烏、何故啼く ノイズを生み出し、操る力が他の死神より強い。それが自分の能力であり個性であると初めて気づいた時には少しだけ心が踊った。さてこの指先からどんなカタチが生み出せるか、と、ときめきさえ感じながら不協和を練り上げる。モノクロの異次元の中から這い出すのは、蛙に熊に狼、挙句の果てにはカメレオン。
「……なぁんだ、カワイくないね」
もっと華々しい、晴れやかな獣が出せないものかと鳥の姿を心に描く。少しの期待に胸を踊らせながらノイズが生まれ出る空間を見つめれば、飛び出したのは黒い翼の烏だった。やはりちっともカワイくない。同じ鳥でも、せめてツバメやスズメでも出てきてくれれば愛嬌があったのに。しかし何度試してみても、歪みから現れるのは烏のノイズばかり。ダーメかぁ、と諦めて大きく伸びをしたその手首に烏が一羽留まり、ガア、と濁った声で鳴き喚いた。
—おまえさぁ、カワイくないんだよ。
烏は飽きるほど新宿で見かけていた。我が物顔でベランダを汚し、ゴミ袋を引き裂いては廃棄物で街を汚す姿を嫌というほど見慣れている。そもそもクボウは新宿の街が嫌いだった。生きていた頃からずっと、街の谷底を這い回り、好きでもない人間の間を頭を低くして駆け回っては泥水を啜るような毎日を送っていた。死んでようやく死神になっても周りの視線はまるで汚いものを見るように蔑んだものばかり。もっと若いうちに死んでおけばもう少し見目麗しくいられただろうか、なんてどうしようもない妄想を抱いてしまう。
新宿のゲームを支配していた男は金色の蝶を纏っていた。彼が得意とする幻覚の能力が花開くたび、黄金の翅がふわりふわりと漂って幻光を振りまく。新宿を壊す、という使命のために利用した道具に過ぎないとはいえ、クボウはそれを美しいと思って見ていた。
使命を与えた男 — 彼が崇拝する新宿の調律者は白を身に纏っていた。白い被服、白い肌、そして白鳥のように白い翼。一つの汚れも見えないその姿はまさに「天使」という言葉が相応しいと思えた。クボウはそれを実に美しいと思って見ていた。すっかり境界を失った新宿の空を見たその男は、跪く自分に向けて目を細めた。それからまるで自然にスウと手を伸ばし、クボウの頭に触れて言った。 — ありがとう、よくやったね、と。
まるで触れられた部分だけが禊がれ、漂白されて綺麗になれたような気がした。あの日から、もう一度だけで良い、彼に触れてもらいたいと狂おしいまでに願うようになってしまった。
醜い家鴨の子、と人は言う。御伽噺のように、時間が経てば美しい白鳥になれると信じられれば己の惨めな感情も少しは報われるのに。しかしいつまで経っても浅黒い自分の肌は生前の色もそのままに燻んでいて、崇拝するあの方の雪のような白さには届く様子もない。自分も天使なのだ、と言っても誰も信じてはくれないだろう。金色の蝶の光にも届かない。あぁそういえば、彼のもとで懸命に駆け回っていた少女は気高い鶴をその身に宿していたのではなかったか。華々しい彼らの水先案内を引き受ける自分は、真っ黒でくたびれた一羽のカラス。
—何でこんなに俺ばっかミジメなのかねぇ。
燦々と煌く世界が羨ましい。羨まし過ぎて全部壊してしまいたくなる。しかし、もうすぐその願いは叶う。その鍵の一つを握るのは蝶の男。 — もう一つの鍵、生まれたてのヒヨコのようなフワフワした癖毛を持つ少年を前にして、痙攣するような引き吊り笑いを、男は一つ浮かべた。
「ンッハ……最近どぉ?調子いいみたいじゃん、ツイスターズ」
「どうもこうもない」
「おめぇそんな暇なのか?下っ端」
雛鳥少年と”伝説”擬きがすかさず噛み付いてくる。抑えきれない笑みに顔中を歪ませながらも、クボウは残念だ、というように首を振った。
「せっかく顔見にきてやったのに、ツレないね!冷たいよ」
「誰も頼んでない」
「まぁせいぜい頑張ってゲーム盛り上げてよ?シイバもおまえらに期待してるみたいだからさ」
ふてぶてしい表情でこちらを睨む癖毛の少年に言葉だけの声援を送る。雛鳥のように無邪気にゲームに没頭し、カラクリ仕掛けを仕込んだ玩具に夢中になって弄んでいる。自らの羽根の下で崩壊の卵を温めているとも知らずに。ンッハ、とひとりでに嗤いが零れた。煽てて発破をかけてやれば、素直に懸命に羽ばたこうと踠いている雛鳥。可愛らしい。新宿からこの方、3年も飽きずに自分に睨みを聞かせている蜥蜴女や手袋の青年と比べたら格段にカワイイじゃないか。
せいぜいその行く先を見守って、俺も抱卵を手伝ってやろう。いつかその骸の中から無数の黒い羽根を引き摺り出して、輝く渋谷の空を埋め尽くし、喰わせよう。そうしてできたまっさらな空を捧げたら、白い翼を持つあの人は再び自分を褒めてくれるだろうか。
畏れ多いその手に優しく頭を撫でられる瞬間を思い浮かべる。綻びるように生じた感情に偽りはないはずなのに、口から零れるのはもうすっかり癖になってしまった引き吊り笑いだけなのだった。