嘘喰う男 其の壱最初は僅かに違和感を感じただけだった。
妻を守るために折角着せたちゃんちゃんこを脱いだ男は、溢れた狂骨に襲われその記憶を無くしていた。
記憶を無くした事を知らなかった儂は、村で聞いていた相棒の男の家の隣の古寺に住み着き、相棒の男との再会を待ち続けた。
だが、いくら待てども相棒の男は現れない。それならと自らの魂を飛ばし、男を誘った。魂に惹かれたか、相棒の男は姿を見せた。しかし、姿の変わった・・・呪いのために生きたままその身を腐らせていた儂の姿を見て相棒は逃げた。
逃げた相棒を、男の名を呼びその後を追ったが腐ったその身は男の名をうまく呼ぶ事が出来ず、男はそのまま逃げて行った。
そんな男の姿に儂は大層悲しんだ。
恐れられた事ではない。
逃げられた事でもない。
相棒の男から自分という友が、相棒としての記憶が消えてしまった。自分から相棒という男という存在が消えた。その事が悲しかった。
「水木が儂を忘れてしもうた」
嘆く儂を、妻は優しく慰めた。
「大丈夫ですよ。あの方は優しい人。また笑えあう日が来ますよ」
「そうかのぉ」
「そうですよ」
妻は笑った。そんな妻の姿に儂も笑った
夫婦で笑いあった。
だが、妻も儂も知っていた。そんな日は来ない事を。
自分達の命の灯がもう消えようとしている事を知っていた。
それでも妻と二人笑いあった。
無くした相棒の男の事を思い、優しい男の事を想い、二人で静かに笑いあった。
それからしばらくして、妻が亡くなった。
囚われていた村より逃れはしたが、村で過ごした過酷な日々はその身を傷め回復は敵わなかった。
死に向かう妻を助けたかったが、儂自身その身は死へと向かう中、どうする事も出来なかった。
「あなた、この子はまだ生きています。せめてこの身を墓場に埋めてもらえたら眠っていつか甦られるのに」
「嗚呼、そうじゃのう。この霊気の溢れる地で眠れるのであればなぁ」
亡くなる前に妻は言った。
しかしそれは叶わぬ願いであった。
こんな古寺・・・否、既に守るべき者の居ない廃寺に来るものなど居ない。
儂自身は呪いでその身は崩れ既にこの霊気を帯びた地で眠りについたところで回復は無理であろう。しかし妻はまだ長い年月をかけられるのであれば・・・。
そんな願いも虚しく、妻は亡くなった。
このままその身を崩して行くだろう。
そうなればもう・・・。
儂は思った。
誰か・・・と。
否、誰か・・・ではない。
儂は呟く。
男の名前を。
もうここには来ないであろう、二度と会う事は叶わぬであろう相棒の男の名を。
「 」
しかしその名はもう誰の耳にも届く事はなかった。