ぎふと・ふぉー・ゆー ティラノサウルスのバケモノのような敵が大口を開ける。ドスドスと地煙を上げながら巨体を揺らし、夕暮れの遊園地の施設の谷間を縫うように走る。その姿が、黒いスマホの画面に映っている。
同じ画面の目の前で待機していたワイバーンの体力を示す長方形のゲージは、既に左端にわずかな赤いラインを残すばかりになっている。スワイプ操作で次の攻撃を避けようとしたが、努力虚しく爆音の咆哮で赤い竜は消し飛ばされてしまった。
やばいな、次で最後だ……せっかく、もう少しのところまで減らしたのに。そう内心でぼやきながら控えのメンバーを確認するなり、あぁ、とため息が漏れた。歩き回るのに夢中で回復を怠っていた。こんな時に限って、残っているのはサンタ帽を被ったヒヨコのキャラクター一匹だけ。
— 仕方ない。お前に任せるよ。
指先のタッチでAR画面にサンタチョコボが召喚される。勇ましく爪先で地面をカリカリ引っ掻いているが、10メートル先で尻尾を振り回す恐竜を前にするとその姿は何とも頼りない。攻撃指令のために指先で背中を叩いてやると、チョコボはクエ、と鳴いて地面を蹴った。
軽いステップで尻尾の攻撃を躱し、大技を繰り出して隙だらけの顔面の高さまで勢いよく跳躍して、そして。
たしっ、とその額を蹴った。
体力ゲージは全く動かず、恐竜の割れた瞳孔がギロリとチョコボを睨む。終わった、と思った次の瞬間。
「もらいっ!」
物凄い勢いで突っ込んできた鋭い鉤爪が恐竜の首根を捉え、そのままなぎ倒した。赤い巨鳥のような召喚獣は相手を倒した後も嘴でその肉を抉っていたが、”Team Win”の表示とともに恐竜が消えると頭を上げて雄叫びをあげた。手前にいる自分のチョコボも翼を振り上げて喜んでいる。
「危なかったじゃん、リンドウ」
チームを組んでいた少女 — “ガット・ネーロ” の黒カラーで全身を包んだショウカが弾んだ声をかけてくる。二人は「ポケコヨ」のボス出現イベントのために、23区を少し離れた遊園地で休日を共にしていた。
「ありがとう、助かった」
「それにしても、何で今更チョコボなんて入れてるワケ?」
「あ、ちょっと……」
止める間も無くスマホの画面を覗き込まれたものだから、頼りない召喚獣のステータスがそのまま見られてしまった。あ、とショウカが小さく驚く。
「それ……アイツの名前?」
ヒヨコの召喚獣の名前欄には”トウサイ”と表示されている。
「うんまぁ、そう」
「ポケコヨやってたんだ?」
「いや?たまたまプレゼントでもらっただけ」
彼らの共通の友人を、大抵の人間は ”フレット” と呼んだ。本名である “觸澤桃斎” を略した綽名である。
***
「リンちゃんにこれ、プレゼント」
フレットがニコニコしながら手渡してきたのは、透明なカバー袋入りの厚いカードだった。何だこれ、と裏返して見れば、赤い帽子を被ったヒヨコのキャラクターが大きく描かれている。その下にはQRコードがささやかに置かれていた。
「……チョコボ?」
「ポケコヨ?でしょ、それ」
「そうだけど」
パタパタと裏表を捲っては覗き込むリンドウを、フレットは面白そうに見つめる。
「ヒカリエでクリスマスコラボやっててさ、1000円分買ったらオマケしてくれた。リンドウなら使うかなーって思って貰ってきた」
ほらほら、と促されるに従ってスマホのカメラにQRコードを写すと、画面にサンタ帽を被ったヒヨコが立ち現れた。「かわいー!な、そいつ戦える?」
ふは、とリンドウは笑いをこぼした。
「多分弱い、チョコボだし」
「えー、進化とかしたりしないの」
「しない」
フレットはえー、と残念そうに画面を突いた。チョコボが大きな青い瞳を揺らして、羽根のついた尾を振って愛嬌を振りまく。かわいーね、と再び緩い声が漏れた。
「ね、折角だから使ってよ」
「戦力圧迫が凄いんですけど」
「そこはリンドウのプレイヤースキルでさ〜」
媚びるように手を合わせてニコリと笑う。
「んでトウサイくんって名前にして」
「何で」
「俺のプレゼントだから?それに俺がリンドウのために戦ってるみたいで、何かいいじゃん」
そう言いながら楽しそうにシュッシュッとシャドウボクシングの構えを取る友人を見ていると断りきれない気分になった。勧めに従って「トウサイ」と名付けたチョコボが、4匹パーティーの一番後ろに配置された。
***
「やっぱ弱いんだけどな、トウサイくん」
「その割にレベル上がってるじゃん」
ショウカの指摘通り、貰って間もない割には二軍選手程度には育っている。
「まぁパーティ入れてたし、今日だけでも大分レベル上がったか」
「さっきのとかスクショ撮れば良かったね」
「あー……そうかも」
あれだけのボスキャラとチョコボがまともに戦っている絵はなかなか撮れないだろう。戦闘に夢中で全く考えていなかったが、少し惜しいことをした。
「ま、そのうちまたいい絵になったら撮ろ……あ、また湧いた」
「戦うか」
再び画面を立ち上げ、ボロボロのパーティに回復薬を当ててからボスキャラに照準を定めた。
以降、チャンスを狙うようにしてチョコボを出陣させていたが、耐久力の低いヒヨコのキャラクターは敵の攻撃を受けると2・3発でクエ、と目を回してスマホの中に戻ってしまった。スクリーンショットを撮るだけの暇もない。
「負けてるけど……チョコボ、抜かないんだ」
「いちお、イベキャラだしレベル上げしとこうと思って」
意、外、と息を吐くように言って、ショウカはクスリと笑った。
「リンドウってコスパ重視でイベントとか気にしないタイプだと思ってた」
「一応アイツのリクエストだからな」
回復薬を指先で操作しながら、リンドウは答える。傷ついて伏せっていたチョコボは、回復薬のエフェクトを受けるなり元気よくぴょこんと跳ね起きた。
「へー、優しーじゃん」
ショウカが目を細めた。友人の声が脳裏にこだまする。 — 俺がリンドウのために戦ってるみたいで、何かいいじゃん。
俺のために戦ってくれよ。それで強くなって俺のために勝てよトウサイくん。そんなリンドウの願いも虚しく、チョコボはキリッと目を吊り上げて敵に突っ込んでは手痛い反撃を受けて無残にスマホに舞い戻るばかり。
ショウカに手を引かれるようにしてアトラクションの間を通り抜けては敵を探し、ショッピングモールでお土産を物色して、フードコートでホットドッグを注文して並んで食べた。結局あれ以来チョコボの戦闘シーンを撮ることはできず、代わりに灯りが燈り始めたテーマパークを背景にARの立ち姿を撮影した。
翌日の学校帰り、いつものように同じ道を辿りながら他愛ない話を繰り広げていた。与太話の内容はその日の授業の内容から冬休みの予定、そして土日何してた、と言ったものに移り変わる。ポケコヨのイベントでショウカと遊んでた、と言うなりフレットは目を輝かせて尋ねた。
「『トウサイ』くん、使ってくれた?」
「ああ」
スマホの画面を立ち上げてパーティーを見せてやると、おーレベル上がってる、と嬉しそうな声が上がった。
「強くなってる!」
「他の奴らの経験値のおこぼれだけどな」
「えー、俺活躍しなかったの?」
「死にまくり」
「ヒッドい!」
唇を尖らせて拗ねるフレットに、まぁでもホラ、と写真を表示して見せた。きょとんとした表情の赤帽チョコボが画面越しにこちらを見つめている。その背景には、日が沈んでピンクからダークブルーに変わっていく空と、虹色の賑やかな光に照らし出されたテーマパークが映っていた。
「記念撮影だけはしといた」
しばらく画面を見つめていたフレットは、しかしやがて不満そうに頬を膨らませた。
「……なんかトウサイくんばっかズルイ」
「ズルイって何」
「俺もリンドウとイルミ観に行きたかったなー」
「イルミ観にってかポケコヨしに行っただけなんだけど」
「目的はどうでもいーの」
フレットは頭の後ろに手を回し、羨ましー、とつまらなさそうに呟いた。声と共に白い息がふわりと漂う。街灯に照らされた彼の顔は、刺すような冷たい風の中で少し紅潮していた。
何故だか、とても寂しそうに見えた。その憂いに見えるものを取り払ってやれれば良い。そんな気持ちになった。
「……この後時間あるなら行くか?」
「へ?」
「丸の内あたりライトアップしてるみたいだし、ちょっと遅くなって良いなら」
「えー、マジで?……マジかー!」
フレットの声の温度が増していく。突然の提案に目を丸くしていた顔がだんだんと緩み、ニヤニヤと唇の両端が引き上がっていった。
「チョコボのお礼も出来てないし、行きたいなら付き合うけど」
「マジかー!待って、親に連絡する」
自分もスマホを取り出し、画面に文字を打ち込みながらフレットは続けた。
「お礼ついでに何か奢って」
嬉しそうに付け足す友人の調子の良さに少し呆れながらも、行き帰りの所要時間をブラウザで検索する。1時間弱。月曜日だからそこまで混まない……と良いのだけれど。
「ココアがいい。マシュマロ浮いてるやつ」
「ハイハイ」
早くも具体的になり始めたリクエストを右から左で受け流す。空が少し暗くなり始める時間。舗道のところどころに建物の窓からの光が落ち、白い四角形を描いている。東京駅を照らす冬の灯りを眺めるために、帰り道を二人で辿っていつもの駅へ向かった。