林檎を食べる 赤いりんご。
蓮は、万浬の手元をじっと見ていた。かれが包丁を手に取る。りんごを二つに割って芯を取った。実をまた半分に割って四分の一。迷いなく包丁を動かして、するすると刃が進むたび、りんごの皮が剥かれていく。まな板の上に赤い皮がぽとりと落ちる。皿の上には、白い身の、くし形のりんごがころんと置かれる。みずみずしそうでおいしそう。
蓮はすっかり感嘆していた。すごいなあ、なんて思っていたら口に出ていたらしい。
「……なにが?」
蓮のことばに、万浬は不思議そうに首を傾げている。
「うん。万浬って器用だなあって」
「りんごの皮、剥いただけで?」
「それがすごいんだって」
万浬はあきれたように肩をすくめたが、けれども蓮だってこれは本音だ。だって自分にはできないことだから。
すごいよ、万浬ってすごい。なんでもできるもんね、ほんとうに尊敬するよ。そんなところが好き。
蓮は、万浬をほめそやすことばを並べ立てていた。べつにお世辞を言いたいとかごまをすりたかった、というわけではないのだが、正直な気持ちをことばにしたら結果的にそうなってしまった。かれをちやほやして、なんだか大げさだったかもしれないなと思う。やりすぎたかも、と思っていたのだが、とうの万浬は、
「なに。褒めたってなにも出ないけど」
ぶっきらぼうに言うのだが、かれは、りんごをのせた皿を蓮の前に押しだしてくる。万浬の表情は機嫌よさそうに見え、まんざらでもなかったのかもしれない。
「蓮くん。先に、りんご食べていいよ」
「いいの? ありがとう」
ありがたく手に取った。かじりつけば、かしゃり、とあまずっぱい実のくだける音がする。
蓮が、飼い犬のぽんちゃんの散歩から帰ってきた時だ。
いつもの散歩コースを歩いてきて、シェアハウスに戻る。リビングに入れば、万浬がダイニングテーブルに座っていた。かれの目の前にはまな板と包丁と、そしてりんごが三個。
蓮に気が付いた万浬は、こちらに向かって「おかえり」と言う。ただいま、と返事をしつつコートを脱いだ。リビングのソファの背に引っ掛ける。ぽんちゃんはまっすぐに日当たりのよい窓辺までとてとてと歩いていくと座った。ひなたぼっこのようだ。かまわなくても大丈夫そう。
蓮はキッチンで手を洗ってきてからダイニングの椅子をひいて座る。テーブルについてから万浬に、
「りんご、買ってきたの?」
と、たずねた。
「ううん、同じクラスの子にもらったんだ」
聞けば、ノートを貸した礼なのだという。そういえば以前、蓮は、万浬がひとにノートを貸してお小遣い稼ぎをしている、という話を聞いたことがある。その報酬ということだろうか。
「今月ピンチだからって言うからちょっと安くしてあげたら、そのお礼だって」
「りんごがお礼?」
「そう。その子、青森出身らしくてさ、実家から送ってもらったんだって」
万浬はそう言いながら、赤くてまるいりんごを指でつついた。蓮は相槌をうちつつも意外に思ってしまった。万浬はお金にきっちりしているから、そのあたり妥協したりしないのではないか、と思ったのだが。
「まあ、くだものって買うと高いし、おいしそうだからいいかなって。……蓮くん、なあんか腑に落ちないって顔してる」
「えっ、そうかな」
蓮は疑問を口には出さなかったものの、顔に出ていたらしい。思わず顔に手をやってしまった。そんな蓮のさまを見て、万浬はおかしそうに笑う。それから、万浬は包丁をつかんだ。りんごをひとつ取ってから、
「蓮くん、おやつにしよっか。りんご食べよう」
しゃくしゃくとりんごをかじる。くだものの甘さもあるのだが、ほのかに酸っぱさもある。さっぱりとさわやかな味で、何個でも食べられそうだ。なんておいしいたべもの。
りんごを味わってゆっくりと食べている間に、万浬はさっさと手を動かしている。蓮がもたもたとしている間に、かれはりんごを一個、剥き終わっていた。万浬はいったん包丁を置くと、りんごに手を伸ばす。ひとくち、ふたくち、と、くちが動けばしゃりしゃりとこきみよい音がする。
「おいしい……」
「うん、そうだよね」
かれがびっくりしたように言うのが面白くて、笑ってしまった。勧められるから、もうひときれを食べる。万浬とおいしいおいしいと言いあっていれば、あっという間に食べ終わってしまった。残りはりんご二個。あとはまた別の日の万浬のおやつなのだろうか、と思っていたら、かれはまた皮を剥き始める。
「あとは、航海くんと結人くんと凛生くんの分ね。冷蔵庫に入れておいたら食べるでしょ」
そう、なんでもないように言う。いいのだろうか、万浬がもらってきたりんごなのに。不思議そうに目を瞬かせていたら、
「だっておいしいからさ、皆にも食べてもらいたいじゃん?」
なんて、当たり前のように言う。
「万浬って、アルゴナビスのみんな思いだよねえ」
「なにそれ。そんなの普通だろ、仲間なんだし」
「……そうだね」
むかし、函館にいたころ、こんなやり取りをしたような気がして、蓮はなんだかなつかしさを覚えた。蓮は、万浬のこんなところが大好きだった。大事なひとを、大事にすることは簡単なようで難しい。でもかれは、普通のことだよって言いきっていて、なんでもないようにちゃんとこなす。こなしてきた。万浬の、ひとに対しての誠実さを蓮は尊敬していたし、あこがれる。自分もそうありたいと思わせてくれるから。
蓮がつらつらと考えているうちに、皿には皮を剥かれたりんごが乗せられている。今、この場にいない三人のおやつだ。ラップ取ってくるね、と言って蓮は立ち上がる。キッチンでラップの箱を手に取ってからダイニングテーブルに戻ると、万浬が手を動かしていた。
最後に残ったりんごの半分。器用にさくさくと包丁をうごかしている。じっと見ていたら、今までとは違う形に剥かれていた。皮はすべて剥かれず、耳のようにくっついている、これは。
「あ、りんごのうさぎだ」
「ね、結構かわいくできたんじゃない? いやあ、俺って器用だなあ」
「ほんとにすごいねえ」
またしても感嘆してしまう。どうやったらできるのだろうか、じっくり真横で見ていたはずなのにわけがわからない。首をかしげてしまった蓮をよそに万浬は、
「じゃあ、このうさぎは蓮くんにあげます」
「いいの?」
「うん、一人ふたきれのつもりでいたけど、それだと余っちゃうからさ。……俺たちがちょっとだけ多めに食べたのは、三人には内緒ね」
万浬は口の前に指を立てて、しーっというポーズを取った。そのいたずらっぽい表情がかわいらしくて、おもしろくて、やっぱり蓮は笑ってしまう。大好きだなあって思うのだった。
内緒の果実の味はあまずっぱくってさわやか。