【かわいいひと】◇◇◇◇
カムラの領地の端に位置する、ハンター用の闘技場。普段は閑散としているその観客席が、今日は多くの観客で賑わっている。カムラの里の民に加え、ギルドのお偉方や王国からの視察団も、闘技大会のスタートを今か今かと待ち望んでいた。
観衆の期待を一心に背負って櫓の上に佇んでいるのは、上位ハンターのアヤメ。かつては名うての狩人として狩り場を飛び回っていた彼女が負傷による長期休業から復帰すると聞き付け、各地から応援が駆けつけた結果が、この一大イベントである。
「きゃーっアヤメさん可愛い ヤバい、写真撮らせて写真」
そして、人目も憚らず悲鳴に近い歓声を上げて大はしゃぎしているのは、カムラの里を救った英雄であり、アヤメの恋人でもあるハンター、ミドリだ。
今日のアヤメは普段のナルガ装備ではなく、大会の指定装備であるカムラノ装を纏っている。これが英雄の心をときめきで木っ端微塵にしてしまったのである。カメラを構えて悶え苦しむミドリに向かって、アヤメは蝿でも追い払うようにシッシッと手を振った。
「断る。好きで着てるんじゃないんだよ、ライトボウガン使えるのがこれとジンオウガしかないから……」
「ちょっとだけ! 一瞬でいいからこう、決めポーズ的なヤツを」
「うるさい」
「あだッ」
アヤメのリーチの内側に一歩踏み込んだ瞬間、ミドリの額のド真ん中に、照れ隠しの鋭いチョップが叩き込まれた。
しかしそんなもので怯んでいては英雄など務まらない。ぷうっと膨れっ面を浮かべるだけでまるで堪えていないのは、アヤメにも伝わっているようだ。
「んもーぉ、写真くらい良いじゃない! ケチぃ~」
「アンタねぇ、今からモンスターとタイマン張りに行く人間に向かって、何か他に言う事ないワケ? 応援でもしに来たのかと思ったら……あっこら、撮るなって」
「ないわねー。白々しく『頑張ってぇ~!』とか言わなきゃいけないような敵じゃないでしょ」
カメラを奪い取ろうとするアヤメをひらひらと躱しながら、無遠慮にパシャパシャ撮りまくるミドリ。軽く見ているわけでも何でもなく、心からの本音だった。
今日の相手はクルルヤック。上位のハンターであるアヤメにしては、少々不相応にも見える相手である。心配など微塵もしていない。
「……分かんないよ。『今のお前はこの程度だ』って言われちゃってんだし」
ミドリからカメラを取り上げるのを諦め、ライトボウガンの最終調整をしながら、アヤメがぼそりとぼやいた。
ちょっと、いや、明らかに不満そうだ。
もちろんアヤメは上位のハンターであるので、ランク的にはジンオウガにも挑戦する資格はあるが、ギルドからの許可がまだ下りなかったのだと、ミドリは数日前にアヤメ本人から聞かされていた。リハビリ中である上に得物を変更してまだ日が浅いことが、その理由らしい。
「だーいじょぶ大丈夫! クルルヤックなんてアヤメさんなら楽勝よ、楽勝! ……はい、これでいい?」
「喧嘩売ってる?」
「そんなことないわよぅ、やだやだ怒らないで」
(……私なら、楽勝どころか秒殺だけど)
甘えた声音で軽口を叩きながら、心の中でぺろんと舌を出す。
言葉に出したらアヤメが不機嫌になるから、これは、絶対に言わない。
「アヤメさん、準備はいいかい? そろそろだよ」
ウツシが闘技大会の開始を告げに来た。
有無を言わさず首根っこを掴まれ、ミドリはアヤメからべりっと引っ剥がされた。
「アタシはいつでも」
「はあぁぁ……いいわその顔アヤメさん、クールでキリッとしてホント最高……!」
「うん! 準備は万端のようだね、さすがはベテランだ! あ、こっちは俺がちゃんとやっとくから」
ヒュンッ
ウツシが爽やかにアヤメへ微笑みかけたのと同時に、ミドリの視界を翠色の光線が走り、身体がきゅうっと宙に浮いた。
「えっ――っ、はァ」
キリッとしたアヤメに夢中になりすぎて油断した。英雄、一生の不覚である。
ミドリが気付いた時には、ウツシが放った鉄蟲糸によって、門柱の高い位置に全身をがっちりと括りつけられていた。
「ちょっと教官、どういうつもり まだ何もしてないじゃない」
「サンキュー、ウツシ教官。助かるよ」
「なんで」
「キミは大会が終わるまでそこで大人しくしてなさい。アヤメさんが被弾する度に大騒ぎしたり、あまつさえ救護しようとして飛び出して行ったりされちゃ困るからね」
「しないわよいくら何でも」
「ハッ、日頃の行いだね」
柱と一体化して足だけじたばた暴れているミドリを「ざまぁ見ろ」とでも言わんばかりに見上げて、くすくすと笑うアヤメ。
やがて不敵な笑みをミドリに寄越し、既に闘技場へ放たれたクルルヤックをしばらくじっと見下ろしてから、勢いよく飛び出していく。その後ろ姿は自信に満ち満ちていて、駆け出す足取りには躊躇いの欠片もない。
着地の音に反応して振り返ったクルルヤックの咆哮が、闘技場に響き渡った。
◇◇◇◇
苦戦しながらフィールドを駆け回るアヤメを見つめて、ミドリは静かに微笑んでいた。
(……あーあ。起爆榴弾、もっと使えばいいのに)
ウツシがミドリを磔にしたのは、闘技場全体が俯瞰できる絶景スポットである。普通に立って見るよりも大変よく見える。――もしかしたら、しっかり見させるために敢えてこうしたのかもしれない。
唯我独尊が極まりすぎて他人の立ち回りにまるで興味が持てないので、「人から学ぶ」が下手な自覚もあるし、ウツシがそれを心配しているのも、ミドリはちゃんと知っている。アヤメの戦いならこんな事をされなくても穴が空くほど見るのだが、そこはアヤメの言う通り、日頃の行いが悪いせい。
色々考えた結果、文句を言うのはやめにした。縛られた腕は少々痛いが、特等席でアヤメの一挙手一投足を見下ろせるのだから、悪くはない気もするし。
(照準が左に寄る癖があるのよね、アヤメさん。武器を構えると体幹も微妙にブレるし。だから焦れったくなって、ついモンスターのそばに陣取って、隙あらばぶん殴ろうとしちゃう……)
ライトボウガンは大剣のようにガードもできないし、ハンマーのように振り回す遠心力を利用して素早く身を翻すこともできない。なのに長らく親しんだ大物武器の使用感覚がどうしても抜けないアヤメは、ボウガン使いにとっての生命線である「位置取り」に、まだかなり難がある。
戦闘の勘は抜群に良いが、ライトボウガンの使い方がまだまだ未熟なのである。
(……ほら、やっぱりね。分かりやすいんだから。かーわいい)
ミドリの予想通り、アヤメは射撃の隙間を縫って接近してきたクルルヤックの懐に素早く潜り込み――つまり、至近距離でしっかと足を踏ん張り、飾り羽が逆立つクルルヤックの頭に向かって、ライトボウガンの銃床をこれでもかと言わんばかりに叩きつけた。ガンナーらしからぬ猛々しい立ち回りと重い打撃音に観客から歓声が上がり、クルルヤックは一瞬意識を飛ばして踏鞴を踏む。
しかし、ライトボウガン一本で英雄と呼ばれるまでのハンターになったミドリから見れば、苦笑するしかない不器用さである。今は相手が比較的温厚で小柄なクルルヤックだからいいが、もう少し大柄なモンスターになったら、そもそも頭部にリーチの短い打撃を当てるなんて困難だ。
あれは、大剣使いの戦い方。ライトボウガンを担いで同じ事を続けていれば、命がいくつあっても足りない。
(ふふっ。まだまだね、アヤメさん。全然ダメだわ。自分でも分かってるだろうけど)
厳しい時間制限と装備の制約があるこの闘技大会で、危険度の高いジンオウガに挑戦させなかったギルドの判断。それは極めて妥当だと、ミドリも心底思っていた。
本人には、言わないが。
(その装備なら、通常弾を主軸に据えて立ち回る判断は悪くないわよ。でも、それならもっと距離を取らないと――)
アヤメ自身はまだまだ不満なようだが、地道な鍛練の成果あって、着弾率は本人が感じている以上に良いのである。なのにいまいち効果的にダメージを与えられていないのは、適正距離を保てていないからに他ならない。
それに何より、無理をしてあの距離に居座るのは、危険だ。
「ああ、危ない」
観衆から悲鳴が上がり、アヤメの身体が枯れ葉のように宙を舞った。
中途半端な距離で安易にリロードをして、その隙を見事に蹴飛ばされたのである。
(受け身……は、取れないわよね。あの体勢からじゃ)
飛んで、落ちた。
なんとか体勢を立て直して翔蟲受け身で距離を取ったが、その前に思い切り地面で擦ってしまったアヤメの額はみるみる血に染まり、銀髪の毛先からぽとぽと血の雫が垂れる。
ドクン。
ミドリの心臓がぎゅうっと締め上げられて、胸骨の内側で苦しげに踠いた。
思わず身動ぎをしたら、横からウツシの視線を感じた。
「……ミドリ。駄目だよ?」
「……」
分かっている。助けに行こうとして暴れ出すのではないかと、疑われているのだ。
ミドリが本気を出せば、この程度の拘束などすぐにでも振り切れる。それを知っているからだろう、ウツシが纏う気配は厳しさと緊張感に満ちていた。
しかし。
「うるさい」
ウツシに一瞬送る視線も勿体ないと、ミドリは視線をアヤメに釘付けにしたまま、声だけを師に向けて低く唸った。
舐められたものだ。アヤメも、自分も。
あの程度でアヤメは絶対に死にやしない。ガンナーとしては未熟でも、彼女は地獄から這い上がってきた不屈の狩人なのだ。
助けになんか入ろうものなら、彼女のプライドは深く傷つき、後でどんな恨み言を言われるか分かったものではない。それを、誰よりも彼女を真摯に見つめ続けてきたミドリはよくよく知っている。
それに――
「邪魔しないで。今、イイ所なんだから」
想い人がもっとも美しく輝く瞬間を安全圏からまじまじと鑑賞できる、滅多とない機会なのだ。
妨げるなんてもったいない事を、できるはずがないではないか。
アヤメが立ち上がった。しかし足元は覚束ず、顔は敵を見据えているが明らかにフラついている。
好機と見たクルルヤックが高らかに吠えて腰を屈める。お得意の大ジャンプだ。アヤメは倒れ込むようにかろうじて地面を転がり、飛びかかりを紙一重で避ける。
舞い上がる砂埃の一粒すら見逃すまいと、ミドリの緋色の瞳が一人と一匹の動きを追う。
再び、顔を上げるアヤメ。
窮地に追い込まれながらそれをまるで意に介さず、不遜にも、全身で叫んでいる。「食い殺してやる」と。
火傷しそうなほどの闘志に身を焦がしている。己が僅かでも劣っているだとか、負けるだとか、そんな事は塵ほども考えていない目をして。
(……)
ミドリの喉奥を、悦楽がどくんと駆け抜けた。
彼女は、自分に食い荒らされている時も、同じ目をするのだ。
どれだけ善がり狂って悶えながらも、濃墨の瞳に灯った誇り高い炎は決して消えず、隙あらばミドリを焼き殺そうと常に狙っている。それを躱しながら何度も何度もイカせるのが、時には火の粉を浴びて自らも心身をじりじりと焼かれるのが、堪らなくスリリングで、嬉しくて切なくて耳鳴りがするほどに気持ちが良くて、思い出すだけでも気が狂いそうだ。
狩り場と閨でしか見られない、獣の目。その輝きに殺し合いのような睦み合いの記憶が引きずり出され、ミドリの下腹が切なさを訴えてきゅうきゅうと疼く。
にわかに、あの目を向けられている掻鳥に嫉妬さえ覚えた。あれは、私が独り占めしたいのに。私以外の誰にも見せたくないのに。
みるみるうちに五臓六腑が嫉妬に燃えて、ドロドロと熔け崩れていくような気がした。
◇◇◇◇
激闘の末、クルルヤックがついに力ない断末魔を上げてその身をばったりと地に伏し、固唾を飲んで見守っていた観客から、歓声と喝采が湧き上がった。
手こずったように見えたが、蓋を開けてみればなんとかギリギリAランク。長いブランクに武器の変更という苦難を乗り越えた上での好成績、流石は上位のハンターである。
静止したクルルヤックを暫し睨み付けた後、ゆっくりと首を回して、アヤメが磔にされたままのミドリを見上げた。
血に染まった前髪の隙間から覗く、真っ暗闇の殺意に塗り潰された狂気の瞳。その奥底に、狩りの興奮で煽りに煽られた灼熱の炎が轟々と渦を巻いているのが、確かに見える。
ぞくぞくっ。その視線に貫かれたミドリの背筋を、えもいわれぬ寒気が駆け上がった。
アヤメが翔蟲を取り出したのと同時に拘束を解いてもらい、疾翔けで戻って来たアヤメに、平静を装っていつも通りに飛び付こうとする。
「お疲れ様ーっ! 初挑戦でAランクなら上出来よ、おめでと……」
「帰るよ」
「!」
目も合わせないまま、ピシャッと言い切られた。
「……帰るって、その前に怪我の手当てとか」
「平気。いいから、早く」
「……」
「ま、まぁまぁアヤメさん、そうカリカリしなくても」
アヤメのあまりの剣呑さに、ウツシが慌ててフォローに入った。戦闘の内容やタイムが芳しくなかったせいで機嫌が悪いのだと思っているようだ。
常日頃からアヤメがミドリに静かなライバル心を燃やしていることは、里の皆もよく知るところである。ミドリの言う通り、不慣れな武器を使用してのAランクは本来なら十分誇ってよい成績だが、Sランクであるミドリの記録にはまだまだ遠く及ばないから、ウツシがそのように考えるのは致し方ないだろう。
しかし、ミドリには分かっている。――この猛々しい女狩人は、そんなに単純ではない。
抱く気だ。抱き潰すつもりなのだ。
ミドリが狂おうが壊れようがお構いなしに、己の昂った気が鎮まるまで。
ウツシからもミドリからも目を逸らしたまま俯いて、獣のようにふうふうと激しく肩で息をするアヤメ。
もう戦闘が終わってそこそこの時間が経っている。運動による呼吸の乱れなど、心肺をしっかり鍛えている彼女なら、すぐに抑えることができるはずだ。
つまり、今のこれは、そうではないのである。
「……はぁ~。はいはい、分かった分かった」
わざとらしく吐いた溜息は、緊張と劣情を隠すための深呼吸。
やんわりとウツシを制しながら、ミドリは余裕ぶった笑みを口角に張り付けて、アヤメの耳許で囁いた。
「手当ては私がしてあげるわ。だから……そんなに焦らないで。ね?」
低く掠れた声は、発情を精一杯圧し殺してなお色めく。
(全部、受け止めてあげるから)
そこに秘められた意味を理解したアヤメの瞳に、ゆらりと仄暗い陽炎が揺れた。