Reaper's Nightwalk ばさり、ばさり。少年が線の細い翼をはためかせて夜空を駆ける。小脇には仕事道具 — 剣とも盾ともなるスケートボードを抱え、肩には赤い鼠のような小動物がしがみついて夜風を受けていた。キキ、と小さな声を上げて爪の力を少しだけ強める鼠を慈しむように、空いた方の大きな手が夜風を遮った。
ビイトが死神に任命されて3日目の夜のことだった。
参加者としてUGに居た頃、彼の生活に「夜」という概念はなかった。ミッションの時間が終わると世界は暗転し、気が付けば妹もろとも渋谷のどこかで朝日を迎えていた。これはビイトにとっては少々窮屈な事態である。やり場のない鬱屈を発散し、ひたすらに暗い雑踏の中に身を隠せる夜を彼は好んだ。明るい世界が嫌いな訳では決してないが、薄暗く如何わしい渋谷の裏の世界もビイトにとっては馴染みの友のように慕わしいものだった。
死神としての義務 — 参加者に敵をけしかけその力を試すこと自体は、全くと言っていいほど肌に合わない。しかし夜を取り戻すことができたことだけは喜ばしく思っていた。背中に黒い翼を授けられてから3日の間、こうして懐かしむように夜空を飛び回っている。
よくスケボーの練習場に使っていた宮下公園や、そこから足を伸ばせるガード下の界隈も懐かしかったが、最愛の妹を連れて薄暗い世界を歩き回るのは気が引けてしまう。生前、飛び出したビイトを案じて界隈まで迎えに来てくれた彼女は、少し不安そうに小さな肩を縮めて辺りを窺っていた。その遣る瀬無い心細さを思い出させてしまいそうな気がして嫌だった。
静かに翼をたたみ、地面に降り立つ。午後11時の西口バスターミナル前は飲み帰りの人々で賑やかだった。駅から漏れる清潔な光と、ガード下からのじっとりと湿った空気が奇妙に混じり合っている。少し地上を散歩しようとボードを構え視線を下げたところで、見覚えのある顔を視界の中に認めた。モヤイ像前に寄りかかるようにして、青いヘッドフォンを付けた少年が静かに目を閉じている。
「……ネク?」
間違えようがない、4・5日も前まで同じゲームに身を置いていた少年 — 桜庭音操だった。今日のミッションを終え、駅の西口前で力尽きてしまったのだろう。力なく壁に寄り掛かった彼は随分と幼くあどけない寝顔を見せている。無防備に目を閉じたその表情からは、先ほど刃を交わした時の聡明そうな鋭い目つきが全く窺えない。
隣には薄い髪色の少年が同じく目を閉じて寄りかかっている。不意にその目が見開かれ、ビイトを真っ直ぐに見つめた。ニコ、と形ばかりの微笑が向けられる。
「こんばんは、マナーの悪い死神さん」
「おめぇ、参加者のくせに何で起きてんだ?」
「僕は寝つきが悪いほうでね」
「ふざけてんじゃねぇぞ」
「ふざけてなんかないよ。お姫様が寝ているうちは僕がナイトになってあげきゃ、ね」
本当は僕の方が守ってほしいところなんだけど。のんびりとそう呟いて気怠そうに立ち上がり、脚を軽く叩いて埃を払っている。
「……で?僕たちの寝込みを襲おうっていう魂胆?」
真っ直ぐに見つめられると妙な迫力があった。細く頼りない身体から不思議な威圧感が放たれ、ぬらりと蛇のようにビイトにまとわりつく。不気味な寒気が背筋を走った。それでもビイトは怯んだ態度を見せない。
「んな卑怯なことするかよ。俺は正々堂々、ネクをぶっ潰す」
「あれ、そうなの?ネク君を倒すって命令を受けてたんじゃなかったっけ」
少年の言葉を受けたビイトは思い出す。長身のサングラスの男 — 渋谷の指揮者は、確かに彼に特命を授けた。 — 桜庭音操を討伐しろ、と。おう、とビイトは答えた。何だってする、何だってできる気になっていた。最愛の妹のためならば。たとえ、数日前まで共に渋谷を駆け回っていた仲間を傷つけることであっても。
フン、と鼻を鳴らして少年を睨みつける。
「寝込み襲わなきゃ勝てねぇほどヤワじゃねぇ」
「へぇ、そう。随分と強いんだね」
「次会ったら正面からぶっ潰す。覚悟しとけ」
「怖い怖い……次も僕がネク君を守ってあげないと、ね」
少年は考え事をするように額に指を置き、フフフ、と笑みをこぼした。不気味なヤツ、と内心で吐き捨て、黙ったまま翼を大きく広げる。最後に一度だけネクの寝顔をチラリと覗き、そのまま空中へと舞い上がりその場を離れた。
妹のためなら何だってできると思っていた。何だってする気でいた。それなのに静かに眠るネクを前にして武器を構えることができなかった。彼の寝顔は年相応に幼く柔らかく、優しげだった。次に会ったら正々堂々名乗りを上げて、彼のサイキックを無骨なボードで蹴散らして、そして……壊してしまうことができるだろうか。
キキ、と声がする。肩に乗せた赤い鼠が大きな瞳で自分をじっと見つめている。それを認めたビイトは言い聞かせるように呟いた。
「大丈夫だ、ライム……俺はちゃんとやる。ちゃんとやれる」
そう言いながらも、瞼の裏には静かに眠るネクの姿が焼き付いて離れない。再び黒い夜風の中に身を遊ばせながら、死神は心の中で呟いた。
— せいぜいいい夢でも見ろよ。