まだ肌寒さの残る二月の中旬。
夕方五時のチャイムを彼方で聞きながら、目の前のエラー音と格闘していると、ズボンのポケットが鈍く震えた。定時過ぎのこんな時間に一体何の用件だ、と思わず顔を顰めながら、タイピングの手を止める。マネージャーじゃありませんように、なんて思いながらスマホの画面を確認すると、そこには『獣条一希』という名前と共に一件のメッセージ通知が届いていた。珍しい、なんて考えながらタブを開く。
一希さんは職業病なのか、連絡をこまめにくれる人だ。とはいえその内容は食事に行かないかとか、どこかに出掛けないかとか、そういう予定の提示だったりするんだけど。だから、また何かの誘いかと思ったんだが、その文面はいつもと少し違っていた。
『KAZUKI:今夜あたりどこかで会えないか?』
『KAZUKI:渡したいものがある』
渡したいもの? 俺に? 何を?
つってもあの人の考えることは良く分からない。でも、あの人はこっちが嫌がるようなこととかドン引きするようなこと――例えばバカ高いプレゼントを用意するとか――はしない人だってことは分かってきた。となると、前に泊まったときに忘れもんでもしたとか?
でも、あれから一か月くらい経ってるし、あの人なら忘れ物ってちゃんと言いそうだし……。そう考えていると、一希さんの言う『渡したいもの』が妙に気になってくる。今夜の仕事はどうなりそうだろう、とオフィスを見回す。まだ数人がモニターとにらめっこしている。かくいう俺は、と考えてソースコードを眺めると、ミスが目に入った。
「川和、その案件もう終わりそうだな」
名前を呼ばれて振り返ると、マネージャーが立っていた。げ、と思っていると、そんな顔するなよ、と言われてしまう。顔に出ていたらしい。
「なんすか、今日はもう何にも引き受けらんないっすよ」
「予定あんの?」
「まあ……」
「もしかして、デートですか!?」
「お前らはまだ終わってないだろ、仕事しろ」
「川和さん最近生き生きしてると思ったんですよね~。彼女さん可愛いですか?」
「彼女じゃねーって」
「……でも、どっちかっていうと美人」
「つーわけで、俺はもう帰るんで」
PCをシャットダウンしながらそう宣言すると、さすがのマネージャーもそれ以上引き留めてこようとはしなかった。俺は久しぶりにお疲れ様です、と言う側になり、荷物をまとめてエレベーターに向かった。
待ち合わせに指定されたのは、会社の最寄駅だった。一希さんに連絡を入れて足早に向かう。駅に着くと、そこには
「どうかしたんすか?」
「……いや、まさかこの時間に会えると思っていなかったからな。少し驚いた」
「アンタが呼んだんでしょ。で、何すか」
「この後はもう上がりか?」
「そう、ですけど」
「それなら良かった。これを渡したくてな」
「チョコレート?」
「苦手ではないと言っていただろう」
「もしかして、俺に?」
「……この状況で他に誰がいるんだ?」
「……もしかして、手作り?」
「もらってくれないか。嫌じゃなければ、だが……」
「……バレンタイン、ね。俺には縁が無いと思ってたんだけどな」
「俺、アンタに呼び出されたおかげで今日残業無いんすよね」
「……?」
「だから、うち来ませんか? お返しもちゃんとするんで」
「断る理由は無いな」
「こういう可愛いこともするんすね」
「バレンタインとは恋人に愛を伝える日だろう?」
「……そういうとこがさぁ……」
「なんだ?」
「早く帰ろ」