こぼれるハート「あの、キバナさん」
「んー? なぁにユウリ」
「好きです」
一生懸命見上げながら、そう言い始めたのは15歳の頃だろうか。
キバナさんはしゃがみ込みながら困ったようにはにかんで、『ありがと。でもごめんなぁ、オレさまユウリが大事なんだけど、その気持ちには応えられんのよ』 と眉を下げて笑い、私を抱きしめた。「わかって、な?」 と言葉を添えて。
「……はい」と私は声を絞り出して、その後はとぼとぼと家に歩いて帰った気がする。
最初から上手くいくだなんて思ってなかったし、勇気を出して伝えたことに悔いは無い。でも本当は怖かった。これからのキバナさんとの関係が変わってしまうことが。
(やだなぁ)
けれどその予想に反して、それからもキバナさんは出会う度に私のことを撫でて、「ユウリは可愛いな~」 と大好きな声で甘やかしてくれ続けた。
傷ついてしまった私の心を癒してくれているんだ、やっぱりオトナで優しいなぁ。そう思ったのに。
あるときは座っている股の間に私を挟み込んで両腕で包み込んだり、頭に頬ずりをしてくるようになったり、私の姿を認めると小走り(彼にしては、の話である)で走ってきて抱きついたり、まるで手持ちポケモンのようにひっついてくるようになってしまった。
「ユウリはちっこいな、ちゃんと食ってる? ほら抱っこしてやろうな、ぎゅー」
「???」
……それは、むしろ甘えられてる? と錯覚させるほどに。
だから、次の年もその優しさにつけ込んでみることにした。
「キバナさんキバナさん」
私との試合を控え、選手室で中継を見つめるキバナさんのパーカーを下から引っ張ってみる。
緊迫した真剣勝負の前に対戦相手から声をかけられるなんて、あまり良い気はしないだろう。それでも、キバナさんはパっと破顔してしょうがないな、と屈んでくれた。
「どしたユウリ?」
「キバナさんが、好きです」
透明な箱に入ったカジッチュ型のチョコレート付きで。これでどうだ、と目の前にかざしてみればキョトンとした顔をした後に、そっか、とまた破顔した。
「もう1年経ったのかぁ……でもオレさま、やっぱりその気持ちを受け入れられんのよ」
わかるよな? でもお互い良い試合にしようぜ。とまたギューっと抱きしめられた。
ちなみに、チョコレートは私の目の前で大事そうに抱えられ控え室のロッカーにしまわれた。そして、これはユウリに勝った記念に頂くな! と振り向きざまになんとも素敵な笑顔で煽られる。
一方不意打ちを食らった私は、言葉の意味を頭の中で反芻しようやく理解する。とたん胸の中で負けず嫌いの炎がメラメラと沸いてくるままに 勝ってから言ってくださいね! と私は鬱憤を晴らすように叫んでから、マスターボールを固く握ってコートに向かった。……顔があつい。
大丈夫、彼はきっと私を傷つけない。
★☆★☆★☆★☆★
そして数年経ったある頃、ジムリーダーとチャンピオン揃ってのミーティング日のこと
「……なので、【ファンとの握手会イベント】を来月行いたいと考えています。私はもちろん、ジムリーダーの皆さんからも参加を募りたいと思いますが、いかがですか?」
「それはいい交流になりますね!」
「ダンデさんの時は結構ありましたから、みんな待ちわびていたと思いますよ」
手元の資料に目をやったサイトウさんやマクワさんから賛成の声が上がる。……良かった、考えた甲斐があった。
「つきましては混雑回避の為、一般参加の抽選方法についての案ですが──」
「オレさまはんたーい」
ふてくされたように頭の上で手を組んでいたキバナさんが声をあげる。
「あらどうしたのよ、珍しい」
「んーそもそもさ、未成年のユウリがファンとの接触は危うすぎると思わないか? オレたちオトナのジムリーダーは未成年のチャンプを守る必要があるの。だから軽率な真似をして危険な目には合わせられない……わかるよな?」
胸を突き刺す──あの時と、同じ台詞をどこか威圧的な声色で。
「……確かに、周辺の警備までは出来るけど、握手する時点での犯罪行為を止めるのは難しいわね」
「キバナさんが言うと説得力ありますねぇ」
「珍しく男のファンだと思ったら、片思いの相手がお前に夢中だっつって、腹いせにカミソリを仕込まれたまま握手されたんでしたっけ? ハッ、とんだ色男ですね」
「それは言わないでくれよネズぅ、ほんと怖かったんだからさ……」
へにょ、と一瞬眉を下ろして苦笑し、すぐに真面目なトーンに落として私を真正面から見据える。
「それでも、オレさまは図体がデカいし男だから何とでも対処できる。犯罪行為をされたらその場で取り押さえることだって出来る。
……でもユウリは、何も出来ないし傷つくだろ?」
「なので許可できない。握手会じゃなく、ミーティングっつって台越しのお話だけにしとけ。プレゼントは受け取ってもいいが、その場ですぐスタッフに任せること。念のためインテレオンを背後に配置して、怪しいやつは……射……いや、威嚇でもすれば十分か」
とんとん、と苛立ちを隠しもせず指で台を叩いて続けるキバナさんに、ルリナさんの眉間のしわが深くなるのが見えた。
「まぁ呆れた! 過保護すぎない?」
「いや、ダンデさんの時はローズさんが睨みを効かせてくれていましたからね。今はダンデさんがその立場ですが、かなり多忙そうですし。実際、僕のファンミーティングの経験から言っても、そのぐらい用心した方がいいのかもしれません」
「じゃあ握手会は変更で、距離を開けての数分の会話。……それでいいかな、チャンピオン?」
君に何かあったらいけないから、僕たちも心配なんだよ。年長者であるカブさんのその言葉に縮こまってうなづく私に、ルリナさんが背中を慰めるように撫でてくれた。
「いいアイデアだと思ったのに……怒られちゃった」
「まぁ、一理無くはないですね。あなたは警戒心も薄いですし」
ビートが綺麗な顔を小憎たらしくゆがませてハンッ、と鼻で笑った。傷つく~。
いつも慰めてくれるマリィは今日はいない。それこそファンとの握手会でスパイクタウンから出られないそうだ。
確かにあそこのファンならマリィに悪さはしないだろうし、変な人がいたらそれこそ事前にファンにつまみ出されるだろうけど……。
「マリィみたいに上手く出来たら、と思ったんだけどなぁ」
「そう落ち込むこともないでしょう。顔を合わせて話をするのだって立派なファンミーティングですよ」
「そうかなぁ。うう、キバナさんにも諭されちゃったし、軽率だったかなぁ……」
とぼとぼ、と歩く私を見かねてか隣のビートくんが頭をかいて声をかけてくる。
「はぁ、まったく……僕、この後アラベスクに戻って演劇をやるんです。良かったら気晴らしにユウリさんも」
「──ユウリ」
いつの間にか背後に来ていたキバナさんが話しかけてきた。
「話があるんだけど。この後時間いいか?」
誰もいない会議室に案内されると、どこか子供っぽくむくれたキバナさんに両手で抱き上げられた。
……出会った当初に比べたらだいぶ大きくなったんだけど、重くないのかなぁ。
「なぁ今年の、まだなんだけど」
「今年?……あ!」
そういえば、バレンタインデーは昨日で過ぎてしまっていた。今日までの企画書作りに昨日つきっきりですっかり忘れていた。
「う……すみません。チョコ、用意してないです」
「だろうと思った。まぁ、無くても良いよ。言葉だけでも」
「で、でも、どうせまたフるんですよね?」
「そうだな」
「わかってくれ、って言うんでしょう?」
「うん」
「……うう」
「ユウリ」
すり、と頬を優しく分厚い手が撫でる。そのごはんをねだるワンパチの目、ズルいです。
ここ数年、チャンピオンとして人の視線に晒され続けるようになった。その中で悪意も、それ以上の善意もいっぱい受け取るようになって、年不相応に人の感情を知るようになったと思う。
キバナさんから贈られる感情は、変わらず暖かい。暖かいのに、とても悲しい。それに対してなんで? どうして? とかんしゃくを起こすのは、子供っぽいからと最初に告白した時以来やめた。
何より、彼が行動で示してくれたから。
「……好き、です、キバナさん」
諦めにも似た気持ちで、うつむいて小さく吐露する。
「うん、ごめんな。ユウリを大事にしたい。わかってくれるよな?」
「……はい。好きです」
やっぱり差し出された想いは受けとられずポトリと落ちる。胸をしめつける痛みに浮かぶ涙をこぼしてはいけないから、私は上を向いた。
「うん……ん~ユウリぃ。かわいそう」
彼がしゃがみ込むと同時にぎゅっと覆い被さるように抱きしめられて、視界が黄色に染まる。ふんわりとしたパーカーにしこまれた香水がかすかに漂ってきた。頭がじんじんする男の人のにおい。慣れないけど、キライじゃ無い。
かわいい、という声がくぐもってかすかに聞こえてくる。ふふ、布越しだと変な音。
五感が世界から隔離される感覚。──ああ、好きだなぁ。
ようやく少し身体が離されて、ぷは、と外の世界の空気に浸ってると、片手を持ち上げられた。
「こんな小さくて細っこい手、どこの野郎ともしれないやつに握らせようとしてたのかよ。くそ、柔らかいな」
こねこね、指先まで確認するように揉まれながらしげしげと見つめられる。
「握手したけりゃ、せめてチャンピオンと勝負できるところまで上り詰めて、正々堂々と観衆の前でやってみろってんだよな。背筋張ってよ。そんぐらいの度胸もねぇやつに、コレを触らせてやる義理なんざねぇよ」
額にしわまで寄せて苛立った声色。さっき会議中に聞いたのと同じトーン。あれ?
「もしかして」
「んー?」
「妬いてました?」
そう聞いてみれば、彼は目を見開いた後、フッと表情を緩ませて答えてくれた。
「ああそうだね。オレさまの、大事な大事なユウリ、なんで」
一言一言、心を乗せて紡ぐように。
「キバナさん」
改めて、目線を合わせてくれている、誠実な彼と目を見据えて。
「私、今月誕生日なんです。成人です」
「あー、うん。そうだな」
「……その日は家族とお祝いするんですけど、帰宅してからキバナさんのおうちに泊めてもらってもいいですか?」
一瞬の硬直。そして途端にキバナさんの顔が真っ赤になった。
「おまっ!」
おや、初めて見る表情かな。なんだかやり返したようで、胸が空くような思いとともに恥ずかしさが移ってくる。
「……覚悟しとけよ、お嬢さん。盛大に祝ってやるからな」
「はい」
「オレさまユウリが大事なんだ。忘れんなよ」
「はい、忘れません。うんとオシャレしちゃいますね?」
「ならユウリの家まで迎えに行くよ。そうだな、オレさま専用のアーマーガァタクシーがいいな。アイツ口が硬いんだ」
「ふふ、楽しみにしてますね」
こつんと頭を軽く付き合わす。これは、秘密の二人だけの約束。
よっし、そろそろジムに戻るか。そう言うが否やキバナさんはようやく私を下ろして、パーカーについたシワを伸ばしながら立ち上がった。一気に目線が遠くなる。それこそ、届かない空みたいに。
「好きですよ、キバナさん」
でも、もうすぐ。
「うん、ありがと。ごめんな」──同じ言葉を返せなくて。
そうして差し出された大きな手を取って、私たちは仲良く本日の業務へと戻った。