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    2023/05月に出した、コピー本より再録です。
    お花見をするれんばんです。

    #れんばん
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    散る散る満ちる 東京は春が早い。
     三月がはじまって数日のことだ。蓮が見上げた空が澄んだ水色をしていたので、しばらくそのまま眺めている。ずいぶんときれいだったから、思わず見入ってしまっていた。
     昼さがり、公園のベンチに座っていればさんさんと日がさしてきて、ぽかぽかとあたたかい。
     しろっぽくてまぶしい、けれどやさしい光に照らされていれば、眠たくなってくる。吹いてくる風は粉っぽくて、鼻先をかすめるたび、ふわふわの綿にくすぐられているような心地になった。ひらたく言うとむずがゆい。さっきから、くしゃみばっかり出てしまう。
     気候だけでなく、公園を見れば、どこもかしこも春めいていた。花壇のそばで蝶々がひらひらと飛んでいるし、生垣は若草色の芽を生やしている。冬のころの公園は全体的に茶色だったのに、いつの間にか緑にうつり変わっていた。
    (すっかり春だなあ)
     うららかな陽気にあてられたのか、蓮は、ぽーっとしてしまう。
     缶コーヒーのプルタブをかこん、と音を立てて開ける。散歩の途中、自動販売機で買っていたのだが、上着のポケットに入れたままだった。あったかいコーヒーはすこしだけぬるくなっていた。口をつければ、コーヒーが喉を通っていく。ほろっと苦いが、眠気を感じている今にはちょうどよかった。
     コーヒー片手にのんびりしていると、蓮の足にふわふわしたかたまりがあたる。もふもふのかわいい気配。
    「ぽんちゃん、今日はあったかいからぼんやりしちゃうね」 
     足元に話しかければ、飼い犬であるぽんちゃんは「きゅわん!」と鳴く。元気いっぱいだ。さっきまでタイルの上でころころと転がって一人遊びをしていたが飽きたのだろうか。缶を横に置くと、抱き上げて膝に乗せる。嬉しいのかはしゃぐように、ぱたぱたとしっぽを揺らしていた。本当にかわいい。ふわふわでつやつやの毛並みの体を撫でると気持ちがよかった。
     今日は木曜日。アルゴナビスのシェアハウスのルールとして、メンバーでぽんちゃんの散歩当番が割り振られている。今日は当番ではないのだが、本日の当番である凛生と航海がどうしても都合が悪くなってしまい、代わりに蓮が散歩をしているところだ。
     しばらく、膝の上のぽんちゃんの体を撫でながらも、缶コーヒーをちびちびと飲む。春めいた公園とぽんちゃんの毛並みに和んでいたが、やがてコーヒーを飲み終わってしまった。ぽんちゃんを地面に下ろして、空き缶を持って立ち上がる。
    「そろそろ行こうか」
    「わん!」
     ぽんちゃんは蓮に返事をするように鳴いた。その名前の由来のとおり、ぽんぽんとはずむように、楽しそうに歩いていく。その後ろ姿もかわいらしくて、蓮は微笑ましい気持ちになっていた。
     公園をゆっくりと歩いていれば、桜の木の前を通りかかる。蓮は花には疎いが、木の幹に『ソメイヨシノ』と書かれた名札がくくりつけられているから、桜だということはわかる。足を止めてしまった。
     今朝見たニュースの天気予報では、桜は三月中旬頃には開花するらしい。こんなにあたたかな日が続いたらそうもなるだろう。三月末の自分の誕生日の前にはもう桜が咲いている。それどころかすでに散っているかもしれないのだ。
     ――東京は春がやってくるのが早い。それは蓮が生まれ育った函館よりもずっと。
     そう感じるのは昨日、函館に住む母と話したからだろう。地元の様子を尋ねてみれば母から、「まだまだこっちは寒いよ。今日もちらちら雪が降ってるから」と聞かされて、蓮は、「そうなの?」とすこしおどろきまじりに答えてしまった。よくよく考えてみれば、今頃の函館がまだ寒いことくらい身をもって知っているはずなのに。そんな調子の蓮に、母は、「もう、蓮ってば、すっかり東京に染まっちゃったのね」とおかしそうにころころと笑う。染まってしまったかどうかはわからないが、東京の気候にはそれなりに慣れた気はしている。
     立ち止まってつらつらと考えてしまった蓮の足元から、くうん、と声がする。はっと我に返った。ぽんちゃんは蓮を見上げている。ころりと丸い、がらすのような澄んだ目玉。
    「あ、ごめんね。なんでもないんだよ」
     頭をぽふぽふと撫でて、行こうね、とうながせば、ぽんちゃんはまたはずむように歩き出す。
     蓮は歩きながらも、後ろ髪をひかれるように何度か振り返っていた。
     散ってしまう前に見にきたいなあ、と思う。蓮がひとりで見るのではなくて、誘いたい人がいるのだ。

      ◆

     あくる日、金曜日の朝。
     今日のぽんちゃんの散歩当番は蓮と万浬だ。金曜は燃えるごみの日でもあるから、ごみ捨てを兼ねての散歩となる。二十歳そこそこの男五人の住まうシェアハウス、ほぼ毎日自炊しているからか、それなりにごみが出る。今日も、蓮と万浬のふたりは早起きをすると、シェアハウスじゅうのごみをまとめていた。皆、協力的で、朝までに居室の外にごみ箱を出しておいてくれるから楽だ。ごみをまとめたら、ぽんちゃんにハーネスをつけて、支度を整えてから出発する。ごみ袋を手分けして運んでいた。いつも収集所までの道中はおしゃべりながらのんびり歩いて行くことにしていて、さっそく蓮は万浬に、昨日思いついたことを話しはじめた。
    「万浬って桜は好き?」
    「なあに蓮くん、急に。……そりゃ嫌いじゃないけど」
     嫌いじゃない。ならば望みはありそうだと話を続ける。
    「あのね、いつもぽんちゃんの散歩で行く公園にさ、桜の木があって」
    「あー、あるね」
    「うん。だからね、桜が咲いたら見に行きたいなあって」
    「へえ、いいじゃん。ちょうど春休みだし、皆の予定あわせなきゃだね」
    「あ、そうじゃなくて」
     蓮が言いかけたところで、ちょうど収集所に到着した。万浬にごみ袋をまかせて、蓮とぽんちゃんはすこし離れた場所でおとなしく待つ。万浬の様子を見守っていた。
     かれは、手際よく、捨てたばかりのごみ袋に散乱防止のネットをかけ直している。ぱんぱんと手を払ってから戻ってきた。蓮の足元にしゃがむと、おすわりをしているぽんちゃんに向かって、「おまたせ。じゃあ散歩行こうね」と話しかけてる。話しかけられたぽんちゃんも嬉しそうに、「きゅわん!」と鳴いた。今日も元気いっぱいだ。
     また連れ立って歩き出すと、すぐに、万浬が思い出したように口をひらいた。
    「そういやさっき、蓮くん何か言いかけてなかった?」
    「あ、うん……。できたら僕と万浬だけでお花見したいなあって。結人や航海や凛生ともしたいけど……、それとは別に。だめかなあ」
     万浬の顔色を伺うように聞いてしまった。かれは大きな目をぱちぱちと瞬かせていたが、やがて、
    「それってデート?」
    「うん、デート……」
     自分から言い出しておいて、もじもじとしてしまった。蓮と万浬が付き合いはじめてそこそこ月日は経つものの、こうして誘うことにはまだ照れが出てしまって、勝手にどきまぎしている。慣れそうにない。
     対して万浬はなるほど、と、納得した様子で、
    「いいよ。ふたりでお花見デートしよっか?」
     と、言う。あんまりにもあっさりとかるいものだから蓮は思わず聞き返してしまった。
    「え、いいの……?」
    「うん。バイトがない日だったら、俺は全然かまわないよ。あとでシフト見て、空いてる日教えるね」
     万浬は大学の春休みに入ってからというもの、アルバイトの時間を増やしていた。学校の長期休みに入ると毎度そうで、そこそこ忙しいはずだからむずかしいかもしれないと思っていたが、万浬からの返事はずいぶんあっさりとしたものだった。
     思っていたよりもかなりスムーズに話がまとまってしまった。いや、もちろん、いいことなんだけど。
     断られるとは思っていなかったが、万浬を説得しようとああでもないこうでもない、と考えていたので、肩透かしをくらってしまった。花見ならふたりだけでしないでアルゴナビス全員でやったらいいじゃないか、一度やったなら何度もやらないでいいじゃないか、などと却下されるかも、と考えていたので。
     くわしい日にちは後から相談することになった。戸惑いつつも、まとまってよかったとほっとしていると、万浬が、あらたまったように「蓮くん」と呼んでくる。それから蓮の、リードを持っていない方の手をそっと掴んできた。
    「万浬?」
    「蓮くん。俺だって、蓮くんからデートしようって言われたらすごく嬉しいんだよ」
    「……うん!」
     自分でもおかしくなるくらい、機嫌よくなってしまって、蓮は万浬の手を握りかえしていた。かれの手は蓮よりすこしだけちいさく、わずかに体温は低い。手のひらにはがっちりとした厚みを感じられて繋いでいると安心する手だ。頼りがいがあって、蓮は万浬の手が好きだった。
     万浬のことばが嬉しいのと、好きなものに触れていられることに浮かれて手をぶらぶらと振りながら歩いていれば、万浬は、
    「蓮くんってほんと、ぽんちゃんに似てる」
    「え、そう?」
    「うん。今なんか特にそっくり」
    「……どういう意味?」
     万浬が、笑いをこらえるような顔で、前方を指さす。
     目の前には、尻尾をゆらゆらさせて、ぽてぽてと歩くぽんちゃんがいる。とっても楽しそうだ。――つまり、今の自分はわかりやすいほどはしゃいでいる、と言うこと。からかうような言い草にちょっとむっとしてしまうものの、おおむね当たっているので言い返せない。口をとがらせていると、万浬はごめんごめん、と笑いながら謝ってくる。ずっと腹を立てているような話でもないし、こんなのただのじゃれあいだ。また、たあいないおしゃべりに戻っていく。
     しばらくして、公園にたどり着いた。下見がてら散歩をしようとなって公園内をゆっくりと進んでいく。ちょうど桜の木の前にはベンチがあるので、そこでひと休みを兼ねて座る。ここいいね、お花見の場所の候補のひとつにしておこうか。そう相談していれば、万浬は、あ、と思いついたように言った。
    「そういやお花見ってことは、お弁当とか準備する?」
     お弁当。
     今、万浬に言われるまでちっとも頭をよぎらなかった。特に考えてなかったとしょうじきに言う。かれは面食らったような顔をしたがそのうち、合点がいったように言う。
    「あ、ごめん。俺の家族ってそういうイベントごとで張り切っちゃうタイプの人間が多くてさ。ちょっとそのへんに行くのでもお重のお弁当作ってたりしたんだ。だから当然あるんだと思い込んでた」
    「へえ、そうなんだ。楽しそうでいいねえ」
    「うん、作るのは結構めんどうなんだけどね。でも、外で食べるのって特別な感じがしていいもんだよ。……まあ、今回は別になくても大丈夫だよ。俺もバイトがあるから、あんまり凝ったことはできないだろうし……」
     と言うが、残念そうに見えたのは蓮の気のせいだろうか。
     休憩しすぎたのか、じれったくなったらしいぽんちゃんが蓮の足元でうろうろしはじめていたので、立ち上がると散歩に戻っていた。まだ朝ごはんも食べていないから、あんまりのんびりとはできないのだった。
     いつもの散歩コースをまわり、シェアハウスに戻る道すがら、蓮は考えている。――万浬が忙しいなら、かわりに自分がやればいいのではないか、と。


     それから数日後。
    「凛生、いる?」
     蓮が、シェアハウスの居室のドアをノックすると、ややあってから部屋の主が顔を出した。
    「どうした七星」
    「ごめんね突然。今、時間ある?」
     尋ねれば、大丈夫だと返事があった。立ち話もなんだからと、部屋に通されると先客がいる。
    「蓮? どうしたの」
    「あれ、航海?」
     凛生の部屋に航海がいた。
     なにをしていたんだろう、といぶかしげに思うものの、ローテーブルにノートや楽譜が広げてあるから曲作りの作業だろう。ごめんね、作業の邪魔をして。蓮が謝れば、「大丈夫だ」「ぜんぜん平気だよ」と別々の方向から、はかったようにかれらの声が聞こえてくる。いつも凛生と航海は衝突しがちなのに、こんなときの息はぴったりだから、なんだかおもしろくなってしまう。蓮は、このふたりは意外に仲がよいのだと思っているし、実際に本人達にも何度か「実は仲がいいよね」と聞いたことがある。そのたびに「違う」とふたりから否定されてしまうのだが。
     蓮が床に座ると凛生も戻ってくる。三人でテーブルを囲んでいた。
    「ところでなにかあったのか?」
    「あ、実は」
     蓮は先日、ぽんちゃんと万浬と散歩したときに考えたことを話す。ふたりとも最後まで余計な口を挟まなかった。じっくりと聞いてくれた凛生が、
    「――つまり、七星と白石が花見をするから、そのときに弁当がほしいってことなんだな?」
    「うん、せっかくだし、いろいろ準備したいなって思って。……変かな?」
    「いいや、いいんじゃないか?」
    「うん、僕もいいと思うよ。楽しそう」
     凛生も航海も、そろって肯定的な返事をくれるのでひと安心した。だが、話の肝はここからだ。
    「それでね僕が準備……、ええと、ようはお弁当を作れないかなって思ってて、凛生に協力してほしいんだけど」
    「……七星が?」
    「……蓮が?」
     なごやかな空気の流れていた部屋が、急に静まる。みょうな沈黙がおりてきた。微妙な反応をするふたりに、予想はしていたものの、蓮は二の句が継げなくなってしまった。
     三人そろって黙りこんでしまったが、そのうち航海が「てっきり万浬くんが作るんだと思ってた」と言い、凛生も同調したようにうなずいている。かれらがそんな調子なのは、蓮の普段の料理のスキルを鑑みてだからだろうし、当然だ。それに対してなにか言い訳するつもりはないが、しかし、ここで引くわけにはいかない。
    「いつものことだけど、万浬はバイトがあるから忙しいみたいで」
    「あー……」
    「だろうな」
    「僕が万浬と遊びに行くときって、いつも万浬が何でもしてくれてるから……。たまには僕が準備したいなって思ったんだ」
     蓮は、腕組みをしている凛生におずおずと尋ねてみる。かれはなんだかむずかしそうな顔をしていた。はらはらしながら返事を待つ蓮をよそに、航海は「桔梗って、曲作り以外でこんなに眉間にしわ寄せることあるんだ……」なんて、とんちんかんなことを言う。
    「だめかなあ」
    「いや、そんなことはないさ」
     結局、待つのにじれったくなって急かすようにきいてしまったが、凛生からは否定はされなかった。どうやら違うことを考えていたらしい。
    「七星でも作れそうなものか……。ちらし寿司とかおにぎりとかかな。まあ、俺も作るのは手伝うから」
    「……ほんとう? よかったあ」
     ほっとしてしまう。自分から頼んでおいて半分くらいは断られるかもしれないと思っていたので。凛生はその場しのぎのことをいうひとではないので、これは本当に引き受けてくれたと思っていいだろう。
    「ああ、まかせろ」
    「まあ、桔梗もこう言ってるし、なんとかなるんじゃないの?」
    「うん、ふたりともありがとう」
     凛生が自信ありげに言うのを横目に、航海はあきれたように肩をすくませていたが、表情は柔和なものだ。ふたりのやりとりの端々から、やっぱり仲がいいんじゃないかと蓮は思ったのだが、ここで言ってしまえば話がややこしくなりそうなので、やめておく。
     相談ごとがうまくまとまったので、蓮は凛生の部屋をあとにした。
     気が早いもので、もうすっかりすべてをやり遂げた気分になっていたが、大変なのはこれからだ。それでも、航海のことばのとおり、なんとかなりそうという事実が、蓮の気持ちをずいぶんと軽いものにしている。
     浮かれるような、スキップするような足取りで廊下を歩いていった。


     時はながれて三月半ばを過ぎたころ。
    「結人、買うものはこれで全部?」
    「どれどれ」
     蓮が押している買い物カートに乗せたカゴを、結人がのぞいてくる。
     カゴの中身と手元の買い物メモとを照らしあわせていた。牛乳、豆腐、たまねぎ、もやし……、と中をチェックしていたが「うん、大丈夫そうだな」と、顔を上げた。抜けたものはないらしい。
     夕方、蓮は結人と一緒にスーパーに食材の買い出しにきている。結人から一緒に買い出しに行かないかと誘われたので、荷物持ちのためについてきていた。今日はあいにく、蓮以外の皆は用事があるらしい。普段、買い出しといえば万浬が主になって行くのだが、今日はかれも都合がつかなかったようだ。結人が万浬から買い出しメモと財布を預かっていた。
     カートを押しながらレジに向かう。夕方になれば混み合う時間で、蓮と結人は列に並んだ。会計の順番が来るまですこし待たないといけない。手持ち無沙汰ではあるものの、こんなときは連れと話ができるから蓮はあんまり嫌いではない。少々せっかちなところのある万浬に言わせると「蓮くんはのんびりし過ぎ」ということらしいが。
    「そう言えば、蓮。万浬と花見に行くのって今週の土曜だったよな?」
    「うん、そうだよ」
     このところ、この話題を振られることが多い。もうそろそろだと思うと、楽しみだという感情があふれて顔がにやけてしまっている。今だってそう。
     結人は、にこにこしている蓮を微笑ましげに見ていたが、
    「万浬にも同じこと聞いてみたんだけど、あいつも今の蓮みたいに機嫌よさそうな顔してた。本当に楽しみにしてるみたいだな」
    「そうなの?」
    「ああ、今朝この話をしたんだけど、うきうきしながらバイトに出かけてったからな。最近のモチベらしいぜ」
    「万浬、そんなこと言ってるんだ? 僕にも言ってくれたらいいのに」
     蓮が凛生にお弁当作りの協力をお願いした日、その翌日にはおなじシェアハウスに住む、アルゴナビス全員にこの話が伝わっていた。(蓮と万里の計画を知った結人は「五人でも花見しようぜ」と言い出して、それはそれで別の日に計画を立てているらしい。)
     当初、万浬をびっくりさせようと思っていたものの、凛生と航海に内緒にしてもらうよう頼むのをすっかり忘れていたせいであった。まあ、別にばれたら頓挫するような計画ではないから問題ない。万浬だって、蓮にやめさせようとはしなかった。蓮が弁当を準備すると知ってかなり戸惑っていたが、ひとりで作るのではなく凛生が手伝うと聞いて、なんとか納得はしたようだ。
     ここ数日の蓮といえば、当日の準備もそうなのだが、桜の様子が気にかかっている。
     テレビのニュースで桜の開花予想が出てからというものの、出かけるついでに公園まで足を伸ばすようにしている。用事がなくても家でじっとしているよりは、と理由をつけて出かけていた。公園の桜の、空へと張り出した枝には、うすい桃色のちいさな花が咲いている。まだ満開ではないが、水色の空と桃色の花の組み合わせがしっくりくるように感じて、飽きずに日参していた。毎日見ても劇的な変化をしているわけではないのだが、その美しさを万浬に伝えたくなって、このところその経過を話してばかりいる。
     長期休み中の万浬はだいたいバイトに出ているので、日中は留守が多い。蓮がそろそろ寝ようかなと思っているような頃に、居酒屋のバイトから帰ってくるため、うまくいけば会える、という状態だ。蓮はこのところ、万浬と話せるように少しばかり夜ふかしをしている。昨日もそう。昨夜も蓮は万浬に、「公園の桜、お花見の日には満開になりそうだよ」と、報告すると、万浬は「ねえ、わざわざ毎日見に行く必要ある?」とあきれたよう言うのだが、そのくちぶりにはわくわくするような響きがあるのだった。
     話を戻そう。レジの列が時間をかけて進んでいくので、蓮ものんびりとした気持ちでカートを押していれば、会計の順番が次の次、まで回ってきていた。まだ時間はあると、隣の結人はスマートフォンを手に取って操作していたが、気になったことがあったようだ。蓮に端末の画面を見せてくる。
    「……木曜ころからちょっと天気くずれるみたいだな」
    「え!?」
     結人のスマートフォンの画面をのぞき込む。端末の画面には天気予報が表示されていて、かれのいうとおり、確かに明日から週末にかけて雨の予報になっていた。
    「花、散っちゃうのかな……」
     天候ならば仕方ない。こんなの誰もわるくない。けれども、ふくらませた風船から空気が抜けていくように、蓮の楽しみな気持ちも急速にしぼんでいくようだった。
     しょんぼりしてしまった蓮に、結人はあわてたように言う。
    「あ、でもこれ予報だから。当日、天気予報と全然違ったなんてよくある話だろ」
    「……」
    「大丈夫、晴れるって。心配ならてるてる坊主でも作るか?」
    「うん」
     結人はやさしい。大丈夫だ、なんとかなる、と根拠はないものの、不安なときに言い切ってくれるところが、こんなときにはありがたく感じる。なぐさめるようなかれのことばに、蓮は多少は気持ちを持ち直す。
     気がつけば会計の順番がやってきていた。カゴの中身をレジに通してもらって、結人が支払いを済ませる。食材を買い物袋につめて、家路につく。
     道中、蓮はふと立ち止まっていた。見上げると、あたたかな色の混じった、澄んだ色の空が開けている。数日後には雨模様だなんて信じがたかった。

      ◆

    (結局、雨になっちゃった)
     迎えた当日、結局予報どおりになっていた。
     土曜の朝。七時ころには目が覚めていたのだが、この時点で雨はすでにしとしと降っている。凛生が、
    「七星、今日は結局作るのはやめるのか?」
     と尋ねてきたが、蓮は首を横に振った。
    「雨、上がるかもしれないし」
    「そうか、わかった」
     朝食後、キッチンに引っ込むと、凛生に協力してもらって作り始めることにする。
     主導は凛生で、蓮は補助的な立場であるものの、できることはなんでもやろうと意気込んでいた。とはいえ、不器用なのでとんでもない失敗をやらかさないように、を念頭においてではあったが。調理している間に、心配なのか、ときおり結人と航海がキッチンまでのぞきに来る。万浬は来なかった。見ていられないのか、楽しみとして取っておいているのかはわからないけれど。
     もたもたと作り始めて、なんとか昼前には完成した。弁当箱に詰めて、終わった、と達成感を感じている蓮の横で、凛生は結構疲れたような顔をしていた。おそらく、凛生ひとりなら短時間でできるようなことも、蓮がいることで手を焼いたというか、余計に時間がかかってしまったのだろう。
     かれに礼を述べれば、「弁当はまとめて保冷バッグの中に入れておくから。七星は出かける準備してきていいぞ」と言う。なにからなにまで世話になってしまった。
     部屋で着替え、またリビングに戻ってくると、万浬が窓辺に立っていた。蓮に気がついて振り返る。
    「あ、蓮くん。お疲れ様」
    「万浬。お待たせ」
     じゃあ行こうか、と玄関に向かった。靴を履いて、お弁当の入った保冷バッグを手に取る。シェアハウスの扉を開けると、すーっと冷えた風が鼻先をかすめていった。雨のにおいがする。
    「結局、雨あがんなかったね」
    「そうだね……」
    「蓮くん、そんなにうかない顔しないでよ。天気には勝てないんだから、しょうがない」
    「わかってるよ。……でも万浬どうする? その、出かけるのやめちゃう?」
     料理中に上がるかもと淡く期待していたのだが、雨は、いまだにしとしとと降り続けている。おずおずとかれに尋ねるが、万浬は、
    「え、なんで? ここまで準備してくれたのに行かないのもったいないじゃん。行こうよ」
    「うん」
     なんでもないように言う。その迷いのなさに背中を押された気がして、蓮は頷いて、傘をさしていた。
     万浬が手を差し出してくるので、かれの手に自分自身の手を重ねる。


     傘をさしたまま、桜を見上げている。
     公園のなか、にび色の空に向かって、伸びている枝には桃色のかわいい花たちが咲いている。けれど、今は、雨に濡れてしまってしょんぼりとしているようにも見えた。
     桜の木の根元や公園のタイル張りの地面には散ってしまったのだろう、花びらが何枚も落ちている。
    「思ってたよりも散ってなくてよかったね」
     桜は、かれのいうとおり派手に散ってはいなかった。ちょっと悲観しすぎていたかもしれない。
    「そういえば、お弁当持って来ちゃったけど、これじゃ座れないね」 
     桜の、ちょうど真正面にある木製のベンチは雨ですっかり濡れてしまっていた。このまま座ったら服が濡れてしまうだろうし、お弁当は持ち帰った方がいいだろうかと思っていたら、
    「ああ、それなんだけど」
     万浬は自分のリュックサックからなにやら取り出している。レジャーシートだ。がさがさとひろげると、ベンチの上に敷いた。
    「はい、これで座れるから」
    「え、ええ……」
     おどろいてぽかんとしてしまう蓮をよそに、かれはさっさとベンチに座った。ほら蓮くんも、と呼ぶので隣に座る。確かに服は濡れないけれども。
     傘をさしつつ、レジャーシートの敷かれたベンチに座りながら、雨に打たれる桜を見ている。
     これって本当に。
    「変……」
    「雨の日の公園で花見しようってなった時点でじゅうぶん変だよ。俺たち以外に誰もいないでしょ」
     万浬に言われて気がついた。
     確かに、公園を見渡しても誰もいない。土曜日の昼ごろなど、いつもは犬の散歩をしている人や遊んでいる親子連れなどで、もっとにぎやかなはずなのに。
    「じゃあ、お昼にしようか?」
    「う、うん」
     蓮は緊張しつつ、保冷バッグの中から大きめの、二段のお弁当箱を出した。
     気に入ってもらえるだろうかとどきどきしながら万浬に渡すと、かれは膝の上に弁当箱を乗せる。ぱかっと上の段の蓋を開いた。
    「わあ、いなり寿司だ」
    「あ、二段目には凛生が作った卵焼きと唐揚げが入ってるよ」
    「へえ、すごい。……いなり寿司は蓮くんが作ったの?」
    「うん。凛生につきっきりで教えてもらって……。本当にいっぱい手伝ってもらったから僕じゃなくて凛生が作ったって言った方が正しい気もするんだけど……、なんとかできたよ。あと、油揚げにご飯入れるとき、いっぱい破いちゃったから気にしないでね」
    「あ。ほんとだ、これちょっと破れてる。でもおいしそうだよ」
     万浬はぶかっこうなかたちのいなり寿司をひとつ取ると、ひょいっと口に放り込んだ。おいしい、と言ってすぐにひとつ食べきり、新たにまた食べ始めている。どうやら口にあったらしい。よかった。
    「ほら、蓮くんも食べなって」
     うながされて蓮もひとつ食べてみた。あまじょっぱくておいしい。頑張ってよかったと思う。
     作るのは長時間でも食べるのは一瞬だ。あっという間に無くなってしまった。
     おいしかった、ごちそうさま。万浬はそう言っておしぼりで手をふいている。蓮も、バッグの中に入っていたお茶を口にした。いつも以上にほっとする味だと思った。
     食べた後の片付けをしていると、万浬が気がついたように空を見上げる。あ、と声を上げた。
    「雨、上がったね」
    「ほんとだ」
     小雨だったのに、いつの間にか上がっていた。雲が流れていって、空には晴れ間がのぞく。待っていたらやがて、春の、あたたかな日差しが降ってくるはずだった。
     雨上がりの、水っぽくも澄んだ空気はひんやりしている。
     傘を閉じてから、ふたりで思わず顔を見合わせてしまった。しばらく妙な間があいて、どちらともなくふきだしてしまう。お互いの肩が揺れている。万浬が、
    「もしかして、もうちょっと家で待ってたら、ご飯のときには雨上がってたってこと?」
     とおかしそうに言うから、蓮も笑いながら、
    「うん……。つまり、そういうことだよね」
    「なんか格好つかないねえ」
    「でも楽しいな。準備するのも楽しかったし、よかったなあって思えるよ」
     万浬と桜を見たい、その気持ちだけでいろいろ考えていた時間は無駄じゃなかったと思う。万浬に言えば、しばらく黙っていたがそのうち、
    「……蓮くん、誘ってくれてありがとね」
    「万浬こそ、来てくれてありがと」
    「まあ、思ってたお花見とちょっと違ったけど」
    「う、それは……」
     蓮は言葉に詰まるが、かれは、違う違う、と笑いながら手をひらひらと振った。
    「この先さ、何年経っても桜が咲く頃に、今日のこと思い出すんだよ、きっと。あのとき変なことしたよねえ、おかしかったよねえ。でも楽しかったよねって」
     万浬が蓮の顔をじっと見つめた。まじめな顔をするかれの、大きな瞳に浮かぶ色はおだやかだ。
    「俺は嬉しいよ。蓮くんとの間にいろんな思い出が増えるのがさ」
    「……僕も。僕も嬉しい」
     万浬は楽しげに笑っていた。それは、あたたかな、春のやさしい日差しを連想するような晴れやかさで、蓮をたまらないような気持ちにさせる。
     やさしいものにやさしく触れて、触れられたくなってしまった。
     蓮は万浬ともう少し距離を詰める。じゅうぶんなくらい近づいて、――かれの唇にそっとキスする。蓮のくちさきはかれにやどる、ほのかな熱を感じとっていた。
     ああやっぱり、春の日差しに似ている。
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