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    TalieGreap

    色々

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    今山がデートに行ったり鍋を食べたりする短い話です

    #今山
    imazan

    遮光ㅤ明け方の透明な空気が街の輪郭をやわらかくぼかし、ヴェールのような光をさらさらとこぼす。少しずつ鳥の声が戻り、人々、あるいは自動車の息づかいが通りに満ち始める。同居人の今井が仕事から帰ってくるのは、たいていそんな時間帯だった。
    ㅤ土鍋の中の雑炊はくつくつと穏やかに煮え、静謐なリビングにほのかな出汁の香りをただよわせている。最近新調したばかりの壁時計を確認しつつ、今日の彼はどのくらい疲れているだろう、と考えた。たくさん酒を飲んできたならこのたまご雑炊を食べさせてやればそれでいい。ただ、体力を使ってきたならば、もっとたんぱく質を摂るべきだ。すこし悩んで、焼き鮭を加えることにした。グリルを使うと掃除が面倒だが仕方がない。
    ㅤ「ただいま帰りましたー!」
    扉が開く音とほとんど同時に帰宅の挨拶が響き、彼がそれほど疲弊していないことを知る。おかえり、と返事をすると、嬉しげに駆け寄る足音が聞こえる。
    「すごい良い匂い!雑炊ですか?」
    「そう。たまご……鮭たまご雑炊」
    「めっちゃ美味しそう!俺、山本さんが来てくれるまでずっとインスタントか冷凍だったんですよねえ。なんか最近体調良いの、手料理のおかげかもな〜」
    「君が具合悪そうにしてるところ、見たことないけど……」
    ㅤ上着をハンガーにかけながら放送される鼻歌は、山本にとっても、そしておそらく今井にとっても、子守唄よりよほど馴染みのあるアイドルソングだった。タネもあかしもない恋にヲちたの。わたし超常恋現象。今井は変に気を使わず、好きなものを好きであるがままに愛し続けた。この選曲もその一端だ。あらゆるサイトでの配信が停止したそれをときどき口ずさんでは「CDで買っておいて良かった」などとのたまい笑う。そういう底抜けの明るさがなんだか恐ろしかったが、ありがたくもあった。金縛りのようにあなた占領。言葉なんて必要がないの。
    ㅤ「上機嫌だけど、なんかあったの」
    「え!わかります?!」
    山本からたずねなくても、五秒後には自分から話し出していたかもしれない。彼は大袈裟に間をつくるきらいがあるので、身構えすぎずに耳を傾けておく。数ヶ月にのぼる同居生活で培ったものだ。
    「なんとね、俺、明日休みになったんですよ!」
    ㅤどうせ誰かのシフトを代わってやったんだろうと思ったが、そのとおりだった。出勤日が消えたのではなく、予定されていた休みが減って臨時の休みが増えたというだけのことなのに、彼は毎回すなおに喜ぶ。つられて山本もすこし喜ばしい気持ちになってしまう。
    「じゃあまる一日オフなんだ。なんかやりたいことあるの」
    「えっと……山本さん、午後に予定ありますか」
    「いや、別に」
    ㅤ山本はまだマネージャー業をしていた。といっても、どこかのアイドルやバンドに専属でついているわけではない。小規模な事務所でバーチャルタレントの補佐をする仕事、要はネットアイドルのマネジメントだ。顔を出さなくていいし、なにより在宅でもできる。当初は工場働きにするかどうかで迷っていたが、一緒に住みたいという今井の言葉が最後の決め手だった。
    ㅤあの懇願が彼のためのものだったのか、それとも山本のためのものだったのか、いまだに尋ねられないでいる。
    ㅤ食卓の中央に雑炊のはいった鍋を置き、お椀に少しずつよそって食べながら話をした。といっても、言葉を発するのはほとんど今井で、山本はただ相槌をうったり、頷いたり、笑ったりするだけでよかった。
    ㅤ「そう、それでね、その子に貰っちゃったんですよ。これ」
    会話の流れから今井が取り出したのは、ここからそう遠くない場所にある現代美術館のチケットだった。大人ひとり分の金額が印刷された紙が二枚。洒落たフォントや配色には、山本の思う「美術館らしさ」が詰まっていた。
    「山本さん、今日なにもないなら、午後から俺とここ行きませんか」
    「美術館に?君、アートとか好きなの」
    「いや、全然」
    「俺もだよ。なんで……」
    「あなたと遊びに行きたいから」
    ㅤ食卓に置いた手をぎゅ、と握られる。山本の手よりも小さく薄いが、誰の手よりも温かくて強い手だ。そのまま今井と視線が合う。幼さの残る大きな目がきゅっと笑い、頬が綻ぶのと一緒にそばかすの形が変わった。
    「分かんなくても、ふたりでアート見て、帰りに買い物とか行きましょうよ。デートしたいんです」
    どうですか、と笑いかけられた。首はもう縦にしか動かなくなっていて、操られているかのような、夢を見ているような心地で、
    「分かった」
    と返事をした。
    ㅤ今井はそれから六時間ほど眠り続けた。夜の仕事をしている彼の部屋には遮光カーテンがかかっていて、真昼間でも問題なく睡眠がとれるようになっている。たとえ明るい部屋でも平気だろうと思わせるほどやすらかな寝顔だが、ゆるんだ口からはよく寝言が聞こえてきた。脈絡のないそれがむしょうに面白かった。食器を洗い、洗濯を済ませ、水回りをひととおり掃除した。担当バーチャルアイドルから提出された企画書に赤を入れた。ベランダの野菜に水をやった。ガラにもなく服を選んだりした。
    ㅤ穏やかな時間が流れる。カーテンの隙間から心地よい陽が差し込み、床にひとすじの道を作っている。やがて彼が起き上がって、こちらを見る。
    「おはようございます、山本さん」
    「おはよう。今井くん」
    愛すべき笑顔だった。
    ㅤ家でてきとうな昼食をとった後、美術館まで電車で向かった。鉄とガラスのビル群が前景から背景へ変わっていくさまは清々しかった。隣に座った今井の話を聞いているとそれだけで時間が早く過ぎる。その日あったことから幼少期の思い出まで、すべてがつらつらと流れ出る。ことばが鼓膜をひたして脳まで届く。やわらかく、あたたかく、心地のいい感覚だった。
    ㅤ美術館には多くの目玉作品が展示されていたが、やはり何がいいのかはわからなかった。現代アートは苦手だ。わけのわからない奴が作ったわけのわからない物に、「庶民には解らないだろうけど」とご高説をたれ流されているような気分になるから。そう呟くと今井は笑って、ひねくれすぎですよ、と言った。
    ㅤ「わからないことも含めてアートなんじゃないですか?こういうのって。受け取り手の反応をゲイジュツに吸収するというか……」
    「わっかんないなあ」
    「そうですねえ、わっかんないですね」
    ㅤそのままふたりで館内をぐるりと見て回った。出てくる感想は「よくわからない」か「めちゃくちゃ絵がうまい」のふた通りしかなかったが、ふしぎと退屈しなかった。
    ㅤミュージアムショップで買った絵葉書は、実家の両親に送るらしい。息子が十億円を当てても分け前を貰いにこなかった、善良な夫婦の姿を思い浮かべた。彼を素直で明るい青年に育てた、名前も顔も知らない人々。心やさしく、清らかで、春の陽だまりを思わせる家族。
    ㅤ帰りの電車でも今井は絶えず喋り続け、言葉を生みながら、夕食は鍋にしないかと提案してきた。春先にわざわざ鍋かと思わなくもなかったが、いちからオムライスだの肉じゃがだのを作るより楽なので、了承した。彼は大きな皿の中の食べものをふたりでつつくのが好きらしい。同じ場所で同じように食事しているのを実感すると幸せだから、なんて、高額当選者らしからぬささやかな幸福論を提唱していた。
    ㅤ帰りのスーパーで野菜と肉を買い、家までの道を歩くころには、東の空で小さく星が光っていた。
    「楽しみだな。俺、鍋の出汁の味がしみたキャベツ、好きなんですよね」
    「ふーん……」
    こういう何気ない情報を、脳内のメモ帳に書き留めておく瞬間が増えた。数年前まではミステリーキッスでびっしり埋まっていたメモ帳だ。大事なことだけを大事に覚えておけるように鍛えた記憶力が、今、どうでもいいことを大事に覚えておくために使われている。それがすこしだけ嬉しい。
    ㅤ自分も手伝いたいという今井の申し出を断ることができずに、ふたり並んでキッチンに立つことになったが、想定していたような惨事は起きなかった。元々それなりに器用な男だ。手際よく野菜をカットしていた。かと思えば、蓋をあけた時の出汁の香りに歓声をあげている。そこそこに無邪気な男でもある。
    ㅤ朝、雑炊を囲んでそうしたように、談笑しながら鍋をつついた。若いだけあって今井はよく食べる。それと同じくらいよく喋る。話題は尽きず、間延びすることもなく、早口なのに独り善がりじゃない。要は話し上手だった。二十代後半にしてキャバクラオーナーから一目置かれるためには、これくらいの能力がなくてはいけないのかもしれない、と思った。
    ㅤ鍋の底に残ったもやしの欠片まで食べ尽くし、皿を片付ける。三角コーナーの野菜くずをビニール袋に移す。シャワーの順番はじゃんけんで決めて、山本が先に浴室へ行った。時刻は二十二時半。明け方から行動しているとはいえ、眠るにはまだ少し早い。
    ㅤ「山本さん、テレビつけたらサッカーやってましたよ。見ませんか」
    J2リーグの試合、しかも後半から。既に片方のチームに二点入っている。負けている方の選手たちが既に闘志を失っていることは明らかだった。つまらない展開になるだろう、と思ったが、なにも言わずに今井の隣に座った。彼の夜はまだ長い。はやくシャワーを浴びてこい、なんて母親じみたことを言わなくても、山本が眠りについて話し相手を必要としなくなったころに勝手に済ませるだろう。
    ㅤ試合は案の定退屈だった。メンタルブレイクされたアウェイのチームは半ば自棄になって高く長くボールを飛ばし、勝っている方のチームはひたすら守備に徹している。動きが荒いか無いかしかない。
    ㅤ山本が選手や審判に文句を言っているのを、今井がけらけら笑いながら聞く。時々質問をして、へえ、とそれらしく反応する。ミッドフィルダーの役割についての説明が終わったところで、アディショナルタイム終了の笛が鳴った。
    「……つまんない試合だったな」
    「山本さんが色々教えてくれるんで、俺は楽しかったですよ」
    「…………そう。……まあ、俺も、時間の無駄だったとは思わないよ」
    ㅤ長々とした感想が出てくるような試合ではなかったので、最後にメールの確認だけして寝室の扉を開けた。振り返ると今井と目が合った。
    「おやすみなさい。いい夢を」
    「ああ。おやすみ」
    ㅤ扉を閉める。
    ㅤ窓から差す月明かりを頼りにベッドまで歩み寄り、倒れ込む。最初はよそよそしい他人のにおいで落ち着かなかったのに、今ではすっかり自分の一部だ。暑くも寒くもない。かたい牢も無い。枕は適度に高く、やわらかく、事務イスを寝台代わりにしていたころの肩凝りを記憶の彼方に飛ばしてくれた。
    ㅤこの上なく幸福な一日だったと、そう思う。
    ㅤうつ伏せのまま目を瞑る。リビングから聞こえてくるかすかな生活音が安心を確かなものにする。
    ㅤ苦しくない満腹感とシーツの肌触りが意識をとかす。
    ㅤ寧静な眠りがふわりと広がり、山本のからだを覆って、隠した。
















    ㅤ跳ね起きる。
    ㅤ全身の関節が弾かれたように戦慄き、べしゃりとベッドから落ちた。腕が思うように動かなかったが、片手は口へ、片手は床へ、なんとかへばりついてふらつく脳を支えた。どた、べしゃ、と不格好に扉にすがりつき、体重をかけて開ける。反対側のドアノブが勢いよく壁にぶつかって酷い音を立てた。驚いて目を見開いた今井と一瞬視線がかち合ったが、それだけだった。すぐに逸らした。そのまま色んなものにぶつかりながらトイレへ駆け込み、昼に掃除したばかりの便器に、先程食べたばかりの鍋をぶちまけた。
    ㅤ「山本さん!大丈夫ですか?!過呼吸も起こしてますよね、あ、まずは吐いて……ゆっくりで良いですよ」
    口いっぱいに広がる胃酸は苦くて酸っぱくて、味のしみたキャベツとは似ても似つかない酷いものだった。生理的なのかそうでないのかわからない涙がとめどなく零れ落ちては、吐瀉物の中に混ざって消えた。滲む視界にその波紋を捉えて、また吐いた。
    ㅤ俺は贖罪をするべきだった。
    ㅤ彼女はあの日、ひとかたまりの大きな肉だった。海は遠く深く、五十キロあまりの肉をひとつ沈めておくには十分すぎるほど広大であった。俺はそれから彼女の死の痕跡を処分し、数回嘔吐して、眠りについて、目が覚めたときもう一度吐いた。翌朝の事務所には彼女の生の痕跡しか残っていなかった。俺はそれを見てさらに吐いた。一睡も出来ずに朝陽を待つ夜が続いた。
    ㅤ三矢ユキよりも二階堂ルイの方が大事だったし、二階堂ルイよりもミステリーキッスが大事だった。だから隠したし、この手で彼女を肉塊にした。ミステリーキッスのためならなんだってできた。なんだってしなくてはならなかった。
    ㅤしかし、ついに逮捕されたとき、湧いてきたのはいくつかの後悔と平坦な安堵だけだった。
    ㅤようするに、俺は、罰を欲していたのだ。
    ㅤ「山本さん。聞こえますか。俺と一緒に息してください」
    すう、はあ。すう、はあ。呼吸をする。生きている。脳に血と酸素が戻り、動悸が少しずつおさまっていく。生きている。焼けた喉と舌がひりひりする。生きている。背骨と肉の間をなにか大きなものに舐められているような、えも言われぬ気持ちの悪さだけはまだ残っていたが、今井の手のひらが背中をすべるとともに消えてなくなった。
    ㅤ罰されたかった。罰されるべきだと思った。刑務所に入れば済むと思っていたが、あれは罰ではなかった。ただ時間を奪うだけの刑だ。いっそ死のうかと何度も何度も勘案したが、そんなものは罰ではない。ただ時間を捨てるだけの逃避だ。
    ㅤ罰されるために、山本は生きなければならなかった。
    ㅤ今井の瞳が、まっすぐに、こちらを見つめている。ダークブラウンの虹彩が透き通っているかのような錯覚に襲われて、眩暈がした。
    「…………ごめん」
    「え?」
    「鍋……」
    「鍋?別に、そんな」
    水にうかぶキャベツの切れ端が目に止まって、ついそう口走っていた。今井は困惑していたが、それ以上に心配していた。
    ㅤいつもこうだ。いつも。いつもいつもこうなのだ。このこじんまりとしたアパートは安寧に満ちていて、心地よくて、うららかな光でいっぱいだった。機嫌のいい声と笑顔が癒しだった。すこし高い体温やほがらかな挨拶が愛おしかった。今井との時間は、何もかもを過去へと押しやってくれた。
    ㅤでも、駄目なのだ。
    ㅤ夜になり、眠りにつくと、いつでも波が語りかけてくる。夜の波だ。つめたい海がさざめきながら言葉を発する。静かに。彼女の声でもやくざたちの声でもない音が、言語として脳に刺さる。何を言っているのか、何を言われたのかは、目覚めた時にはもう忘れている。代わりに酷い吐き気が込み上げてきて、やっぱり吐いてしまう。
    ㅤ今井に差し出され、山本が受け入れ、体の中にいちどは容れた幸福を、全身が拒絶するのだ。
    ㅤこれが罰だ、と思った。今井はまだ背中を撫で続けていた。その温度に再びえずき、か細いうめき声とともに胃酸を吐き出して、口角だけで笑った。遠くの窓をとおして、明け方の透明な空気と、やわらかくぼかされた街の輪郭と、ヴェールのような光が見えた。今井の顔も。それは罰だった。
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