UNTITLEDふわふわ、ふわふわ。
目の前に浮かぶ大きなシャボン玉。それは、映画館のスクリーンのように知らない物語を映して僕に見せてくる。
光の加減で時折見せるスペクタクルがスライドショーのように映像を切り替える。
ゆっくりと、まるで思い出させるかのように。
知らない、本当に知らないんだ。
だけど、どうして、ひどく心が痛い?
1人の見知った姿の少年が赤い液体の中で倒れていた。
美しく輝いていた金色の髪が赤く、紅く染まる。
その少年に覆いかぶさって優しく抱きしめる紫の男。
音はない。しかし、この様子は泣いているのかもしれない。
大切な人を亡くしたのかも__
僕にも大切な人はいる。
もし、大切な人__彼が目の前で死んだら、なんて考えたくもないが、どうしてかシャボン玉に映るそのシーンは僕の心をギュッと握り潰す。
痛い、痛い。
どうして?
痛い、苦しい。
これは__悪い夢だ。
「泣くな、類」
第1章 優しい悪魔と飛べない天使
澄み渡る青。一切の曇りなし。
「うむ。今日もいい天気だな!」
高らかに声を上げたのは、ピンクグラデーションがかかった金髪の少年。全身に日を浴びるように仁王立ちする姿は、さながら一国の王子のよう。しかし、その身を包む服装は王子とかけ離れたものだった。
黒を基調とし、赤のラインが入ったカソック。立ち姿の後ろには小さな教会が建っている。
彼は、村から少し離れた所に住む神父である。
見上げれば一面の空を望むことができる、緑に囲まれた自然豊かな場所に少年は住んでいた。
ひとりと一体の居候の2人で。
「やあ!ツカサくん」
「っ?!」
頭上から声が聞こえたかと思うと突然視界が淡いパープル一色に染められた。ほのかな睡蓮の香りが鼻腔をくすぐる。
「ルイ、髪が邪魔で前が見えん」
「おや?これは失礼」
クスクスと頭上で笑う目の前のものから少し距離を開ければ、先程悪戯を仕掛けた本人の姿が見える。
コウモリのように逆さになった状態でふわふわと浮いている1人の男。重力に従うように長い髪は垂れ下がり、今日の晴天のような青がアシンメトリーの一部を染めている。首元にはファーが付いており、季節に合わず暑そうだ。身体を覆う大きな黒マントは、ひらり、ひらりと蝶の羽のような動きをしている。重力を無視するその動きは魔法をかけたかのよう。そして、とんがり帽を捻じ曲げたような鋭い2本の角が頭部から生えていた。
くるり、とマントを翻して長髪の男が地に足をつけると2人は向き合うように並んだ。
「おはよう。ツカサくん」
「あぁ、おはよう。ルイ」
暖かく優しい風が2人の頬を撫でる。
「今日も平和な1日になるといいな…」
「…そうだね」
ふっと優しく笑う神父につられて長髪の男_ルイもにこりと笑った。
「ツカサくん、今日の予定は?」
「とくにないな。あ、久しぶりに湖の方へ行ってみるか。睡蓮が咲いているだろう」
梅雨が明け、じめっとした暑苦しさから直射する暑さに変わろうとしている頃。雨など降りそうにない晴天の下、2人は並んで教会裏にある小さな庭を眺めていた。雑草もほんのちいさな塵も見当たらないその庭は、隅々まで手入れが施されているあたりとても大切に扱われているのだろう。家主である神父の几帳面さが伺える。
ちらほら生えている夏の芽が太陽を掴もうと今日も上を向いていた。
「湖か…」
「誰かさんは、先に足を運んだようだがな」
「おや。よくわかったね」
「睡蓮の香りがしたからな」
教会が建っている場所から10分ほど歩くと陽の光を遮るものがない開けた場所にたどり着く。そこの中心に綺麗な円形の湖があるのだ。晴れていれば、水面に反射した光がキラキラと輝く、自然が生み出すライトショーを見ることが出来る。また、この時期には白い睡蓮の花が水の中から顔を出す。一面を覆う真っ白なその光景は別世界に来たかのように幻想的であった。
「アイツらの様子見も兼ねて行ってみるか」
「君は本当にお人好しだね」
「アイツらは人ではないぞ」
行き先が決まればすぐに準備に取り掛かる。
お昼に差しかかる時間とあって、ツカサは湖の傍でランチを嗜もうと調理場へ向かった。
朝早くから仕込んでいたパン生地に濡れ布巾とラップを被せてオーブンに入れる。発酵機能の設定をしようとツマミを回せばキリキリと音を立てる。あとは様子を見ながら布巾とラップを取り出し、再度焼き色が付くまで焼けば出来上がりだ。
「うむ。今回も我ながら良い出来だな!」
オーブンを開けば、ふわっとバターの良い匂いが放たれた。焼き色も焦げることなくちょうど良いきつね色で、試しにひとつ半分にちぎるとふわふわ、もちっと良い塩梅の柔らかさであった。形も崩れることなく綺麗なドーム型だ。これは絶対にどこのパン屋よりも美味しいとツカサは自信もって、ひとつひとつ丁寧に作り上げたバターロールをバケットに入れていく。
「よし!これだけあれば足りるだろう」
2つの大きなバケットの中には沢山のパンとそれに挟むためのハム、色とりどりの野菜が敷き詰められていた。香りが逃げないよう柔らかく綺麗な布巾を被せて、それらを両手でひとつずつ持つとツカサはルイの元へ戻った。
「待たせたな」
「パンを焼いていたのかい?こちらにも良い香りが届いてたよ」
「今回も素晴らしい出来だ。楽しみにしていてくれ」
少しどやり顔のツカサにルイはフフっと笑うと、ツカサが持っていた大きなバケット2つをひょいと受け持った。
「ルイ?!」
「先に湖に行った罰として、この荷物は僕が持つよ」
「いや、オレが…」
「いいから、いいから。さ、彼らも待っているんじゃないかい?」
少し急ごうか_とルイはツカサを置いて歩いていく。その様子にツカサは一息つくと後を追った。
ツカサの頬がほんのり赤くなっているのは、先程まで暑い調理場にいたせいだ。
▹▸
夏の季節が近いこともあって湖の周りには沢山の先客がいた。恐ろしく大きなツノを持つ者、二本足で歩く猫、喋るぬいぐるみ。通称魔物、魔獣と呼ばれるもの達が自由にくつろいでいた。
彼らはツカサの姿を見つけるとその眼を輝かせて一気に押し寄せてきた。
『ツカサさん!』
「うわっ!こら!一斉に抱きついてくるんじゃない!!」
ツカサは勢い余って尻もちを着いてしまうが、彼らはお構い無しにツカサの頬を舐めたり頭を擦り寄せたりしてまるで幼い子供が母親に甘えるように戯れる。その様子を1歩離れたところから見ていたルイは寂しそうに微笑んだ。
「みんな、ツカサくんは人間なんだ。このままでは押し潰れてしまうよ」
『あ…!ごめんなさい!』
「まったくだ。だが、久しぶりに会えて嬉しいぞ。元気そうでなによりだ!」
ツカサは太陽の笑顔を向けると魔獣の頭を1匹ずつわしゃわしゃと雑に撫でる。一見撫で心地は悪そうだが、人間がペットを可愛がるみたく力は入れずに優しくオーバーな撫で方で、される側もにっこり笑顔になっている。
「そうだ!今日はオレ特製のパンを持ってきたぞ!沢山焼いたから好きなだけ食べるといい。」
✎︎______________
▹▸
「ルイ、いい加減シゴトをしろ。さすがに、もう目をつぶってやることはできんぞ」
赤と黒を基調にした大きな玉座にふんぞり返るそのモノは、目の前でそっぽを向くモノに至極苛立っていた。
「"ニンゲン"になりたいとまだ思っているのか?諦めろと何度も言っているだろう…」
とん、とん、と長く伸ばした爪で肘置きを叩く音が2人しかいない広間に響く。
「ルイ」
もう一度、はじめより威圧を込めて呼べば、そっぽを向いていた長髪のモノは、やっと、玉座に座るモノに視線を向けた。
「僕は、認めない」
「認めないも何もそうやって生まれついたのだから受け入れろ」
2つの影が動いた。
長髪のモノが背中を向けた途端、玉座に座っていたモノは瞬時に長髪のモノの前に移動し、驚き固まるそのモノの首を締め上げた。
「っ…!」
抵抗とばかりに爪を立てて引っ掻くが、目の前の強者の表情は崩れない。
ブオンッ!と風を切る音が聞こえたと同時に走る痛み。あまりの速さに、投げ飛ばされたことに気がつかなかった。
打ち付けた衝撃で崩れた壁の破片がカラカラと音を立てて雨のように降る。ひ弱な体はビクともしない。
乱れた髪の隙間から見えるのは、圧倒的な支配力を持つ堕落者。
「ルイ、最後の忠告だ。この世で1番醜く欲深いのは悪魔ではない。」
__人間だ。
そんなこと知っているとばかりに長髪のモノ_ルイは目の前の堕落者を睨みつける。