不仲未遂とバターチキン 104ビルの脇を抜けて道玄坂へ向かう。午前11時、ミッションの次のヒントを求めてツイスターズの4人は道を急いでいた。先導する少年がトコトコと走るに従って黒いコートの裾が揺らいでいたが、やがてその動きが少し緩くなり、そして止まる。
「……リンドウ?」
「えっと……腹減ってませんか?」
「急がないのですか」
ナギが不思議げに問いかけ、リンドウが気まずげに頭を掻く。
「えっと、急ぐんですけど……この先も敵が強くなるかもしれませんし」
「それはそうですが」
不思議なことに死神ゲームにおいては「よく食べる子はよく育つ」なのである。15歳であろうと18歳であろうと。そのことをよく知る経験者のビイトは努めて明るい声でその場をまとめた。
「ま、ちったぁ息抜きってことでいいんじゃねえのか?で、どこ行くんだよ」
「この坂の上……カレー屋あるんで、そこに」
「おう、いいぜ」
休憩とトレーニングを兼ねた食事のため、一同は『カリーカラージャ』に向かう坂を急ぎ足で登った。
「ヘーイらっしゃい!」
カラカラと通い慣れた引き戸を開いた3秒後、寿司屋かと聞き違えるような威勢の良い声が店の奥から響く。時間が早いこともあって店内にはまだ誰もいなかった。近くのテーブル席に腰を下ろして程なく、店の奥から恰幅の良い男性が身体を揺らしながら現れる。丸いお盆の上に載せた冷水のコップを順番にテーブルに並べながら、愛嬌もたっぷりに4人に声をかける。
「ナマステ〜いつもありがと!」
死神ゲームが始まる頃からリンドウとフレットはこの店に通っていた。彼らの平穏な日々に続く最後の切れ端のようにも感じられ、何となく足が向かってしまうのだ。訪問のたびに店長アラディブの笑顔はますます深くなり、一週間程度通い詰めただけにもかかわらず半ば常連のように接客されていた。
「今日は?ターリする?ビリヤニ?」
「ベジタリアンターリーで」
「からさ?」
「中辛」
「ラッシ?マンゴラッシ?」
「……普通ので」
4人分の注文を取りまとめ、アラディブはフンフンと鼻歌でも歌い出しそうな様子でキッチンへと消えた。彼らの知らない言語でオーダーが繰り返され、ナン窯に火を入れていた人物がそれに答える。
テーブルには再び沈黙の帳が降りた。棚の上に備え付けられたTVのスクリーンには、ごちゃごちゃとした町並みの中を踊りながら練り歩く浅黒い肌の男たちが映されていた。陽気なダンスミュージックがその場を満たす。時折、一人が氷の入ったグラスに遠慮がちに手を伸ばし、それを啜る。氷のぶつかる音と、クリーム色のクロスの上にコップを置き直す音。
暇を持て余したリンドウが黒いスマートフォンを取り出し画面を覗き込もうとすると、隣から聞こえよがしな溜息が漏れる。
「リンちゃんさぁ……ほんっと、マイペースだね」
「え、何?」
「何って、いやミッションの途中っしょ?なんか作戦とかさ」
フレットは言い切るでもなく「まぁ……良いけど」とつないで退屈そうに伸びをする。気まずそうに顔を見合わせるビイトとナギを気に掛ける様子もなく、リンドウは低い声で応戦した。
「作戦って、O-EAST行かないと次の情報わかんないし」
「そうだけどね?でもスマホいじりとか、まぁ相変わらずヨユーじゃん?って」
「余裕も何も他にできることないだろ」
「あーハイハイ、リーダーさんに従いますけど」
「おふたり!喧嘩、よろしくないね」
「わぉ」「うわ」
太く陽気な声に急に割って入られ、二人は驚きの声を重ねた。銀の大皿を両手に持ったアラディブがニヤリと笑みを浮かべ、見下ろしている。
「あなた方よく来てた、トモダチでしょ!フレンド」
この場でそれを口に出されるのがなんとなく気まずく、特にリンドウとフレットは互いの目線を避けながら「そうですね」と声を合わせた。
「おなかすくとイライラする。よろしくない。チキンティカおまけね、これ食べて仲直り!」
そう言って差し出されたプレートにはメニューの写真にはないはずの赤茶色の鶏肉片が一つずつ添えられている。アラディブが悪戯っぽく片目をつぶっていた。
「ま、メシん時は停戦で頼むわ」
「頼みます」
テーブルの向こうからビイトとナギも少し困ったような笑顔を向けている。リンドウとフレットは一瞬目を見合わせ、そして互いに曖昧な笑みを零し、言い訳するようにビイトたちに向き直った。
「別に、戦ってないですって」
「なら良いけどよ!」
「よろしい!オーダー全部でた?」
「あ、ハイ」
話し合っているうちにアラディブは残りの二皿の配膳も終えていた。テーブルの上に四人分の皿が出揃う。上機嫌で伝票を差し込み、召し上がれ、と言い置いて再び厨房の奥に消えた。
「んじゃ、いただきます」
一同は一斉に手を合わせ、それから各々のプレートに取り掛かった。皿からはみ出るほど大きなナン、玉ねぎの炒め物や小皿に盛られたカレーが所狭しと並んでいる。ルーに浸したナンを口に含んだリンドウが、ん、と軽く口を押さえ、コップの水に手を伸ばした。
「辛ッ」
「あれ、辛さミスった?」
「いつもと同じで頼んだんだけど」
「交換すっか?」
「良いなら」
そうしてリンドウは一口分が減ったカトリ皿をフレットの方に押し出す。それを摘み上げたフレットは、代わりにまだ手のついていないバターチキンカレーをリンドウのプレートに載せた。その様子を見ていたビイトとナギは沈黙のままに顔を見合わせ、静かに苦笑を共にする。さっきまで口喧嘩未満をしていたと思えばこれで、こうだと思えば30分後にはまた刺々しいやりとりを繰り返すのだ。この奇妙な緊張も今日でまる3日目になる。
食べるのが遅いリンドウが最後にスプーンを置いたのは、それから25分後のこと。
「リーダー、先外出てるぜ」
「あ、ハイ」
ツイスターズのリーダーという立場上財布を預かるリンドウが諸々の支払いを行なっていた。ビイトに続いてナギが、チリチリとベルを鳴らして夏の光の中に踏み出していく。しかしフレットだけは不自然に居残ってリンドウをじっと見つめていた。
「リンドウ」
「……何だよ」
「ここ。ついてる」
フレットは自分の唇の右端に触れて示した。鏡を見るようにリンドウが同じ位置に手をやると、バターチキンカレーのとろみのあるオレンジ色が指先を染めた。急いでテーブルの上の紙ナプキンを手に取り、その位置をぐしゃぐしゃと拭う。
「取れた?」
「うん、取れてる」
「……どうも」
「別に?」
それきり、俺も先出てんね、とひらひら手を振ってビイトたちの後を追った。一人残されたリンドウはばつが悪そうな様子で店の奥のレジに向かう。渋Payの決済画面を向けてチキンティッカのお礼を口にしたリンドウに、アラディブはダンニャワード、と白い歯を見せた。
「あなた友達増えた。次はもっとたくさんで来て」
しょうばいはんじょう、と笑うアラディブに、調子いいな、とリンドウは内心でぼやく。その頼みが一週間後には聞き入れられることを今の彼はまだ知らない。