香りとかそういうSS【いや、でも多分、マジの無臭だって】
ふと疑問に思う。
「どうしました? ご友人」
疑問が浮かぶと、何故かそれだけで反応する隣人は厄介だ。会話をする気はないので無視する。——それはそうと、これで疑問が輪郭を持った。
常々、よく喋るくせに気配が薄いとは感じていたのだ。なるほど、この男にはどうやら「匂い」がない。
鹵獲したACに散布する、すぐ揮発する薬剤の香りでも、塩素系洗剤でも、有機溶剤の匂いでもない。ウォルターの暖かな匂いでも、カーラの遠くからわかる華やかな匂いでも、チャティの油の匂いでもない。
すん、と鼻を鳴らす。隣人はこちらを見ているが引き続き無視。ゼロ距離に座られているのに、鼻は何も感じていない。自分の匂いがどんなものだったか分からなくなって、コートの袖を鼻先に寄せる。柔軟剤の香りに、洗いそびれた布のほこりとダニの死骸の匂いがまじっていた。
「気になるならば洗いましょう」
すく、と立ち上がったブルートゥは問答無用でコートを剥がしてくる。逆らえるとは思っていないので諦めて身を任せた。それよりも、やはり。ふわりと舞う金髪からも、乱れのないきちんとした服からも、不自然なほど何も香ってこない。どうしてだ。バレないようにもう少し近くで……
「……ご友人、いくら元猟犬といえど、不躾では?」
「……」
バレた。面倒くさい、という顔を隠さず目をそらす。さも真剣そうな声色だが、間違いなくニヤニヤと笑っているのだろう。腹立しい。
「船内では物資も限られます。勿論同じ洗剤を使っていますよ」
姿勢が変わった。口元に手を添えてクスクスと笑っているに違いない。腹立しいことこの上ない。
「自分の香り、なんてものは主観では分からないものだ……ずっと居ると鼻が麻痺してしまうでしょう?」
「私とご友人はもしかしたら、同じ香りを纏っている……」
勢い良く席を立つ。
「おや、つれない」
【ゼラニウム】
「おーい、そろそろ上がれってさ」
「いえ、ここの動作テストをしてから……」
まったく……。ドーザーらしくない勤勉さだ。一階層下のフロアにいる金髪の青年を見下ろす。
「ブルートゥ、上がりな」
「カーラ!……見つかってしまいましたか」
明日驚かせようと思ったのですが、と零しながらオイルのついた手のまま頭を掻きかけて、慌ててやめたのがおかしかった。
ブルートゥが鉄板を鳴らしながらこっちのフロアまであがってくる。
「全体の進捗はいかがですか」
「予想より早いくらいだよ。舞い上がった開発連中が新機能積もうとしなければね」
「残念ながら、それもある意味予想通りですね」
わざとらしいため息をつくと、彼はにっこり笑ってくれた。口が達者でラミーほどではないがでかい図体をしているというのに、どうも可愛らしいところがある。なんとなくシガレットケースを差し出すと、ブルートゥは首を振って私の手ごとそれを下げさせた。
「だめですよカーラ、ここには火薬が一杯です」
「そうだね。ところであんたは上司の手をベトベトにしてくれた訳だが」
朗らかな男の喉から、何かが潰れたような音がする。それだけでなんだかとても気分が良かった。
「すみません、洗いに行きましょう」
いつも垂れてる眉をさらに下げ、ちょっと猫背になりながら洗い場に付いてこいと顎で指す男に、彼から見えないように笑う。更に背を丸めながら、並んで手を洗う様子がおかしくて、だんだん面白くなってきた。
「……何故笑うんですか」
「そんな、恨めしげに見ることないだろう……何だい?これ」
目を細めながらもこちらに差し出してきた丸い缶。中には軟膏が入っているようだ。保湿用の軟膏ですよ、と言いながら掬って私の手に乗せてきた。
「手がヒビ割れてしまいますから。苦手でしたらすみません」
「確認もせずにのせておいて、よく言うね」
案外強引なところはあるな。そう思いながらも確認のため渋々鼻を手に近づけると、ふわりと優しく華やかで
甘い匂いがした。
「……花?」
「ご存知で?その顔は驚いていますね、良かった!」
「……こんなもの、どこで手に入れたんだいアンタ」
なんの花かは知らないが、このルビコンで甘い香りのするハンドクリームなんてまず手に入らない。五十年前ならまだしも、灰が全てを覆ったこの星で……。
「実は、私が作ったんですよ。コーラルから一部抽出した保湿成分に、まだ残っていたシダ植物から……まあそんな話は、不必要でしょう」
「いや……」
「ああカーラ、そんなに驚かなくていいのに」
サプライズが成功した子供のように無邪気な笑顔。差し上げますと渡されたそれは私に不釣り合いなほど優しく上品な甘い香りがして、ブルートゥ本人から漂う鉄錆とオイルの匂いとは不思議と噛み合っていた。
【原因:被害者がアレより小さかったこと】
見てしまった見てしまった見てしまった。柱の裏で口を抑えてしゃがみこむ。どうか管理システム様、アレに気が付かれていませんように——!
迎えに行け、との指示が出たときは、さすがに驚いた。こんな辺境惑星で出迎えなど、VIPとまでは言わないが、かなり珍しい。対話出来る存在なんか到底いるとは思えず、上司に聞き返したものだ。
「システム直々の司令だと。珍しいよな、人間みたいな判断を下すなんて」
「はあ……」
なんにせよ、仕事であれば考えず実行するまでだ。たとえ相手がジャンカー・コヨーテスなんてふざけた名前のギャングもどきだとしても、管理システムの判断に間違いはない。遠い昔に宗教なんて更新されない人間の指針があったみたいだが、今となっちゃそれも馬鹿らしい。何も教えてくれない
というのに、そんなものをありがたがるなんてな。
システムが言うには1400に指定のポイントで落ち合うことになっている。交渉も何もかも俺の担当ではない。自動運転のヘリには俺以外いないが、俺は友好を示すだけの置物だ。気楽でいい。
そう、思っていたのに!
そっと振り向く。分厚く、仕立ての良いグレーのコートを赤黒く染め、通信機で何者かと話しているようだ
『…ニアで…か?……え、着き…した……予定よ…早いく…い…』
顔は血に塗れている。頭から浴びたとしか思えない量だ。何故? 辺りに襲撃の痕跡は無い。それでは、ここに来る前……? 男はわずらわしげに手の甲で頬を拭った。私は背中を柱に貼りつけ、静かに息を吐く。足音が近づく。無理だ、どうにもならない。
『…仕方ないで……。……じく…いの体…の方がいない…ですから』
『ええ、その方も………うで…ね』
『今……ぶ気分で…なか…た……、どう…ても…言……。……ああ、約…に遅れ…くて…当に良……た』
『迎えの方も丁度いらっしゃって』
金の髪が闇でほの白く光る。男は私を見下ろしていた。悲鳴を上げかけた喉を、肩に食い込んだ指の力が塞ぐ。血の匂いがむせ返るほど濃い。生まれて初めて嗅ぐ密度で、意識が遠のきそうだ。いっそ意識が飛んでくれれば良いのにとさえ願うほど。
「……着替え、ありません?」
穏やかな声。
「ああ、すみません、生臭いですよね。ええ、わかっていますよ」
男は自身の服をまさぐると、諦めたように肩をすくめ、一つガラスの小瓶を頭上で握りつぶした。
「これでいいでしょうか。お迎え、ありがとうございます」
ぶわりと広がるムスクの香り。祝いの席で何度か嗅いだことがある。上級士官が使っていた天然由来の成分を利用した希少な香水だ。それを、何故か持っていて……あまつさえそれを勝手知ったる様子で豪快にぶちまけた。香りは髪先から滴り、血の匂いと混じって、私の鼻腔を強引に占領した。嗅覚が軋む。
「よろしくお願いしますね、惑星封鎖機構第三後方支援部隊の——さん」
名を呼ばれ、膝が震える。管理システム様、どうか。緊張か恐怖か、頭痛と吐き気がやまない。目の前の男は、血と香の両方を纏って平然としている。木偶の坊に祈る昔の人の気持ちが理解できた気がした。
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3つ目の答え合わせとあとがき
『ユニアですか?…ええ、着きましたよ。予定より早いくらいで』(部下の名前です)
『仕方ないでしょう。同じくらいの体格の方がいないのですから』
『ええ、その方もだめそうですね』
『今は遊ぶ気分ではなかったのに、どうしてもと言って。……ああ、約束に遅れなくて本当に良かった』
『迎えの方も丁度いらっしゃって』
実際何があったのかはこのあとヘリで教えてくれてました。
ほかドーザーの襲撃でヘリと付き人を失ったのでそのまま現地のドーザーからヘリを強奪して一人で来てます。強奪のときに血塗れになってしまい、他の人から奪おうにもサイズが合わなかったんだよ…と部下に愚痴っています。
部下は「迎えに来てくれる人に服借りれないの?」のニュアンスで聞いたんですけど「その人も多分小さいからだめですよ」(サイズがあってたら奪ってた)と言っております。