ってどうにかするような術式だろうから本体は別じゃないか?」
「わかんねぇだろそんなん。米が本体になるんだとしたらどうすんだよ、食わなきゃだろ」
「悟、君面白がってるだろう」
「バレた?」
ぺろっと舌を出す五条に夏油はため息をついた。こちらは真面目にやっているのだ、心底真面目に呪霊を取り込むために黙々とぬいぐるみから綿を抜いているのだ、参加するなら真面目にやってくれ、と。しかしそもそもひとりかくれんぼは三人でやるものではないと突っ込んでくれる人はここには居なかった。
「ルールと違うことをして呪霊が来なかったら意味無いじゃないか」
「だーいじょうぶだって!こういうのは大体の事があってりゃ上手く行くんだって!」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんだよ」
あまりにも自信満々に言う五条を見て夏油はそういうものなんだろうかと考える。五条は生まれた時から呪術の世界にどっぷり浸かっているので、ともすれば夏油よりも呪術への造詣は深い。ひとりかくれんぼが降霊術なのであれば、夏油は降霊術の術式には詳しくはない。五条の言う通りある程度必要な行程を経るためのものでしかなく、厳密に守る必要は無いのかもしれない。ならば、五条の言う通りにしてみるのもいいか、夏油も面白いことは好きなのだ。ちなみに五条はこの時十割適当なことを言っていた。
「じゃあひとりかくれんぼ終わったらこの米食べようか。だとしたら爪入れるのは抵抗があるな……」
「肉入れて炊き込みご飯にしようぜ」
「炊き込みご飯にするなら鶏肉かな。あとしめじと人参とか生姜も入れたい」
「本格的じゃん」
「出汁どうしようか」
「ガチじゃん」
夏油は一度決めてしまえばそれを突き詰める癖がある。どうにも元来真面目な性格がそうさせるらしい。そんな夏油は冷蔵庫を開けせっせと炊き込みご飯に入れる食材を取り出し始めた。鶏もも肉、しめじ、人参、生姜、こんにゃく、油揚げを抱えた夏油はそのまま簡易キッチンへと移動した。トントンと包丁の音が響く。
「もうひとりかくれんぼじゃなくて料理じゃん」
「どうせなら美味しく食べたい。蓮根も入れたいんだけど買い置きに無くて。悟蓮根持ってる?」
「さすがに蓮根は無い」
「硝子に聞いてみてよ」
こうなった夏油はもう止められない。この一年でそれを学んだ五条は諦めて家入に『蓮根持ってない?』とメールを送る。すぐにメールが返ってくる。『あるけどひとりかくれんぼするんじゃなかったの?』『傑がひとりかくれんぼで使った米炊き込みご飯にして食うから蓮根欲しいって』『夏油頭狂ってんのか?』。そもそも言い出しっぺは五条なのだから五条の頭が狂ってて夏油はそれに乗っかっただけなのだが五条は家入に訂正を入れなかった。乗っかるだけ夏油もなかなか頭が狂ってる。
数分後蓮根と一升瓶とメスを持った家入が夏油の寮に到着した。
「蓮根下処理してないからアク抜きした方がいいよ」
「蓮根よりも一升瓶とメスについて聞きたいんだけど」
寮の玄関で家入を迎え入れた五条は眉間に皺を寄せて、家入が左手で抱えている一升瓶を見る。五条は酒に全く詳しくないがどう見ても酒だ。それが日本酒だか焼酎だかまでは分からないがどう見ても酒だ。家入が中指と薬指でメスを挟んだ右手に持っていた蓮根を五条に差し出し、五条が思わずそれを受け取りながら言うと、家入は、ははっと笑った。
「ひとりかくれんぼで使った米を炊き込みご飯にするんでしょ。朝飯が炊き込みご飯なら日本酒飲んだ後の方が絶対美味い」
「傑の炊き込みご飯は飲みの〆じゃないんですけど!?てか硝子も食べる気!?」
「どうせなら食べる」
普段五条と夏油のせいでかすんでいるが、家入も頭が狂っているタイプの人間なのだ。先日夏油に自分の服を無理やり着せて楽しんでいたのを思い出す。入らないところをビリビリに破られた女物の服を着せられ虚無顔になっていた夏油の写真は今五条の待ち受け画面に登録されている。たまにそんなかんじの突拍子も無いことをするのが家入だった。ちなみにそれも五条が言い出しっぺである。
この同級生二人は、五条が突拍子も無いことを言い出した時常識人面して諌めるくせに、五条の予想を超えた突拍子も無いことをしてくるのだ。
蓮根を五条に渡した家入はずんずんと夏油の部屋に入っていき、どっこらせとベッドを背もたれにして座ると一升瓶を左右に振った。
「え、硝子それ何やってんの」
「塩入れてきたんだけどまだ溶けてないかと思って一応振ってる」
「もしかしてそれ塩水の代わり!?」
「当たり前だろ。水より日本酒の方が効果ありそうだし。お神酒的な」
平然とした顔で一升瓶を振る様子は気が狂ってるとしか言えない。時折手を止めて塩が溶けているか確認している。
「確かに一理ありそうだね。降霊術って神道に依るものらしいし。それ八海山だよね?清酒だからお神酒でいけそう」
簡易キッチンでトントンとこんにゃくを千切りにしている夏油が納得して頷いていた。いや納得すなや。ここはド天然ボケのパーティー会場なのか?五条はあんぐりと口を開けた。
「お前ら絶対頭おかしい……」
「五条にだけは言われたくない」
「悟、『も』を言い忘れてるよ」
「お前ら絶対頭もおかしい……」
「悟、『も』の位置が違うよ」
「お前ら絶対頭おかしいだなも……」
「なんでたぬきちになるんだよ……。もういいからいい加減蓮根ちょうだい」
差し出された夏油の手に、五条は蓮根を乗せた。
午前三時の三十分前。
綿を抜き、その中に米と鶏肉等炊き込みご飯の材料を共に入れられたぬいぐるみ。夏油はなぜか背中の縫い目ではなく腹を開いてしまっていたので可愛いクマのぬいぐるみの腹は痛々しく赤い糸でガッチリ縫合されていた。意外と手先が不器用な夏油が縫ったせいで縫い目がいびつになっている。ぐるぐると切れ目をこれでもかと縫い付けられまくったその様子がホラー感をより一層強くしていた。ちなみにガッチリ縫合しすぎて糸はほとんど残らず、本来なら余った糸はぬいぐるみに巻き付けるらしいのだが、巻き付けるほども残ってなかったのでクマの右耳に可愛らしく蝶々結びをした。
「一つ問題に気づいたんだけど言っていい?」
風呂桶に入れた米を食べるのは抵抗があるということで、夏油の部屋にあった鍋にぬいぐるみを入れることが決まったあたりで家入が神妙な顔つきで言った。家入につられて神妙な顔つきになった五条と夏油はゆっくり頷いて先を促した。
「夏油の部屋内だけじゃ隠れる場所無くない?」
盲点だった。
学生寮はどこも同じ作りで、簡素な1Kとなっている。隠れようにも隠れられそうな場所は無い。特に五条と夏油はバスケ選手か?というくらい体がでかいのだ。このでかい体を隠すには最低でも冷蔵庫くらいのサイズは欲しい。もちろん夏油の部屋にある一人暮らし用の冷蔵庫ではなくて夏油の実家にあるような家庭用冷蔵庫だ。もちろんそんなサイズの隠れられそうな場所など夏油の部屋には無い。
「やば、どうしようか。もう時間無いよ」
「もう寮全体使えばよくね?」
「ああ、それなら隠れる場所ありそう」
提案した五条が玄関を開けて夏油のサンダルを扉の下部に挟み込み、閉じないようにした。
「これで寮全体使えるだろ」
「私のビルケンをなんて使い方してくれてるんだ!」
「いって!殴るなよ!」
「一万超えるんだぞ!?」
「安いじゃん」
「安くないんだよ一万のサンダルは!」
可哀想なことに夏油のビルケンシュトックはどう見ても絶対にもうすでに傷が入って形が変わってしまっている。扉によりくしゃりと潰れたビルケンに、家入は両手を合わせた。
「お前ら喧嘩する時間もう無いぞ。五条は夏油のビルケンさんを弁償してやれ」
「ビリケンさんみたいに言わないでくれるかな?」
「夏油の臨終したビルケンさんをビリケンさんが履いてくれるよう祈ろう」
「勝手にビリケンさんにあげないでくれるかな?」
ぽくぽくぽくチーンと口とジェスチャーで木魚と鈴を鳴らした家入に、夏油が「ビリケンさんはどちらかというと神道だよ」と突っ込んだ。家入は神道の葬式の仕方など知らないので「時代は神仏習合だよ」と誤魔化したが、「神仏分離令どこいった?」と返され最終的に無視をして話を進めることで誤魔化した。
「んで、ルールなんだっけ?」
「私まだビルケンの件納得いってないんだけど」
「ビリケンさんは五条が弁償する」
「ビルケンだよ硝子」
「ビリケンさんのものになったんだからあれはもうビリケンさんだ」
「薄々思ってたけど硝子ビルケン知らないね?」
「夏油ってサンダルに名前つけるタイプなんだな。良いと思う。ぬいぐるみに名前つける女子もいるし似たようなもんだろ。私はまあ正直キモイなって思うが、人の趣味はとやかく言えない。サンダルに名前つけても良いと思うよ」
「違うよ」
「なんでもいいからルール教えてくれ、もうすぐ三時になるぞ」
ぐだぐだと話している間にもう時刻は三時まであと十分だった。夏油は携帯でひとりかくれんぼスレを見ながら説明する。
「えーっと、まず私がぬいぐるみを風呂場の鍋に入れて、私が鬼でスタートする。その後に電気を消してテレビだけつけて、ぬいぐるみにメスを刺して鬼交代したらみんな隠れる。終わらせるのに塩酒を口に含んで……ぬいぐるみにかけるのか。炊き込みご飯にするからこれは省略しよう。塩酒を全部飲んで終わり」
「一升瓶全部飲まなきゃなんねぇの?」
五条が心底嫌そうに言い、夏油は家入がしゃかしゃかと左右に振っている一升瓶を見る。中身はほとんど減っていない。
「……各自一口ずつでいいんじゃないかな」
「マジでルールガン無視だな」
「とりあえず私が鬼やった後みんな隠れたらそれでいいから。ぬいぐるみの名前何にしようか」
「ビリケンさん」
「今その話蒸し返す?本気?しかもそれ一応神様の名前なんだけど」
夏油はしれっと答えた五条を信じられないものを見る目で見た。先程あれだけ騒いだ話題をなぜ今まさにひとりかくれんぼを始めようかという時に蒸し返すのだ。しかし夏油の困惑とは正反対に、家入は心底納得したという風に頷いていた。
「このひとりかくれんぼをするにあたって犠牲になったビリケンさんを追悼するためにも良いと思います」
「犠牲になったのはビルケンさんだよ」
もはやゲシュタルト崩壊しそうな程ビルケンとビリケンを言っている。今もなお夏油のビルケンさんは玄関扉によりぎちぎちと潰され傷つけられその形を玄関扉の形に作り変えられている最中だ。エロ同人みたいに!夏油は先程サイト広告で充電器×携帯の擬人化BL漫画を見かけたばかりだった。あれは自転車のサドルになってしまった男というエロ漫画の広告を見かけた時並の衝撃だった。あまりの衝撃に思考が少し引きずられている。脳内で玄関扉×夏油のビルケンさんが始まってしまうところだった。たぶん最終的にビリケンさん×夏油のビルケンさんで終わる物語だ。
「まあビリケンさんでいっか」
そして最後には夏油たちがビリケンさんのはらわた(炊き込みご飯)を食べて終わるバッドエンド。
家入からメスを受け取り、夏油はビリケンさん(クマ)を抱えてこの物語を始めるべく風呂場へと向かった……。
「最初の鬼は傑だから、最初の鬼は傑だから、最初の鬼は傑だから」
「傑が自分のこと傑って言ってる!」
「かわいこぶってんじゃねぇよ」
「そういうルールなんだよ」
やいのやいのと囃し立てる五条と家入にため息をついて部屋の電気を消した。ブラウン管のテレビはちゃんと砂嵐だ。
そして目を瞑る。心の中で10カウント。
「なんか傑目瞑ってんだけどキス待ちじゃね?硝子してやれよ」
「お前がやさしいキスをしてやれよ」
「俺の傑専用着うたの話いつまで引きずるんだよ。あともうSMILYに変えました〜!」
「だから選曲おかしいよお前」
夏油はつい先日五条と共に居る時に五条に井上和香の画像をメールで送ると、五条の携帯から『スマイリィ!笑って〜!笑って〜!』と流れてきてビビり散らかしドン引きしたのを思い出した。それでもSMILYの前は『やさしいキスをして』だったのだからまだマシになった方だろう。ちなみに五条曰く選曲は『その時見たランキングで一位だった曲』だそうだ。そして五条と家入がキャンキャン騒いでいる間に十秒経った。
「目を瞑るのもひとりかくれんぼのルールだってば」
「真面目だね〜」
「今から風呂場に行って鬼交代するから、二人とも隠」
「傑も早く隠れろよ!」
「じゃ、がんばれよ夏油!」
「いや早いな!?」
夏油が言い終わる前に五条と家入はすたこらさっさと夏油の部屋から飛び出して行った。二人とも夏油を待ってやろうなどという殊勝な気持ちは持ち合わせていないらしい。夏油は再びため息をついて風呂場のビリケンさんの元へ向かった。
ひとりかくれんぼは、降霊術らしい。夏油が予想するに、恐らく術式は呪霊の発生を促すものか、呪霊の召喚のようなものじゃないかと踏んでいる。とにかく相手のこの縛りに乗らないと現れないのだ。
鍋の中のビリケンさんを見下ろす。
「ビリケンさん見つけた」
トスッ、とその腹にメスを振り下ろす。
「次はビリケンさんが鬼」
ひとりかくれんぼ(スリーマンセル)が始まった。